青空に浮かぶ月 18


 目覚めたら次の朝になってて、隣に椎名の姿は無かった。病人に対してガンガン無理させやがって、本人はすっきりとした顔で仕事に向かったと思うだけで、ちょっと苛立ちが募った。
 久しぶりにすっきりとした目覚めだった。ボーっと天井を見上げて、こんなにすっきりとした朝を迎えれたのは、気持ちをはっきりさせたからだろう。
 だから、椎名も俺と同じ顔をしてると思う。アイツもアイツなりに色々と思い悩んでいたようだから。
 つくづく、俺たちは単純だと思った。
 起きあがって閉めていたカーテンを開ける。日が差しこんできて、ちょっとだけ眩しい。時間的には、もう午前をとうに過ぎていた。
 秋から冬になろうとしている今、青空が澄んでいて凄く綺麗だった。
 コンコンと病室をノックされ、俺は「はい」と返事をして扉を見る。
「具合はどうですか?」
 扉を開けながら、そう尋ねたのは所沢さんだった。
「……明日には退院します」
 笑いながらそう言うと、所沢さんはいつもの笑みで「そうですか」と相槌を打った。
「失礼しますね」
 所沢さんは頭を下げながらそう言い、昨日座っていた椅子に腰をかける。今日は何も持ってきていないようで、手にはカバンしかなかった。
「今日、支配人が久しぶりにホテルに来ました」
「……そうですか」
「清々しい顔をしていましたね」
 椎名のことをそう言う所沢さんの顔は、ほっとした顔をしている。いつのも椎名に戻って、ほっとしたのだろう。何となく、そんな椎名の表情が思い浮かんで俺は苦笑する。
「いつも通りでしたか?」
「えぇ。いつもの倍ぐらい、偉そうでしたよ」
 いつもの倍、偉そうならいつも通りではないじゃないか。と突っ込みを入れかけたが、安堵している所沢さんの顔を見て言えなかった。
「テキパキ、働いてるんでしょうね」
「……少しだけ鬱陶しかったので、休暇を貰ってきました。今日から、1週間ほど旅行に行こうと思いまして」
「え」
 所沢さんはにっこりと笑ったまま、表情は変えない。確かにこの数日間、所沢さんの苦労は計り知れなかっただろう。椎名がアメリカに出張へ行っているときから、ずっと一人であのホテルを切り盛りしてきたんだ。
 相当疲れているはずだ。
 だからと言って、ここぞとばかり休暇を取って旅行に行くなんて……。
「快く承諾をもらったので、深見さんにも伝えておこうとおきまして。お土産、買ってきますね」
「……は、はぁ」
 晴れ晴れとしている所沢さんの顔を見ていたら、ろくに返事もできなかった。ちょっと、俺たちに振り回されて怒ってたんだろう。そして、今日やってきた椎名がいつもの倍偉そうで、ついにキレてしまったのか?
 原因が、俺にもあるから何とも言えなくなってしまった。
「そう言うことで、仲直りしたところ申し訳ないんですが、当分、支配人はホテルに籠りきりになると思います」
「……はぁ」
「遊びに行ってあげてくださいね。きっと、寂しがってることでしょうから」
 本意はそこにある気がした。所沢さんが居なくなれば、椎名だってホテルにつきっきりになってしまう。そうすれば、退院したと言っても俺の家になんか遊びに来れない。
 だから、俺から行ってやれってことか。言われなくても、行ってしまっていただろうけど……。思考を読まれている気がして、ちょっとだけ気恥ずかしかった。
「旅行に行く前に、仕事を一つ出されましてね」
「え……?」
「もう、本人は突っ走ってしまっている状態だから、言っても聞かないと思いますよ。……これ、二人で住む場所だそうです」
 所沢さんが俺に差しだしたのは、賃貸物件が載っている紙だった。ホテルからそう遠くなくて、かなり高級なマンションだ。
 俺はそれを見て、唖然としてしまう。
「……はぁ!?」
 遅れるように声を出すと、所沢さんはクスクスと笑って俺を見た。
「伝言です。「いつまで俺をあんな平凡なアパートに通わせるつもりだ。もう通うのも面倒くさいから、近くに居ろ。俺もそこに帰るから」と言っていました」
「……な、な……」
 なんて自己中な奴なんだと思った。俺はアパートに通ってくれなんて一言も言って無いし、俺の意志を無視して近くに居ろだなんて……。
 めちゃくちゃだ。って思ったけど、それがとても椎名らしくて笑ってしまった。
「バカ……だなぁ……」
「私もそう思います。それに、退院したらすぐに住めるように手配しろと命令されましてね。大分と、苦労しました」
「……えぇ!?」
「1週間、休むためにこんな苦労させられるとは思いませんでしたよ。そう言うことですので、明日、退院したらすぐに引っ越し作業に移ってくださいね。業者も全て手配していますので」
 俺はこれ以上、声を出すことができなかった。所沢さんは嫌味なぐらい笑顔を向けて、「じゃぁ、旅行に行ってきますね」と告げてから病室を出て行った。
 そんな、今日の今日で部屋が用意できるわけない。椎名は前から、俺を別の場所に住ませようとしていたのかもしれない。
 俺がどう返事をしようと、このマンションに。
 何だか、してやられたな。って気がした。近くに居てしまえば、俺が椎名と会いたくないって思ってても会ってしまうだろう。
 それにアイツだって、こんな近くならあの部屋から見えないわけない。
 窓から眺めるつもりだったんだろうか。俺がどう生活をして、何をしているのか想像しながら。
 つくづく、バカだなって思った。
 救えもしない。
 だけど、どこか、悪くないなって思ってる自分が居て、俺も随分と寛容になったんだなとしみじみ思った。


