便利屋第十話
「便利屋です。嘘吐きは泥棒の始まり」
少女の事件の記事はあまりにも小さく、隠蔽しているのが目に見えて分かった。少女を発見したと言った時、三隅の返事は「そうか」の一言で、気付けば青島の姿が無くなっていた。いつ消えたのかすら分からず、本当はここまで一人で来て、青島なんて存在は幻だったのではないかと思ってしまったが、翌日、普通に姿を現した青島を見てホッとしてしまった。
それからまた、普遍的な日々が続いている。
仕事が忙しいかと問われれば、桐生の姿を見るだけで容易に想像が出来る。正午を過ぎて午後に差し掛かったが、パジャマ代わりに着てるトレーナーにスウェットとラフな格好だ。ソファーに寝転がってタバコをふかしている姿は、まるでニートだ。珍しく青島が姿を現さない。今日は平穏な一日が送れるのだと、桐生は安堵していた。
そんなときに限って、邪魔な奴が来る。カンカンカンと階段を上がってくる音が聞こえ、桐生は体を起こした。事務所の入り口は鍵を掛けているが、青島だったら勝手に鍵を開けて入ってくる。湯浅だったら物凄い勢いで扉を叩いてくる。選択肢は二つしかなかったが、扉の前でぴたりと止まった足音の主はトントンと控えめに扉を叩いた。
まず、青島と言う選択肢は消えた。湯浅と言う選択肢も消えている。二人とも理由無くここを訪れるが、今日は珍しく理由のある人が尋ねてきたのだろう。吸っていたタバコを灰皿でもみ消し、桐生は「はいはい」と低い声で返事をしてから、立ち上がった。
ボロボロのサンダルを履いて、開錠する。扉を開けようとする前に、反対側から勝手に扉が開いた。
青島の悪ふざけだろうか。イラついたのは言うまでも無い。
「……何やねん!」
姿を現した青年に怒鳴りつけると、あからさまに不快な顔をされる。
「青島リクと言う人物がここにいると聞いて、尋ねてきたんですが」
イントネーションは標準語だった。青島と聞いてピンと来たが、リクと言う名は知らない。それに、あの自称ばかりの男の名は青島「カイ」だ。兄弟がいるなんて聞いたこともないし、尋ねたこともない。
「青島カイ、やったら知ってんねんけどなぁ」
暗にそんな人物はここにいないと言うと、青年の眉間に皺が寄った。
「青島カイは、俺です」
「……は?」
一瞬だが、頭の中が真っ白になった。青島カイと名乗った青年は、ぶつくさ言いながら俯いている。そんな中、カンカンカンとリズム良く階段を上がってくる音が聞こえる。紛れも無く桐生の知っている青島カイの足音だ。
「あ、桐生さん! お客さんですか?」
青年が青島の声を聞いて振り返る。その顔を見た途端、青島は「うわぁ…………」と声を漏らした。
「リク!」
「……ちょ、え、何で居るの?」
「お前を探してたんだよ!」
逃げようとする青島の腕を、青年が咄嗟に捕まえる。何がなんだか、よく分からない桐生は二人を呆然と見つめていた。完全においていかれ、状況が掴めない。今にも怒鳴りだしそうな青年を見て、桐生は息を吐く。昼間からこんな店のまん前で口論されてはたまらない。
「……とりあえず、中、入りや」
帰れということも可能だったにも関わらず、中に入れ込んでしまった理由は、桐生もきっと、自称青島カイの本当のことを知りたかったからだろう。大半が嘘だと思っていたが、名前まで嘘を吐かれているとは思わなかった。
いつもの位置に桐生が座り、対面に青島兄弟が座る。慣れ親しんでいる青島は「……弟です」と不承不承に彼のことを紹介した。
「で、お前の本当の名前は?」
「えー……、青島リクって言います」
「何で弟の名前を名乗ってたんだ?」
「だって、リクよりカイの方がかっこいいから」
そう青島が言った途端に、青島弟が青島を睨みつける。顔こそはあまり似ていないが、ミステリアスな雰囲気はお互い持っていた。桐生はタバコに火をつけ、二人のやり取りを見つめる。
「ずっと探してたんだぞ」
「えー、東京で仕事してるって耳に挟んだけどなぁ」
