便利屋第十五話
「便利屋です。彼女が死んだ理由」
一緒にいる時間が長いので、殺したくなる気持ちも十分に理解できるが、それを実行する人は世の中でも一握りだし、ごく一般的な庶民の見解からしたら、頭が狂ってるとしか思えない。けれど青島は確実に実行しに来る。弟はそう桐生に告げた。
「まあ、後は俺に任せてくれへんか?」
「……どういうことですか?」
「お前にとっちゃあ、これからが大切なんかもしらんし、青島のためやからここまで動いてくれたと思うんやけど……」
用意周到な青島のことだ。自分の弟が近くにいると分かったら、そのまま姿を消すのではないかと桐生は思っていた。それにもう一つ考えられる可能性は、自分すらも嵌められていて、このまま弟の思惑通り事を進めるのに若干懸念を抱いている。それを口にするのは憚れたので言葉を濁したけれど、どうやら青島以上に察しがいいらしく「分かりました」と引き下がった。
「その代わり、絶対に止めてください」
「……分かった」
自信はなかったけれど、桐生の気持ちは弟と同じだ。返事はほとんど自分に言い聞かせているようなものだった。
弟と別れた桐生はすぐに三隅へ連絡した。お前の命が狙われてるから危ないなんて言っても信じてもらえないし、バカにしてるのか、と反論されそうなので、一先ず居場所を確かめる。だが三隅は電話に出ない。
普段だったら電話に出なくてもなんら心配しないが、今回は別だった。何度か掛けるもの、三隅には繋がらない。コール音はするが一向に取る気配がない。どうしようか迷ってから、こんなところでグダグダ考えてる暇があるなら行動しようと思い、桐生は駅に向かった。
電車に揺られながら流れていく景色を見ていたが、桐生の意識にはほとんど景色は写っていなかった。
最寄り駅に到着し、桐生は駅を出る。ロータリーでタクシーを捕まえようとしたところに見慣れた車が停車した。静かに後部座席の窓が開き、見慣れた無愛想な顔を睨みつけると、鼻で笑われる。いつもの三隅に、心底ホッとした。
「あの時と同じ顔やな」
「……煩い」
今は三隅の冗談に付き合えるほど、心中は穏やかではない。こんな気分になるのは、人生で二度目だった。
三隅との出会いは今から三十年も昔、母親同士が友人だったので物心が付いたときには三隅は傍にいた。
二人の育ちは極端に異なっていた。桐生は生まれて間も無く父親の不倫により両親が離婚、母子家庭で育ち貧乏だった。三隅は関西では有名な企業の社長の子供だったため、かなり裕福な生活をしていた。だが母親同士も幼馴染だったため僻んだりなどせず良好な関係が続いていた。
もちろん、桐生も三隅に対して僻んだりなどせず、男の子らしく外で遊びまわることもあれば、三隅が持ってきたゲームで遊んだり、時にはケンカなんかをしたりと仲良くしていた。
そんなある日、母が再婚した。相手は有数の企業の役員で、桐生の生活は一変した。再婚相手は数年前に妻と死別し、桐生より一つ年下の娘を連れていた。突然出来た妹の名前はエリナ。それまで兄弟なんて要らないと思っていたが、急にできた可愛らしい妹に戸惑いを感じつつも、桐生なりに大切にした。
三隅の家とは結構な距離があったが、再婚に伴って桐生が引っ越したので徒歩圏内となった。桐生が遊びに行くときは必ずエリナを連れて行っていたので、いつしか三人で遊ぶのが当然となっていた。普通なら妹を連れて遊ぶなんて嫌だと、駄々を捏ねる年頃であるにも関わらず、桐生と三隅はエリナと遊ぶのに抵抗がなかった。
エリナは明るく穏やかで、座っていれば人形のような可愛さを持っていた。桐生のことをようちゃんと呼び、三隅のことはけんちゃんと呼んだ。桐生の母の再婚は三隅の両親が仲介したので、元々三隅とエリナは知り合いだった。
「将来の夢はけんちゃんのお嫁さんかな」
夢を語るとき、エリナはいつもそう言った。それに多少なりとも嫉妬を覚えた桐生だったが、自分とは結婚できないし、大事な妹と結婚するなら信頼している三隅が一番だった。
