青空に浮かぶ月 5


 仕事が終わって、彼女は友達と遊んでいるってことで俺は一人寂しく飲んでいたわけだが、ふらふらーっとほろ酔い気分で家に向かうと黒塗りのリムジンが家の前に停まっていた。
 あーあー、すげぇ車。こんな車に乗ってる人はさぞかしお金持ちなんでしょーね。と鼻で笑いながらその車の隣を通り過ぎようとしたら、いきなりドアが開いて拉致られた。
「うわああああっ!!!」
 問答無用でそのリムジンの中に詰め込まれると、優雅にワインを飲んでいる青年が俺を見下していた。
 えぇ、ご登場ですよ。某一流ホテルの支配人様がね。
「……酒臭い」
 俺を見るなりに一言そう呟く。そりゃ、今さっきまで居酒屋で焼酎煽ってたんだ。酒臭くて当たり前だ。
 一瞬にして酔いが醒めた。凄くいい気分で酔っていただけに、感情の浮き沈みが激しかった。
「何処へ行ってたんだ」
「……何処だっていいだろ」
 椎名に答える義理はないし、俺だってプライベートはある。いつまで経っても椎名の言うことばかり利いている場合じゃない。
 たまにはっつーか、俺はこいつに対して基本的に反抗期だ。
「電話に出なかっただろう」
 ほんの少しだけふて腐れた表情をして、椎名が呟く。電話に出なかったって、鳴ってなかったじゃねぇかと思ってカバンの中を探ったら、俺は携帯電話を家に置きっぱなしにしていたことに今頃気づいた。
 サーっと血の気が引く。そういや、1時間以内にかけなおせって言ってたっけ……。
「あ、ごめん。持って行くの忘れてた」
「忘れただと?」
「仕方ないだろ。たまには忘れる」
 たまにはと言うが、昨日もらって今日忘れるやつなんてそうそう居ないだろう。ま、忘れてしまったもんは仕方ないし謝る気も更々ないから俺は起き上がって外に出ようとするとチャイルドロックみたいなのがかかってて外に出れなかった。
「……出してください」
「無理な願いだな」
 それでもリムジンは走り出さずに、俺のアパートの前を占拠している。つーか、この人、いつの間に俺の家知ったわけ? 怖い通り越して不気味なんですけど。
 この人、どうやって俺のこと知って、俺のこと調べたんだ?
 知らないことがいっぱいありすぎて、俺はどんどんどんどん引いて行く。
「……なぁ、俺を拉致って何したいの?」
「別に」
「別にって何だよ」
 多分、酔っ払ってるからってのもあると思う。俺は強気に言い返してみた。きっと酔ってなかったら強気でなんか言い返せなかっただろうし。
 椎名は俺を見て鼻で笑った。
「平凡な家を見に来たんだが、本当に平凡極まりないな」
「……あんぐらい平凡な方が住みやすいんだよ」
 嫌味を嫌味で言い返すと椎名はクスッと笑って、リムジンの窓を開けると俺のアパートを見上げた。椎名が言う通り、うちのアパートは平凡極まりない。
 それこそ、金持ちで上流階級で生きている椎名には似合わないアパートだ。
「で、何処へ行っていたんだ」
「は?」
「仕事ならもう少し早く終わってるだろう。それとも、俺とは別で枕営業でもしてるのか?」
 椎名はからかうように俺を見て笑った。お前以外にって言うか、俺は枕営業なんてしてるつもり全然ない!!
「ちげーよ!! 暇だったから、一人で飲み行ってたんだよ!」
「へぇ、彼女に見捨てられたか?」
「違う!! 彼女は友達と遊んでるんだよ!!」
 気づけば俺は椎名に乗せられるようにペラペラと喋ってしまった。椎名はそれを聞いて、仄かに笑うとリムジンのドアを開けて俺の腕を引いた。
「なな!?」
 半ば強制的に外に放り出され、俺は唖然とする。椎名は俺の腕を引っ張って、どこかへ向けて歩き出す。
「おい、どこ行くんだよ」
「暇なら俺が付き合ってやろう」
「え、要らないし」
「庶民が行く、居酒屋とやらに連れていけ」
 俺の言うことなんて全く無視で椎名はずんずんと歩き出す。よく見てみると、服装もジーパンにロンティと中々ラフな格好だった。
 コイツ、こんな服、持ってたんだ。
「とにかく、手、離せ。逃げたりしないから」
「逃げたら、俺専属のSPがお前を追っかけまわすからな」
「……お前を守らなくて、俺を追っかけまわすなら、SPの意味ないじゃん」
 なんだか、俺が思っている以上に椎名はガキっぽかった。言うことはハチャメチャだし、やることもめちゃくちゃで付いて行くのに精いっぱいだ。
 だけど、こんな楽しそうな顔をしてるなら、俺も少しだけは付き合ってやろうと思った。それは純粋に友達とか、後輩とか、そんな感じで。
 決して、あんなことをされたことに俺は怒ってないわけじゃない。けど、気にしてても、コイツは俺に付きまといそうだから気にするのをやめた。
「居酒屋行くのは良いけど、椎名が奢ってくれるんだろうな?」
「庶民が俺を呼び捨てにするな」
「いいじゃねぇか、俺より年下なんだから」
 俺がそう言うと椎名はふと、俺を見下してから「……庶民が偉そうに」と呟いた。
 俺の家の近くにある個人経営の居酒屋へ連れて行くと、椎名はまず一言「しょぼいな」と大声で言った。
