便利屋第七話

「便利屋です。駆除できるものと攻撃してくるもの」


 蝉の鳴き声が騒音のように聞こえる八月の上旬。暑さは日に日に増し、今日で連続猛暑日五日目を迎えようとしている。どんよりとした暑さが、室内に充満している。窓を開けても、ムッとした空気が入ってくるだけで気持ちよくも何も無い。桐生はソファーに寝転がり、流れてくる汗を拭う。真夏はパンツ一丁が桐生の標準的な格好だ。あまりの暑さに、服など着たくも無かった。
 タバコを吸おうと体を起こしたところで、電話が鳴る。ジリリリリリンと耳障りな音が響き渡り、桐生は「よっこいせ」と言いながら立ち上がった。受話器を掴み「もしもし!?」と不機嫌気味に言う。
『おぉ、桐生んところの息子か』
 老人の声が聞こえた。その声に聞き覚えはあり、桐生は「うげ」と嫌気を声に出してしまう。受話器の向こうからは笑い声が聞こえ「いつもの、頼むな」と言って電話は一方的に切られてしまった。電話の主は山間部に住んでいる親戚からだった。桐生が便利屋を始めてからのお得意先でもあった。その依頼は、毎回、同じものだ。
「おっはよーございまーす!」
 バターンと大きく扉の開く音が聞こえ、桐生は振り向く。相変わらず、無駄に元気な青島が、耳にイヤホンを付け、片手にはコンビにの袋といつも通りの格好でやってくる。
「仕事や。準備せぇよ」
 がちゃんと音を立てて、受話器を電話に直す。青島は目を丸くして、桐生を見つめた。
「あれ。今日は早いですね。ま、僕はこのまま出れますけどね」
「河内長野のじーさんからの依頼や」
「えー!! 僕帰ります。嫌ですよ。蜂の巣の駆除!」
 あからさまに嫌だと言う青島を見て、桐生はため息を吐く。嫌だと言う気持ちは十分に分かるけれど、仕事は選べない。なんせ、「便利屋」と言う看板を名乗ってしまっているのだから。
「聞いてもうたんやから、諦めろ。行くで」
 河内長野市に住んでいる親戚からの依頼は、毎回、蜂の巣の駆除だ。そこそこ広い土地に住んでいるので、毎年、いろんなところに蜂の巣を作られ、桐生がそれを駆除している。しっかりと料金を払ってくれるから良いが、夏場に防護服を着ての作業はかなり酷だ。去年、それを体験した青島は「二度とやりませんからね!」と珍しく声を荒げていたが、今日もここへ来たのだから、無理にでも連れて行くつもりだ。桐生は服を着て、準備を済ませる。一人よりも二人の方が、効率が良い。それは誰もが分かっていることだ。
 事務所に戻ったところで、青島がいつもと違うことに気付く。男のくせに鬱陶しいと思っていた長い髪の毛が、無くなっている。
「お前、頭切ったん?」
「……いや、頭は切ってませんよ?」
「髪の毛や! 髪の毛! うっさいなぁ、もう」
 揚げ足を取るような言い方に腹を立て、桐生は青島から目を逸らす。何度か髪の毛を撫でてから、「願掛け、してたんですよ」と言うので、もう一度、青島に目を向ける。いつも通りの表情で、「願いが叶ったので。もう願掛けの必要は無いでしょう」と言い、笑った。何を願っていたのか尋ねようかと思ったが、ろくでも無さそうなことに違いないと勝手に判断し、桐生はそれ以上尋ねなかった。言われて見れば、上機嫌な気もする。あまり表情を変えたりしないので、どんな表情が上機嫌で、どんな表情が不機嫌なのか、よく分からないけれど。しかし、最近は妙に真剣な顔をすることが多かった。存在自体がふざけていると言うのに、どこか奇妙だ。
「ほな、行くで」
「えぇ。今日ほどここに顔を出さなければ良かった、と思う日は無いでしょうねぇ」
「グチグチ言いなや。俺やって蜂の巣の駆除なんかしたないわ。刺されたらいったいしやな」
「刺されたこと、あるんですか?」
「一人でやっとったころに一度だけな」
 桐生は事務所から出て、鍵を掛ける。普段だったら電車で行動するが、今日ばかりは持って行くものが多いので、軽トラだ。あまり動かしていないので、エンジンが掛かるかどうかすら不安だ。中古のやっすい車のため、クーラーなんてものはもちろんついていない。それでも、風が入ってくる分だけマシだろう。そう考えないと乗れない。
「……相変わらず、凄い軽トラですよね」
「しゃぁないやろ。コレしかないんやから」
「ま、無いものは選べませんからね。大人しく乗りますよ。車はまだ幾分か、楽なんで」
 ぶつくさ文句を言う青島を尻目に、桐生は鍵を回す。物凄い音を立て、エンジンが回転する。どうやら、まだ、エンジンは掛かるようだ。シートベルトを締め、車を発進させる。運転席と助手席の窓からは、ぬるく湿度の多い風が流れ込んできた。
「……あっついですねぇ」
「今日も猛暑日らしいで」
「そんな中、あの、クソ暑い防護服着て、蜂の巣の駆除ですか……」