彼ならエリナを大切にしてくれると信じていた。
高校に上がると三隅とエリナは付き合い始めた。邪魔をしては悪いと遠慮している桐生を三隅とエリナはわざと連れまわした。二人が付き合おうとも、三人の関係は全く変わらなかった。それに三隅もエリナのことをとても大事にしていて、手を繋ぐのも躊躇うほどだった。
高校は同じ学校だった桐生と三隅だったが、大学への進学は別の道を選んだ。桐生は親からの要望により私立の医学部に、三隅は国立の経済学部へ進むことになった。中学、高校はたまたま一緒だっただけで、大学まで同じにするつもりはなかった。いつまでも三人で仲良くしてるのはおかしいと、桐生は思っていた。だからこれを機に、二人から距離を置こうとしていた。
三隅はそんな桐生の気持ちを汲んでいたように思う。三隅から執拗に連絡することはなかったし、時たま家で顔を合わせるときは、以前と同じように喋った。だがエリナは違った。暇さえあれば桐生を遊びに誘う。これまで鬱陶しいなんて一度も思ったことがなかったのに、空気の読めないエリナが生まれて初めて鬱陶しいと思った。それでもそんなことを口に出来なかったので、大学三年になったとき、桐生は忙しいを理由に家を出た。
一人暮らしを始めて二ヵ月後、三隅が桐生の部屋を訪ねた。
「エリナが寂しがってるで」
「……こっちも忙しいねんて」
おそらく三隅は桐生の感情を知っていたのかもしれない。困った顔で笑い、「お前も頑なやな」と呟いた。それにカッとなった桐生は、三隅に怒りをぶつけてしまった。
「もう、鬱陶しいねんて! お前ら二人で仲良くしとったらええやろ。俺は俺でやらなあかんことがいっぱいあんねん!」
「エリナはお前のこと心配してんねんで」
「だからそう言うのが鬱陶しいんやって。俺はアイツの弟でもないしな、子供でもない。エリナに心配される筋合いなんてないんや。ただの他人やしな」
出会った当初はいきなりできた妹に戸惑いはあったけれど、エリナを他人だなんて思ったことはない。自棄になった出た言葉を聞いて、三隅が顔を顰める。桐生は気まずさに目を逸らした。
カタンと物音が聞こえて、桐生と三隅は玄関を見る。ゆっくりと開いたドアからは茶色い髪の毛が見えた。ひやりと背筋が凍る。咄嗟に桐生は三隅を見たが、三隅は違うと首を振る。
エリナには家の場所を教えていなかった。こうやって突撃してくるのが分かっていたからだ。
「ごめんね、ようちゃん。さっきの話、盗み聞きしちゃったの」
ドン、と胸を叩かれたような衝撃が襲う。
「でも、私もけんちゃんもその言葉が嘘だってすぐ分かるよ。ようちゃんは、嘘吐くの下手くそだから」
酷い言葉を投げつけてしまったにも関わらず、エリナはいつもと同じように笑う。
「ようちゃんは私たち以上に、私たちのことを心配してくれてるんだよね。でもね、私もけんちゃんも、ようちゃんのこと邪魔だとか思ったことないの。三人で一緒に居るのが一番楽しいんだもん。ようちゃんはそうじゃなかった?」
笑顔を向けるエリナに頷けなかった。確かに三人でいるのは楽しい。時間を忘れられる。でも二人はいつか結婚するのだ。いつまでも二人にべったりするのは間違っている。
「エリナにはかなわんなぁ」
誤魔化すように桐生は笑った。
「でも、俺はお前ら二人に幸せになってほしいねん。だから、三人で仲良しごっこは終わりにしたほうがええと思うねん」
「……ようちゃん? 私が言ってること、分かってくれてる?」
「分かっとるよ。けどな、いつまでも三人一緒なんて無理に決まっとるやろ。なあ、謙太」
桐生はそう言いながら三隅を見た。顔を顰めていた三隅だったが、桐生の説得は無理だと思ったのか「せやな」と頷いた。エリナは不満げな顔をしていたが、これから一生会わないとか遊ばないとか言うわけではないことを説明すると、不承不承に納得した。
それから二年後、エリナは三隅と結婚した。エリナが大学を卒業してすぐだった。
