便利屋 第一話

「便利屋です。犬の散歩で分は必ず持ち帰りましょう。」





 便利屋に1本の電話が入った。
「はい、便利屋です」
『あー、桐生ちゃんかいなぁ。うちや、うちー。堺の松木やけどー。また、犬の散歩頼みたいんやけど、ええかなぁ?』
 電話の受話器からキンキンと甲高い声がする。桐生は受話器を耳から少し遠ざけ「ええですよ」と返事をする。
『じゃぁ、今日の午後からよろしく頼むわー。1匹いくらやったっけ』
「時間によりますよ。松木さん、どれぐらいでかけるん?」
『3時間ぐらいで戻るよ』
「じゃぁ、3000円でいいですわ。その代わり、ちゃんと交通費頂きますから」
『ほな、1時に、よろしくなぁ』
「はいはい。ほな、また」
 カチャンと黒電話の受話器を置いて、息を大きく吐く。日本の中でも最強と言われているこの大阪府のおば様方は、話し始めたら止まらない。口が達者な桐生ですら、このおば様方の勢いには飲まれてしまう。
 先ほどの電話でも、主導権は桐生ではなく、依頼してきた松木だった。数分程度の電話だったが、とても煩かった。
「桐生さん、お仕事ですか?」
 薄汚れたソファーに座っている青島が、顔を上げて桐生を見た。耳にはイヤフォンが付けられていて、手にはお気に入りのアイポッドだ。
 手間賃として小遣い程度の給料は渡しているが、アイポッドが買えるほど高い金は渡していない。それでも青島は常に身なりを整えていて、どこから生計を立てているのか桐生は不思議だった。
「あぁ、堺の松木さんや。前に犬の散歩、行ったやろ」
「あー……。あのクソ犬かぁ」
「クソ犬って言いなや。仕事や、行くで」
 その言葉に青島は返事をせず、ただ大きく「はぁー」とため息を吐いた。
 パンツ一丁だった桐生は犬の散歩に適した格好へ着替える。と言っても、ジーンズにTシャツなのだが。
 まだ残暑残る9月上旬。連続真夏日を記録していて、暑さはまだまだ真夏並だった。
 大阪府堺市堺区、JR三国ヶ丘駅へ二人は向かった。新今宮はJRと私鉄南海線の二つが走っていて、駅としては便利だ。その駅の間近にあって、家賃も激安だから桐生はこの雑居ビルを選んだのだ。
 エレベーターが無く、壁にもヒビが入っていて、阪神大震災で倒壊しなかったことが奇跡に近い物件であるが。
 それに加えて壁が薄いもんだから、上のテナントや下のテナントの声が良く聞こえる。5階建ての雑居ビルの一番上は、良く分からない手相の占い師が入っていて、下は中国人のマッサージ屋だ。
 時折、下から変な声や音が聞こえてくるのは、桐生の気のせいってことにしてある。
 フロアの半分を事務所とし、もう半分は桐生の住まいになっている。風呂は近くの銭湯で入り、トイレは水洗トイレが完備されていた。
 オーナーに気に入られているってことで、言えば風呂も付けてくれるだろうが、その見返りが怖いので桐生は渋々近くの銭湯へ行くことにしていた。
 新今宮駅から、隣の天王寺駅へ行き、天王寺駅から乗り換えてのんびりと南下していく。昼間のせいか、電車は空いていて、クーラーと一緒に扇風機が回っていて心地よかった。
「電車が一番心地いいですね」
「安心しぃや。松木さんの家は、クーラーがかかってるわ」
「それは天国ですね」
 桐生の事務所にクーラーはない。冬は凍えるほど寒く、夏は溶けるほど暑い。今年の夏は去年よりかは暑くなかったが、それでも部屋の中で熱中症になるかと思うぐらい蒸し暑かった。
 水分を取りすぎて、腹を下してしまったぐらいだ。
 そんな状態になっても、桐生は頑としてクーラーは買わないと言った。と言うより、金がないのだ。
「でも、2時間ぐらい散歩でしょう? カキ氷とか冷たいコーヒーとか出してくれないんですかねぇ」
「お前は水で十分やろ」
「人の家に行ったら、なんか良い物飲みたいじゃないですか」
 青島は普通の人より味覚が弱く、何かを食べてもあまり味がしないようだ。それでも、体を冷やしてくれる冷たい食べ物や、暖めてくれる温かい食べ物、そして豪華な食事などは大好きだ。
 基本的に贅沢である。
「まぁ、ええわ。俺はビールがええなぁー。キーンと冷えたビール」
「仕事中に飲酒はダメでしょう。帰ってからにしてください。僕もお供しますよ」
「いらんわ……。酔って何するか分からへんし」
 日々、虎視眈々と桐生の貞操を狙っている青島の前で酔っ払えば、何をされるか分かったもんじゃない。いや、されることは分かっている。だからこそ、青島の前で酒は飲みたくなかった。
