青空に浮かぶ月 17


 いざとなると、俺も椎名も何も言えなくなってしまった。
 はっきりさせようって言ったまではいいが、どっちから話を切り出すかで俺たちは迷っている。
 俺も椎名も、相手から話を切り出して欲しいんだろう。少なくとも俺はそう思っていた。
 何かを変えるつもりなんて一切ない。さっき椎名に俺はそう言った。それが俺の答えだってことに、椎名は気づいてるだろうか。
 俺はこの生活も、椎名に対する態度も、変えるつもりなんて無い。これからも、ずっとこのままで行こうと思っている。
 やっぱり、ここは俺から話した方が良いんだろうか。
 そう思って口を開こうとすると、椎名が先に口を開いた。
「……俺は、もうお前とは関わらないほうが良いと思っている」
「え……」
 椎名の行き着いた答えに、俺は言葉を失ってしまった。
 ドキンと心臓が飛び跳ねて、冷や汗がバーっと流れ出る。関わらないほうがいいってことは、俺とは一緒に居てくれないってことだよな。
 今まで考えたこと、いっぱいあった。
 椎名と離れられたら、どんだけ幸せかって凄く思ってた。
 なのに、今は違う。
 誰かに誘拐されて、ボコボコにされて、インフルエンザと肺炎が併発して、鼻の骨を折られたことなんかよりも、今後椎名と関わらない未来のほうが俺には怖かった。
 ずっと自分の気持ちにウソをついていた。
「どういう、ことだよ」
 喉が張り付いて上手く声が出せなかったと思う。声は震えていて、完全に俺は動揺していた。
「俺がしてきたことは、本当に最低なことだった。これは今まで俺がしてきたことの報いだ」
「何だよ、それ。俺と関わらないことが、今までしてきたことの報いになるって言うのかよ?」
「……お前は俺となんか、一緒にいたくないだろう」
 今の一言で、ぽろっと目から涙が出てきた。泣いている自分がかなり悔しい。それ以上に、俺が素直にならなかったせいで椎名がそういう風に思っていたってことが分かってしまって、もっと悔しかった。
 椎名は思い悩んでいたのかもしれない。
 自分を嫌っている奴を無理矢理抱くことも、近付くことも、全て「良いんだろうか?」と言う不安を抱えて居たんだ。
「俺は……」
「無理をするな。お前がずっと俺から離れたがっていたことは、最初から分かっていた。拒んでるのを、俺が無理矢理やってたんだ。お前は素直に答えれば良いんだ」
 椎名の言う通り、俺はずっと椎名を拒んでいた。最初は本当にイヤだったから拒んでいたけれど、途中からは違った。拒んでいるなんて口先だけで、本当は椎名を受け入れていた。
 中に入ってくることに、違和感なんて感じてなかった。
 むしろ……。
「……俺は何も変わりたくない」
「どういうことだ」
「今までも、これからも、何も変えようとしたくない」
 椎名が素直に言えと言ったけれど、結局最終的に「一緒に居たい」なんて言う恥ずかしい言葉は言えなかった。
 言わなくても、椎名になら伝わると思っていた。
「……それでは、また同じことが起きる。俺はもう、二度とこんな思いをしたくないんだ」
 椎名が苦しそうに顔を歪めて、俯いた。俺も同じような顔をしてるだろう。流れ出る涙をぐっと手の甲で拭って、俺は椎名を見た。
「寝ているお前を見て、もう目を覚まさないんじゃないかと思った。いつになったら目を開けるのか、不安でたまらなかった。こんなことを引き起こしてしまった自分が、情けなくて、殺したくなるほど憎かった。……俺はお前を傷つけたくない」
「……今回の事件は、全部自分のせいだって言うんだな」
 確かめるように尋ねると、椎名は「あぁ」と即答した。椎名だけのせいじゃないって、俺は思ってる。
 椎名がしてきたことは、人間として最低なことだったかもしれないけれど、同じようなことをしてる奴だってたくさんいる。
 それがたまたま、俺に降りかかってきてしまっただけなんだ。
 撃鉄を引き起こしたのは椎名かもしれないけど、引き金を引いたのは椎名じゃないはずだ。
