青空に浮かぶ月 3


 そんな女が落ちそうな笑顔に俺は絶対に屈しなかった。
「いや、あの、ちょっと……。写真って卑怯だろ」
「だから、何か?」
 卑怯と言う言葉に臆せず、支配人は俺の体をパシャパシャと撮って行く。フラッシュが目に入り眩しい。
「撮って……、どう脅すんだよ」
「まず手始めに、ネットに公開。それから、この写真を引き伸ばして会社に貼ってやる。それと上司全員にメールで写真を添付して----……」
「もーいいっ!!」
 とりあえず、とんでもない手を使って俺を地獄に叩きつけるってことは良く分かった。社会的地位も剥奪され、会社からも追い出され、俺をここまでどん底に突き落としてこいつは何をしたいんだ。
 今日、初めて会ったって言うのに。
「もう、諦めた?」
「……んなわけ……」
 んなわけなかった。諦められるわけないのに、心のどこかで俺は「もう抵抗するのも疲れた」って思ってたんだ。
 昔からの悪い癖。
 しつこく付きまとわれたら、最初は断るけど途中で諦めてしまうんだ。
 もー、どうでもいいやってね……。
 けど、これだけは諦めちゃいけない気がした。俺の貞操的に。
「……もー、ほんとにやめて。お前だって、こんな平凡な男襲ってもおもしろくないだろ」
 キングオブ平凡と言われてる俺を襲おうとすること自体が、かなり珍しかった。絵に描いたような美青年のこの支配人なら、ハリウッド女優でも、オスカー賞もらった男優でも足を開くだろう。
 逆に、そっちのが絵柄的にも綺麗だし、似合っている。
「自分をそんなに卑下して面白いか?」
「面白くはねーけど……」
 自分を卑下して面白い奴なんか一人も居ないはずだ。だけど、俺は今まで「平凡」だといわれ続けた。自分を卑下したくなくても、自分に自信が無いから卑下してしまうんだ。
 支配人みたいに、生まれつきの美形には分からないはずだ。
「……まぁ、本当に平凡だけどな」
「分かってるから、付け足して言うな」
 ため息混じりに言うとその表情が気に食わなかったのか、いきなり俺の腹の上に乗っかられた。少し苦しいし、ちょっとだけ腕が疲れてきた。
 見上げると不機嫌そうに支配人は俺を睨みつけた。
 支配人は俺の目をジッと見つめ、細く長いゴツゴツとした手で俺の上半身を撫でた。本当だったら、鳥肌が立つはずなのにちょっとだけゾクッとしてしまった。
 俺は手だけで、感じさせられた。
「やめっ……」
「先に言っておく。ここは防音で最上階でこのホテルを支配している俺の部屋だ。どんなに泣き叫んでも、誰も助けに来ないからな」
 絶望的になった気分だった。支配人の言う言葉は次々と俺を潰そうとする。
 誰も助けに来てくれないことが、こんなにも苦しくて寂しいことだったなんて俺は生まれて初めて知った。
「……やめてくれ……」
「見つけた獲物は捕まえないと気がすまない性質でな」
 何処で見つけたんだとか、どこで見てたんだとか、なんで俺はお前のこと名前すら知らないのに、何でお前は俺のこと知ってるんだとか、色んな言葉が頭の中に巡った。
 俺は仕掛けられた巧妙な罠に引っかかって、もがき苦しんでいるだけなのかもしれない。
 蜘蛛の巣に引っかかったチョウチョか……? んな可愛いもんでもねーだろ。
 気づけば、俺は足も手も動かすことをやめて、食べられるのを待っている獲物のようにジッと止まっていた。
「抵抗しないのか?」
「……疲れた」
「けど、やめてほしいんだろ」
「やめてほしい」
「じゃぁ、やめない」
 支配人はにっこりと笑う。俺がやめてほしいなら、やめない。やめてほしくないなら、やめる。なんてひねくれた考えなんだ。信じられなかった。
 クイッと顎を持ち上げられて、首筋に顔が近付く。ちゅっと首筋に唇が触れると、むず痒いのが下半身から襲ってくる。
 その中に少しだけ甘い感覚。
「やっ、め……」
 必死に顎を下ろそうと顔を動かすが、うまい具合に俺の首筋を取られられ身動きが取れなくなってしまった。
 ベロリと舐められる。肉食獣が今から噛み付くところを定めているような、そんな感じだった。
 食われていると思った。
 そんでもって、男の俺でも「こいつ……、上手い」と思わせれるぐらいの、テクニシャンだった。
「ひぁっ、やめろっ、あぁっ……」
 知らない間に靴も靴下もズボンもパンツも脱がされて、俺は上着とワイシャツだけ羽織っていると言うなんとも間抜けな格好にされた。
 内腿にカプッと噛み付かれる。くすぐったいような快感が襲ってきて、俺はつい声を上げてしまう。
「やっ、やだっ……」
「ヤダヤダ言ってる割には元気になってるぜ、ココ」
 つんつんとおったってしまったペニスの先を突かれ、俺はビクンと体を震わせた。触るところ触るところ、全てを感じてしまって自分の体が壊れた気がした。
「ちがっ……、おかしく、なって……」
 そう、俺の体はおかしくなってしまったんだ。落ちそうなぐらいまどろむ意識の中で、俺は必死にただ「やめろ」と呟き続けていた。
