便利屋 第五話

「便利屋です。忘れものと無くしもの。後編」


 青島は「大丈夫ですよ」と言って笑った。
 貧相な体つきで、出てくる言葉は下ネタばかり。顔は少年と青年の間で年齢は不詳だ。夏場はTシャツとジーパン、冬場はダウンとジーパン、常に軽装で好きな飲み物はミネラルウォーターと言う味気のないものだった。実際、味覚が少し可笑しいようで、何を食べても一緒の味しかしないと言う。かと言って、食べ物に興味が無いわけでもなく、グルメだ。そして、何より、ゲイである。
 そんな青島が時折見せる、冷酷な表情。桐生は何度か目にしたことがあった。その目を初めて見たときは、背筋が凍り、動けなくなった。それは今でも変わらない。人を人としてみていない目。はっきり言って、地べたに這い蹲る虫けらを見ているようである。謎に包まれた青島の正体を知りたいと思いつつ、自分のことを探られたくないがために、踏み出せない。ヘラヘラとしている割に、周りを良く見ていて、一度見たものは絶対に忘れない素晴らしい記憶力を持っていた。
 よく見せる表情が偽者なのも、桐生は気付いていた。
 冬が終わりに近づいた、と言っても、まだ春になっていないのでそこそこ厚着をしていないと寒い。事務所の中でも息を吐きだせば水蒸気に変わり、白い靄が宙に舞った。真っ暗な事務所で、口元にあるタバコの明かりだけが唯一の光源だった。
 桐生は人探しが嫌いだ。
 いや、生きている物を探すのが嫌いだった。
 しかし、嫌いだ、と言う理由だけで仕事を断るなんてもちろん出来ず、引き受けてしまった。何度後悔したことか。面倒と言うのもあるが、もう一つ、理由があった。
 眠れない。
 明日は身代金の受け渡しの日だ。自ら買って出た青島が引き渡しをするけれど、不安は拭いきれない。もちろん、青島のことではない。嫌な予感がするのだ。今日は眠れないだろう。じくじくと傷が化膿していくのを感じた。
 気付けば、空は明るくなり、事務所にも陽が差していた。
「おっはよーごっざいまぁーす」
 陽気に入ってきた人物に、桐生は目を見張った。声とテンションで誰が入ってきたのか分かったが、もし、声を変え、いつものテンションで無かったら依頼人が来たと思っただろう。そう言えば、変装をすると言って張り切っていた。
「凄く迷ったんですよ。アジア系の外人っぽくするか、もしくはあの人の秘書っぽくするか」
「それで秘書っぽくするのに、落ち着いたんか」
「えぇ。だって身元がしっかりしてそうでしょう?」
 青島はそう言って、クイッと銀縁の眼鏡を押し上げた。どうやら、かつらを被っているようで、いつも鬱陶しいぐらいの長い髪の毛は見えない。ビシッとスーツを着こなし、ワックスで固めた七三の髪の毛、目力の強い眉。どこをどう見ても、エリートサラリーマンだ。秘書にももちろん、見える。肌の色もいつもより良く見える。化粧でもしているのだろうか。輪郭もいつもと違う。変装術を持っていたなんて、知らなかった。それに身元がしっかりしてそう、と言うが、名前も何もかも自称なだけで、素性は明らかにされていない。本当に見かけだけだった。
「なぁ、お前。何者なん?」
 思わず、そう尋ねてしまう。
「ベッドの上でお答えしますよ」
 にっこりと笑いながら、青島はそう答えた。どうやら、目の前にいるのは本当に青島のようだ。桐生は「いなんわ」と言い、青島から目を逸らした。
「取引の時間は、今日の午後二時、でしたね」
「せやな。その前に、木村さんの所行って、話聞かなあかん。それが十時や」
「場所は?」
「本町や。歩いて行くで」
「……えー」
 青島はいかにも面倒くさい、と言った顔で桐生を見る。しかし、いつもと違う顔なので、どこか違和感があった。どんな時でも経費削減は怠らない。現時刻は九時十五分。もう出ないと間に合わなくなる。
「本町までって、結構、遠いですよ?」
「お前より、俺の方が大阪については詳しい。分かっとる」
「……じゃぁ」
「経費削減や」
 そう言われたら、反論できなかった。
