便利屋第十一話
「便利屋です。行動する原動力は庇護欲」
家に帰ってきた工藤が、不貞腐れながらソファーに座っているカイの姿を見て、目を丸くした。
「キミが、カイ、か。リクから聞いてるよ」
「あれぇ、僕、こんな奴の話とかしましたっけ?」
「惚けるな」
優しげな笑みを湛え、工藤はカイの対面に座る。ネクタイを緩め、スーツの上着を脱ぐとすかさず隣に青島が座った。それを見るなりにカイの眉間が動く。
「……どうしてそっちに」
「こっちのほうが良いからに決まってるだろ。ねー、工藤さん?」
「苛めてやるな。二人しか居ない家族だろう」
向けられた目から逃れるように、目を逸らす。そんなあからさまな態度を取った青島に、工藤は優しく微笑み不貞腐れているカイへ視線を向けた。この二人のいびつな関係を知ってるからこそ、向けれる視線でもあった。
「つまんないな」
ぼそりと隣から機嫌の悪い声が聞こえて、工藤は拗ねてしまった青島を見る。
「え?」
「だから、イヤだったんだ。カイが来ると工藤さんが僕に構ってくれない」
「子供みたいなことを言うな」
「体は大人、頭脳は子供ですよ」
踏ん反り返って言うような言葉ではなかった。やれやれとため息を吐き、工藤は目頭をつまむ。決して仲が悪い、と言うわけではないが、カイが来るには時期が悪すぎた。ついつい、哀れんだ視線を向けてしまい、敵意をむき出しにされる。青島が何を考えているか分かってるからこそ、今の不機嫌も納得できる。とことん、八つ当たりされている様子が目に浮かんでしまった。
「そうだ、カイ。お前、工藤さんのところでお世話になるんだから、挨拶なりちゃんとしろよ」
「……よろしくお願いします」
「こちらこそ」
いくら、工藤が愛想を良くしても、カイの機嫌が直ることは無かった。
「……お前さぁ、俺が憎いなら、いっそのこと殺したらええんちゃうん」
そう言うと軽蔑にも似た視線が送られ、それが返事だと気づいたのは数秒後だった。何をアホなこと抜かしているのだ、と視線が訴えている。最高級品の枕に顔を埋めながら、桐生は殺されない理由を考えてみた。
一つは面倒だから。だろうか。どんなにコネがあったとしても、人を一人消すのはそれなりに労力を必要とする。恨んでいたとしても、自分の感情のみで人を消すようなことは絶対にしない。利益がないのなら、余計だ。そう言う点では、酷くシビアな男だった。
二つ目は、三隅がしばらく間を置いてから、自分で言い放った。
「苦しみを与え続けるのが目的やのに、殺してしまってはつまらんやろう」
そんなところだ。呆れた桐生は三隅から視線を逸らし体を起こす。今日は意地でも事務所へ戻るつもりだった。こんなところには一分も居たくない。
引っかかれた背中や腕が痛い。体を重ねるたび、三隅は桐生の体に傷をつける。それが何を意味してるのか分からないが、動けば痛むところにつけられるので、その日は常に痛い。そして、その傷が癒える頃にまた呼ばれ、新しい傷を付けられる。今、自分の背中がどうなっているのか、分からない。歳を取れば治癒力も下がってくるので、年々、傷の治りが遅くなっていた。だから、引っかかれると本当に厄介だ。服を着ようと腕を上げた瞬間、痛みが走る。顔を顰めていると、視線を感じて顔を上げた。
「……何やねん」
「いや……、まぁええ。名前すら偽ってた奴には、十分注意しいや」
「わかっとるわ」
一度言えば分かるというのに、再三にわたりそう注意すると言う事は、かなり気を張っていると言えるだろう。桐生も三隅と一緒に居ることで、それなりに危険な領域に足を踏み入れていることは分かっている。だから、余計なことはしないし、口も固いのでわざわざ喋ったりなどしない。それを踏まえた上での注意だ。とんでもない奴と関わってしまった。
「……お前さ、青島の何か知ってるんか?」
ずっと気になっていたことを尋ねると、三隅の目が少しだけ揺れた。暗い部屋の中で、本当に揺れたのかどうかは分からない。
「青島なんてその辺に溢れてるやろ。知らんわ」
「……へぇ」
それが嘘だと言うのは、何となくだが分かった。けれど嘘ではぐらかすぐらいのことだ。知っていたとしても、三隅は口を割ったりしない。何が本当で何が嘘なのか、混沌とした空間に身を置かされている。それならそれで、こんな曖昧な状況に甘んじようと思った。知らないフリは昔から得意だ。
「まぁ、ええわ」
面倒なことには首を突っ込まないと、随分と昔に決めたことだ。それを少し忘れかけていたような気がして、桐生は立ち上がる。わずかにだが、引っかかれた傷の痛みが、軽くなった。
「あぁ、せや。この前、お前が見つけた女と付き合ってた男が、殺された」
「……はぁ?」
「一応、自殺、やけどな。お前が死体を見つけた日に、どうやら殺されたみたいやな。……なんか、心当たりがないか?」
