便利屋第十六話

「便利屋です。駆け引き」


「お前が俺の携帯をじゃんじゃん鳴らすのは、エリナが死んだ以来やな」
 わざとらしく傷口を抉るような言い方をした三隅に、桐生は何も言い返せなかった。姿を見てホッとしたのもそうだし、安否が不明で不安に駆られたのも本音だ。もういちいち、そんなのを隠したりするのは面倒だった。
「お前、狙われてんで」
 静かに告げると、三隅がこちらを伺う気配がした。
「誰に」
「分かっとるんちゃうん?」
 流れていく景色から、三隅に視線を向けると感情の読めない無表情で桐生を見つめていた。そんな顔をしてるときは大体図星だ。桐生はすぐに窓へと顔を戻す。動揺せずにどこか受け止めてるような反応は、もしかしたら彼自身もまたその思惑を利用してやろうとしてたのではないか。それもなんだか恐ろしくて、自分の思考を確認できなかった。
 車はゆっくりと敷地内へと入っていく。ここへ来るたび、苦々しい思い出が蘇ってくる。本来であれば、三隅の隣に座っていたのはエリナだ。自分ではない。エリナが死んでから半年ぐらいはお互いに連絡を取らなかった。自宅から電話が掛かってきて、三隅の様子を見てやってくれなんてお節介なお願いを断りきれず、桐生は三隅のところへ行った。何とか国家試験には受かったものの、桐生は医者になる道を諦めてフリーターをしていた。三隅は父から会社を任されて社長になっていた。二人の間には明らかな差が生まれていた。
 それからどうやってこんな関係になったのか。最初は顔を合わせてもロクに会話をせず、どうしてここへ来たのか言い訳を精一杯した。桐生を見下ろす目が品定めをしてるようだと気づいたのは、会いに来て三回目ぐらいだ。それでも桐生は素知らぬふりで言葉を紡いだ。それから週に一度は顔を出し、ただ三隅に言い訳を続けた五回目の夜、贖罪が始まった。
 言葉の節々から、エリナが全てを三隅に語らなかったのに気づいた。何度か話そうとしたもの、話せば自分の本音まで伝えなければいけないから話せずにここまで来てしまった。エリナが死んで、そろそろ十年が経つ。もう時効だ。言えるわけがなかった。
「で、お前はどうするつもりなんや」
「止めに来た。お前のところにいれば、あいつも来るやろうしな」
「お気に入りか?」
 からかうような口調で言われて桐生は三隅を見る。ニヤニヤと下卑た笑いを見せる三隅に「そんな悪趣味なことはせぇへん」と答える。
「ただ俺は生きてほしいと思ってるだけや」
「エリナを死なせてしまったからか?」
「……それだけやない」
 三隅は驚いたように目を見張る。エリナの話をすれば桐生は気まずそうに俯くだけだったのに、反論したからだろう。車から降りて桐生は真っ直ぐにその大きい屋敷を見つめる。思えば忙しさにかまけてエリナがこの家にいるところを一度も目にしたことが無い。一人ぼっちで寂しかったのだろうか。
「折角、助けたんやから、長生きしてほしいやんか」
「お前があそこで殺しておけば、こうならなかったのかもしれないのにな」
「例えアイツがお前を狙ってるって分かってたとしても、俺は見捨てへんかったと思うわ」
「甘い奴やな」
 嘲笑う三隅が桐生の隣を通り過ぎていった。
 青島は近日中に来るだろう。桐生の前から姿を消した時点で彼の計画はスタートしてるのだ。三日も経ってしまったが、まだ何もアクションを起こしてないのは意外だった。こういうのはスピード勝負だと、桐生も分かっている。広々とした屋敷のエントランスの真ん中で天井を見上げる。今、何をすべきか。桐生は必死に考えた。誰も死なせないために。
 家の塀などはしっかり警備が掛かっている。後、侵入できる経路は使用人に成り替わる、日々ここに出入りしている業者だが、線が濃厚なのは出入りしてる業者だ。郵便配達は外のポストを使用するから問題ないが、配達のドライバーは周期的に変わっている。変わるとしたらそこだろう。あと使用人も近日中にやめたりしてないか確認したが、そこは三隅も用心してるようでこの数日、入れ替わりはなかったようだ。