 残っている有給休暇を全て消化してしまえ。と、課長から言われていたので、俺はその好意に甘えることにした。
 有給休暇を消化して、後は塵になるまで働けってことなんだろうな。辞めろ。って言われなかっただけ、マシだと思う。
 休みの間、体力を付けて仕事に専念できるようにと、気を遣ってくれたんだ。休暇明けから、頑張ろうと思った。
 退院してからすぐの引っ越しは、その日の夜中までかかった。荷物をまとめて居なかったから、朝早くに病院を出て、すぐに取りかかった。まだあのアパートに残っているものは多い。必要最低限のものだけ、業者に運んでもらった。
 荷物を運ぶこと自体はすぐに終わったのだが、その後の開梱作業が本当に大変だった。
 無理を言う、あの俺様支配人を何度呪ったことか。
 必要なもの以外はほとんど捨てて、後はゆっくりと買いそろえれば良いやと思って引っ越ししたのだったが、部屋の中はある程度揃えられていた。
 ダイニングテーブルの上に一枚の紙切れが置かれていて、俺は作業が終わってからその紙に目を通した。
 カードキーと、暗証番号。
 それがなにを示しているのか、すぐに分かった。まだ片づけとか終わってないけど、一言文句を言ってやりたくて俺はカードキーを紙きれを手に持って部屋を飛び出した。
 文句を言いたいなんて、言い訳だった。
 それでもまだちょっとだけ、言い訳をしないと会いに行けない自分がいた。
 たった、二日間一緒に居なかっただけだと言うのに、会いたくて仕方ない。どんな偉い支配人になったのか、一目見てみたかった。
 そして、バカにしてやる。
 そんなことを考えながら、俺は息を切らして裏口から入りこんで作業員用のエレベーターに向かった。
 俺の姿を見ても、誰も咎める人がいない。それがどういう意味か、まだちょっと分からないけど、気にせずに最上階のボタンを押した。
 上がって行くエレベーターが遅く感じる。きっと、部屋で難しい顔をしてるだろう。押し付けられた仕事の量は半端無いはずだ。
 やられたら、やり返しそうな所沢さんのことだ。無謀な願いを聞いてやった代わりに、家に帰さないぐらいの仕事を残していてもおかしくない。
 せめてもの報復だ。
 そして、テーブルの上にカードキーと暗証番号を書いて、俺に会いに行かせるように仕向けたんだろう。
 本当に計算高い人だ。
 最上階に着いて、エレベーターの扉が開ききる前に、外へ飛び出す。来るのに慣れてしまった扉の前に立って、カードキーを差し込んだ。そして、紙に書かれている暗証番号を押す。
 カチっと鍵が開いた音がして、俺はバッと扉を開けた。
 眼鏡をかけているそいつは、書類から目を離して顔を上げる。
 俺を見て、眉を顰めた。
「……何で……」
「昨日から、旅行行ってる人に、これを渡された」
 カードキーを見せびらかすように掲げると、椎名はそれを見て笑った。俺はソファーの前まで歩いて、ローテーブルの上にカードキーと紙を置いた。
 パサと書類を置く音がして、俺は椎名を見る。眼鏡を外して、立ち上がったと思ったら俺の方に向かって歩いてきた。
「仕事しろよ」
 会いに来たのは自分だけど、仕事の邪魔をするつもりで来たわけじゃなかった。ある程度、仕事している様子を見たら、すぐにでも戻るつもりで居た。
「……あんなの、後でも出来る」
 椎名は俺の腕を掴んで、無理やり立たせる。
「今すぐやれよ。後でしんどくなるだろ」
 腕を引かれて立たされた後は、何処へ行くか何となく分かったから俺は無理にでもその場に座ろうとすると、持ち上げられて強制的に隣の部屋に連れて行かれた。
 どさっとベッドの上に寝転がらされ、椎名は俺の上に乗る。
「お、おいっ!!」
 こんなことをするために、ここへ来たわけじゃない。多少なりとも抵抗すると、俺の上に乗った椎名がクスッと笑う。
「何だ。こんなことするために、ここへ来たわけじゃないってか?」
 完全に思考を読まれていた俺は、ふくれっ面で「あぁ、そうだよ」と肯定する。すると、クスクスと笑い声が聞こえて俺は椎名に目を向ける。
「……何笑ってんだよ」
「お前がそう簡単に肯定するとは思わなかっただけだ」
 そう言われて、俺は確かに簡単には肯定したことは無かったなと思った。何かと理由を付けてから、肯定することが多い。それは俺の素直じゃ無さの表れだ。
 急に恥ずかしくなって、目を逸らす。
「……急に引っ越させて悪かったな」
「はぁ?」
「本当は、ああ言うセキュリティがちゃんとしているところに住んだ方が良いと思って探していた物件だったが……。……まぁ、何でもない」
 椎名はそれ以上は言わずに、俺の唇を塞ぐ。「何だよ」と責める俺の声を、塞いだんだろう。
 セコイ奴だ。
「……いっちいち、謝んな」
 唇が離れた隙にそう言うと、椎名の目が見開く。俺が怒っているわけでもないし、咎めたわけじゃない。それなのに、謝られると椎名が悪いことをしたように見えてしまう。
「何も悪いことしてないんだから、謝るな」
「……分かった」
 椎名は申し訳なさそうに顔を歪め、俺に触ってこようとしない。変に謙虚になってしまって、俺としては少し物足りない。
 いや、むしろ、逆に俺が欲深くなってしまったのかもしれない。
 服を引っ張って俺に近づかせてキスをすると、椎名は目を丸くした。
「……珍しい」
「うるせぇ。仕事は後でも良いんだろ?」
 その後、俺が何を言いたいのか分かった椎名は、もう一度キスをして服の中に手を突っ込んできた。
 結局、互いに求めるところはそれで、少しだけバッカみてぇ。って思ったけれど、最初が最初だったからこんなのもアリかなと思ったりした。
 この前だって、散々やったって言うのに、椎名に触れるだけで俺のペニスは勃ってしまってどうしようもないことになっている。
 無理やりヤられているときから、かなり喘がされていたけれど、気持ちが通じ合ってしまってからはもっと感じるようになってしまった。
 これはもう、本当に離れらんなくなってしまっている。
「……おい」
 ぐったりとしている俺の頬をペチペチと叩いて、椎名は俺の目を開けさせようとする。かなりの量の仕事を残され、椎名は疲れているはずなのにとても元気だ。
 性欲だけだったら、世界で一番強いだろう。コイツは。
「何だよ……。こっちは病み上がりなんだよ。気を使え……」
 疲れ果てて動けそうにない。声も掠れてしまって、ヒドイ声になっていた。
「本当に……」
 椎名は、俺で良いのか? と尋ねるつもりだったんだろう。その声を、俺が塞ぐ。
「お前で良い。じゃない。お前じゃないと、ダメなんだ」
 はっきりと言うと、椎名は「俺はしつこいぞ」と言って、俺の首筋に唇を落とす。
「さそり座って言うのは、独占欲が強いんだからな」
 付け足すように言った椎名に、俺は笑ってしまった。
「んなの、今さらだ」
 吐き捨てると、椎名はクックと性悪そうに笑った。
 しつこいのなんて、今さらなんだよ。椎名がしつこいのは、身をもって十分知っている。
「お前も、俺も、一人の人間なんだから。誰かに執着するのは、おかしいことじゃないんだよ」
 諭すように言うと、椎名は「……そうだな」と頷いた。
 それから熱が再発した椎名に付き合い、俺はまたも途中で意識を失ってしまった。
 眩しさに目を覚ますと、颯爽とした青が目に入った。今日も晴天で、とてもいい天気だ。
 そこに、三日月が浮いている。
 椎名は俺のことを「空に浮かんでいる月」だと言った。俺はそんな高尚なもんじゃないし、一人の人間でしかない。
 汚いところもあれば、臭いところもある。