「俺と関係を持ったヤツ全てに、別れを告げた。それが今回の結果だ。これが俺のせいじゃないって言うなら、誰のせいになるんだ」
 椎名は自嘲するように笑って、項垂れている。そうか、別れ話をされて河野がキレたのか。その矛先が椎名じゃなくて、俺に向かってしまったのか。
「……何で別れなんて……」
 いきなり別れを告げられて、河野は驚いたんだろうな。そして、今、一番椎名と関わってる俺が原因だと思ったんだ。
 俺に何かすれば、俺から離れると思ったんだろう。
「お前のことが、好きだからだ」
「……は?」
 いきなりの告白に俺は目を丸くした。
「お前のことが好きだから、関わったヤツ全員と手を切った」
 椎名は俺の目を見て、はっきりと言った。そりゃ、大事な仕事をほっぽって俺を助けに来て、入院している間はずっと俺の傍から離れなかった。
 最初は自分が原因で怪我をしてしまったから、一緒に居てやるだけだと勝手に思い込んでいたけれど、そんだけの理由でこの椎名俊平が一人の場所に居着くなんて思えない。
 なんだかんだ言いながら、俺たちは相思相愛だったのか。あぁ、キモチワルイ。
「何で、俺なんかを」
「知るか。気付いたら、お前の全てが欲しくなっていた。昼間の空に浮かんでる月のようなお前を、この手に入れたかったんだ。だから最初は、俺のところまで引きずり降ろせばいいかなって思っていたが、地獄の底に住んでる俺には手に入らない存在だったんだろうな」
 昼間の空に浮かんでいる月。が、俺か……。なんだか、不思議な表現に俺は首を傾げた。
 青い空に浮かんでいる、白い月……か。
「俺の居る場所までお前を引きずり落としてしまえば、お前は絶対に悲惨な目に遭う。それが今回良く分かった。お前は俺と一緒に居てはいけないんだ」
「……なんだ、よ、それ……」
「これ以上一緒に居れば、お前の人生をめちゃくちゃにしてしまうだろう。それだけは避けたい。お前は今まで通り、普通に生きていく方が向いている」
 椎名は勝手に俺の人生を決めつけて、俺から離れて行こうとしている。
 ムカつく。
 やっと涙が止まったと思ったのに、また目から涙があふれ出してきた。何か、泣いてばっかりで凄くダサい。
 こんな情けない顔、誰にも見られたくない。
 布団を跳ね除けて俺はスリッパを履いて立ち上がった。いきなり立ち上がった俺に、椎名はぎょっとした目で俺を見た。
「どこ行くんだ」
「どこだって、良いだろ。椎名には関係ない」
 俺の腕を掴んで引き止める椎名の腕を振り払って、俺は扉の前に立った。
「俺は……、どんなことがあってもお前と一緒に居たいって思ってるのに、お前がそうやって俺から離れていきたいって言うならもういい」
 泣きながらこんなことを言うつもり、全然無かったのに。もうダメだった。涙が溢れて顔を伝って行く。
 椎名は唖然とした顔で俺を見つめて立ち上がる。
「俺はお前が思ってるような、空に浮かんでる月なんかじゃない。普通の人間だ。お前だって地獄の底に居る悪魔なんかじゃないだろ! 俺とおんなじ人間だ。同じ人間同士で近くに居れるはずなのに、お前がそう言う言い方をするなら……。もういい」
 泣き叫ぶように言うと椎名が、一歩二歩と俺に近づいてくる。椎名を睨みつけて、俺はもう一度怒鳴った。
「俺と離れたいって思ってるなら、追っかけてくるな! 早く自分の仕事に戻れ。もう二度と、俺に関わったりするな!」
 さっき所沢さんに何があっても離れないって言ったけど、椎名が俺と離れたいって言うならもういい。望み通り離れてやろうと思った。扉に手をかけて、病室から出て行こうとした。
 扉に手をかけて開ける前に、真後ろから抱きしめられた。
 温かい体が少しだけ細くなった俺の体を強く抱きしめる。後ろからは吐息が聞える。
 この腕の温もりを、心地いいと思ったのはいつ位からだったろうか。
 嫌悪と憎悪が、いつの間にか愛情に変わってしまっていた。
「……抱きしめたりするんじゃねぇよ……。俺と離れたいなら、近づくなって言っただろ……!」