「アサノか?」
「いや、組の幹部のほうや。あの女が死んだ山の中で、首吊って見つかった。随分と厄介なところで死んどってなぁ。見つけるのに三週間もかかったんや」
全くと言って良いほど、心当たりなんて無かった。けれど、三隅がこんな情報を流してくると言う時は、桐生が関係ないと思っていても関係しているときが多々ある。その時、ふと思い浮かんだのは青島の顔だった。そう言えば、気づいたら青島の姿がなくなっていた。飽きて帰ってしまったのだと思ったが、帰るときは大体、桐生に一言残す。それに、あそこは山の中で一本道だ。降りてきて無いなら、登ったとしか考えられない。道筋が一本に繋がってしまいそうなところで、桐生は勝手に遮断する。
「俺に心当たりなんて、あるわけないやろ」
「まぁ……、せやろな」
白々とした視線を向けられても、桐生は無視した。そろそろ帰らないと電車が無くなってしまう。それに三隅と顔を合わせていたら、いつかボロを出してしまいそうだ。三隅の部屋を出る。
家を出るまでは解放された気分になれなかった。凍えるほどに冷たい風に晒され、身震いする。こんな日は、帰ってから熱い湯で割った焼酎を飲むに限る。いつもと同じように駅まで送ってもらい、電車に揺られて帰った。
事務所の扉に鍵を掛けたのを確認してから、奥へ進む。やかんに水を入れて、コンロの上に置く。立てつけの悪い窓が、風に揺られてカタカタと音を立てる。それから電車が通るとそれ以上に大きい音が鳴る。薄暗い部屋の中に差し込んでいる光は、外のネオンだ。ぴかぴかと点滅したりなど、鬱陶しかった。
ピーとけたたましい音が部屋中に鳴り響く。コンロの火を切ってから、耐熱グラスに湯を半分注ぎ、焼酎を入れる。割りばしでかき混ぜながら、ソファーに座って対面を凝視する。誰も居ないソファーのはずなのに、誰かが座っているような錯覚に陥った。
脳がイカれている。瞬時に、そう思った。
今はもう居ない、エリナの笑顔が脳裏を掠める。その度、三隅がひっかく傷がずきりと桐生を戒めるように痛む。
朝っぱらから上機嫌な顔と不機嫌な顔が並んでいる。それを対面から見つめている桐生は、死人のような土気色した顔だった。昨晩、飲みすぎたせいだ。ずきんずきんと襲う頭痛、込み上げてくる吐き気、とにかく今は寝転がりたいぐらいだ。そんな桐生の前に現れた兄弟は、極端な表情をしていた。
「……とりあえず、お前ら今日は帰ってくれへんか? 俺、しんどいんやけど」
「嫌ですよ。家に帰ったら、コイツと二人っきりなんて想像するだけでゾッとします」
弟に対しての容赦なさはどこからやってくるのかと少しだけ考えてみたが、頭痛が思考を邪魔した。ぐったりとしたまま二人を見つめ、言葉を発するのはやめた。この二人がやってきた時間は早朝の七時と、迷惑極まりない時間だった。文句の一つぐらい言う権利はあるだろうが、その文句すらも、今日は出てこなかった。
「リク。迷惑がかかるだけだから……」
「お前が掛けてんだろ? 一人で帰れよ」
「……帰るんならコイツも連れていきや。弟」
桐生は頭を押さえたまま、青島を指さした。この場に青島だけが残るなんて、こっちの方が想像するだけでゾッとする。何をされるか分かったもんではないし、おちおち寝ても居られない。それに、何だか機嫌の悪さが目に見えて分かるのが、奇妙で不気味だった。基本的に青島は怒っていても表情や態度に出すことはない。怒ってる口ぶりとわざとらしい態度だ。怒ってるような言い方をするが、果たして本当に怒ってるのかと疑問に思うことも多かった。時たま見せる素の表情は、畏怖の対象でもあった。
それほどまでにこの弟が憎いのか。それとも、知られてはいけない何かを、桐生が勝手に知ってしまったのか。今日はやたらと監視されてる気分だった。だから余計に、帰ってほしいと思う。
「今日はやたらとお疲れですね、桐生さん」
「お前なぁ、ここに来た時間考えーや。七時やで。普段だったら寝てるわ」
「正常なサラリーマンはこの時間、起きてますけどね」
「生憎、正常なサラリーマンとはちゃう生活送っとるからな。この時間は営業外や」
言い合ってるのにも疲れソファーに凭れかかると、青島の隣に座っている弟が二人を見比べて、僅かに困った顔をしていた。どうやら、弟の方は常識人のようだ。こんな時間にやってくることが、どれほど非常識なのか分かっていると見える。ならどうして、兄を押さえこんでくれなかったのか。考えるけれど、二人の関係は桐生には分からない。どうやら、弟は兄に弱く、傍若無人で非常識な兄は弟のことを毛嫌いしているようだ。
ではなぜ、青島は毛嫌いしている弟の名を名乗っていたのか。かっこいいから、とか言うふざけた理由でないことは確かだ。