 結局、俺は良いように食われてしまったわけだ。
 何回目かに突入したとき、コンコンと部屋の扉がノックされた。痛い、苦しい、気づけば涙が出ていて俺は泣き叫んでいるところだった。
 扉をノックした音で、俺の意識はようやく現実に帰ってきた。
「……仕方ない」
 支配人は俺の上から退くと、適当に服を羽織り扉の向こうへと消えて行った。中から伝ってくる液体が、行為の生々しさを物語っていた。
 依然、手は縛られたままでネクタイが食い込んで痕が残っていた。俺の体にも、行為の痕が残されている。
 悔しかったし、悲しかった。最後はよがってしまっていた自分が、一番情けなかったんだ。
 上着もぐちゃぐちゃでぐちょぐちょになっている。投げ出された足にまで赤い痕が付いていて、つい目を背けてしまった。
 腹がグルグルと唸る。
 何度も中に出され、腹の中は支配人の精液でいっぱいになってしまっている。何もしなくても、つーっと出る感覚が気持ち悪くてギュッと腹筋に力を入れた。
 自分の体には自分のが飛び散ったりしていて、本当に俺は犯されたんだ。それにヤっている最中、何度も写真を撮られた。
 俺の人生、オワタ。
 カチャと扉が開いて支配人が中に入ってくる。この苦痛がいつまで続くのだろうかと、遠い目で支配人を見ていると俺の腕をしぱって要るネクタイを外し始めた。
「……これから仕事だ。風呂に入って、帰ってもいいし、ここに居ても良い。好きにしろ」
 気だるい体を起き上がらせて、俺はできるだけ強く支配人をにらみつけた。
「帰る……」
 ゆっくりと体を動かして立ち上がろうとすると、ずるっと滑り落ちてしまった。
「……え」
 何度も何度も立ち上がろうとするとずり落ちる。そんなことを繰り返しているうちに、俺の背後に居た支配人がケラケラと笑った。
「腰が抜けたか」
「……はぁ!?」
 悔しいから必死に立ち上がろうとするんだけど、どうしても立てなくて諦めてその場に座るといきなり支配人に抱きかかえられた。
「ちょ、ちょっと、お前!!」
「お前、汚い。風呂ぐらい入れてやるよ」
 こんな痩身の何処に俺を抱えれる力があるんだと疑いながらも、俺は渋々風呂場に連れて行かれ恥ずかしい格好をさせられ、中にあった液体を全て抜かれたまでは良かったが、そのあとさっきと同じことをされ痛いだの苦しいだの叫んでいる間にまた中に吐き出された。
「も、無理……、やめて……」
 風呂場でぐったりしている俺に熱いシャワーをかけ、支配人は俺をベッドまで運ぶ。いつの間にかベッドメイキングされていて、俺の汚くなったスーツも綺麗に洗濯されていた。
 恐ろしい早さだったし、あんなことやそんなことやったってのがバレて一瞬にして恥ずかしくなった。
 所長に言って、担当を変更してもらおう。じゃなかったら、俺、いつか自殺してしまいそうだ。
 これ以上、生き恥をさらしたくない。
「クレンザーサービスを使い続けてやるから、お前はうちの専属な」
 ベッドに寝転がっている俺を見下して、支配人がそういう。俺は言っていることが理解できなくて「はぁ?」と眉間に皺を寄せて支配人をにらみつけた。
「だから、今まで通りうちの担当を続けろってこと。辞めたり、ほかに移ったりしたら、すぐにあの写真をばら撒いてやるからな」
 完全な脅しだった。俺は仕方なく「……分かった」と返事をすると、もぞもぞと布団の中に潜り込んだ。体が思うように動かないし、腰はいてーし、腹も痛い。
 支配人の顔だって見たくも無かった。
「……好きなだけ居て良いぞ」
 頭上から、ちょっとだけ偉そうな感じが抜けた声がして、俺はガバッと布団を捲りあげて支配人を見る。
 ほんの少しだけ、優しそうに笑っていた。
 ぶっちゃけ、調子が狂った。
「お、お前の名前は……」
 偉そうで強引で傲慢で高飛車で王子様ってより王様で、王様以上だから悪魔っつーか魔王みたいな奴なのに。
 あんな優しそうな顔で笑うなんて、卑怯だ。
 偉そうで強引で傲慢で高飛車に、卑怯も足しておこう。あんな顔で笑われたら、めちゃくちゃ恨んでやろうと思ったのに許してやれそうだった。
「……椎名、俊平。23歳。さそり座のAB型だ。覚えとけ」
「しいな……、しゅんぺい……」
 繰り返すように言うと、すっと布団を顔まで被せられパタンと扉が閉まる音がした。
 ……しいな、しゅんぺい。
 椎名、俊平。
 椎名俊平だと!?
 俺は名前を聞いて飛び起きた。
 若干23歳で超有名一流であるホテルニューシイナを仕切り、最上階でスイートルームなんかよりも素晴らしいこの部屋を自室として持っている、あの支配人の正体は。


 このホテルのオーナー、椎名一平の一人息子だったんだ。


 呆然とまだ晴れ渡っている空を見上げると、青空に浮かんでいる淡く光る三日月が俺をバカにするように笑っていた。







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