青空に浮かぶ月 1
絵に描いたようなお人好しって言う言葉があるが、俺の場合、絵に描いたような「平凡」だろう。それぐらい、俺は平凡だ。
身長は平均的な172センチ、体重も63キロと平均的だ。成績はどんなに頑張っても中ぐらいまでしか行かなかったし、足の速さだってクラスで中ぐらいだった。
顔は中の中で、良くも悪くもない……、と言われている。決して自分で判断したわけじゃない。
血液型は日本で一番多いA型で、1年3ヶ月付き合っている彼女がいるが、その彼女もまた普通の人だった。
裕福でも貧乏でもない中流階級の家庭で生まれ、普遍的な生活を送り、中流の大学を出て、今は中企業の営業をやっている。
業務用食器洗浄機洗剤を売っている会社だ。
大学を卒業したと同時に入社し、もう3年目になる。そこそこ仕事を覚えてきて、管理するエリアも増えた。仕事が増えたからと言って、仕事に生きがいなんかを持って居るとかいうわけでもなく、ただ淡々と仕事を業務的にこなしているだけだ。
それでも個人経営の飲食店から、大手のホテルまで担当を持っている。まぁそれもたまに顔を出しに行くか、呼ばれて行く程度だ。
そう難しい仕事でもない。
基本的にお客さんが洗剤が切れたら、電話で注文するからだ。営業と言ってもあまり仕事があるわけじゃなかった。だから、余計にやる気があるわけじゃないが、営業と言うのは元気が取り柄なので、とりあえず活発なふりをしていた。
直行直帰で事務所に顔を出すことは週に1度あるか無いか程度。事務所には不細工な事務員とうちの所長が居て、主にこの二人が電話を受けている。
もっと大きなコールセンターが本社にある。ま、洗剤の注文はこのコールセンターで受注するんだ。
たまに食器洗浄機が壊れたとかそんな話やクレームが来たりする。そんときは俺たち営業が頭を下げに行くんだけど、一番多いクレームが「配達ミス」だ。
うちの会社はある運送会社に運搬を全て委託しているんだが、この運送会社ってのがたまーにとんでもないクレームを引き起こしてくれる。
誤配、指定時間を過ぎてからの納品、出荷ミス……まぁ、上げ出したらキリがないからこれぐらいにしておくけど、本当にひどいぐらいミスをしてくれるんだ。
伝票を間違えたり、金額の書かれた専用伝票の処理の仕方が間違っていたり、それで俺は何度か怒鳴られたことがある。
一番ひどかったのは、休日配達で出荷が多く荷物が乗りきらなくて配達出来なかったことがある。まぁ、年末年始、ゴールデンウィーク前なんかは忙しいのは分かる。
だけど、荷物が乗りきらないなら、一言で良いから言えと。俺が直接持って行った方がクレームにならなくて済む。
そんなこんなで、休みの日なのに飲食店の店長から携帯に電話がかかってきて、休日がつぶれたこともある。
まぁ、仕事用の携帯の電源を入れっぱにしてた俺が悪いんけど……。
何で、俺が今、このクレームの話をしているのかと言うと……。
その運送会社が今回、大手のホテルにとんでもないことをしてくれて、俺は謝りに行くところなんだ。
箱形の軽自動車に乗って、今は移動中。13時にホテルに到着しなきゃいけないのだが、こんな時に限って渋滞にハマってしまい……。
現時刻、13時15分。12時45分ぐらいに渋滞していて遅れると言う連絡を入れたが、そん時も怒鳴られた。
あぁー、マジで憂鬱。空は俺を嘲笑うぐらいの晴天で、見ていてイライラしてきた。
渋滞をすり抜け、俺はちょっと飛ばし気味でホテルに向かう。トラックの搬入口から侵入して、俺は業者専用の駐車場に車を停めてからカバンを持って走る。
謝る時は誠意が大切。自分がミスしてないのに謝るってのは少しイヤだが、これも営業の仕事。ゴクっと息を飲みこんで、ホテルの裏口でボードに自分の会社の名前と要件を記入してから、厨房へ向かった。
「クレンザーサービスの深見です。料理長はいらっしゃいますでしょうか?」
厨房の入り口で声をかけると、強面の料理長が俺の前にやってきた。本当にヤクザみたいな人で、俺は話すたびにビクビクしてしまう。
今回は一昨日納期の洗剤が昨日届いたらしい。一昨日で洗剤が切れてしまったこのホテルニューシイナは、食器洗浄機が使えずに手洗いで食器を洗ったそうだ。
それで料理長が激怒。俺が呼び出されたってわけだ。
「料理長、この度は----……」
「深見君。俺じゃなくて支配人が呼んでいる。支配人の所へ行ってくれないか」
料理長は無表情で俺にそう伝えた。支配人だと……!? まだ、何度も顔を合わせている料理長に怒鳴られるならまだしも、見たこともない支配人から俺は怒られるのか!?