桐生は心底ほっとした。なんだかんだ言いつつ、納まるところに二人は納まったのだ。三隅の姓になったエリナだが、頻繁に実家へ帰ってきた。と言うより、実家と三隅の家が近いから、帰りやすいのだ。三隅の家族と不仲と言うわけではなかったが、三隅の両親が不仲だったので家に居づらかったのも原因した。
翌年に国家試験を控えた桐生は勉強に追われていた。たまにエリナが様子を見に来てご飯を用意してくれたり、近況を報告してくれたが、桐生はほとんど聞けなかった。父の後を継ぐため、実家の会社に入社した三隅も多忙で、エリナの相手をする人はほとんどいなくなっていた。
それでもエリナはいつも笑顔だった。苦しそうな顔も見せない。エリナは基本的に悩んだりしないで、疑問は直接本人にぶつける。状況に応じた判断もでき、朗らかで明るかったので友達もたくさんいた。
義父母が不仲だからといって、三隅とエリナがそれに影響されることはなかった。どこからどう見ても二人はお似合いの夫婦で人の目を引いた。
こんな状況を望んでいたはずなのに、いつしか桐生はその二人が羨ましく思うようになった。
医学部を卒業したらすぐに国家試験だ。六年になった桐生は人との関係を断ち、勉強ばかりしていた。これまでの六年間、ほとんど勉強につぎ込んできたのだ。何が何でも合格して、早くどこかへ消えたかった。幸せそうな二人を見るたび嫉妬した。一体、何が羨ましいのかも分からないのに、嫉妬ばかりは一丁前だ。思えば二人を遠ざけようとしたとき、二人のためだと言っておきながらも本当は自分のためだったのかもしれない。三隅とエリナが付き合う前までは、三人とも仲良しだった。けれどその三人からカップルができてしまえば、関係が壊れるのは当然だ。
けれど桐生は三隅を恨んだりできなかった。エリナも恨めなかった。どんなに嫉妬していても、大事な二人には幸せになってほしかった。どんなに悩んだり悔やんだりしても最終的にはそう思うので、桐生は思いをすべて勉強にぶつけた。すれば辛くなることもなかった。
医学部卒業し、国家試験が終わった後、エリナが突然、桐生の家にやってきた。いつも笑っていたエリナの顔は、見たこともないぐらい暗かった。何があったのか。桐生はすぐに問い詰めた。
「私、けんちゃんと離婚するかもしれない」
「え?」
この一年、忙しさのあまり三隅やエリナと接する機会がなかった。だから二人に何があったのか、桐生はさっぱり分からず狼狽した。
「ど、どうして」
「私ね、ようちゃんのことが好きなの。けんちゃんよりも好き」
どきりと胸が跳ねる。そう言われてようやく、桐生は自分の気持ちに気づけた。誰が好きなのか。これまで胸中で渦巻いていた嫉妬の原因を。
「この前ね、けんちゃんのおばさんとおじさんが離婚したの。二人とも家を出てしまって、今、けんちゃんと二人なんだけどね……。あ、でも、お手伝いさんとかいるから、二人っきりってわけじゃないんだけど……。昨日、二人で話し合ったんだ。これからのこととか、ようちゃんのこととか。けんちゃんには最初から私の気持ちを読まれてて、ようちゃんのところへ行けって背中を押してくれた。ねえ、けんちゃん。国家試験合格したら、遠くへ行くんでしょう? 私も連れてって」
エリナは桐生の腕を掴んで力説した。どうしようか桐生は凄く迷った。何日も考えなければ答えなんて出るはずないのに、桐生はこの時なぜか迷わずに答えが出せた。
自分と三隅。どちらがエリナを幸せにできるか。それを天秤に掛けたら、答えはすんなり出てきた。
「それは出来ひん。お前は謙太と一緒に居るのが一番や。俺も一緒に謝ったるから、お前も謙太に謝れ」
「ふふ、そっか。ごめんね、ようちゃん。私、ちょっと嘘を吐いちゃったの」
「は?」
真剣に考えて出した答えだと言うのに、嘘だと言われて腹立った。エリナでなければ怒鳴っていたぐらいだ。くすくすと笑うエリナはカバンの中から弁当箱を取り出して桐生に手渡す。
「私、どっちが好きとか決めれないの。ようちゃんもけんちゃんも同じぐらい好き。だからね、三人で一緒に居たかったんだけど、どうも二人はそうじゃなかったみたい」
