便利屋第四話
「便利屋です。出来る仕事と出来ない仕事。それぞれの思惑。」
電話は鳴らない。
寒くなるにつれて、少しずつ仕事の量が減ってきていた。毎日、青島は桐生のところに顔を出しているが、二人で下らない会話をするだけで桐生が出かけることは少なかった。
生計もギリギリのはずだが、桐生はそれを微塵も出さずに「年、越してもうたなぁ」と呑気なことを言っていた。
「年越しは何してました? 桐生さん」
何気なく聞いた言葉だったが、桐生は眉間に皺を寄せ「正月を思い出させるな!」と青島に怒鳴った。いきなり怒鳴られ、青島は目を丸くする。
「……何か、イヤなことでもあったんですか?」
年末から正月にかけて、青島は桐生の所に顔を出さなかった。だからこそ、桐生は鬱陶しい存在が居なくて喜んでいるのかと思えばそうではなかった。とすると、思い当たる節が一つあり、青島も桐生と同じように眉間に皺を寄せた。
「あー、もしかして、湯浅さんが遊びに来たとか? お年玉あげるっていう名目で」
「ちゃう」
確信があった思い当たる節を即否定され、青島は首を傾げた。他に桐生が不機嫌になる理由なんて、想像も付かない。
「じゃぁ、なにが----……」
青島が追求しようとしたところで、デスクの上に乗っけた電話が鳴り響く。鳴った電話に飛びつくように、桐生が電話に出た。
このタイミングで電話が鳴り、青島は邪魔されたと唇を尖らせた。これ以上、追求は出来ない雰囲気だ。
「はい、もしもし」
青島は桐生の様子をソファーにもたれながら眺め、隙間風の多い事務所の中ではダウンジャケットを羽織っていた。桐生はトレーナーにスウェットと言う寝巻きスタイルで、寒さなど気にしていない。この事務所に住んでそろそろ5年になるから、寒さにも慣れているようだった。
「……はぁ!? な、んな……、確かにせやけど……。何で、そんなんせなあかんねん!! ……え、一人辺り5万。二人連れてきたら、10万……。マジかいな……」
桐生の声が荒くなり、青島は首を傾げながら桐生を見つめていた。依頼者からの電話のはずなのに、あんな言い方をする桐生は初めてだった。
「まぁ、とりあえず考えさせてくれ……。あぁん!? わかっとるわ!! はい、ほな」
ガチャンと荒々しく受話器を置いて、桐生は早速タバコに火をつけた。桐生が何か言い出してくるまで、問い詰めるつもりは無かったが中々桐生は青島に言い出そうとはしない。
二人で10万円もくれる仕事なら、かなり割りの良い仕事だ。そんな仕事を即答しないのは、何か裏がある。
桐生が嫌がる、何かが。
「何て言う電話だったんですか?」
「……あー……、お前の得意分野かもしれんなぁ」
その言い方にぴんと来た青島は「ゲイビデオにでも出てくれって言われました!?」と喜んで桐生に尋ねた。そんな仕事なら喜んで毎日にでも通ってしまうと、青島は嬉々とした目で桐生を見つめた。
桐生は大きく煙を吐き出し、青島を見る。喜んでいる顔にげんなりとしてから、またタバコを銜えて煙を吸う。
「ゲイビデオやない」
その一言に青島は落胆した。ゲイビデオでないなら、思いつくのはあと一つしかない。それが得意分野か? と尋ねられれば確実に得意分野ではなく、苦手分野でもないが一番嫌いとしている分野だった。
「……えー、じゃぁ、普通のAVですかぁ? イヤですよ、男優で出るの」
こういう下な仕事ならば、確実に自分に任せるだろうと思った青島はすぐに断りを入れる。別に女を抱くのがイヤなのではなく、自分が抱かれたほうが楽しいからイヤなのだ。
女優位に進めるようなAVなら、大好きな分野なので喜んで出ただろう。
「ちゃうわ。なんか、アレやって。汁男優……」
「……ぜえええったい、イヤです。もったいないじゃないですか!! 僕の精子は……」
「もうええ!! 断るからええよ!!」
青島が乗り気にならないことも分かっていた桐生は、すぐに断りの電話を入れようと立ち上がる。元々、自分ですら乗り気ではなかった仕事だ。何が虚しくて、女の顔面や背中を目掛けてオナニーしなければならないのか、仕事と言えどやりたいことではなかった。
「ゲイビデオなら喜んで出演するって伝えておいてくださいね」
「アホか。勝手に言っとけ」
そう貶して桐生は受話器を取りパパパと電話番号を打ち込むと、怒鳴るように電話を始めた。