 だから、俺をあんな綺麗な青空に浮いている月だなんて、思うんじゃねぇ。


 それにもう、俺はあんな薄い色をしたヤツじゃ、無くなっているはずだ。






+++あとがき+++

いやー、終わりました。
書きはじめた当初は、ラストなんか全然決めてなくて、本当に「これからどうなるんだろう」と思っていましたが……。
浮気攻めは難しいですねー。
浮気するのは心の弱さだと思っていますので、心の弱い俺様。
大分と難しいキャラクターになってしまいました。
独占欲と執着心だけ強かったら、まぁ良いかな……。と思ってました。

途中から多大なる人気で、本当に恐縮です。

タイトルから、話を連想させたのは初めてです。
車を運転中に、高速道路から見えた空に浮かんでいる月から、タイトルを「青空に浮かぶ月」にしまして。
そっから「平凡……だよな」と、次々とキャラクターが浮かんできました。
平凡なので、仕事も平凡にしたいと思って、洗剤の営業……。
前にしていた仕事でした。私は営業じゃありませんが、あんな運送会社が実在するのは本当です。
かなり過剰に書いてますが、着時間が指定通り行かなかったり……など、迷惑被ってましたね……。
ネタになると思って、使っちゃいましたが。笑

とりあえず、二人の話はここで終了です。
何か機会があれば、番外編でも何でも書きたいな。と思っていますが、当分はないと思います。


ここまで読んでくださってありがとうございます。拍手してくださった方ありがとうございます。感謝し切れません。
よろしければ、ご意見ご感想・ください。お待ちしてます。

2009/12/9 19:11 久遠寺 カイリ
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