青空に浮かぶ月 4
気づけば俺は爆睡してしまっていて、肩を揺すられて目を覚ました。
「……はっ……」
見慣れない布団に驚き、俺は思いっきり起き上がるとゴツンと頭に衝撃を食らった。
「「いってー」」
俺とは違う声がして、顔を上げると顎を押さえている支配人、椎名俊平が俺を睨みつけていた。
「急に起き上がるな」
「……一瞬、ここがどこだか分からなかったんだよ」
ちらっと外を見ると夜空が広がっていて、街の明かりが輝いていて綺麗だった。そのまま視線だけ動かすように時計を見ると、午後10時だった。
「か、帰る……」
もぞもぞと起き上がって服を掴む。風呂入ってからすぐにベッドに運ばれたせいで、俺は素っ裸だ。かなり恥ずかしい。
「何やってんの?」
布団を身体に丸めてもぞもぞと動いている俺に、支配人……、いやムカつくから呼び捨てしてやろう。椎名がため息交じりに俺に聞いてきた。
「着替えるんだよ」
「布団、剥がせば良いだろ。何、俺の前で着替えるのイヤなの?」
椎名は俺を見て、ニヤリと笑った。別に恥ずかしいとか、そんなこと……。思ってたけど、思ってたけどそんなことねぇ!!
「ちげーし!!」
俺はガキっぽく反論するとバサッと布団を剥いで、スーツに手を伸ばす寸前で腰をぐっと掴まれベッドの上に押し倒された。
…………え?
「ちょ、お前、離れろ」
「もう帰るんだろ? じゃぁ、あと1回」
「あと1回じゃねええええっ!!!」
コイツ、どこまで絶倫なんだ。今日ですでに3回以上はヤってるっつーのに、まだ俺を襲う気力があるのか。俺はびっくりを通り越して若干引いていた。
最終的に1回だったはずが、3回に引き伸ばされ、また俺はぐったりして起きあがれなくなってしまった。
本当にこの男、俺をいたぶるためなら容赦しないんだなって実感させられた。
「……も、やめて……、おれ、そろそろ、しぬ……」
抵抗する気力も無くなりいたぶられるままヤられていたが、やっと終わったと思えば手がペニスに伸びてきたから俺はなけなしの気力でやめてくれるように頼む。
「人間、そう簡単にしなねーよ」
言いたいことは分かっているが、午後に彼女から電話がかかってきていることがかなり気がかりだった。
連絡を入れてないし、仕事で遅くなる日はあったから多分心配はしてないと思うけど、俺がちょっと心配だった。
「俺、帰りたい……」
泣きそうになりながらそう訴えると、椎名の手がピタッと止んだ。これでやめてもらえると思って、俺は安堵し俺の背後に居る椎名を見た。
椎名は無表情で俺をジッと見つめていた。
「明日も仕事だ、お願いだから帰らせてくれ」
念を込めるように言うと椎名は「分かった」と返事をして、俺から離れる。これでもうやっと、本当に解放されるんだと俺は心の底から喜んだ。
今日一日でかなりディープな体験をした。平凡だった俺の人生が、いきなり非日常に変わった気がした。
それから椎名は何も言わずにタバコを吸って、俺が着替えたりしているのをジッと見つめていた。静かすぎて、怖い。
自分の腕にはめた腕時計を見ると、時刻は午前2時。俺はこのホテルに12時間以上滞在していたことになる。
俺の会社の車が駐車場に停まっているから、従業員の人だっておかしいなって思うよな。
あぁ、次からここ来るの本当にイヤだ。
「じゃ、帰るから」
そう言って俺がドアノブに手をかけると、椎名が「待て」と俺に声をかけた。
「……何?」
訝しげに椎名を見ると、椎名はどっからか携帯電話を取り出して俺に投げた。
パシッと受け取って、真っ黒い携帯を茫然と見る。
「俺専用の携帯電話。失くしたり、電話に出なかったりしたら、写真ばら撒くからな」
「……え」
「そうだな。仕事中ってことを考慮して、1時間は待ってやる。1時間以内にかけなおしてこなかったら覚えておけよ」
どこをどう考慮したのか全然わからないが、俺は仕方なくその携帯電話を受け取った。
だって、断ったら断ったらでまた面倒なことが起きる気がしたんだ。したって言うか、絶対に起きると思った。
「……分かった」
ため息交じりに了承し、俺はやっとこの部屋から出ることができた。
綺麗な廊下を抜けて俺はエレベーターに向かう。廊下は無人で、エレベーターはすぐに最上階に着いた。
椎名からもらった携帯電話をカバンの中に放り込んで、俺は自分の携帯を取り出した。着信は1件、俺が襲われる前にかかってきたヤツだけだった。
1階に着いて、裏口から外に出て俺はすぐに電話をかけなおした。
数コールすると『……もしもし?』と眠たそうな声が聞こえた。
彼女の声に安心して、俺は泣きそうになった。
「あ、もしもし? ごめん、ちょっと得意先で飲んでてさ」
