浮気人は信憑性が無い


 本人は、快く承諾を貰ったとかほざいていたけど、俺は決して快く承諾なんてした覚えは無い。色々、グチグチ言われて、仕方ないから休暇をやったと言うのに1週間経っても所沢は出社してこなかった。これはどう言うことなのかと電話をかけたら、バカンスをもう少し味わいたいから、もう1週間休暇をくださいと言われた。んなもん、やれるかとキレたところ、深見さんを助けてあげたのは私だってこと、お忘れじゃぁありませんか? と言われて、仕方なく休暇をやった。完全に弱みを握られた俺は、所沢に良いように動かされていた。
 おかげでクソほど忙しい。溜まっていく書類にハンコを押すことすら面倒になってきた俺は、電話で剛を呼びだすと、所沢と同じようにグチグチ言われた。けど今は、猫の手だろうが何だろうが借りたいぐらいに忙しいから、問答無用で用件だけ言って電話を切った。
 こんなにも忙殺されるとは思わず、書類には適当にしか目を通さない。まともな書類ぐらい出してきているだろうという、勝手な解釈だ。モメごとが起これば、所沢にやらせるから、まぁいい。こうして、ドタバタしているときに限って、何かが起こるってのが定石だ。
 コンコンと部屋の扉をノックされ、「自分で開けろ」と言うと、剛とは違う声が聞こえた。てっきり、俺は剛だと思い込んでいて、この部屋の鍵も暗証番号も知っているのに、入ってこないのは可笑しいと気づいたのは声が聞こえてからだった。
「……何を偉そうなこと、言っちゃってるのかしら」
 耳を突くような高音に、眉を顰めた。聞き覚えのある声に、俺以上の高圧的な声。嫌な女が来たんだなと思い、俺は立ち上がる。こんなに忙しいというのに、どうしてきたんだろうか。理解できない。仕方なくドアを開けると、まっすぐの黒髪が揺れた。
「久しぶりね、俊平」
「……どうも」
 あからさまに嫌悪を顔に出すと、口元が動く。ゆっくりと赤い唇が弧を描いて、赤いコートの裾が揺れた。
「ほんと、久しぶりね!」
 いきなり抱きつかれて、俺は少したじろぐ。抱きついてきたのは、俺の従兄弟である椎名優子。アメリカに住んでいるにも関わらず、しょっちゅう日本へやってくる。アメリカに住んでいるせいか、スキンシップは過剰だ。それが鬱陶しい。
「……おい、離れろ」
「良いじゃない。久しぶりの再会なんだからぁ。しかも、俊平。アメリカに来てたんでしょう? どうして私に連絡してくれなかったの? 寂しいじゃない」
 まだ離れない優子の肩を押して無理やり引き剥がす。こんなところ見られたら、何て言われるか分からない。ただでさえ、不節操なのはバレているんだ。そう思っていると、優子の後ろから見慣れた人物が顔を出す。
 マズイと思った。
「……あ」
 俺の一言で誰かがやってきたことに気づいた優子が振り向く。呆然と立ち尽くしている剛を見て「あら」と声を発した。なぜ、優子が剛のことを知っているのか分からず、俺は優子を見た。
「俊平。まだあの人と遊んでたの?」
「……遊んでなんかいない」
 何てことを聞くんだと思いながら否定すると、剛の眉間に皺が刻まれる。これは非常にマズイんじゃないのかと思い、優子の隣を通り過ぎようとしたところで優子に腕を掴まれた。
「どこ行くのよ。せっかく、この私が、ここまで来てあげたんだから、お茶ぐらい居れなさいよ。あれ、所沢はどうしたの? いないの?」
「所沢はバカンスだ!」
「へぇ、あの仕事マシーンもバカンスとか行くのね」
 優子と話している間に、剛が忽然と消えてしまった。こんなバカ女と喋っている暇は無い。優子の腕を振り払ってエレベーターの前まで行くと、エレベーターはちょうど下降していて、1階で止まった。舌打ちして、エレベーターを呼び戻す。
「ちょ、どこ行くのよ!」
「どこだって良いだろう。お前には関係ない」
「……へぇ、あんた、やっとマジになったんだ。けど、男……」
「うるさい」
 男同士ってことで批判されるぐらい承知だった。けど、今はそんなことを言っている場合じゃなくて、追いかけなきゃいけないと言うのに、優子が俺の服の裾を掴む。鬱陶しくて不機嫌に振り向くと「あら、怖い顔」と茶化した。
「お前に構っている暇は無いんだ。離せ」
「相当の御執心ねぇ。人を人だと思っていないアンタが、そんな大それた感情を抱くとは思わなかったけど」
「うるさい」
 話を聞いていることすら面倒になり、乱暴に優子の手を振りほどく。振り払われた手をもう片方の手で包み込み、優子はニヤリと笑って俺を見た。
「まぁ、大変だと思うけど、アンタがそんな人間らしい感情抱くとは思わなかったから、応援してあげるわ。仕方なく」
「お前に応援なんかされたくない」
「そう言うと思ってたけど。従兄弟としては、心配だったのよ」
 珍しく真面目な顔をしている優子を見て、そろそろ批判するのはやめた。少なくとも応援してくれている奴に、これ以上何か言うのは得策ではない。
「それにしても、彼にはちょっと酷いこと言っちゃったわ」
「は?」
「あぁ、アンタの携帯からメールで呼びだして、フカミツヨシとやらがどんな人物なのか確認したのよ。そんときに、私、色々言っちゃったのよ」
