青空に浮かぶ月 2
「……は……?」
ここが客先だと言うことも忘れて、俺は呆然と支配人を見た。
「早くしてください。深見さんもまだお仕事中ですよね」
早くしてくださいと急かすが、「はいはい、上着とカバン置いて寝転がりますねー」なんて出来っこない。つーか、どういう意味?
全裸で寝転がれって言ってるわけじゃないから、別に変なことはしない? ってんなわけねーだろっ!!! どう考えても、これからやらしいことしますよって感じじゃねぇか。
「いや、あの……、ちょっと」
「何でもするんですよね」
支配人はにっこりと笑って俺を見る。確かに、俺ははっきりと「チャンスをもらえるならなんでもする」と言ったが、言ったがこれは俗に言う枕営業ってやつじゃねぇか。
ふざけんな。
俺はそこまで仕事熱心じゃねぇ。
「それとこれは違うでしょう」
「じゃぁ、他の所に鞍替えして良いんですね。分かりました」
支配人は早口でそういうと俺を見てふっと笑った。
呆然と立ち尽くす俺の隣を通り過ぎ、支配人はドアの手前で止まる。俺はどうしていいのか分からずに、ジッと支配人を見た。
「どうするんですか」
そんなこと訊ねられても、俺はどうしていいのか分からない。このまま、俺が大人しくベッドの上に寝転がればうちの会社と継続、断れば他社に鞍替え。
究極の選択を求められているにも関わらず、俺はやっぱり自分の身が可愛いからキッと支配人をに睨みつけた。
「だ、誰がそんなことするか」
ちょっときょどり気味だったが、はっきりと言う。枕営業なんかしたくないし、俺は男にいいようにやられるつもりもない。
「このホテルの経営は、俺が握ってるんですよ? 深見さん」
支配人は俺をあざ笑うかのように口元をゆがめて、一歩一歩俺に近付いてきた。さっき、ちょっとだけ素になってしまったから、もうどうでも良いやって思った。
運送会社のせいなのに、俺が犠牲になるってのも、納得いかねーし。
支配人が近づくに連れて、俺は一歩一歩下がっていく。
「納期が遅れたのは俺のせいじゃねぇっ!!」
「あはは、必死」
支配人は子供のように声を上げて笑うと、ものすごい速さでグイッと俺の腕を引っ張ってベッドの上に押し倒しやがった。ああ、もう、何がなんだか分からない俺は、とりあえず暴れた。
「やめっ、おい、重たいっ!!」
「知ってますか? 人間って逃げると追いたくなるんですよ」
俺の両腕を掴んで押し倒し、俺の太もも当たりに乗っかられて、俺は身動きが取れない。これこそ、マジで身の危険を感じた。
「俺は逃げてねぇし、お前も追ってくるな!」
「やだな……。追ってるつもりは無いんだけどなぁ」
支配人はくすくすと笑って、俺の上に乗っかっている。スーツはしわくちゃになりそうだし、カバンはさっき引っ張られたところに落ちてるし。
外はまだ明るくて、俺が鬱陶しいと思った空は相変わらず鬱陶しかった。
「じゃぁ、離せ!!」
「イヤだ」
きっぱりと断られ、俺は大きく息を吐いた。どうしよう、どうしたら良いんだ。なんで、こんなことしてるのか全然分からないし、納得いかねぇ。
上に乗っかられてるのは重たいが、背中を圧迫する布団はふかふかで気持ちよかった。……って、なんで俺は布団のことなんか考えてるんだ。
「ったく、大人しくやられりゃー良いんだよ」
「お前……、俺は男だぞ」
俺が素性を出したせいか、この支配人までもが素性を出し始めた。結構性格が悪そうな顔で笑って、俺を見下している。
「男でも女でも関係ないね。穴さえあれば入れるまで」
「……サイテーだな」
どこか頭がくらっとした。こんな、人間を穴としか思ってない奴にヤられるはもちろん、関わることもごめんだった。
所長に言って、担当を変えてもらおう……。
「とっ、とにかく、離れろ!!」
「イ・ヤ・だ」
支配人はにっこりと笑って、俺の腕を上に持ち上げて、片手で押さえ込む。俺は必死に抵抗したが、その体のどこから生まれてくるのかと疑いたくなるぐらいの強い力で抑え込まれ、身動きが取れない。
「おい、やめろっ!!」
「だから、イヤだって」
そんなやり取りをしている間にも、支配人は俺のネクタイを手早く外して俺の腕を縛って拘束する。もう俺が抵抗するのを見越していたように、ベッドの柵に俺の腕を括りつけた。
マジで洒落にならん。これ、俺、マジでレイプされる寸前じゃねぇか。
「あぁ、これじゃぁ上着が脱がせらんないなぁ」