 さきさきと歩く桐生の後ろを、青島はダラダラと歩いていた。久しぶりに履いた皮靴が、どうも歩きにくいらしく「タクシー捕まえましょうよぉー」と何度も弱音を吐いていた。
「経費として請求できるでしょ? バカバカしいですよ。歩くの」
「バカ言うな」
「新今宮から本町まで、歩こうとする人をバカ以外の言葉で表せれません」
 ぶつくさ言いながらも、青島は歩いていた。それを言いことに桐生は前を向き、歩き始める。さすがに冬が和らいできたので、歩いていたら暑くなってきた。袖を捲って振り向くも、青島は面倒くさそうな顔をして桐生のあとを追ってくる。見た目はピシッとしたサラリーマンであるが、歩き方がダラダラしているので、そうも見えなくなり始めた。何人か背広を羽織った奴らが青島を抜いていく。結局、到着するのに五十分も掛かってしまった。
「僕、セックス以外で体力使うの、嫌いなんですよ」
「知らんわ、んなもん」
「僕の信条、覚えててください」
 そんな信条、覚えていてもどうにもならない。桐生は木村から貰った名刺を見つめ、エレベーターのボタンを押す。八階のフロア丸々使った木村の会社には、人が誰もいなかった。無人の机には、パソコンが並んでいるだけだ。今日は休日ではない。普通の平日だ。
「お待ちしておりました」
 フロアの一番奥から姿を現した木村を見つめ、桐生は息を呑む。
 人を探す依頼は、嫌いだ。
「取引の場所はこの地図に書いてありますので。分からないことがありましたら、この携帯に電話をしてください」
 あまりにも簡潔な説明に、桐生は首を傾げる。少なくとも、人命の掛かっている依頼である以上、慎重に行いたいがどう考えても、不明な点が多すぎた。「それだけですか?」と不可解な面差しで尋ねると、木村は「えぇ」と事務的に答えた。まるで、部下に仕事の指示をしているだけのようだ。
「身代金の額はいくらなんですか?」
 青島がにこにこと笑いながら尋ねる。木村は一切、表情を変えずに「なぜ、教えなければあかんのです? 知らないほうがいいこともあるでしょうに」と言って、金額は教えてくれなかった。一瞬だけだが、そこで青島の表情がなくなったのを、桐生は目にした。ぞくりと、身の毛がよだつ冷たい目だ。
「探して欲しいのは、安西友幸です。名前を知っておいたほうが、よろしいでしょう」
「そうですね」
「では、よろしくお願いいたします」
 木村は深々と二人に礼をすると、オフィスから出て行ってしまった。
 時間になるまでビルに居てもいいと言われたので、二人は空いた椅子に座り時間が経過するのを待つ。青島は左手につけた腕時計を見つめ、「あと三時間もあるじゃないですか」とぼやく。木村の説明は、色々と端折りすぎていて怪しさが滲み出ている。とんでもない仕事を引き受けてしまったものの、金額はかなり弾むので断れなかった。青島が手に持ったアタッシュケースをデスクの上に置き「本当にこれ、お金入ってるんですかね」と独り言のように言う。
「どういうことや」
「……んー、僕の勘ですけど。本当はコレ、身代金じゃなくて、なんかとーっても危ないもので、それの仲介をさせられてる気がするんですよね。お札にしては、軽すぎるんですよ」
 そう言って、青島はアタッシュケースを持ち上げ、下に落とす。バタンと音が響く。
「おい、やめぇや」
「爆発はしませんよ。ちゃんと中から変な音がしないか、確かめてますから。……空っぽな気もするんですよねぇ。僕達、とんでもない仕事を、引き受けませんでしたか?」
 その通りだ、と桐生も思ったが、引き受けてしまった以上、文句も言えず「とりあえず、仕事をこなしたらええやん」とその場しのぎのことを言う。青島は桐生の顔を見つめ、「桐生さんがそう言うなら、別にいいんですけどねぇ」と言ってアタッシュケースをからからと振る。危ない仕事だと、青島も分かっているはずだ。それなのに顔色一つ変えないのは、やはり、どこか危険な香りがした。
「……コイツ、見つかると思うか?」
 桐生はポケットの中に入れた写真を青島に見せる。金髪の若い男の写真を見つめ、青島は「……まぁ、後をちゃんと追えれば見つかると思うんですけどね」と答える。見つけることに自信があるかないかと言われたら、無さそうな答えだった。
