昼間の月




 深見剛と言う人物を初めて見たときは、凄く平凡な野郎だなと心底思った。


 それからなぜか、気になってしまって居なくなったのを確認してから、料理長に話しかけた。
「さっきのは、どこの営業だ?」
「洗浄機用洗剤売ってる、クレンザーサービスの深見ですよ」
 淡々と答える料理長の言葉をしっかりと聞いて、俺はすぐに深見と言う奴を調べることにした。
 何故、調べるのか、俺にも分からない。
「……珍しい。他人に興味を持つなんて」
 深見を調べている最中、所沢が俺にそう言った。
 確かに所沢が言うように、俺が他人のことを調べるなんて珍しいことだ。基本的に他人に興味はないし、誰かを調べるなんて今までしたこともなかった。
 だけど、気になってしまって仕方ない。何をしていても、あの深見という男のことを考えてしまっているのだ。
「そうだな……」
「ああ、認めるんだ」
 所沢は少しだけ、楽しそうに笑った。
 俺が3歳の時に、所沢と出会った。その当時のことなんて、頭の中には一切残っていないけれど所沢はたまに出会った時の話をする。
 所沢が言うには、俺は家の庭にあった木に登って逃亡しようとしていたらしい。
 隣の家に住んでいて、両親はうちの会社の重役で、父親同士がとても仲良かった。それと同じように、母親たちも仲が良かった。だからと言って、子供同士が仲が良いのか? と言ったら、最初はそうじゃなかった。
 俺より2歳年上である所沢は、両親の前ではいい子ぶっていたが本当は底意地の悪い子供だった。
 最初は二人揃って対立していて、何かをきっかけに仲良くなったのだが。そこもあまり覚えていない。
 そして、所沢もそのことについては語ろうとしなかった。
 きっと何かがあったんだろう。子供のころの記憶なんて、曖昧だ。家が隣で両親が仲良かったら、俺が3歳になる前に会っている筈だ。俺が木に登ってたことが珍しくて、所沢はアレが出会いだと言っているだけに違いない。
 それからと言うもの、二人で出かけたりなどイロイロした。何かをするとき隣に居るのは所沢で、途中で投げ出さずに最後まで見ていてくれたのも所沢だった。
 俺の人生で、無くてはならない存在になった。
 仕事をしているときだけ、所沢は俺に敬語を使う。残りは嫌味を言うときぐらいだ。それ以外では名前で呼び、昔に戻るかのように喋っていた。
「天変地異が起きるのかと思ったよ」
 テーブルの上に置かれたグラスを手にとって、所沢は俺を見た。俺が他人に興味を持っただけで天変地異だなんて、大げさすぎる。
「……なんで天変地異なんだよ」
「ほら、だって、俊平が誰かに興味示したことなんて、一度も無かったでしょ?」
 俺のことを分かってるように言うから、少しだけ苛立ちを覚えたけれど所沢の言うとおりだった。俺が誰かに興味を示すなんて、生まれて初めての経験だった。
 22歳になって、初めて他人に興味を持つとか。と、誰が聞いても笑うだろう。だけど、本当のことだから仕方ない。
 今まで、誰かに興味を持ったことなんて一度も無かった。
 誰が、どこで、何をしてようと。俺には関係のないことだ。
 そう思っていたはずなのに、所沢と喋っている今現在。深見が何をしているのか、俺は気になっていた。
 気になって、酒を飲む。
 儀式にも似たような作業だったに違いない。頭の中にあるしこりが、酒を飲めば取れると思っていた。
 しこりは膨らむ一方で、取れやしない。
 考える時間が増えてしまった。
「……ねぇ、俊平」
「なんだ」
「こういうのって、なんて言うか知ってる?」
 所沢は試すように俺に尋ねた。こいつは、こういう言い方が大好きで、人を試すのは得意中の得意だ。俺の今の状況を言ってるんだろうけど、こんな状態に名前なんてあるんだろうか。
「知らん」
 素直に答えると、所沢はクスクスと意地悪く笑う。
「初恋だよ」
「……………………………………はぁ?」
 即答した所沢を、俺は思いっきり睨みつけてしまった。何が初恋だ、笑わせるなと言ってやりたかったが上手く言葉にならなかった。
 言われてみて、納得してしまった自分が居た。
 言われて、もっと意識してしまう。
 ああ、これが、恋と言うものなのか。
 分かってしまったら、笑いが出た。
「何、笑ってんの?」
 変なものを見たと言わんばかりに、所沢が眉間に皺を寄せた。クスクスと漏れるような笑いを噛み砕いて、一口ウィスキーを含む。
「……マジックの種明かしをされた気分だ」
「ああー……」
 一言で俺の気持ちを理解したようで、所沢までも笑った。珍しく二人で笑って、顔を見合わせる。小さい頃に戻ったように感じた。
「案外、単純でしょ。気持ちなんてものは」
「……そうだな」
 人間として足りてないも物が、昔から多かった気がする。その一つ一つを、所沢が教えて行ってくれる。唯一知らなかった、恋心を教えてくれたのは所沢じゃなかった。

 平凡で、何のとりえもなさそうな。

 地球の周りを回る事しか脳のない、太陽に当てられて光る月。

 夜に見るものが、昼間に見えると、どこか特別なものに見えてしまう。


 深見剛は、青空に淡く光る白い月の様な存在だった。


 何処にでも居る平凡な奴だが、俺には特別に見えた。
 一つ知るたびに、もっと知りたくなった。気になって、考えない日は無いぐらいだ。
 声を掛けようか、やめようか。
 こういうとき、どうして良いのかわからない。誰かを誘うように話しかけるわけにはいかないだろうし、相手だっていきなり俺に話しかけられたらびっくりするだろう。
 ああ、そんな顔を見てみても良いかもしれない。
 色んな表情を見たい。子供に戻ったように、欲しいものばっかりだった。欲しいものが増えてくると、全部が欲しくなる。
 どう、手に入れるか分からない。
 だったら、いっそ、無理矢理にでも手に入れてやろうかと思い始めた。それは、深見の存在を知って1年後のことだった。
 正直、頭が壊れてるって言えばそうだったのかもしれない。
 思いすぎた気持ちは、とめどなく俺を蝕んでいく。
 手に入れたい、欲しい。全てが欲しくなってしまっていた。
 アレだけ仕事熱心なんだ。仕事のことをだしにして、この部屋へ呼び出してしまおう。そっから、自分がどうなってしまうかなんて、考えなくても分かってしまっている。
 イケナイって思っていても、自分の気持ちは抑え切れなかった。
 今日、呼ぶから。と、所沢に伝えると、所沢は複雑な顔をして「それで良いの?」と俺に聞いた。
 良いか、悪いかなんて、分かりっこない。こんなことをしてしまえば、アイツが俺を嫌うのは分かっている。分かっているけど、もう俺はこの衝動を止められない。
 だったらいっそ、脅して、逃げれないようにしてやるしかない。


 俺は、空に浮いている月を、この手で掴めると確信していた。







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