便利屋 第二話

「便利屋です。お使いは、帰ってくるまでがお使いです。」





 けたたましい電車の音で、桐生は目を覚ました。ここ最近、乾燥しているせいか風が冷たく朝晩は冷えることが多かった。
 若干、腹部に違和感を覚え、桐生は天井を見上げた。
「……腹がいてぇ」
 パンツ一丁で寝たせいか、それとも布団をかけずに寝たせいか、桐生は腹の具合が悪くトイレへ駆け込んだ。原因は何だと痛みを緩和させながら考える。
 ズボンを履かずに寝たことも、布団をかけなかったことも原因だった。
 30分後、よれよれとしてトイレから出るとアイポッドをいじくっている青島が、桐生を見るなりに「どうしたんですか」と半笑いで訊ねてきた。
「腹、冷やしてん……」
 ソファーに寝転がるようにもたれ、桐生はタバコに火をつける。腹が痛くなってもタバコは吸えるようだ。それを見て、青島はクスクスと笑う。
「よかった。腹の中に精液溜めてて、下痢にでもなったのかと思いました」
「……死ね」
「やだなぁ、これでも僕、めちゃくちゃ心配してるんですけどー。桐生さんの処女」
 これ以上、下ネタを話せば桐生がキレてくるのは分かっていたが、そんなことを言う余裕も無いようでげっそりとした顔をして、ソファーに寝転がっていた。
 それを見て、青島もふざけるのをやめた。
「桐生さん、今日の仕事は?」
「……ない」
「良かったじゃないですか。今日は一日、休んでたらどうです?」
 腹を冷やしただけの腹痛なら、時間が経てば治るだろう。青島はさほど心配せずにそういうと、桐生は眉間にグッと皺を寄せて青島をにらみつけた。
「……今日は家賃の支払日や……」
「あぁー……」
 何故、桐生が不機嫌そうに言うのか青島はすぐに分かった。今日はこのビルのオーナー湯浅が家賃を受け取りに来るのだ。もし、桐生が「腹が痛い」だの弱みを見せれば湯浅はすぐに襲い掛かってくるだろう。
 湯浅は青島と違って、弱いところを見せたらすぐに漬け込んでくる。逆に、青島はいくら桐生が弱っていてもそれを利用して襲ってくることは一度も無かった。
 本人曰く「弱ってるところを襲っても面白みが無い」らしい。「なんだそりゃ」と言い返したくなるような言い訳だが、そのほうが桐生としても嬉しかった。
「僕、持って行きましょうか?」
「はぁ?」
「湯浅さんのところまで、家賃」
 犬がお手をするように、青島は桐生に手を差し伸べた。金を渡せと言う意味なのだが、犬猿の仲の二人を、二人きりで合わせていいのだろうかと桐生の頭の中で思考が巡る。
「大丈夫ですよ。ケンカはしてきません」
「けんかはの、は、が気になるところやな」
「間違っても湯浅さんを殴って、傷害で警察に掴まるようなことはしません。下手すれば、殺しちゃうかもしれませんけど。上手くいけば、仲良しになるかもしれませんよ」
 さらりと「殺す」と言った青島に、桐生は眉間に皺を寄せた。青島はにっこり笑ったまま、桐生に手を差し伸べている。
「ただ家賃を渡してくるぐらいで、なんで上手い下手があんねん。渡してくるだけでええよ」
「分かりました。ふつーに家賃を渡してきますね」
 青島のその返事を聞いて、桐生は事務所の引き出しに入れていた封筒を青島に手渡した。家賃、5万円。と言う激安価格なのは、このビルが築20年以上経っていることと、管理費などあってないようなもんだ。
 ビル5階建なのにもかかわらず、エレベーターは付いていない。階段も鉄で出来ていて錆がヒドイ。正直、建築の構造もしっかりしているのか不安なぐらいだ。
 こんなビルにテナントを出す方も出す方だが、借りる方も借りる方だ。
「湯浅がおるところは知ってるな」
「えぇ、梅田ですよね。うっかり殺しちゃわないように気を付けますね」
「なんでうっかりやねん……」
「大丈夫です。僕も大人になりましたから、自制心を持ち合わせてます」
「その自制心を俺にも持ち合わせてくれ……」
 毎回毎回過剰なアピールに反応する桐生もだんだん疲れてきていた。青島は立ち上がって、家賃が入った封筒をポケットに詰め込むと事務所を出た。
 今日は青島一人で、お使いをしに行く。依頼者は、桐生だ。
 かんかんと音がする階段を降りて、青島は新今宮駅へと向かった。昼時でも混雑しているJR新今宮駅。環状線で大阪駅へと行く。切符を買うと内回りのホームへ行き、丁度そこに急行がやってきたので混雑している車内に駆け足で乗り込んだ。