……どーすんだよ。
「え、あ、あの……」
「俺はもう過ぎたことをどうこう言う気はない。次はしっかりしてくれ。それだけだ」
「は、はいっ!!」
料理長は俺の肩をパンパンと叩いて、エレベーターまで案内してくれた。実は優しかった料理長に俺は感激しながら、支配人が待っていると言う最上階までエレベーターで上がった。
つーか、支配人の部屋が最上階ってどうよ。カチンと言う音とともにエレベーターの扉が開く。地上30階建の高層ホテルの最上階は、ここはスイートルームへ続く道か!? とつい疑ってしまうほど、廊下はとても綺麗だった。
一歩、足を踏み入れるとガードマンみたいな人が、俺を見て「クレンザーサービスの深見様……、ですね」と話しかけてきた。
「え、あ……、はい。深見です」
「どうぞ。支配人がお待ちです」
ガードマンらしき人に案内されるまま、俺は一番奥の部屋へ向かった。木でできた馬鹿デカイ扉は高級感が溢れていた。扉を開けると、市内の風景が俺の目に飛び込んできた。
真っ赤な絨毯が敷かれたその部屋は、一瞬「スイートルームか!?」と思うほどだった。
ま、真正面に机がある時点でスイートじゃないですけどね。
「支配人、クレンザーサービスの深見様がいらっしゃいました」
俺に背を向けていた椅子がくるっと回転する。そこには、とんでもねーぐらい美形の男が椅子に座って、俺に向かってほんのりと笑った。
「く、クレンザーサービスの深見と申します。この度は多大なるご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
俺は大げさだってぐらい頭を下げる。椅子に座っている支配人は何も言わない。
全部屋500室ぐらいあるこのホテルニューシイナで、食器を手洗いされたんだ。そりゃーもう、かなりの迷惑をかけたに違いない。
それでもその日に電話してこなかったことが不思議だ。
……何で、今日「謝りに来い」なんて言って来たんだろうか。
「所沢、深見さんと二人きりで話したい。席を外せ」
「かしこまりました」
面を上げい、じゃないが、俺は「頭を上げてください」と言うまで頭を下げ続けていた。カツカツとガードマンみたいな人が俺の隣を通り過ぎ、パタンと部屋の扉を閉めた。
よりによって、支配人に呼び出されるとは……。こんな大きなホテルの支配人だ。相当の人なんだろう。
「深見さん、顔を上げてもらえますか」
「は、はい」
俺はそう言われ、ガバッと顔を上げた。支配人は仄かに笑ったまま、俺を見ている。
何か喋らなければ……。
「あ、あの……」
「クレンザーサービスさんとは、次の納品で最後にさせてもらおうと思っているんです」
俺が何か言おうとしたら、支配人が口を開く。しかも、次の納品で最後ってどういうことだ……。
「え……」
「食器洗浄機もそろそろ買い換えようと思っているんですけどね。次はクレンザーサービスさんじゃなくて、もっと信頼のある業者に頼もうと思っているんです」
支配人はニコニコと笑ったまま、俺にそう言う。これって、暗に「もうお前のところは二度とつかわねぇよ」って言う契約打ち切りの合図なんだろう。
「あの、次回からはっ……」
「何度かありましたよね。届かなかったことが。うちも何度か目をつぶっているんですがね」
ホテルニューシイナはうちの会社でも大口のお客さんだ。ここの納品が無くなるのは、うちの会社的にも大打撃だ。
どうにかせねばっ!!
「本当に申し訳ありません!! もう二度とこのようなことがないよう、厳重に注意を----……」
「深見さん」
俺の言葉をさえぎる様に、支配人は俺の名前を呼んだ。俺は直立不動で「はい」と返事をする。
誠意を見せなければ……。
「その言葉も、何度か聞いてるそうですね。料理長が」
支配人はにっこりと笑って、俺の言葉をことごとく潰していく。言うこと言うこと全てを潰されて、俺の手札がどんどんと減っていく。
くそ、どうしたらいいんだ。
「もう一度だけ、チャンスを貰えないでしょうか……」
最終手段に出た。もう、これからは俺が納品するしかないって思った。ホテルニューシイナの納品が無くなれば、俺の仕事だって激減してしまう。
何とかして、契約を継続してもらわないと……。やっぱり、所長を連れてくるべきだったか。
「深見さん」
「はい」
「責任、取ってもらえます?」
支配人はにっこりと笑ったまま、俺を見つめる。責任って……、なんだよ……。
「……え」
「最後のチャンスを与えるので、その対価としてあなたにしてもらいたいことがあるんです」
俺はこのとき、チャンスを与える対価なんて、雑用でもしろって言うのかと思った。ホテルの掃除とかな。
あと、思いついたのは食器洗いとかそんなんだった。
だから、俺は張り切って、こう言ってしまった。
「何でもします」
とね。
「何でも……、するんですか?」
「チャンスを与えてもらえるなら、何でもします」
俺は正々堂々とそう答える。すると、支配人はニコニコとした表情を一変させて、ニヤリと笑った。
そりゃぁ、もう、天使が悪魔に切り替わったぐらいの笑顔に、俺は背筋がゾクッとした。
いけないこと、言っちまったんじゃねぇかなって。
「じゃぁ、こちらへ来てください」
支配人は立ち上がって、隣の部屋に案内する。支配人は背も高くて、足も長くて、それこそ絵に描いたような美男子だった。
平凡な俺とは全く正反対の人間だった。
ガチャと隣の部屋を開けると、それまたクソでかいベッドが置かれていて、俺は「はぁ?」となって固まってしまった。
……ここで何しろって言うの?
「さ、カバンと背広をテーブルの上に置いて、ベッドに寝転がってください」
にっこりと笑う支配人は、とんでもねぇ変態だった。
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