「な、何を言うとんねん。俺やって、謙太もエリナも大事に思うとる」
「ううん。全然違うわ。私は二人とも好きだったの。三人で一緒に居るには、けんちゃんと結婚するのが一番だと思ってた。けどね、二人は違ってた。違ってたから、私たちはバラバラになっちゃった。けんちゃんはちょっと努力してくれてたみたいだけど、やっぱりダメだった。ダメだった理由は、ようちゃんも分かっているでしょう?」
エリナの言っていることは間違っていない。確かに桐生は、二人が大好きだったわけではなかった。それは三隅も同じだったと言うことか。どう返答しようか迷っていると、エリナはにこりと笑って立ち上がる。
「ごめんね、ようちゃん。試すようなことしちゃって。でもね、私がこうでもしないと、ようちゃんは自分の気持ちに気づけないと思ったの。だから、どうか……」
最後までエリナは笑っていた。部屋から出ていくのを見送ってから、桐生は手渡された弁当の包みを開けてみる。弁当箱の上に手紙が置かれていた。中身を読んで、桐生は外を飛び出した。
エリナは電車に乗ってここまで来たはずだから、いるとしたら駅だ。何とかして止めなければいけないと思った。答えを間違えた。もっとましな答えがあったのではないか。いや、あれが桐生の本心でもある。エリナはそう選択すると分かって、桐生に手紙を残したのだ。エリナはいつも桐生と三隅のことを考えてくれていた。
駅に到着したがエリナの姿はない。電車はまだ来てないので、乗ったわけではなさそうだ。どうにかして見つけなければ。桐生はエリナを探し回った。まだ近くにいるはずだ。
ドン! と大きな音が響いてきた。キャーと女性の悲鳴。まさか、と思いながら、桐生は音のするほうへ向かって走り出した。やたら大きい音だった。交差点には人だかりができていて、音はそこからしたと推測される。人込みを掻き分けて前へ出ると、見慣れた茶色い髪の毛が目に入った。
「エリナ!」
駆け寄るとエリナはまだ息をしていた。エリナを轢いた運転手は「いきなり、飛び出してきて……」と呟いている。動揺しているのは火を見るより明らかだったので、桐生は「救急車呼んでください!」と野次馬に向かって叫んだ。応急処置をしなければ、と思っているのに、頭が混乱して何も思い出せない。これまで培ってきた知恵はどこに行ってしまったのか。あふれ出る血を手で押さえて、桐生はエリナの名前を叫んだ。だが、エリナがその声に反応することはなかった。
救急車がやってきて病院に運ばれている間に、エリナの呼吸は止まった。病院に到着してから緊急手術を行ったけれど、エリナはそのまま静かに息を引き取った。
警察からの報告によると、エリナは子供が飛び出しそうになったところを止めに入り、そのまま庇うように轢かれてしまったらしい。大通りで車のスピードも出ていたし、当たり所も悪かった。けれどエリナがどうして駅を通り越してあの大通りへ行ったのか。疑問だった。
事故の連絡を受けてすぐに三隅は病院へやってきたが、エリナは既に帰らぬ人となっていた。呆然と座り込んでいる桐生に近づくと、いきなり胸倉を掴んで立ち上がらせ顔を殴った。当然だと思った桐生は何も言わずされるがままとなった。
「今日、エリナはお前の家に行くと言うてた。子供を助けたってことになっとるけど、普通やったらエリナはあそこまで行ったりせぇへん。何でアイツは、あんなところへ行ったんや!」
「……知らん」
「知らんちゃうやろ」
桐生は蹲って膝に顔を埋める。
「エリナを殺したんは、お前や」
三隅の言葉が突き刺さる。
「何が幸せになってほしいや。人の幸せぶち壊しておいて、よう友達やとか言えたな。もうお前なんざ友達でもなんでもない。ただの他人や」
顔を上げると冷たい目が桐生を見下ろしていた。
「桐生。俺はお前を一生許さない」
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