「本当に、その男が誘拐されているとしたら、ですけど」
 そう付け加えて、青島はにっこりと笑う。
「……お前はどないに思ってるん?」
 青島は鼻に指を当て、静かにするよう桐生に指示する。指示された通り、口を塞ぐと青島はにっこりと微笑んだ。それから一言も会話はせず、一時半に二人はビルから出た。取引する場所は、そこから約十分ほどの距離にあるビルに囲まれた公園だった。手前には有名なホールがあって、大通りから一本、中に入っているものの人通りはそこそこ多い。ビルから出るなり、桐生は「何で静かにせな、あかんかったんや」と話しかけた。青島が呆れたように、桐生を見る。
「盗聴ですよ。今もされてるかもしれませんけど」
「……はぁ?」
「僕達がちゃんと仕事をするか、見張ってるんでしょうね。なぁんか、キナ臭い。僕、味覚無い代わりに嗅覚凄く良いんですよ。危ない匂いがしますよ」
 嫌だ嫌だと言いながら、青島が首を振る。
「……何で分かったん?」
 相変わらず、怪訝な顔をしている桐生に、青島は「勘、ですかね」と適当な返事をした。そう答えるともっと怪訝な顔をしたが、青島は無視しすたすたと歩く。
「桐生さんは公園の手前にあるコンビニで見張っててください。仲間がいると思われたら、怪しまれますから」
「分かった」
「じゃ、僕の無事を祈っててくださいね」
 バチコンとウインクをしてから、青島が小走りで公園の敷地へと入っていく。閑散とした公園内に、人はいない。桐生は言われたとおり、公園の対面にあるコンビニに入り、公園の中が覗ける位置で本を読む。こうしていれば、仲間だと思われる可能性は低いと思われるが、ここまできているのを見られたら、こんなことは意味ない。もっと前もって打ち合わせをしておく必要があったな、と、今更そんなことを思った。青島は指示通り、ブランコの前にあるベンチに座る。桐生からは表情が見えなかった。
 いつも飄々としていて、何を考えているのか分からない。今日も何度か質問したが、全て上手くはぐらかされた気がした。ブルルルとポケットの中に入れた携帯が震え、桐生は雑誌を脇に挟み携帯を取り出した。
 画面には「三隅」と表示されている。以前、青島に腐れ縁と説明した人物だ。こんな大変な時に電話を掛けてくるなんて、無視してやろうかと思ったが、その後のことを考えたら面倒なので仕方なく出る。
「何や」
『電話に出るなり、何やとは、何や』
「あーもー、うっさいなぁ。今、仕事中や。後にせぇ」
 相変わらず尊大な態度に、桐生は電話を切ろうとする。しかし『仕事て、木村のか』と依頼者を当てられ、桐生は黙り込む。
『図星やな』
「何で分かったんや。さすがにきっしょいで」
 行動を監視されてると、一瞬、思ってしまった。そんな電話をしている間にも、約束の時間がやってきて、青島の前にフードを被った男が現れる。こんな真昼間にフードを被っていたら、怪しさ満載だ。頭が悪いとしか、思えなかった。耳に当てた受話器から『人を探す依頼やろ』と得意げな声が聞こえた。
「だから、きっしょいて。ほんまに」
 青島に注目しながら、桐生は答える。
『男の名前は安西友幸。久太郎町にある想等ビル四階の名無しの一角。中央大通りを歩いていれば見つかるやろ』
「……は?」
『そこにお前が探している人物がおる。生きてるかどうかは知らんけどな。……まぁ、生きてる可能性は低いやろうな』
 くすくすと受話器からは笑う声が聞こえ、桐生は青島から目を逸らしてしまった。脇に抱えていた本をラックに直し、携帯電話を握り締めた。
『検討を祈ろう。まぁ、あかんと思うけどな。……お前は人探しが苦手やから』
「ちょお、待て!」
