青空に浮かぶ月 10


 ホテルの支配人は、いつの間にかうちの王様に成り上がっていた。
 いや、俺の家で王様に成り上がるって言うより、成り下がったって感じだけど、とにかく、いつの間にかコイツは俺の家に存在するようになった。
「おい、酒」
「てめぇのことはてめぇでやれ!」
 こんなやり取りも、もう何十回ってぐらいやった。
 あの日から、椎名は暇さえあれば俺の家にいるようになった。どこで鍵を手に入れたか全然分からないが、俺が居ない間に家に入って寛いでいる。
 ほんと……、これって犯罪だよと、大きく息を吐いてしまう。断るのも面倒になった俺は、これ以上何も言わなかった。
 やりたいよーにやらせておけば、そのうち飽きるだろうって高を括っていたからだ。
 そんなこんなも、1週間や2週間ぐらい続いてくると、飽きるのを待っているこっちも鬱陶しくなってくるもんだ。
「何でお前が俺の家にいるんだ。まず、それを説明しろ」
「鍵を持って入ってきているからに決まってるだろう」
 バカにするような笑いに、むかっと来た。そんなの聞かなくても分かってるんだよ。一日ぐらいだったら「あれ、俺、鍵閉め忘れちゃったかなぁ」程度で済むが、こうも頻繁だと合鍵を持っていることは明確。俺が尋ねているのは、何で椎名が俺の家の鍵を持っているんだってことだ。
 見当違いな答えを出しているのは、目の前で踏ん反り返っているこのバカ殿だ!
「そーじゃなくて! 何で、俺の家の鍵を持ってるんだってことだよ!!」
「合鍵を作らせたからだ。……なんだ、そんなことも分からないのか?」
「分かってるわ!!! 要は、どこで鍵を手に入れたかってことなんだよ!!!」
 どうやら、椎名は人間としての常識は持ち合わせていないようだ。勝手に合鍵を作るってことが、犯罪につながっているって分かっていないんだろう。
「……それは……、まぁ、言わない」
「言えよ。さもなくば、合鍵を取り上げるぞ」
「取り上げれるものなら、取り上げてみろ」
 椎名は勝ち誇ったように笑った。確かに椎名の言う通り、俺は鍵を取り上げるって言ったって、鍵を取り上げることなんかできないんだ。
 鍵の在り処が、全然分からない。
「つーかさ、ここは俺の家であって椎名の家じゃないんだ。出ていけ」
「イヤだ」
 子供のように駄々をこねる椎名に、俺は大きく息を吐いた。出ていけって言ったって、椎名は絶対に出て行こうとしなかった。
 それこそ、俺が出ていけって喚いているのを楽しんでいるようにも思える。なんて性質の悪い奴なんだ。
「なんだ、金にでも困ってるのか? だったらー……」
「そうじゃねぇよ」
 金に困るって言ったって、椎名は自分で酒を買ってきたり、食い物持ってきたりしてるから、金には全然困って無い。何が困るって言うと、コイツの存在自体が困り者なんだ。
 俺の目の前から居なくなって欲しい。ただ、それだけなのに、俺はそれを椎名に言えなかった。
「それに……、椎名だって、こんな凡人が住んでる家、居心地悪いだろ」
 セレブリティ溢れる椎名がこんな質素な家に居ること自体、おかしいんだ。こうやって、アイツの自尊心をと思って言った言葉だったが、椎名は全然めげずに「そうでもない」と否定した。
「あまり広い部屋に居すぎると、窮屈だ。多少、狭い方が楽しめたりする」
「はぁ?」
「まぁ、平民には分からないだろうけどな」
 椎名はクスクスと笑うと、タバコに火を付けた。完全居座りモードが炸裂している椎名に、これ以上何を言っても無駄だろう。
 今日の説得はここまでにして、俺は灰皿代わりにしている缶を椎名に差しだした。
 こんなことしちゃう辺りが、本当に俺も椎名との生活になれた気がしてきて凄くイヤになった。
 卑屈になろうとしているときに、ピリリリと近くから携帯の着信音が聞こえた。聞き慣れない音に視線を泳がすと、椎名が自分のズボンのポケットから携帯を取り出した。
 居座ってそろそろ3週間ぐらいが経とうとしているけど、椎名が俺の目の前で携帯を取ったのは初めてのことだった。
「はい」
 椎名は渋い顔をして電話を取る。聞いてはいけない内容な気がして、俺は風呂場へと向かった。飯食ってビール飲んだ後に、あの王様がすることは風呂に入ることだ。
 仕方なく浴槽に湯を張って、リビングの様子を見た。椎名は相変わらず難しそうな顔をして、頷いているだけだった。
「……あぁ、分かった。今から行く」
 椎名はそう言うと携帯を耳から離し、ピッと電源を切った。タバコを缶の中に入れ、すっと立ち上がった。
「帰る」
「……あ、そう」
 それだけ言うと、椎名は俺の隣を通り過ぎて玄関で靴を履くとさっさと家から出て行った。
 パタンと扉が閉まったと同時に、どこか抜けたような喪失感に見舞われた。風呂に入ると思ったから湯を張ったのに、意味が無くなった。
「あーあー」
 いつまでたっても自分勝手な椎名にちょっとだけ苛立ちを覚えながら、俺は捻ったばかりの蛇口を閉めた。
 居なくなって嬉しいはずだ。大体、家に来ると襲われるのが当たり前になっている。アイツは絶倫なんだか知らんが、1回で終わった試しがない。次の日が休みだったりすると、それこそ朝方までやられることが多かった。
 だから、今日だってヤられるはずだったんだ。それが無くなって嬉しいはずなのに。
 このポカンと抜け落ちたような喪失感は何なんだ。
 俺自身が分からない感情に振り回されていた。
 俺しかいないこの狭い家は、椎名が居なくなった途端に広く寂しい家へと変わってしまった。