 だから、青島が酒に酔えば何をするか、桐生には分からない。
「僕、お酒じゃ酔えないんです」
「じゃぁ、何で酔うねん」
「えー、せいえー……」
「もう黙れ」
 そんなくだらない会話をしているうちに、三国が丘駅へ到着した。さほど大きくは無いが、車の通りが多く人が混雑していた。
 電車から降りると、ムッとした蒸し暑さが二人を襲った。
「あっつぅ……」
「さっさと行きましょう。その松木さんの家に」
 青島は先ほど見せた少年のような笑顔ではなく、キリッとした青年の顔で歩き始める。青島がそう言う顔をする時は、急いでいる時だ。青島も相当暑いようだ。
 松木の家は仁徳天皇陵の近くにある、この辺ではそこそこ大きい洋風の家だ。ピンポーンとインターホンを鳴らすと、大小まちまちの犬が吠えて歓迎してくれた。
 明らか唸っているので、犬たちは歓迎ではなく威嚇しているようだが。
「ゴールデンレトリーバーに、シェパード、チワワに、ダックスフンド……。相変わらずいろんな犬が居ますね」
 以前、一度だけ松木の家に来たことがあるが、青島はほとんど覚えていなかった。
「確か、全部で6匹おったはずや。俺と青島で3匹ずつな。分かったか?」
「はいはーい」
 青島が適当に返事をしたぐらいに、その大きい家の中から小太りのおばさんが出てきた。桐生の姿を見るなりに、駆け足で入り口に近寄ってきた。
「あらぁ、桐生ちゃん。久しぶりねぇ。彼これ、何年ぶりかしらぁ」
「1年ぶりですわ。お久しぶりです、松木さん」
「もー、ええ男になってもぉて……って、隣に居る坊やは、どちらさん?」
「あー……、一応、助手って言うんですかねぇ。青島って言います。前にも来たと思うけど……」
 どうやら松木は青島のことを覚えていないようで、首を傾げた。目まぐるしく動いている松木に1年前の記憶など、ほとんど残っていなかった。
「青島カイです。よろしくお願いします」
 松木に向かって青島が微笑むと、松木は「ほぉー、ええ男やなぁ」と青島をじろじろ見た。青島は笑みを絶やさず、松木に微笑みかける。確か、去年も似たようなやり取りをしていた気がする。
「じゃぁ、ほな、さっそく。ベリーちゃんと、マロンちゃんと、チェリーちゃんと、メロンちゃんと、ピーチちゃんと、アップルちゃん、よろしくねぇ」
 果物の名前が付いた犬たちは、どれがどれだか分からない。適当にリードを持って、桐生を青島はこの近辺を歩くことにした。
「あ、桐生ちゃん。1時間ぐらいしたら、家でお留守番しておいてくれへんかなぁ。飲み物は冷蔵庫の中に入ってるから、適当に飲んでね」
「分かりました、おおきに」
 どれぐらい信用されているのか分からないが、桐生は松木にかなり信頼されているようで家の鍵を受け取る。家の住民が不在で、他人が留守番など傍からみたら異様な光景だ。
 桐生はポケットに鍵を入れると、暴れる犬を連れて歩きだした。
「犬って確か忠実なんですよね」
「……せやなぁ」
 グイグイと引っ張られる青島はイライラしながら、リードを持っていた。犬たちは自由奔放に歩き出そうとしては、首が引っ掛かり何度も何度もリードを引っ張った。
 シェパード、ゴールデンレトリーバー、コリーを持っている青島は大型犬ばかりで、体力を使う。チワワ、ミニチュアダックスフンド、豆柴のリードを持っている桐生は小型犬なので楽々と歩けた。
「ちょっと、僕のシェパードとその豆柴交換しません?」
「イヤ」
 プルプルと震えているチワワや豆柴はおとなしく、可愛く見えた。小型犬はうるさいと言うが、どちらかと言うと青島が持っている大型犬の方が通り過ぎる犬などに吠えてうるさかった。
「桐生さんって、大型犬っぽいのにっ……。なんで、僕がっ……」
「お前って犬の扱い慣れてそうやん。特に大型犬」
 青島は引っ張るリードに流されながら、桐生の前を歩いた。堺へなどあまり行かない青島は、この辺の道をよく知らない。だから、桐生の後ろを歩きたかったのに、計算違いだった。引っ張られるまま歩くので、どうしても桐生より前へ行ってしまう。
「犬の扱いに慣れてるって言うか、犬とならヤったことありますけど」
「はぁ!?」
 いきなりの爆弾発言に桐生は大声を上げた。
「あのドーベルマン、良かったなぁ」
 彷彿としている青島の顔を見て、桐生はため息をついた。どうやら、犬の扱いよりも、犬に扱われるほうが得意のようだ。