くすくすと笑っている顔は、青島弟のことをバカにしてるようにも見えた。仲が良いのか悪いのか、よく分からない二人だ。それにしても、青島に兄弟が居たのは意外だ。ましてや、弟なんて。てっきり一人っ子か末っ子だと思っていた。
「……あの仕事は、リクが」
「まぁた、僕のせい? まぁいいけどさ」
「違う」
やたらと必死な弟に対し、青島はかなり冷たく見えた。向けている目も桐生とは全く違う。酷く面倒くさそうで、今すぐにでも目の前から居なくなって欲しいと態度に示していた。ここまで愛想の悪い青島は、見たことが無い。
「とにかく、居なくなってからずっと探してた」
「どうもありがとうございます。よく分かったね、いる場所」
「なんで、大阪なんかにいるんだよ。リク」
今にも泣きそうな顔をする弟を見て、青島は息を吐いた。それからちらりと桐生を見て、ポケットから名刺を取り出す。
「とりあえず、お前は邪魔だから、ここに行ってて」
「……ッ、で、」
「でも、じゃない。桐生さんにも迷惑が掛かるだろ? そう言うお前の聞き分けないところ、大嫌いだ。分かったら早く行動」
青島は持っていた名刺を無理やりに渡すと、弟を立たせて追い払った。そこまでする必要は無かったが、青島は知られたくないことをかなり知られたのだろう。それに対して怒っているのは何となく分かったので、桐生はあまり触れなかった。ほとんどが嘘なのだとは薄々感づいていたが、全てが嘘だとは思いもしなかった。青島は対面に座って、「すみませんね」といつもの調子で謝った。
「ご迷惑をおかけしました」
「……いや、ええねんけどな。一緒に帰っても良かったんやで」
「軽蔑、しましたか」
「は?」
「名前すら、嘘を吐いてたから」
まっすぐ見据えられ、わずかにたじろぐ。
「軽蔑はしてへん。まぁ、それなりの理由があるっちゅうことやろ」
「桐生さんって、無駄に理解力ありますよね。普通、嘘吐かれてたら怒りますよ。ましてや名前なんて」
「お前が青島であることは確かなんやろ? それ以降の名前を嘘吐こうがなんやろうが、俺は青島って呼んでたからそれでええねんけどな」
思ったことをそのまま言うと、青島は目を丸くしていた。絶句しているのを見て、桐生は噴出すように笑いタバコに手を伸ばした。
「お前、やましいことがあると、捲くし立てるクセあるんやな」
「そんなことないですよ」
「まぁ、お前がそう思うてるなら、それでええねんけど。せっかく、弟が会いに来たんやから、優しくしてやりぃや」
「あー……、無理ですね」
にっこり笑いながらそう言うと、青島は「じゃぁ、今日は気まずいので帰ります」と正直に言い、立ち上がった。胡散臭い笑みを浮かべた辺りを見ると、ただの口実なのだろうが、桐生は「もう二度とこんでええで」といつものように軽口を叩き、青島の反応を見る。
「やだなぁ、明日もちゃんと来ますよ」
表情と口調はいつも通りだったが、雰囲気だけはどうやら隠せなかったようで、本当に明日は来るのだろうかと、考えてしまった。
弟のカイに渡したのは、工藤の名刺だ。名刺には工藤の事務所が載ってあり、そこへ行けと言ったにも関わらず、カイは便利屋のビルの一階で青島が来るのを待ち伏せていた。
「……リク」
「そう言うしつこいところも嫌い」
向ける目は冷ややかだ。危うく、カイのせいで全ての計画が狂うところだった。察しの良い桐生のことだから、気付いてながらも気付いてないフリをするところがあるので、安易に考えてはいけない。普段通りに接しながらも、様子を伺うつもりで居た。現段階で計画が明るみになるのは、できるだけ避けたい。何のためにわざわざ三年も費やしたのか、計画を壊そうとするカイを睨みつける。仄かにたじろぐのが分かった。
「どこ、行くんだよ」
歩き始めると後ろから弱々しい声が聞こえた。
「行く場所、ないんだろ?」
「……うん」
「だったら、工藤さんのところに行くしかない。今はあの人に世話になってるから」
「あいつ、嫌いなんだけど」
「じゃぁ、東京に帰れ」