「やっぱりやらん! ……あ、あぁ。だーから、そんなん適当に募集かけたら人がくるやろ。なんやったら、大阪城公園とか、淀川の河川敷とか、西成とかにいるビニールシートの住民に依頼かけりゃすぐにやってくれるやろうが!」
桐生はまくし立ててガチャンと一方的に通話を切った。言い切った後ははぁはぁと息切れするほど力説していたようで、青島までクスクスと笑ってしまう。相変わらずだが、この剣幕で言う言葉が面白くて笑いが止まらなくなる。
「何、笑ってねん」
「いや、さすがだなぁって思って。モンスタークレーマーの異名を持つだけはありますね」
青島は笑顔でそう言ったが、その顔に少しだけ苦いものが混じっていた。
数回、桐生と食事をしに行った事があるが、桐生の文句の付け方は凄まじかった。まず、サラダを頼んだのに小皿を持ってこなかったことに文句を言い、次は持ってきた料理が冷めているからと言って文句を言い始めた。
それは全て桐生の料理ではなく青島が頼んだもので「……もう良いですよ、桐生さん」とやめて欲しいあまり控えめに言ったが、「いわなあかんもんはいわなあかん!」と言い返され止めても無駄だった。食べている間、青島は居心地の悪さを感じ、元々味覚がおかしいのにもっとおかしくなり、何を食べているのか完全に味が分からなくなった。
このことに関しては湯浅もあまり良くなく思っているようで「あれは本当にすっごいでなぁ」と、批難を通り越して関心するほどだった。
「何がモンスターやねん。俺の母親なんてなぁ……」
「もっと凄いんでしょう? 何十回も聞いてますよ」
青島と湯浅がそういうたびに、自分の母親のほうがもっと凄かったと桐生は必ず言う。そのたびに、二人揃って「蛙の子供は、蛙」と言うことわざをしみじみ実感することになる。
「大阪ではなぁ……」
「言わなきゃ損なんでしょう? それも何十回か聞きました。別に僕としては、桐生さんのそんなところも好きですから」
「……んなことゆぅたって、遅いわ」
臍を曲げてしまった桐生は青島と目を合わさず、そっぽを向いてしまった。怒らすつもりではなかったが、話の成り行きで怒らせてしまいまた苦笑いをする。
「それにしても、汁男優の仕事なんか良く回ってきましたね。桐生さん、意外と顔広い」
「……まぁ、俺の知人って言うか、昔馴染み……、いや、アレは腐れ縁やな。腐れ縁って言う表現が一番合っている。その腐れ縁の知り合いがそう言うビデオ作ってる監督で、ソイツからの依頼やってん」
ごちゃごちゃと色々な言葉が出てきたが、要所だけを掴み青島は頷く。桐生の説明は分かりにくくは無いが、要らない言葉が出てきて時折迷うことがある。
「知り合いのそのまた知り合いなのに、仲良いんですね」
「顔見知りやからな……」
総合すると電話をかけてきた相手は、桐生の知り合いと言うことになる。その意味を理解し、青島はもう一度「顔が広いんですねぇ」と声を漏らした。知人からの依頼もあれば、生計は何とか立てれそうな気がした。
「出来るだけ、あいつの依頼は受けた無いねん。面倒ごとが多いから」
「……その腐れ縁ってどんな人なんですか?」
さりげなく聞いたフリをして、青島は桐生のことを探る。腐れ縁と言う表現をする相手は、今まで一度も聞いたことが無い。たまに嫌そうな顔をして電話をしている相手が、腐れ縁なのかとても気になり、青島は普通にしながらも心は躍っていた。
「せや……なぁ。傲慢で偉そうで高飛車で横柄で威圧的で傍若無人で……。とんでもない悪人やな。人を人として見てへんし」
「……すごい人ですね、ソレ」
純粋にそう思ったので、青島は漏らすように呟いた。桐生が言った言葉は全て偉そうと言う意味を含んだ言葉で、その人物がどれだけ偉そうなのかは想像がついた。
「言うほどすごい奴でもないで。何であんなヤツと関わってしまったんか、自分でも理解できないけどな」
「まぁ、人との出会いは偶然ですから。仕方ないじゃないですか」
「そう言われても慰めにならんけどな」
素気なく言われ、青島はクスクスと笑った。慰めようとそんなことを言ったつもりは更々なかったが、よほどヒドイ人物のようで桐生の顔は晴れない。桐生にそんな表情をさせる人物を、一目見てみたいと思った。
「面白そうですね」