「……お前だったのか」
 その後に色々ありすぎて忘れていたけど、俺の携帯を使って剛を呼びだすとかそんなことがあった。まさか犯人が優子だったとは。
「人の携帯を勝手に開けるな」
「置きっ放しにしてるアンタが悪いんでしょう? 携帯がじゃんじゃん鳴ってうるさかったのよ。相変わらず、モッテモテなことでと思ってたら、メールアドレスが登録されているからびっくりしたわけ。あんたが他人のアドレスを登録するなんて、自分の父親か所沢ぐらいでしょう?」
「……まぁそうだけど」
 渋々頷くと、優子は俺のことを知り尽くしたかのようににっこりと笑った。確かに剛のを登録する前は、父と所沢しか登録されていなかった。優子の言っていることは間違っていない。
「アンタが他人のメールアドレスを登録した時点で、何かあるかなーとは思ってたんだけど。好きになるとは思わなかったわ。カッコイイわけでもないし、不細工ってわけでもない。何の取り柄もなさそうな、平凡なんですもの」
 優子の言うことは結構あっていて、何も言い返すことができなかった。黙っていると優子は笑みを浮かべたまま、俺の肩をポンと叩いた。
「しっかりしなさいよ。じゃないと、逃げられるわよ」
「逃げても追いかける」
「アンタって結構執着するタイプっぽそう。あー、かわいそー」
 優子はそんなくだらないことを言いながら、俺が呼んだエレベーターで降りて行った。優子が何をしに来たのかは良く分からないけど、俺の様子を見に来たんだろう。あとは、アメリカに行ったとき顔を出さなかったから、その文句でも言いに来たんだろう。つくづく、暇な奴だと思う。
 もう一度、エレベーターを呼びだして、いい加減に追いかけないと愛想を尽かされる気がした。本当に忙しくて、仕事を放っておける状態ではないが、あんなところを見られて弁解せずにはいられなかった。今でも、俺を見る疑惑の目が忘れられない。
 あがってきたエレベーターに乗り込んで、俺はすぐに1階へと降りる。作業員達が俺を見て挨拶をして行く。もう剛は家に帰ってしまったんだろう。携帯に電話をかけても無視されたから、仕方なくホテルから出て行く。ホテルから5分ほどの距離にある自宅へ戻ると、家には鍵をかけられていて、鍵を開けてみてもチェーンが掛けられていて開けることが出来なかった。
「おい! 開けろ!」
 ドアの隙間から声をかけると、剛が物凄い顔をして玄関に現れた。
「開けろ」
「イヤだ」
 すぐに否定されてしまい、俺は息を吐きだした。それが余計に気に食わなかったのか、眉間に刻まれた皺がもう一本増える。
「何を誤解してるのか知らないが、あれは従兄弟だ」
「従兄弟が抱きつくのか。偉く親密な関係なんだなぁ? そう言えば、従兄弟同士でも結婚できるとかそんな噂があったなぁ!」
 それは噂ではなくまぎれも無い真実だが、俺は優子と結婚する気なんてサラサラ無い。それなのにどうして信じてもらえないのか不思議だった。俺の言うことは、基本的に信じてもらえない。
「しょうがないだろ。アメリカに居るんだから」
「そんなの理由になんねぇよ。あぁ、もしかして、アメリカへの出張はあの人に会いに行ってたのか? ゴクローなことで!」
「違う! いい加減、人のことを信じろ!」
 怒り任せにドアを殴ると、剛の眉間に皺が余計に刻まれる。俺が何か言うたびにどんどん機嫌が悪くなっているのが分かった。分かってもらえないことがこんなにももどかしいなんて始めて知った。
「信じられるわけ……、ねーだろ」
 俯いた剛から低い声が聞こえる。そんなに信憑性が無かったなんて始めて知った俺は、ある意味ショックで言葉にならなかった。信じてもらえないことほど、虚しいものはない。
 けれど……。
「だったら一日中監視してればいいだろ」
「……は!?」
「それなら丁度良い。俺もお前をいちいち呼び出すのは面倒だ。だから、浮気しないかずっと監視してれば良いだろ。分かったな? いい加減、ココを開けろ」
 もう一度、ドアを揺すると剛は渋々チェーンを外して、ようやく家の中に入れてくれた。でも、まぁ、ここでのんびりしている暇は無いから、腕を引っ張って引きずり出す。
「ど、どこ行くんだよ」
「戻るんだ」
「……はぁ? 何で……」
「バカが休暇をもう1週間ぐらい延ばしてくれとか言うから、クソほど忙しいんだ。手伝え。どうせ、家にいたって暇だろう」
 感情を吐き出すように言うと、背後から笑い声が漏れた。全く、笑い事じゃないんだ。本当に忙しくて、目が回るってことを改めて実感しているというのに、こんな下らないことで時間を食っている暇は無い。
 まぁ、けど、仕事を放ってまで、追いかけてしまうのだから、不思議なものだ。
「……何笑ってんだよ」
 不満そうな声が斜め後ろから聞こえる。
「別に笑ってなんかいない」
 ぶっきら棒に言うと、また笑い声が聞こえた。
 こんな普遍的な毎日が、続いていけば良いと思う。

 これからも、ずっと。


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