冷たくあしらうと黙り込んでしまった。それでも、歩き始めた青島の後をついてくる。きっとこのまま、工藤のマンションまでついてくるつもりだ。環状線に乗り込み、大阪で降りる。外へ出ると冷たい風が吹き付けた。
マンションのエントランスに入り、鍵をポケットの中から取り出す。昨晩は副業が入っていたので、帰ってくるのは実に二日ぶりだ。青島が外で何をしてようが、工藤は何も言わないし、口出しもしない。居れば相手をしてくれるし、何より自分のことをぞんざいに扱ってくれるのが一緒に居て、一番嬉しく思う部分だ。そんな工藤に比べ、カイは違う。青島のことを常に考えていて、大切に扱おうとする。それが鬱陶しいと思う一番の理由で、好きになれないところだった。エレベーターに乗り込んだところで、抱きつかれる。
「……やめろ」
「リク、ずっと探してた」
「ストーカーか? テメェ」
嫌そうな顔をすると震える手で、唇を撫でられる。五センチほど背の高い弟を見上げて暴言は吐くが、弟自身を拒まないのはそれなりの甘さがあるからだろう。彼がどれほど自分に好意を抱いているのか知っている。自分のためなら命すら投げ出すことも分かっている。チンと音が鳴ったのを聞いて、青島はカイの腕を引っ張った。幼い頃、こんなことをして歩いた記憶なんてものは、二人に無い。歪んだ教育に歪んだ愛情。五歳も年下の、ましてや血の繋がった兄弟に本気で愛情を注がれてるなんて、普通の人から見たら気持ち悪いと思う。けれど、青島の中ではそんなことすら、どうでもよくなっている。まともな教育は受けてこなかった。だから、自分達は世間と違っていて当たり前だ。
家の鍵を開けると、体を押され玄関で押し倒される。必死な顔の弟を見つめ、青島は笑った。
「お前のセックスだけは好きだよ。カイ」
そう褒めるとへらへらと笑う顔も、それなりに好きだったが、それだけは言葉にしなかった。
「……お前は紛れも無く三隅やんな」
「何やねん、来るなり急に」
「聞いてみただけや」
呼び出されたついでに確認してみたが、言ってみて自分自身でも可笑しな事を聞いたなと、自嘲してしまう。青島の本名が違っていたからと言って、今まで一緒に居た青島が偽者かと言えばそうではない。本人に言ったように、桐生が知っているのは青島自身であって、名前なんてどうでもいい。そう思うが、やはり三年間ずっと青島カイだと思い込んでいただけに、ショックと言えばショックだった。ソファーに座って焼酎のロックを飲み干す。からんと氷が音楽を奏でた。
「お前は桐生陽一、やな?」
「免許書、見せよか?」
「桐生。お前が、桐生陽一でないなら、俺は間違ったことをお前に強要していることになる。名前と言うんは、重要やで」
三隅の話から、今日何があったのか気付かれている。桐生は口の中に溜まった唾を飲み込み、三隅を見る。桐生と同じように焼酎のロックを飲んでいるが、顔はいつも通り冷淡だった。テーブルの上に置いた焼酎の瓶を掴んだところで、手首を掴まれる。憎悪の篭った目が、桐生を縛り付けた。
「エリナを殺したんは、桐生陽一や」
手首を握り締める力が、一段と強くなった。桐生は目を伏せ、三隅とは目を合わさなかった。いや、合わす事ができなかった。
「嘘吐きは泥棒の始まりと言うやろ。嘘を吐いた桐生陽一は、エリナを盗んでいった。これに間違いは無いな?」
尋ねられるも答えることは出来ない。胸が苦しくなって呼吸が出来ない。真っ黒な目は桐生を問い詰めているように見える。
「名前すらもちゃんと名乗らないどこぞの野郎は、泥棒ぐらいで済まされる存在なんやろうか」
どこか他人事なのは、全てを知っているからなのか。ざわざわと駆り立てるような胸騒ぎが、桐生の思考を狂わせていく。手がゆっくりと離れていって、桐生を嘲笑うような笑い声が聞こえた。
悪魔の笑い声だ。
頭が可笑しくなるのは、いつまでもいつまでも桐生を責める三隅のせいなのか。それとも、殺してしまったエリナのせいなのか。
嘘を吐いた自分のせいなのか。今日も桐生の贖罪が始まる。
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