「……はぁ?」
「その人ですよ。図太い桐生さんを落胆させるような人、この世の中にはそう存在しませんよ」
冗談を交えたように明るい声で言うと、桐生に「お前もその一人やけどな……」と低く小さい声で言われた。落胆なんてさせていない青島は「えー、僕はそんなじゃないですよー」と大げさに反応した。
これ以上は探れないと思った青島は会話を替えようと、他の話題を探す。その時、事務所の奥からピリリリと聞き慣れない携帯の着信音が鳴り響いた。
「あー、俺のやわ……」
桐生は面倒くさそうに立ち上がって事務所の奥へと消えて行く。その後ろ姿を見つめながら、青島は目を細める。桐生が携帯を持っているのは知っているが、記憶にある限り鳴ることは1ヵ月に1度あるか無いか程度だ。どちらかと言うと、事務所の電話は良く鳴るが、桐生の携帯が鳴ることは皆無に等しい。
そして、その電話を取った後は、必ずと言っていいほど桐生は出かけて行く。
ぼそぼそと小さい話し声が奥から聞えてくる。耳を澄ませれば会話の内容は聞き取れるが、青島はフェアではないと思ってアイポッドのイヤフォンを耳に付けた。
桐生は青島に隠し事をしている。
それは青島も一緒だった。
数分経つと桐生は眉間に何本もの皺を寄せて、青島の前に立ちはだかった。トレーナーにジーンズと出かける服装になっている桐生を見て、青島は「お出かけですか?」と桐生に尋ねた。
「あぁ、ちょっと出かけてくる。お前、どないするん?」
「暇なんで、このクソ寒い事務所にちょっと居座ったら帰りますよ」
「そか……。じゃぁ、戸締りだけはしっかりせぇよ」
「わっかりましたー!」
青島は満面の笑みで桐生の背中を見送り、ブンブンと片手を振る。パタンと閉まったところでアイポッドのイヤフォンを外し、事務所の中を見渡す。
詮索するの公平ではない。気になっていようが青島は事務所の中を漁ったりなどは絶対にしない。互いに秘密を持ち合わせていることを知りながら、一緒に居るというのはスリリングでとても楽しい。だから、青島は桐生の傍から離れないのだ。
カンカンカンと楽しそうに階段を上がってくる足音を聞いて、青島はニヤッと笑った。この独特の足音は一人しかいない。
バーンと豪快に扉が開いて、青島は入り口に視線を向けた。
「……なんや、青島君だけかいな」
あからさまにがっかりした湯浅を見て、青島は楽しそうに笑う。
「残念ですね、湯浅さん。桐生さんは先ほど、お出かけになりましたよ」
「へぇー……。仕事?」
「……いや。プライベートだと思いますよ」
何か知っているような笑みを浮かべる青島を見て、湯浅は詰め寄った。桐生のことなら何でも知りたいので、青島から聞きだすためなら手段は問わない。
「どこ行ったん?」
「さぁ。僕にはそこまで教えてくれませんよ」
座ったまま余裕の笑みを浮かべる青島の顎を持ち上げて、湯浅はもう一度「どこ行ったん?」と青島に尋ねた。細められた目は笑っているより、睨みつけていた。
「へ、えー。じゃぁ、無理やり聞いちゃおうかな」
「だから、本当に知りませんって。聞かされてないですもん。仕事じゃないことは確かですけど、それ以外は全く分かりません」
顎を持ち上げられて無理やり上を向かされている状態だが、青島自体に余裕の雰囲気が出ていた。表情こそは鬱陶しいと言わんばかりの退屈した顔だったが、目の奥にそびえる獣のような気配に湯浅は瞬時に離れた。
食われるのではないかと、思ってしまった。
「……どうしたんですか。無理やり聞くんじゃないんですか?」
「ほんまに知らんみたいやしな。めんどいことはしたないし」
「……へー、そうですか」
距離を置いた湯浅を見て、青島はバカにしたように笑う。湯浅が何を考えていて、どうして傍から離れたのか青島には分かっていた。
「そのよっゆうそうな顔、マジムカつくな」
「光栄です」
「本当は何でも知ってるんちゃうの? 実は」
試すように尋ねられて、青島は「何でも知ってたら怖くないですか?」と恍けるように答えた。時折見せるいつもと違う青島の雰囲気に気付いているのは、湯浅だけだ。
「……せやなぁ」
湯浅は遠くを見つめて、呟くように答えた。
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