「気の抜けた顔をしているな」
 あまりにも暇になってしまった俺は、友人である風間を家に呼びつけた。寝るにはまだ早かったし、椎名が置いて行った酒が有り余っていたから、二人でリビングで飲んでいるといきなりそう言われた。
「は?」
 気の抜けた顔って言われても、俺は普通に接しているつもりだった。
「彼女と別れて、放心したのか?」
「……な……、わけ……」
 真美と別れたのはしょうがないと思っていたから、俺としては未練も何もなかった。あれは椎名に嵌められた罠で、俺と真美はそれにまんまと引っかかってしまったんだ。
 引き裂かれたとかそんな風には思っていない。顔の良い椎名に惹かれて行ったなら、椎名じゃなくても俺たちはああなっていたと思う。
「前までは普通だったのに、どうしたんだよ」
「俺はいつでも普通だよ」
 大きく息を吐いてビールを飲みこむと、風間が家の中を見渡した。
「タバコの匂いがする」
「は?」
「お前、タバコ吸わないのに。この家からはタバコの匂いがする。新しい女でも出来たの?」
 風間に言われ、俺はギクッとした。風間の言う通り、俺はタバコを吸わない。真美だって吸って居なかった。この家でタバコを吸うのは椎名だけだ。
 最初は匂いとか気になってたけど、居るのが当たり前になってきてからはあまり気にならなくなっていた。
「……いや、そうじゃねぇよ。最近、遊びに来てる後輩が吸うんだよ」
「あー、そうなんだ」
 適当に誤魔化すと風間は納得して、ビールの缶を掴んだ。俺のことをよく知っている風間をこの家に連れてきたのは間違いだったのかもしれない。
 いつ、どうやって、椎名とのことがバレるか分からない。
 男に抱かれているなんて事実が風間にまでバレたら、風間は絶対に俺から離れるだろう。それだけは自信を持って言えた。
「つーことは、お前、まだ彼女いねーんだよな?」
「別れてまだ3週間だぞ。俺はそう簡単に彼女できねーって」
 平凡な顔で大した魅力があるわけでもないのに、彼女なんてそう簡単にできるわけない。それに、当分彼女とかは要らなかった。
 椎名との関係が無くなるまで、俺は彼女なんて作りたくなかった。
 あんな苦しい思い、もうしたくない。
「じゃー、そんな可哀想な深見君に朗報」
「え……?」
「今週の土曜日に、キャビンアテンダントとの合コンを開くんだが。お前もくるか?」
 風間はケラケラと笑いながら、俺を見る。キャビンアテンダントとの合コンねぇ……。悪く無い気もするが、俺は特に乗り気じゃなかった。
 まだ彼女は要らない。
「そんな憂鬱そうなお前の顔見てたら、放っておけねーからさ。彼女とかそんなん関係無く、みんなでバーっと飲もうぜ」
 みんなでバーっと騒ぐって言葉に駆られて、俺はつい「いいよ」と返事をしてしまった。今は一人で居たくないって言う気持ちが強かった。
 そんとき、ふと脳裏に椎名が浮かんだけど、首をブンブンと振って頭の中からかき消した。
「じゃぁ、土曜の6時に。場所はまた連絡するよ」
「何人ぐらい来るんだよ」
「俺が主催じゃないからよく分からないんだけど、5人ずつって言ってたかな。一人足りないから、誰か連れて来てくれって頼まれてたから助かった」
 風間は安心したように息を吐いた。今日は木曜日だから、土曜日まであと2日しかない。相当切羽詰まっていたんだろう。
 みんなでバーっと飲むのは嫌いじゃないし、このよく分からないもやもやとした気持ちが晴れるならそれでいいと思った。
「キャビンアテンダントなんだから、美女が多いよなー。絶対」
 何を期待しているのか、風間はゲラゲラと笑いながらビールを流し込む。美人なんて、結局椎名みたいな男前に持って行かれるのがオチなんだよって突っ込みを入れる代わりに、俺はその笑いに合わせながらビールを飲みこんだ。
 美人だろうが、なんだろうが俺はどうでも良かった。
 一時でも、一瞬でも良いから、俺の頭の中からこびり付いて離れない椎名を消してほしかった。






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