 ぎゅうぎゅう詰めになった車内は、サラリーマン、主婦、学生、フリーターなど色々な人が乗っている。周りはほとんど無言で、ガタンゴトンと電車が揺れるたびに人が青島を潰していく。
 青島は入り口側を向いて、押しつぶされないよう手を壁に付く。桐生から預かった金はジーパンの前ポケットに突っ込んでいたから、抜かれる心配はないだろう。
 その時、いきなり青島の尻に誰かの手が這った。
(……痴漢かぁ)
 別に触られる事も触ることも嫌いじゃないが、こうして車内の狭い中でやられるのは少し苛立ちが増す。それでも、もぞもぞと蠢く手を放置していると徐々にエスカレートしてきた。
 後ろ姿から青島が男だと分かっているはずだ。なので、今触っている人物がどんなやつなのか確認しようと少し俯くと革靴が見えた。
 触っているのが男だと分かると、青島は尻を撫でている手をぐっと掴んで自分の股間に手を持って来させた。
「……なっ!?」
 背後から小さく叫ばれ、青島は振り向いた。中年のおっさんがタジタジしながら、青島を見ている。
「どうぞ、触るならご自由に」
 青島がにっこり微笑んだと同時に、電車が弁天町の駅に到着した。乗員が中年のおっさんに視線を向ける。プシューと言う空気が抜ける音とともに扉が開き、中年のおっさんは逃げるように電車から降りた。
 痴漢を退治させたかったわけじゃないが、結果として退治させてしまった。全員が奇異の目で青島を見ていたが、青島はそんなこと気にせず電車に揺られていた。
 大阪駅に着くと、人がゾーッと流れ出る。青島もその流れに乗る様に降りて、中央改札を出てから湯浅のいるマンションへと向かった。
 一度だけ桐生に連れられて湯浅のマンションへ行ったことがある。頭の中に地図はしっかり入っていて、迷わずに湯浅のマンションへ行くことができた。
 綺麗な高層マンションの最上階。家賃がいくらするかも未知の世界である。入り口でインターホンを押す前に、湯浅がエレベーターから姿を現して青島はにっこりと湯浅に微笑んだ。
「青島君やん……。どないしたの? 桐生は」
「具合が悪いので、僕が家賃を持ってきました。お茶ぐらい出してください」
「……偉く態度のでかい客やなぁ」
 湯浅はそう言ってほんの少しだけ笑うと、入口の前で立ち往生している青島に自動ドアを開けてやってマンションの中へ招き入れた。
「桐生なら喜んで入れるんやけどなぁ」
「僕が入っても形だけは喜んでください」
「そーしとくわぁ」
 エレベーターに乗って二人は最上階へ上がっていく。今日の桐生は具合が悪そうで、事務所に戻っても暇だろう。そう思った青島は、少しで良いから湯浅の部屋で涼みたかった。
 それが彼の本心だ。
 最上階に着いてエレベーターが開く。降りて真正面のドアが湯浅の部屋だ。
 湯浅はポケットからキーケースを取り出すと、ガチャガチャと鍵を開けて青島を家の中に入れた。
「どーぞ」
「おじゃまします」
 青島はペコっと一礼してから家の敷居を跨ぐ。一人暮らしにしては広すぎる部屋は殺風景で、ソファーやテーブルがあるのを見ると「人が住んでるんだなぁ」と思うがこれらが無かったら、部屋を探しに来ただけに思える。
 悪く言えば、モデルハウスみたいなもんだ。
「水でええでな」
「水道水イヤですよ。大阪の水、マズイですから」
「淀川をバカにしぃなや」
 そう言いながらも、湯浅は冷蔵庫からミネラルウォーターをコップに注いで青島に出した。青島もポケットの中でぐしゃぐしゃになった封筒を、湯浅の前に差し出した。
「今月の家賃。だそうです」
「あんなビルに好き好んで住んでるヤツ、初めてやわ。5万でも高いぐらいやのに」
 湯浅は封筒の中身を確認すると、適当に棚の上に置いた。ビルのオーナーのくせに、管理がしっかりしていない。それほど、あの物件はどうでもいいのだ。
「じゃぁ、まけてやってください。おかげで僕の給料なんか、子供の小遣い程度なんですけど」
「そないに仕事してないやろ。ええやん、小遣い程度でも貰えて」
 湯浅は鼻で笑うとタバコに火を付けた。白煙が宙に舞い、青島は顔を顰めた。
「金持ち坊ちゃんには分からないかもしれませんけど、桐生さんはあれでも切り詰めてるんですよ」
「便利屋なんかやらんと真面目に仕事したら、それで済むやん。結局、あれは桐生の道楽やろ」
 道楽と言われ青島のこめかみがピクッとヒクついた。しかし、湯浅の言っていることは間違っていない。
