便利屋第八話
「便利屋です。届けなければいけない書類と、届かなかった想い」
この男は死神なのではないかと、思うことが多々ある。いや、実際のところ、この男に関わって死ぬ人は多く、関わってしまったが最後だろう。いつになれば、その最後が来るのか、考えてみるもやってくる気配は無かった。
電話一本で呼びだされ、普段だったらゾッとするようなことを強要させられ、こんなおっさん相手に勃起するんだから、この男も中々のアホやな、と嘲笑ってしまうが、自分自身も触られて勃起しているのだから同類だ。そこまで考え、こんな下劣な男と同類にはなりたくないと、自制心がいきなり襲ってくる。すると、酒で曖昧にした思考もはっきりし始めて、だんだんとこの行為自体がおぞましいもののように感じてくる。実際、この行為はおぞましくて醜悪だ。早く終われ、と頭の中で何度も何度も繰り返す。しかし、中々、終わらない。
「ッ……、ふ」
出来るだけ、声は出さない。枕に顔を埋め、腰を高く上げ、まるで犬のような格好だ。以前、青島が「ホモセックスと犬の交尾って似てますね」と呟いたのを思い出す。あれもまた、今日と同じようにじっとりとした暑さが連日続いた真夏だった。もう、一年が経ったのか、と霞んでいく思考の中で、懐かしむ。早く、終われ。何度、そう思っただろうか。言葉も何も無い、繋がっているだけのこの行為に何を意味しているのか、桐生は分からない。おそらく、今、無言で腰を振っている三隅も、分かっていないだろう。これはただの約束だ。
そして、贖罪である。
長かった行為がようやく終わり、桐生はぼんやりと時計を見つめる。午前二時を指している。帰りたい、と思ったけれど、動く気にもなれず、ボスンと枕に顔を埋めた。横目で三隅の様子を伺うと、忙しそうに携帯を取り出して、誰かと連絡を取っていた。事後にも、会話はない。ここで桐生が寝てしまおうとも、帰ってしまおうとも、三隅は何も言わない。そもそも、何のために呼び出されたのか、分からないことが多かった。抱きたいだけなら、風俗にでも行けば良い。金をたんまりと持っているのだから、それこそ、高級娼婦だって呼べるだろう。わざわざ、こんなたるんだおっさんの体を撫でまわして、何が楽しいのか。分からないけれど、聞く意味もないので黙っておく。うとうとと寝始めた時、「おい」とようやく、声を掛けられた。
「……なんや」
顔だけ三隅に向け、桐生は呟くように返事をする。半分、寝かかっていたせいか、声はとても小さかった。
「仕事や」
「………………お客さん、今は営業時間外ですが」
「明日、梅田のマルビルに行って、書類を受け取れ。それから、堺のリーガロイヤルへ行って、その受け取った書類を渡せ。時間は午後一時。四時にリーガロイヤルまで行けよ。報酬は書類を手渡したと同時に男から渡される」
「……無視か」
桐生の言うことを無視して話し始めた三隅を見つめ、「紙かなんかに書けや」と言うも「それぐらいも覚えられへんのか? 低能やな」と思いっきりバカにされたので、それ以上は口を挟まなかった。この男は面倒なことを嫌い、文句を付けるとすぐにこう言うことを言う。昔からそうだった。
「時間外料金、取ったろか」
「便利屋に、営業時間なんてものは無いやろ?」
「……お前、便利屋って言えばええっちゅうもんでもないんやで……。ほんま、お前の仕事は危なっかしいからイヤや」
「クリーンな仕事や。安心せぇ」
けっ、と悪態をつき、桐生は三隅に背を向ける。もう眠気はそこまで来ていた。布団に包まって、目を瞑ってしまうとすぐに眠りの世界へと入ってしまう。クリーンなことなど一つもしていないのに、何がクリーンな仕事だ。そんなことを思いながら寝てしまったせいか、昔の夢を見た。三隅とこんな関係になった原因だ。思い出すだけでも胸が苦しい。強制的に覚醒させられ、体が重い。まだ眠たく、体や脳は寝るように指示を送っているけれど、また眠って夢の続きを見たくなかったので、無理に体を起こした。部屋の中はガランとしている。引っ掻かれた背中が痛い。手を伸ばしてみるも、届かないところに付けられたので傷口に手は届かない。この真夏のクソ暑い時期に傷なんて付けられると、面倒で仕方ない。このひっかき傷が治るまでは、上半身裸で居られないだろう。付いているのを見つかると、青島が何て言うのか分からない。こんなことをしているなんて、バレた日には大変なことになるだろう。考えなくてもそんな気がしていたので、危ない橋は絶対に渡らない。おそらく、互いに隠したいことがあるので、表面上はいつも通りに装っていても、思っていることは沢山あるだろう。相手の腹を探って、自分の懐まで晒してしまったら意味は無い。ベッドの下に落ちた服を着て、そっと部屋から出た。