「あぁ、そういやテレビでようやっとるやん。その手のプロは防護服着んと、タンクトップに半パンで蜂の巣の駆除。お前もやってみたらええんちゃうん? そないに言うなら」
「…………僕に死ねって言ってるんですか?」
「そうとってもらってもかまわへんで」
 さらっと流し、桐生は前を向く。基本的に二人で仕事をするとき、主に作業をするのは桐生だ。青島はそれを後ろから見ているか、本当にサポート的なことしかしない。今年の春、木村楓と言う女から受けた依頼では、珍しく自ら仕事をしていたが、あんなこと滅多にあることではない。今回もあまり乗り気でないことから、協力する気など更々ないことは簡単に分かる。
「あぁ、でも、どうせ僕はスプレー掛ける役ですよね」
「せやな。だってお前、巣の駆除はできひんやろ」
「ま、やろうと思ったら出来るかもしれませんけど、嫌なんでやりません。でもスプレーだけだったら、防護服着なくても大丈夫かもしれませんね。僕、こう見えても反射神経あるんですよ」
 得意げな顔をしている青島を見て、「せやったら、着いひんかったらええやん」と言って、桐生はアクセルを踏む。便利屋のある事務所から、親戚の家までは車で一時間半ほどかかる。しかも今日は平日の昼間なので、それ以上に掛かるだろう。現在、午前十一時だ。到着する頃は、最高気温に向けて温度が上昇する時間だ。今より暑くなるのは確かだった。
 道中、渋滞にはまってしまい、着いたのは二時間が経ってからだった。ムッとした暑さがまとわりつき、立っているだけでも汗が流れる。桐生は腕で汗を拭い、白い防護服を被った。予想以上に、中は暑い。脱水症状対策に二リットルの水を二本買ってきたが、今にも封を開けて飲み干したくなる。青島もぶつくさ言いながら、白い防護服に身を包んでいた。
「おー、桐生んところの息子。今日はよろしゅうなぁ」
 手を振りながら近づいてきた老人は、桐生の親戚だ。のほほんとした表情に苛立ちを覚え、桐生はむすっとした表情を老人に見せる。
「ほんま。夏場の作業は水代も請求したなるわ」
「今日はあっちの蔵の上や。大きいのができとるから、頑張ってなぁ」
 桐生の前に現れた老人は、母屋の東側にある蔵を指さすと、さっさと家の中に入って行ってしまった。ピッチリとしまった窓を見ると、中はクーラーで心地よく冷やされているのだろう。桐生は除去グッズを手に持ち、重たい足を引きずって蔵へと向かった。青島は自分が使うスプレーしか持っていない。何だか、理不尽さを感じた。
 蔵の前に到着すると、今日、除去する蜂の巣が目に入る。遠目からでも良く分かるぐらい、大きい巣だ。周りにはブンブンと蜂が飛んでいる。桐生はまず、駆除用のスプレーを手に持って巣に近づく。
「やり方、覚えてるな」
「えぇ、任せてください。桐生さんこそ、しっかり取ってくださいよ」
 振り向くと青島はスプレーを片手ににこっと笑っている。つくづく、楽そうな仕事だ。出来ることなら変わってほしいと思いながら、桐生は手に持ったスプレーを巣の入り口に近づける。危険を察知したのか、飛び交っていた数匹が襲いかかってくる。巣の中に向かってスプレーを拭きつけると、中で暴れまわっているのが音で良く分かる。
「網とのこぎり取って」
「はーい。なんかめっちゃ飛び交ってますよ。大丈夫ですかぁ?」
 しゅっしゅと背後からはスプレーを振りまいている音が聞える。手を伸ばすと、網とのこぎりが手のひらに当たったので、それを掴んでまずは網で巣全体を覆いかぶせる。それから、のこぎりで巣の駆除を始める。何回か駆除の依頼を受けているので、作業自体は慣れたものだった。三十分もすると、作業は全て完了してしまった。何重にも袋を重ね、桐生は蔵から離れたところで作業服を脱いだ。
「あ、桐生さん。危ない」
 危機感のない呑気な声で言われ、桐生は振り向く。背後で青島が拳を握っている。殴ろうとでもしたのだろうか。首を傾げると、青島はニコニコと笑いながら手のひらを広げる。そこには無残にも潰された蜂が乗っかっていた。危ない、と言ったのは、蜂が近づいていたからだろう。それは良く分かったけれど、蜂を手のひらで潰すなんて危ないことだ。蚊を潰すのとは違う。桐生は手のひらから、青島に目を向ける。手にはまだ、先ほど使っていた駆除スプレーがある。どうして、それを使わなかったのだろうか。
「言ったでしょ? 僕、反射神経良いんです」
 ニコニコと笑いながらそう言う。いつものように下らないと軽く流すことが出来なかった。どう考えても、スズメバチを手で潰すなんてあり得ない。青島は未だに笑いながら桐生を見ている。けれども、その目は笑っているように見えなかった。
 時たま、青島はこんな顔をする。
 それはまるで、相手の隙を付いて針を突きさしてくる蜂のようだった。

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