青空に浮かぶ月 9


 小さいころから、自分が大切にしていたものは誰かに取られてしまっていた気がする。
 真美だって、椎名に取られた。いや、取られたってより、無理やり引きはがされたんだ。あの時、部屋で真美と椎名が出会わなければ、この未来は無かったんだろうか?
 コイツのことだから、意地でも真美を見つけ出して、今日と同じことをしていたんだろう。

 椎名が何を考えているのか分からない。

 どこまで俺をどん底まで突き落せば、気が済むんだろうか?

 コイツにどう接して良いのか分からない。許せないし、苛立ちを覚える。
 椎名に対して憎悪だけが増えていくのに、俺はコイツを拒むことができなかった。


 真美が抱かれたベッドに押し倒されて、俺はボーっとしたまま椎名を見上げていた。椎名の顔は平然としていて、見ているだけで殴りたくなった。
 だけど、殴れない。
 自信に溢れていて、自分がしたことを正当化するわけでもなく、言い訳をするのでもない。当たり前のことをしただけだと言う表情に、俺は怒りを通り越していた。
「珍しい。今日は拒まないのか?」
「拒んだって、お前は好きなようにやるだけだろ。拒むだけ無駄だ」
 俺の答えを聞くと、椎名はふっと笑って俺から離れる。離れてくれたことは嬉しかったが、なんで離れたのか分からなくて俺はジッとベッドの上に寝転がっていた。
「今日は帰れ」
「は?」
 てっきりこのままやられるのかと思っていただけに、拍子抜けした。帰れと言った椎名は、俺の腕を引っ張って無理やり外へと出す。
「大人しいお前は面白くない。じゃあな」
 カバンとスーツの上着を廊下に投げられ、バタンと部屋の扉が閉まった。
 俺はぽつんとその場に立ち尽くし、どうして良いのか分からなくなった。何なんだ、アイツは。
 人を勝手に呼びだして、人の彼女とやったのを見せつけて、家に帰れだと?
 百回ぐらい殴らないと気が済まない。
「おい、開けろっ!!」
 ドンドンドンと扉を思い切り叩いた。それでも椎名は部屋の中から出てくることなく、逆に警備員がやってきて俺は強制的に外に投げ出された。
 俺はホテルニューシイナの最上階を見上げた。そこまで視力が良いわけじゃないから、椎名が外を見ているかどうかなんて分からないけど、きっと窓から外を見下ろして笑っているに違いない。
 悔しそうな俺の顔を見て、ほくそ笑んでいるんだ。
 急激に腹が立って、俺は小さい声で「くそっ」と言うと駐車場に向かった。何をしに来たのか全然わからない。
 ただ、無理やり真美を別れさせられただけじゃないか。
 アイツほど、自己中な人間は居ないと思った。
 家に帰ってカバンを部屋の壁に投げつける。完全に八つ当たりだったし、八つ当たりなんかしても気が晴れなかった。
 投げつけたカバンからピリリと携帯が鳴ったから、カバンの中から携帯を取り出すと一件のメールが入っていた。
 真ん中のボタンを連打してメールの内容を見ると、真美から「明日の夜、荷物取りに行くから」とだけ書かれていた。
 どうせ、もう、ヨリなんか戻せないだろうと思っていたし、俺としても浮気されたのはショックだったから「分かった」とだけ返信して、真美の荷物を一か所にまとめた。
 一緒に買ったマグカップとか、歯ブラシとか、全てゴミ袋に入れて行く。思い出が残っているものは全て捨てたかった。
 思い出すだけ、俺が辛くなってしまう。辛くなると同時に、真美と椎名、両方に憎しみが生まれるんだ。
 何で、椎名に近寄ったのか? 何で、椎名は真美の要望を受け入れたのか?
 問い詰めたって答えなんか出てくるわけじゃない。全ては椎名の気まぐれなんだから。
 それに浮気されたことを許せるほど、俺も心が広くなかった。