 今となって分かったことだが、三隅は自分の命が狙われやすい立場だと意識はしてるみたいだ。いろんなところに出入りしてるので、殺されたりするなんて予想すらしてないのではと勘ぐったが、屋敷の警備はもちろん車だって防弾使用だ。
「お前ごときが来たぐらいで、何ら変わったりせぇへんと思うけどな」
「……うっさいわ。俺の顔が見たくないなら他の部屋を用意してくれ。そこからでぇへんから」
「それこそ無意味だ。彼は俺のところまで来る確認があるから、お前はわざわざここに来たんやろ」
 そうだ。いろんなことを予想してるが、青島は罠を掻い潜って三隅のところまで来る自信があった。リミットは一週間だ。一週間経っても青島がやってこなければ、諦めた可能性は高い。もしくはどこかで野垂れ死にしたか、弟に止められたか。青島が現れたら連絡をするように弟と取り決めをしたが、未だ向こうから連絡はない。嵌められた可能性も十分に考えられるもの、あそこまで必死だった彼が嘘を吐いてるようには見えない。三隅が甘い奴だと笑うのも分かる。人を信用するのは簡単だ。そうして自分が楽になりたいからだ。
「なあ、お前さ。何でエリナと結婚したん?」
 書類に目を通していた三隅の動きが止まる。思えばこれまで三隅がエリナを選んだ理由を聞いたことがなかった。ただ好きだったから、とかそんな甘酸っぱい感情だけでエリナを選んだとは思えなかった。
「どうして今になってエリナの名前を出す」
「最初に名前を出したんは、お前やろ」
 それはエリナの名前を出せば桐生が黙ると分かってるからだ。名前を出されて困るのは桐生だけでなく、三隅も同じだった。多少なりとも死因に思い当たる節があるのだろう。
「男やったら大半がエリナと結婚したいって思うやろ」
「まあ、確かに俺も結婚するならエリナが良かったしな。気持ちは分からんくはないけど……」
 果たして本当にそれだけなのか。もちろん、三隅がエリナを大事にしてたのはそれを近くて見てた桐生が一番知っている。二人はお似合いとまで思った。
「何で子供つくらんかったん」
「……は?」
 唐突な質問に三隅が顔を顰めた。いくら若かったからと言っても、二人がそういうことをしてないとは思えないし、何よりエリナは子供が好きだった。
「お前、エリナが死んだ理由を俺に擦り付けようとしてるんちゃうでな」
「ちゃうわ。これまで気になったことは全部聞いとこうと思うたんや」
「俺の死に様を見に来たんか?」
「……だからちゃうて」
 三隅は鼻で笑って仕事を再開させた。さっきの質問をあからさまにはぐらかされてしまった。仕事をされるとやることがなくなるので、桐生はソファーに深く座ってポケットから煙草を取り出す。エリナが死ぬまで煙草など吸ったこともなかったが、一日でも早く死にたいと思って煙草を吸い始めた。そんなことを思いながらも誰かを助けたいなんて矛盾してるようだ。
 この日は一日、三隅も家の中に居たので監視も楽ちんだったが、元々多忙の身だ。現れるまでずっと家の中に居ろと言うのも無茶な話だ。それにずっと桐生が見張ってるわけにもいかない。
 しかし日中は周りも人が多いので、人込みに行かない限りは狙われたりしないはずだ。どうせ社内か、誰かの家にいるか、この家にいるか。三隅の行動も大よそ限られてくるので、安心と言えば安心だ。近くには信頼できる人しか置かない。そう考えると、自分は信頼されてるのだろうか。許さないと言われた割には信頼されてるのはなんだか不思議な気分だった。
 桐生が三隅の家にやってきて二日後、気を抜いていた時だった。ソファーで転寝してる桐生は誰かに揺さぶられて起こされた。
「……なん、」