 これ以上、抱き締められたりしたら離れられなくなる。今でも椎名と離れることが怖くて仕方ないのに、もっと離れらんなくなってしまう。
 俺は俺らしく、引いてやるつもりだったのに。
 決意が鈍ってしまう。
「……ごめん」
 耳元で囁く声は、あの時と全く一緒だった。俺の胸を締め付ける、悲痛で泣きそうな声。
「謝ったりするんじゃねぇよ。お前が決めたことなんだろ」
「……俺はお前のことを考えながら、自分のことしか考えていなかった。お前の気持ちなんて、一切考えてなかったんだ」
 椎名はいつもそうだ。自分のことしか考えてない自己中だから、今さら謝ったって遅いんだよ。
 それに振り回されるのは俺って、もう決まってることなんだから……。
「俺と一緒にいてくれるんだな」
「……一緒にいてやるよ」
「もうこんなことが起こらないって言いきれないけど、良いんだな」
「次はお前が助けてくれたら、俺はそれで良いよ」
 所沢さんじゃなくて、椎名が俺を助けに来てくれたら俺はそれで満足なんだ。
 どんな目に遭おうが、助けてくれるのが椎名だったらどうでも良い。
 自分でもヤキが回ったと思う。
「アメリカに居ようが、ヨーロッパに居ようが、すぐに助けに行く」
 ぐっと俺を抱きしめる力が強くなった。アメリカとかヨーロッパに居たら、すぐに助けにこれねーだろって突っ込みかけたけど、その言葉が俺を安心させた。
 必死な顔をして助けに来てくれるなら、何時間でも待ってやるよ。
 椎名は腕の力を緩めて、俺の体を回転させた。向きあうように立たせてから、ゆっくりと唇を合わせた。
 俺だけが知ってる、椎名の唇の味。
 泣いていたから俺の涙の味が混ざってちょっとしょっぱかったけれど、凄く落ち着いたし興奮した。
 キスしたままベッドに戻されて、押し倒される。
「ちょっ……、おい、ここ……」
 服の中に入ってきた手をちょっとだけ拒みながら椎名を見ると、椎名はいつも通りの偉そうな笑顔を取り戻していた。
「個室だから、大丈夫だろう」
「だいじょう、ぶ、じゃっ……ぁっ……」
 話している最中に乳首を抓まれて、甲高い声が出てしまった。椎名の勃起したペニスが俺の足に当たっている。
 ……コイツ、溜まってんだろ。
「何週間やってないと思ってるんだ」
「し、るかぁっ……」
 何だか知らないが、あのしおらしい椎名はどこかへ消えてしまった。ま、いつもの椎名が俺にとって一番だと再認識させられた。
 偉そうで自信に溢れている椎名が、俺にとっての一番だ。
 気持ちを確かめ合った後にしたセックスは、いつもとはちょっと違って甘ったるくて少しむず痒い。背中からゾクゾクと何かが込み上がってきた。
「あっ……、はぁ、し、いなっ……」
 まだ治ってない痣はすげー痛かったし、椎名の体がぶるかるたびに鈍痛が襲って来たけれど、心の中は暖かい気持ちで満たされていた。
「……剛……」
 耳元で名前を囁かれて、心臓が飛び跳ねた。
 初めて、椎名が俺のことを名前で呼んだ気がする。
 この腕のぬくもりと、ちょっとだけ苦しそうに俺の名前を呼んでピンと来た。
 俺が病院に運ばれて意識を失っている最中に、真っ白い頭の中で響いてきた声とおんなじだった。
 誰かが俺を呼んでいる気がしていたけど、あれは椎名だったのか。
「……おま、えは、なんも、わるくない……」
 夢の中で言ってあげれなかったことを言うと、椎名の動きがピタッと止んで俺を見る。
「……え?」
「お前は、何も悪くない」
 俺がはっきりと言うと、一瞬椎名の目が見開いて俺の体を抱きしめた。
「……もう離れたりしないからな」
「分かってるよ」
 椎名俊平って言う人物が、どれだけしつこくて執念深い人間かって言うのを俺は身を持って知っている。
 ……だから、今さらそんなこと言ったって、遅いんだよ。
 今まで溜まり続けていた椎名の欲望を受け止めながら、俺は椎名の腕の中で意識を失った。





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