 次の日から、俺はうっぷんを晴らすかのように仕事に精を出すことにした。
 仕事をしている間は、真美のこととか椎名のこととか考えずに済む。ホテルニューシイナに行くこともたびたびあったけど、支配人が直々に営業の所へ来るなんてあり得ない。
 料理長と新しい洗剤の話をして、良かったら使ってくれとお願いをするだけでそそくさと帰っていった。
 真美はちゃんと自分が言ったように荷物を取りに来た。大した会話はすることもなく、目も合わさずにさっさと帰っていった。
 完全に終わった。って、実感した。
 それから、俺は友人とかと連絡を取って遊びに行くことが増えて、逆に充実した日々を過ごしていた。
 友人と一緒に飲みに行ったり、遊びに行ったりすることは楽しい。女の買い物とかに付き合うのは正直苦痛だったから、余計かもしれない。
「最近、剛、付き合い良いよな。どうしたんだよ?」
 高校の時からの友達である風間がビールを片手に尋ねてきた。
「いや、彼女と別れたんだよ。そんで、暇でさ」
「そっかそっか。まー、そう言う時もあるよなー」
 風間は特に別れた理由なんかを追及してくることも無く、その話はあっさり終わった。心のどこかでほっとしている自分が居て、少しだけイラついた。
 椎名の携帯は俺が粉々にぶっ壊したから、連絡が来ることは無い。けれども家の場所を知られているから、いつ家の前に現れるかびくびくしていた。
 それでも椎名は、俺の目の前に現れることは無かった。
 椎名の存在を忘れかけた、日曜日の午後のことだった。
 その日は誰かと遊ばずに一人で買い物に来ていた。10月に入って少し肌寒くなってきたから、冬服を買いに服屋を回っていた。
 買い物は基本的に一人で行くのが好きで、誰かと一緒に回ると他人に気を使ってしまうからそれがイヤだった。
 トレーナーやセーターを見ながら、特に欲しいのは無いなと店の外に出た時だった。
 道路を挟んで反対方向、少し高い服屋が並んでいる通りに見慣れた人物が居た。
 高い背と、すらっとした体。女の人が見たら、誰もが足を開くだろう甘い容姿。見た目は王子みたいなのに、中身は王様を通り越して俺を地獄に突き落す魔王。
 椎名が誰か他の女を連れて、通りを歩いていた。
 俺から横取りした真美なんかよりも、かなり美しい女性。長い髪の毛に馬鹿でかい胸。モデルでもやってるんじゃないかと疑うぐらいの綺麗な顔をしていた。
 傍から見ても、お似合いのカップル。通り過ぎる人が、二人を見て動きを止めて見惚れている。
 俺もその一人だった。
 あの二人の周りは別の空気が流れている。人も多くて結構混雑しているのに、あの二人の周りはクレーターみたいになっていた。
 近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
 
 ああ、アイツは、俺を地獄に突き落としたかっただけなんだ。
 真美と別れさせて、楽しんでいただけだったんだ。

 そう思ったら悔しくて泣きそうになった。逃げるようにその場から離れて、すぐに家に帰った。
 あんな綺麗な女の人、俺には一生手に入らない高嶺の花。それをたやすく手に入れる椎名は、やっぱり特別だったんだ。
 数日だけでも俺と一緒に居たからって、俺は平凡だし、アイツは非凡だ。それは絶対に変わることは無い。
 姿を見るまでは存在なんてすっかり忘れていたのに、見てしまってから椎名が頭の中から離れなかった。
 ムカついてたことや悔しいことも全部思い出してしまう。
 心の隅にずっと存在していたかのようだ。存在感が強すぎて、俺の中から離れて行かない。
 どっか行ってほしかったのに。
 椎名のこと、忘れたいのに。
 ソファーに座ってボーっとしている時だった。ガチャと勝手に家のドアが開く。
 あれ、俺、鍵閉め忘れたっけと思って玄関に向かうと、さっきまで美女と一緒に歩いていた椎名が俺の家の玄関に侵入してきていた。
「……なっ……」
 何で、ここに居るんだと言う前に椎名に腕を引っ張られ、床の上に押し倒された。
「やめろよっ!!」
 女と一緒に居たくせに、俺のことなんてずっと放っておいたのになんで今、ここに来るんだ。
 俺のことなんて頭の片隅にも無いと思ってた。
「元気にしていたようだな」
 そう思ってたのに、椎名が俺のことを考えてたみたいないい方をするから、一瞬にして心の靄が晴れて行くのが分かってしまった。
 曇っていた天気がバーっと晴れていくような感じに、俺はもどかしくなる。
「うるさいっ! 俺のことは放っておけよ!!」
「お前がそうやって拒むまで待ってたんだよ」
「……何で……」
 拒むまで待ってた理由が分からない。椎名が待ってるなんて似合わない。頭の中がこんがらがって、整理できなくなった。
「素直に足を開く奴なんて、面白くないからな」
 どうして、ここまでひねくれた考えを持つことができるんだろうか。どんなに考えても、コイツの考えていることなんか理解できない。
 俺のことなんてすっかり忘れていると思い込んでいた。
 俺のことなんて忘れて、他の女と贅沢な暮しをしているのが椎名には似合っている。
「……どこまで、俺を地獄に落とせば気が済むんだよ……」
 やっと普通の生活に戻ってきたのに、椎名が現れるだけで、俺の生活は一気に非凡になる。
 平凡な俺の人生が、変えられていく。
「お前は俺の居るところまで落ちてくれば良いんだ」
 椎名は少しだけ悲しそうな顔をして、俺にそう言った。
 それからは俺に喋らせないよう、唇と塞ぐとそのまま玄関前で俺を犯した。








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