苦しい言い訳だった。飲んでたってのも、酒じゃなくて椎名の精液だったり全然酔うことのできないものばっかりだったけど、こう言わないと彼女も納得してくれないだろう。
なんだか、浮気してるヤツみたいで悲しくなってきた。
『あ、そうなんだ。そんなことだろうと思ってたよ』
「うん。ごめんな。じゃぁ、俺、そろそろ寝るから……」
『うん。おやすみー』
ピッと通話ボタンを押して、俺は車のハンドルを握った。ハンドルを握ると急に涙が込み上がって来て、俺は少しだけその場で泣いてしまった。
悔しいとか、悲しいとか、そんなんじゃなくて……。
彼女にウソついているって言う事実が、俺の中で一番悲しいことなんだ。一度も、一回もウソなんて吐いたことなかったのに。
パリッとしているスーツの裾で涙を拭いてから、俺は自分の家に向けて車を発進させた。
翌日。
俺は午前中休みを貰って、家で爆睡することにした。
基本的に寝たらイヤなことを忘れてしまうタイプの俺は、寝て昨日のことを忘れようと思ったが全然忘れることができなかった。
テーブルの上に置かれた携帯電話を見て、俺ははぁを息を吐いた。
現時刻、午前10時。もっと眠るはずだったのに、無駄に早く目が覚めてしまった。
ボーっとテレビを見て、特にやることがなくて休みを取ったことを後悔した。
これだったら無理してでも起きて、一日中がむしゃらに働いた方が傷は少なかったと思う。
風呂に入りなおして、体中に付けられた痕を見て俺はもっとがっかりすることになった。これじゃぁ、当分彼女とも寝れないとかそんなことばっかりが頭に過ぎった。
ほとんどは椎名のせいで、俺が責められることはないと思うけど、やっぱり拒否しきれなかった俺も悪い。男に抱かれたなんて聞いたら、彼女はすぐに俺と別れるだろう。
誰が聞いたって、男に抱かれた男なんて気持ち悪いって言うだろう。
かと言って黙ってることも気が引けるし、言えばどうなるか分かっている。さぁ、どうしよう。
そんなことを考えている間に午前中が過ぎてしまったから、俺は早くスーツに着替えて車に乗って客先を回ることにした。
今日は代金の集金があったから、事務所へ戻らなければならない。
張り付いた笑顔を飲食店の店長に向けて、洗剤の減り具合を確認してから「そろそろ交換時ですね」と減っていることを伝える。
「じゃぁ、1本頼むわ」
「かしこまりました。ありがとうございます」
俺が思っている以上に、仕事は難なくこなすことができた。これはきっと、仕事だからだ。
やっぱり、仕事をしている間は無駄なことを考えずに済んだ。
夕方ぐらいになってから、俺は倉庫のある事務所に帰って集めてきた代金を事務所の不細工な女に渡す。
丁度インターネットで買い物でもしていたのか、事務員は無愛想に「お疲れ様ですー」と言うと俺の手から代金を受け取った。
「あ、あと、洗剤1個。注文あったから」
「分かりましたー」
面倒くさそうに返事をしてから、俺に洗剤の名前と客先のコードを聞いてきた。覚えていたので、俺は「29458だよ」と言うと無言でメモを取る。
なんて無愛想な奴なんだ。不細工のくせに。
「あ、深見さん。そう言えば、メンテの依頼来てましたよ」
「え」
いきなりメンテと言われ、俺は指示が書かれたFAXを見ると日付は昨日になっていた。しかも、急ぎで来てくれと書かれている。
「……これ、昨日、急ぎって言ってるけど」
「あ、そうでしたぁ」
「そうでしたじゃないでしょ。業者に依頼かけた?」
「まだですー」
呑気にまだですーとか言うから、俺はキレそうになった。しかし、相手は女の子だ。怒鳴るわけにもいかないから「指示書、ちゃんと読んでね」ときつく言うと、むすっとした顔で返事すらしなかった。
このバカ女が!!!!!
俺は急いで携帯を取り出し、修理を依頼する業者に電話し今すぐ可能かと聞くと「あー、すみません。明日の朝一じゃ、ダメっすか?」と言われてしまったので「じゃぁ、明日の朝一で」と頼み、俺は恐る恐る客に電話をかけた。
案の定、怒鳴られた。
俺はぺこぺことその場で謝罪をし、何とか機嫌を直してもらったところでまた明日伺いに行きますと言い、静かに電話を切った。
そんなこんなをしている間に、時間は7時を回ってしまい事務所の女はとっとと帰っていた。
なんだか、災難な一日だった。
こんな日は彼女に慰めてもらおうと思って電話をすると、「ごめん、今日は友達と遊んでいる」と言われた。
遊んでるなら仕方ない。俺は一人飲み屋に行ってやけ酒をした。
俺は椎名からもらった携帯を、家のテーブルに置きっ放しにしていたことに全く気付いていなかった。
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