 どうして三隅がそこまで知っているのか、問い詰めようと思ったが、電話は切られ、リダイヤルしても三隅は出なかった。桐生は舌打ちし、公園に目を向ける。青島もフードを被った男も、公園内には居なかった。目を離していた隙に、二人ともどこかへ行ってしまったようだ。桐生は急いでコンビニから出て、路地を覗く。三隅が言っていた言葉が、脳裏を過ぎった。中央大通りを歩いていれば、見つかるやろ。どこから情報を仕入れたのか知らないが、木村から依頼されたことも、人探しの依頼であることも、男の名前も知っていた。始めは気持ち悪いと思ったが、桐生に依頼するよう促したのは三隅かもしれないと、思い始める。顔の広い男であるから、木村だって知り合いだったと考えれば、知っていても可笑しくはない。それにしても、どうして居場所を桐生にリークしたのだろうか。嫌な予感しかしなかった。
 阪神高速の下にある中央大通り沿いを歩いていると、一本入った路地の中に、想等ビルを発見する。住所は久太郎町だ。綺麗なビルに挟まれた想等ビルは、桐生の事務所があるビルより汚い。薄暗い入り口から中に入り、階段を登っていく。四階のフロアは、よく分からない歯医者と、名前が掲げられていない事務所がある。ポケットの中からハンカチを取り出し、桐生はドアノブの上にハンカチをかける。いざと言うときのために、持ってきたものだ。慎重にドアノブを右に回すと、かちゃんとドアが開いた。中から、光が差し込む。
 まず、目に入ったのはスーツ姿の男だった。それから足元に倒れている金髪の男。ゆっくりとスーツ姿の男が振り返る。
「……やられました」
 青島だった。珍しく険しい顔をして、桐生を見つめている。「どうしますか、コレ」と言って、足元に横たわっている男を指差す。
「どういうことやねん……」
「僕が来たらもう死んでました。……そんでもって、取引に来た男も、コイツです」
 よく見ると男はフードのついた服を着ていた。手には覆面が握られていて、青島は自分の顎の辺りを掴むとベリベリと皮を剥ぐ。突然の行動に、桐生はぎょっとした。その皮の奥からは、普段見ている青島の顔が出てきた。どうやら、特殊マスクを使ってまで変装していたようだ。長い髪の毛が、肩に落ちる。バタバタと人の走る音が聞こえて、桐生と青島は入り口を見た。青い服を着た警官が、大勢、入ってきた。
「第一発見者は貴方達ですか」
 先頭に立っていた警察官が、桐生に向かって話しかける。どうしようかと迷っていると、青島が桐生の前に立ち「僕です」と言った。いつの間に、通報していたのだろうか。事情を聞きたいと言い、警察官は青島と桐生をフロアから出す。すぐに現場検証が行われた。
 二人が犯人だと疑われることは無かった。木村から誘拐された人を探して欲しいと、依頼されたことを状況などある程度省いて説明した。三隅が知っていた、なんて言えば、それこそ問題になりそうだからだ。言っていい事と悪いことはちゃんと弁えていた。青島の事情聴取も、思った以上に早く終わった。
「……なんか、とんでもないことに巻き込まれましたね」
 警察署から出るなり、青島が呟く。
「せやなぁ」
 ポケットからタバコを取り出し、桐生は火をつけた。暗くなり吹き付ける風は、冬かと思うぐらい冷たかった。警察署の敷地から出ると、二人の前に一台の車が停まる。見覚えのある高級車に、桐生は「……げ」と言葉を漏らした。
「お知り合いですか?」
 青島が話しかけたと同時に、後部座席の窓が開いた。桐生を見るなり、乗っている人物が鼻で笑う。
「乗れ」
「……はぁ? お前に送っていってもらうぐらいやったら、こっから新今宮まで歩いて帰るわ」
「ええ……」
 歩いて帰ると言った桐生を批判したのは、青島だった。硬い椅子に座って何時間か事情聴取されたのだ。体はもう疲れきっていた。誰だか知らないが、送って行ってくれるのなら、ぜひとも送って欲しいと思う。
「木村からの謝礼は俺が預かっている。……さぁ、どうする」
「青島も一緒でええやろ」
「もちろんだ。ついでに、食事もしよう」
 わぁいと、喜ぶ声が隣から聞こえ、桐生は呆れた顔で青島を見た。つくづく、現金な奴だ。
「そういや、お前に会わすんは初めてやったな。腐れ縁の三隅や」
「……へぇ、三隅さん、ですか。助手の青島です」
 青島は紹介された三隅に向かって、にっこりと微笑む。
「三隅や。よろしゅうな、青島クン」

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