 やねん、と言おうとした口が開いて塞がらない。目の前にいるのは幻覚か夢なのか、まだ覚醒したばかりの脳みそでは判断が難しい。本物だと思えなかった。
「お久しぶりですね、って言っても、一週間ぐらいですか」
「……毎日来てたせいで、久しぶりに感じる自分が憎いわ」
「光栄です」
 胡散臭い笑顔を見せる青島は、一週間前と何ら変わってなかった。ただ普段ならジーパンとパーカーだったりとラフな格好だが、やはり変装して侵入したのか今日はスーツ姿だ。
「どうしてわざわざ俺を起こした」
「礼儀だと思いまして。……カイが桐生さんのところへ行ったんですね」
「あぁ、弟から話はほとんど聞いた」
「じゃあ手っ取り早い。僕の復讐を止めないでください」
「……ただ、見てろと」
「分かりやすく言えばそうですね」
 月の明かりがうっすらと青島の顔を照らす。にっこりと笑う表情はいつもと同じで感情が読めない。わざわざ起こした理由が、桐生にはいまいち分からなかった。寝てる隙にやってしまえば良かったのだ。
「とりあえず、お前の話をしてくれたら、ちょっとは考える。先に言っておくけど、俺はお前を止めに来たんや」
「……僕を?」
「そうや。アイツを殺す理由が納得できたら、止めないでみといたるわ」
 桐生は青島の顔をしっかりと見る。
「そんで、俺もついでに殺してくれ」
 青島は少し悲しそうな顔で笑った。
「僕なりに桐生さんには恩とか感謝とか感じてるんですけどね」
 ぼそりと小さい声で青島が何かを呟く。桐生には聞き取れなかった。
「これまでろくでもない人生歩んでましたけど、仕事だけは自信があったんです。桐生さんはカイからどこまで聞きました?」
 どうやら青島の中では弟が桐生にある程度の説明をしてるところまでは想定してたらしい。
「そういや、弟がめっちゃ必死にお前のこと探しとったわ。お兄ちゃんなら、もっと優しくしたりや」
 ついお節介なことまで口出ししてしまうと、青島は困ったように笑う。
「ブラコンなんですよ、アイツ」
「はぁ?」
「僕が死ねって言えば、喜んで死ぬようなマゾ野郎なんです。だからね、僕はわざと酷いことするんですよ」
 ニコリと笑った青島の表情は、これまで見たことのない満足げな笑顔だった。傍から見ればかなり歪んでいるが、他人が口出しをしなくてもこの兄弟はこれでいいのかもしれない。
「弟、お前に殺されるかもって言ってたけど」
「アイツはそれを望んでるんですよ。そんな面倒くさいこと、わざわざしません」
「ならてっとり早く言うと、三隅に嵌められてお前の仕事が失敗した挙句、好きな人まで死んだって」
 青島はそれを聞いて吹き出すように笑った。
「あぁ、そう言う誤解されてたんですね。まあ、途中まで合ってますが、最後は違います。確かに僕は失敗して職を失うことになりました。そのせいで一人死んでるんですが、それは僕の好きな人ではありません。なんというか、カイらしい誤解ですね。脳みそが恋愛で汚染されてる。良い人でした。都合のいい人と解釈していただいて結構ですよ。お人よしなのに裏世界で働いてたから、結局は利用されて死にました。僕のターゲットを庇ってね。まあ、もちろん、それを裏で操ってた三隅さんだけに罪があるとは言いません。けどね、始めたことは終わらせなきゃいけないんです」
「……て言うことは、お前」
「警備は解除しました。現役からはもう五年も経ってますから腕は錆びてますけど、一人ぐらい造作ありません。どうしますか? 桐生さん」
 ポケットの中から青島はバタフライナイフを取り出した。それだけでも十分に殺傷能力があるし、慣れた調子で操ってるのを見たら、造作ないと言うのも分かる。けれど桐生にも引けないところがあった。
「もう知り合いの死ぬところは見たないんや。三隅も、……お前も」
「……甘いですね」
 青島がそう言って笑った。

<<<<<<<<<<< Index >>>>>>>>>>>