「ちょ、お前!! お前が居酒屋来たいって言ったんだろう!!」
「感想を述べただけだ」
 椎名は勝手に席に座り、手書きで書かれたメニューをジッと見つめる。とりあえず、おしぼりを持ってきた姉ちゃんに俺は「生2つ」と頼んだ。
 居酒屋に来たら、まず最初はビールだろ! 俺が勝手に頼むと、椎名は俺を少し睨んだ。
「勝手に頼むな」
「居酒屋に来たら、まずはビール。これは鉄則だ。覚えておけよ」
「……そうか」
 俺の無理やりな言い分に納得した椎名はジッとメニューを見つめたまま、何かを頼もうとはしない。書いてあることぐらいは理解できるだろうから、俺は適当にメニューを頼む。
 折角の奢りなんだ。食べないと損してしまう。だからって俺はここぞとばかりに高いもんばっかり頼んだ。
 数分経つとテーブルには俺が頼んだものでいっぱいになってしまった。
「お前、こんなに頼んで全部食えるのか?」
「まぁ、椎名も食うだろ。適当に箸付けろよ」
「…………皿が一人一人に来るわけじゃないのか」
「ここは……、居酒屋だからな」
 椎名はピシと背筋を伸ばして、白身魚のカルパッチョに箸を付けた。小皿にそれを取り、ゆっくりと口に運ぶ。
 かなり綺麗なしぐさに俺は一瞬見惚れてしまった。
「……普通だな」
 ゴクンと飲みこんでから、椎名は一言感想を漏らす。だから、そう素直に口に出すなと言ってやろうかと思ったが、ちょっと楽しそうだったので俺は口を挟むのをやめた。
 普通と言う割には、美味そうに食っていた。
 あんまりにも椎名が美味そうに食うから、俺もカルパッチョを取って口に入れる。確かに椎名があの表情をした理由は分かった。
「ん、美味い」
 そう呟いてから俺はゴクゴクとビールを喉に流し込む。キーンと冷えたビールは俺の喉を刺激して、胃まで流れ込む。
 さっきまで飲んでいたせいか、また酔いが回ってきた。
 気づけば椎名はビールをすでに飲みほしていて、バクバクと食べている。
「なんか飲まないの?」
「何でもいい」
「じゃぁ、俺もビール頼むから、ビールにする?」
「うん」
 食べるのに必死なのか、椎名は一言で済ませ今はサイコロステーキを食べている。時折「肉が少ない」だの「高級感がない」だのセレブリティなことを言っているが、俺はとりあえず無視した。
 いちいち突っ込んでいたら、キリがねぇ。
 まだ知り合って二日目だが、いろんな一面を見ている気がする。
 傲慢なところ、高飛車なところ、それでもちょっとガキっぽいところ。
 こうして見ると、コイツも人間なんだなーって思った。
 俺がビールを5杯、椎名がビール7杯飲み終わった時、気まずそうに店員が「閉店のお時間なんですが……」と声をかけてきた。
 その頃になると、俺もかなり酔っ払っていて「椎名、終わりだぞ!」と偉そうに叫んだ。
「金額は?」
「3万5千円です」
「高っ!!」
 俺はつい、高いと叫んでしまった。そういや、椎名は高そうなメニューばっかり頼んでいたし、俺も椎名だからって高いのばっかり頼んでた。
 二人で3万5千円なんて……。食い過ぎたし、飲みすぎた。一瞬にして、酔いが飛んでいくのが分かった。
「じゃぁ、カードで」
 椎名がカードを取り出して店員に渡すと、店員は「……すみません、うち、クレジット対応してないんです」とまたまた気まずそうに答えた。
「何だと!?」
 店員の一言を聞いて、椎名が大声を上げた。そして、俺に視線を向ける。
「……えっと……」
 その視線を受けて、俺はえっとしか声が出なかった。3万5千円ぐらいなら手元にあるが、これが無くなれば俺は今月の生活が厳しくなる。
 椎名はどうやら、カードしか持っていないようだ……。
「……3万5千円ですね」
 俺はしぶしぶ財布からなけなしの金を出す。一瞬にしてペラペラになった財布を見て、俺はため息しか出てこなかった。
 二人で追い出されるように店の外に出ると、椎名はほんの少しだけ気まずそうに俺を見た。
「カードが使えないなんて、生まれて初めてだ」
「……ちょっとは現金ぐらい持ち歩けよなぁ。まぁ、良いけど。今日は俺の奢りってことで」
 まぁ、元はと言えば俺も勝手に「椎名の奢り」って決めつけたのが悪かった。そんでもって、椎名の奢りだと思って食べまくったのも悪かった。
 今月は痛いけど、まぁ、何とかなるだろう。
「後で払う」
「良いよ、気にするなよ」
 後で払われたほうがかなり気まずいので、俺は断るとずかずかと家に向かって歩いた。
 椎名もその後を追ってきているのか、背後からカツカツと歩く音がする。
 家の前まで来ると、あのバカデカイリムジンが無くなっている。
「……あ、あれ?」
「遅くなると思って帰らせた」
「はぁ!?」
「ってことで、お前の家に泊まらせろ」
 椎名は偉そうに俺にそう頼んだ。
 コイツ、どこまで偉そうなんだと俺は怒鳴りそうになったが、大きく息を吐いてその怒りをため息で打ち消した。







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