 言い方は悪いが、合っている。
「で、青島君はわざわざこんなところに何をしに来たん?」
「だから、家賃渡しにですよ。遊び過ぎて脳みそ溶けちゃいました?」
「……家賃渡すだけに俺の部屋入るとは思えへんけどなぁ……」
 ニヤッと笑う湯浅に、青島も笑みを返した。沈黙が続き、湯浅が立ち上がる。
「ほい、頼まれてたもん。仲介料はいただきまっせ」
「はいはい。本当に大阪の人ってお金にがめついですね」
 テーブルの上に乱雑に置かれた茶封筒を受け取り、青島は中身を確認すると財布から金を引き出す。桐生には内密だが、湯浅にはとある仲介をしてもらっている。
「ガキの小遣い程度しか給料貰ってない奴が、良くもそんな金出せるな」
「副業で稼いでますので」
 湯浅は紙幣をペラペラと捲って枚数を確認する。湯浅は青島に頼まれて、他の人にそれを伝えるだけの仲介だが危険が伴うために金額はかさむ。
 危ない橋を渡っていることは青島も湯浅も知っている。だが、それが湯浅の仕事で、青島の依頼でもある。
「なぁ、副業ってなんなん? 本業は桐生のところやろ」
「本業は桐生さんのところですよ……。副業はお教えしましょうか?」
 にっこりと微笑む青島に、湯浅は試すように「是非」と言う。その答えを聞いて、青島は立ち上がった。
「あ、何となくわかったわ」
「どうします?」
 近づいてきた青島に湯浅は何も言わずに口元を歪めた。ベルトに手がかかったのを見て、湯浅は「ははっ」と笑った。
 ゆっくりとズボンを脱がして、青島は萎えたペニスを口に含んだ。
「やっぱり、お前、そう言うのお似合いやな」
「それ……、褒め言葉ですよね?」
「褒め言葉……、ちゃうやろ」
 嘲笑うように青島を見た湯浅に、青島は「褒め言葉ですって」と肯定させて徐々に反り立ってきたペニスを口に入れて、丹念に舐め始めた。
 最終的に行きつくところまでやってしまった後、青島は身なりを整えて茶封筒を手に持ちベッドで寝転がっている湯浅を見た。
「僕の身体は最高でしょ」
「ヤり慣れた感が出まくりで、あんまおもんなかったわ」
「やっぱり、僕と湯浅さんは相容れないですね」
「そんなのはなから分かってるやろ」
 湯浅がそう言って笑ったのを見て、青島も合わせるように笑う。身体を重ねたのは、単に二人の「興味本位」だ。
 桐生を掘ろうと狙い続ける湯浅。桐生に掘らせようと狙う青島。二人が相容れないのは、桐生を狙って時点で分かっていることだ。
「ま、僕が暇な日は、欲求の解消程度にお相手してあげても良いですよ。お金はいただきますけど」
「……遠慮しとくわ。そんなことしてると、いつの間にか俺が食われてそうやし」
「やだなぁ。僕は根っからのネコですよ。食ったりとかしませんって」
 冗談交じりに笑うと、湯浅はベッドの隣に置いたタバコに手を伸ばす。カチッとライターで火を付けて、青島を見る。
「なぁ、お前、何者なん?」
 珍しく真面目な顔をして聞いてきた湯浅に、青島はふっと笑う。
「桐生さんに聞いてみてください」
 青島はにっこり笑ってそう答えると、この場所にいる必要がないとすぐに湯浅の家を出て行った。
 マンションから出ると空はまだ明るく、太陽は真上を向いている。
「あっつ……」
 9月に入ったと言うのに暑さはまだまだ真夏並みで、湯浅から渡された茶封筒を強く握ると青島は桐生の事務所には戻らずそのまま自分の目的地へ向けて足を進めた。


 そして翌日……。
「お前なぁ、終わったら終わったで、俺に一言ぐらい言えや!!」
 事務所に行くなりに桐生が青島にそう怒鳴った。昨日、腹を冷やしたせいか、今日はTシャツと短パンを履いている。
「いやぁ、桐生さん具合悪そうだから。一人にしたほうが良いかなーって思って」
「お使いはなぁ、行くだけちゃうんやぞ! 帰って報告するまでがお使いや!!」
「もー、分かりましたよぉ」
 不貞腐れて答えた青島に、桐生は「駄賃は無しや!!」と怒鳴ってソファーにどかんと座った。





+++あとがき+++
地味に桐生も青島の心配をしているわけですね。
全然青島君には伝わってなさそうですが。笑
この話で、青島と湯浅の繋がりを作りたかったのと、青島君を活躍させたかったんです。笑
2009/10/12 2:47 移転に伴い追記。

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