一瞬だけ、このことを三隅に話そうか迷った。しかし、言わなくて良かったと、今だからこそ思う。昨日の会話から、桐生の周りで偽名を使っていたと言うことはバレ、それが青島だと言うのも気付かれてるだろうが、桐生はそれを認めていないし、三隅に尋ねられなかったからそれ以上は言わなかった。誰だ、と聞かれても、誰か、とは言わなかっただろう。そこまで話す関係でもないし、聞きだす権利は三隅に無い。それが功をなすのか、失敗してしまうのかは分からない。けれど、今は黙っていて良かったのではないかと、思っていた。
「僕と桐生さんの仲じゃないですか。ちょーっと早く来ちゃったぐらいで素気なくしないでくださいよー」
「ピッキングして入って来なけりゃ、少しぐらいは仲良うしたろうかなって思うんやけどな」
「だって、僕が来たって分かったら、桐生さんは絶対にドアを開けないでしょう?」
言葉の意味をよく考えてから、返事をする。
「せやな」
ドアの向こうに居るのが青島だと分かれば、ドアを開けることは決してないだろう。
「だから無理やりピッキングで開けるんですよ。じゃないと、中には絶対、入れないでしょ?」
「……まぁ、人が中に入らんように鍵を掛けるんやけどな。お前には意味がないっちゅうことか」
「そうですね」
あまりにもはっきりそう言うので、桐生は思わず噴き出した。それと同時に頭痛が襲ってくる。今日は久しぶりに仕事が入っていた。私有地で放置している空き地の草刈りだ。三人いれば、仕事も捗るだろう。面倒だが、ここへ来たのが運の尽きだと、弟には諦めてもらう。時間は九時からだ。七時から青島が来てくれて、助かったと言えば助かった。
「……まぁええわ。今回は人手のいる仕事が入っとんねん」
「え、力仕事とか言いませんよね? 僕、やりませんよ」
「丁度ええわ。お前も手伝え、弟」
ガリガリと頭を掻きながら言うと、青島の隣にいる弟は目を丸くして桐生を見つめた。驚いた顔をしているのはどうしてなのか。考えるのも面倒になり、桐生は奥にある自室へと向かった。長袖のシャツとチノパンに着替え、顎をさする。昨晩、剃ってなかったせいか、ジョリジョリと音を立てたが、顔を洗うことすら億劫なので気にしないこととした。洗面所の前に立つと、ぼさぼさの髪の毛が目立つ。目の下にはクマも出来ていて、何とも不細工な顔になっている。昨晩の酒が、まだ体内に残っていた。
歯を磨いて顔を洗ってから事務所に戻ると、不貞腐れた顔をしている青島と、来た時より幾分かマシな顔をしている青島弟が並んでいる。
「えー、とりあえず、俺の中で青島ってのはこっちやから、お前のことは弟って呼ぶで」
「……はぁ」
「気にくわない時の曖昧な返事は、兄弟一緒やな」
「やめてくださいよ。こんな奴と一緒にしないでください」
「まぁ、そんなんはどないでもええねん。九時に現場やからな。行くで」
棚の上に置いてある車のキーを取り出して、ポケットの中に突っ込む。あのおんぼろの車に三人も乗って大丈夫だろうか。ましてや、あの車は二人しか乗れない。一人は荷台に乗ってもらうしかないが、涼しくなり始めた今、荷台に乗るのはある意味罰ゲームだ。
ちらりと振り向くと、二人が怪訝な顔をする。同じタイミングだったので、さすがは兄弟だなと思ってしまう。
「一人、荷台やねんけど」
「じゃぁ、僕が乗りますよ」
「……へ、あ、ほんま? お前が乗ってくれるなら丁度ええわ」
あっさりと青島が言うので、その時はあまり気にしていなかった。弟と二人きりになることも、別段、気にするほどのことでも無かった。事務所を出て、近くの駐車場に停めている車に乗り込みエンジンを掛けたと同時に、隣に座った弟が言葉を発した。
「あなたはどうして、リクと一緒にいるんです?」
ゆっくり踏んだアクセルから、一瞬だけ足を離してしまう。ウインカーを出して、質問の意図を探った唐突すぎて分からない。
「向こうがやたらとくっ付いてくるだけや」
「……そうですか」
「なんかお前ら、仲がええんか悪いんか、よう分からんなぁ」
独り言のように言うと、弟の目が険しくなる。
「仲なんて全然よくないですよ」
「なら、何でお前はそこまでして、アイツに付きまとってんねん」
「守るって、決めたからですよ。……だから、リクの邪魔をするなら、俺は容赦しませんよ」
鋭い視線が向けられても、桐生の視線はルームミラーに釘づけだった。荷台に乗った青島が、無表情でこちらを見つめていた。
青島が荷台に乗った最大の理由は、この弟と二人っきりにさせるのが目的だったのではないかと、発進してから分かった。
冷や汗が背中を伝い、引っ掻かれた傷が桐生を戒める。
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