 それにしても、獣姦の経験があるなんて桐生は初耳で耳を疑った。
「めちゃくちゃ良かったですよ。犬のってコブが付いてるから、30分ぐらい抜けないんですよ。もー、こちとらヒーヒー言わされて……。あれは中々忘れれません」
「忘れなくてええから、口に出しなや」
「桐生さんから振ってきたんじゃないですかぁ。振ってくるのは腰だけで十分ですよ」
 まだ太陽が真上を向いているときから、大暴走している青島を見て桐生は息を吐いた。ボケに突っ込みは必須だが、突っ込みを入れることにも疲れた。
 桐生は青島を無視して、隣を通り過ぎた。
「……それに、昔から、犬だけには好かれないんですよね」
 小さく呟いた青島の声に、桐生はびっくりして振り返った。
「は!?」
「いや、何でもないですよ。昔の話です」
 にっこりと笑う青島の表情は、いつものチャラけた表情だった。先ほど聞えた言葉はウソでなかったにしても、幻聴かと疑うくらい悲しくて低い声だった。
 一体、誰のことを言っているのだろうか。
 たまに青島はこうしたことを言う。誰も知らない、その青島の過去に何か影響があるんだろうか……。
「早く散歩しましょう。もう疲れましたよ」
 古墳の周りをぐるっと一周する頃には、二人の額にも汗が浮かび帰り道はクタクタになっていた。これで3千円は割に合わないと一瞬思ったが、このあとクーラーの効いた涼しい部屋で2時間待機することを考えたら安いのかもしれない。
 二人は早く帰ろうと口を合わせ、行きよりもハキハキと歩き松木の家へと戻った。
 家まであともうすぐってところで、青島が連れているシェパードが電信柱の前で止まった。
「なっ!?」
 あと少しというところで止まられ、青島はぐいぐいとリードを引っ張った。犬は青島の力に負けじと踏ん張り、その場でおしっこをしてからぽろぽろと糞を落とした。
「あ……」
「ちょ……、桐生さん。これ、どうしましょう」
 電信柱の前に転がるまだ出したての糞を見て、二人は顔を合わせた。松木からゴミ袋もスコップももらっていない。かと言って、このまま帰るのも気が引けた。
「一旦松木さん家に戻ってから、取りに来るか?」
「もう面倒くさいからこのままで良いじゃないですか」
 青島は面倒くさそうに言うと松木の家に向けて歩き始めた。青島に常識と言う言葉は無いようで、糞をそのままでも気にならないようだ。
 結局、このあと松木の家に戻った桐生が、新聞紙とビニール袋とスコップを片手に大型犬が出したクソでかい糞を拾う羽目になった。
 その間、青島は涼しい部屋で冷たいアイスを食べていた……。
「お前とは二度と仕事はせぇへん」
 帰りの電車で桐生は青島にそういう。常識の無い青島と一緒に仕事をするのは骨が折れる。わざわざ桐生が青島の仕事をフォローしなければならない。
 本人曰く「僕は桐生さんの助手ですね」と明るく言うが、助手が助けられてどうするんだと桐生は思う。
 学校が終わった時間のせいか、電車の中は学生でごった返している。二人は椅子に座ることが出来ずに、入り口の近くで突っ立っていた。
「ホモセックスと犬の交尾って似てますよね」
「はぁ!? いきなりなんやねん」
「犬にしろ、ホモセックスにしろ、入れるところはケツの穴じゃないですか」
「……お前の会話はオブラートに包むってことを知らんのか」
 ジロジロと男子高校生が尻を押さえながら、青島を見ている。一緒に居ると思われるだけで恥ずかしかった。桐生はこめかみを押さえながら、青島を見た。
「まぁ、僕が言いたいのは、所詮、男はみんな犬ってことですよ」
「はぁ? 意味がわからへん」
「何かを守るためなら、命すら惜しまない忠実な犬なんですよ。……みんな」
 めまぐるしく変わる景色を遠目で見ながら、青島は半笑いでそう言った。桐生はその目に何かを感じ、何も言わずにほんの少しだけ視線を落とした。


 夕闇がすぐそこまで迫っている。桐生は「陽ぃ、短なったなぁ」とポツリと呟いた。




+++あとがき+++
フランスでは捨てたままにするのが普通らしいですね。笑
パリでは犬のふんまみれって話を聞いたことがあります。
いろんな意味で日本人って几帳面だと思います。
2009/10/12 2:45 移転に伴い追記。

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