とまぁ、手で押さえこまなくて良くなった支配人は呑気にこんなことを言う。諦められない俺は脚でバタバタと抵抗した。スーツはかなりくしゃくしゃになってるし、まだ靴は履いたまんまだ。
足をばたつかせると、ボトンと革靴が脱げた。
「やめろって、早くほどけっ!!」
「ここまでされたら、諦めろよ」
にっこりと笑う顔は、そりゃぁもう、世の中の女性から「王子」と呼ばれてもおかしくないぐらいだ。けど、性格は王子ってより王様かもしれない。いや、もっとヒドイ。王様どころじゃねぇ。
悪魔なんかじゃなくて、魔王だ。
「諦めたらそこで試合終了なんだよ!!」
「熱血だな」
キレる俺に対して、この支配人はニコニコと笑みを絶やさず俺のワイシャツのボタンを外し始めた。
もう、一瞬にして俺の頭の中の熱が冷めていった。
犯されるって現実を目の前に突き付けられて、俺は冷や汗が流れた。
「いや、あの、マジでやめてください。お願いします」
「今さら丁重になったって、もう遅い。お前が何でもしますって言った時点から、こうなることが決まってんだよ」
怒鳴ってダメなら下手に出たが、これも失敗した。俺が「何でもします」なんて言うからいけないのか? あの状態じゃ、何でもしますって言わなきゃダメだと思ったんだよ!!
……もしかして、俺ってハメられた!?
「ちょっと待て!!」
「……何?」
「お前……、納品遅れた時、わざとクレーム付けなかっただろ」
俺がそう言うと支配人はにっこりと笑って「その根拠は?」と尋ねてきた。
「毎回、納品が遅れるたびに俺が洗剤を持ってきていたんだ」
ホテルニューシイナは着時間指定を設けられているから、それが1分でも遅れると俺のところにすぐ電話がある。そして、電話がかかって来たら俺が倉庫から荷物を引き出して1個でも良いから早く持って行くってのが、毎度のことになっていた。
それが今回無かったんだ。どう考えてもおかしいだろ。
まぁ……、そんなことに今さら気付く俺も俺だけど……。
「1分でも遅れれば、すぐに電話かかって来てたのに……」
「一体、いつになれば持ってくるのかと思えば、配達指定日の翌日だったからな」
「……全部、お前の指示か……」
1分でも遅れれば電話をかけ、待ってみて契約打ち切りと俺を脅して……。なんて腹黒い奴なんだ。改めて思った。俺はハメられたんだ。
「納品されてきた荷物の検品は一応しているからな」
「……へぇ、マメですね」
嫌味を言うように低音で言うと、支配人はにっこりと笑った。もうここが客先だとか、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。
ついでに言うと仕事中だってことも、忘れていた。
ピリリリリと携帯の着信音が聞こえた。二人一斉に携帯がなっている俺のカバンに視線を向ける。
もう今日、寄る場所は無かったはずだから、もしかしてまたクレームか?
支配人は俺の上からどくと、勝手に人のカバンを開けて携帯を取り出した。鳴っている携帯は、俺のプライベート用の携帯だった。
「……真美」
携帯の液晶ディスプレイを見て、支配人が呟く。真美ってのは俺の彼女なわけだが……。
「返せっ!!」
「……へぇ、その顔で彼女とか居たんだ」
バカにするような目で、支配人は俺を見下した。携帯の着信音は15秒ほど鳴るとふっと静かになった。仕事中だってことに気を使って、電話を切ってくれたんだろう。
「いちゃぁ、悪いのかよっ……!!」
「いや、いなさそうだから」
携帯とカバンをゴトンと落とすと、支配人は俺に近づいた。ワイシャツのボタンは外され、腕は括りつけられ、靴は片方だけ脱げていると言う何ともみっともない格好。それを見て、支配人がクスッと笑う。
ゴソゴソと支配人は自分のポケットから、デジカメを取り出していきなり俺のこんな間抜けな姿を写真に撮った。
「な、何してんだよ」
「写真」
「いや、写真撮ってるのは分かる。撮って、何するつもりだ」
だらだらとまた冷や汗が流れる。きゅーっと下腹部も痛くなってきた。こんな間抜けな姿、写真に撮られたことの恥ずかしさよりも、その写真を使って何するのかちょっとだけ分かってしまった。
「脅すつもり」
支配人はこれまでに無いぐらい、にっこりと笑う。
「だ、誰を……」
「深見剛、お前だ」
支配人は俺を指さして、女が見たらその場で崩れ落ちそうな笑顔を、男の俺に向けた。
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