家から抜け出すように出ると、眩しい太陽が目を突く。蝉はもう鳴き始め、昨夜は熱帯夜だったせいか、朝っぱらから纏わりつく暑さだ。駅に向かい、電車に乗り込む。スーツ姿のおっさんたちが、ハンカチで汗を拭いている。まだラッシュの時間ではないが、乗車率はかなり高めだった。スーツを着る生活とは、程遠い生活を送ってしまっているため、通勤している姿や働いているのを見ると、ご苦労なことでと思ってしまう。
椅子に凭れかかり、朝日が差しこむ街を見つめる。優しく笑う女性の表情が、頭に浮かんで首を振った。引っ掻かれた背中が痛む。仕事までは随分と時間がある。家に帰って、少しぐらい寝ても大丈夫ではないだろうか。ソファーで寝れば、熟睡はしない。やはり、酷使させられただけあって、四時間程度の睡眠では体の疲れが抜けていなかった。電車は新今宮に到着し、これから難波へと向かう。改札を通り抜け、なれた道を歩いた。
体は思った以上に疲れていたようで、「おっはようございまーす!」と言う無駄に元気な声で、目を覚ました。一瞬、寝すぎたような気がして、桐生は飛び起きる。時刻は十時だ。それにホッとしたのもつかの間、青島が桐生の上に覆いかぶさる。
「どうしたんですか? セクシーですね」
「……何でやねん」
「寝起きって、そそられません?」
何でやねん、ともう一度、同じ言葉を呟く。青島はつまらないと言った顔で上から退くと、桐生の対面に座った。ティシャツにジーパンと、いつも通りの服装だ。イヤホンを外し、アイポッドにイヤホンを巻きつけるとテーブルの上に置いた。それから桐生を見る。
「今日、仕事は入ってるんですか?」
「……あぁ、一時に梅田のマルビルに行って、四時に堺のリーガロイヤルに行かなあかん」
「パシリみたいな仕事ですね」
「実際、そうやろ」
三隅からの依頼は、ほとんどパシリのようなものだ。そもそも、便利屋を始めたきっかけも、三隅にやたらと小間使いのようなことをさせられていたからだ。だったらいっそ、商売でも始めてしまおう。金がもらえるなら、それで十分だと思い、小間使いのバイトで金を溜め、便利屋を開いた。それからも、三隅からの仕事は尽きることなく、桐生に舞い込んでくる。今日のような簡単な仕事から、嫌な予感がする危ない仕事まで、幅広い。おそらく、足を付かせないために使っているのだろう。そんな気はしていた。
「お前、どうするん?」
「暇だから行きますよ。ここに居るより、移動してたほうが涼しそうですしねぇ」
そう言って青島は蒸し暑い事務所内を見渡す。言う通り、ここでジッとしているよりか、移動しているほうが涼しいだろう。しかし、今は暑さよりも眠気のほうが勝っている。桐生は一つ欠伸をして、体の力を抜く。
「好きにしたらええわ。また十二時半になったら起こして。眠たいわ」
「はーい」
青島の返事は半分、聞こえていなかった。
ゆさゆさと体を揺らされ、桐生は覚醒する。真上には見慣れた顔があり、「携帯、鳴ってますよ」と言って、机の上を指差す。にっこりと微笑んだ青島は、桐生が起きたのを確認すると離れ、対面に座る。時刻は言った時間よりまだ早い、十一時半だ。まだ眠れる、と頭の中で思うも、ブーブーとデスクの上で不協和音を鳴らしている携帯の存在を知ってしまったら、無視し切れなかった。重たい体を起こし、デスクの上に乗っている携帯を見る。三隅と表示されていた。まだ、約束の時間ではないはずだ。一時、と聞いたのはちゃんと覚えている。気だるげに携帯を取り、「もしもし」と耳に当てた。
『今日のことだが、青島クンも一緒に行くんか?』
突然、用件を話され、桐生の頭の中はうまく働かない。一度、言葉を反復させてから「せやで」と答える。
『書類は絶対に渡すな』
「……はぁ?」
思わず、声を荒げてしまった。三隅はもう一度『青島クンには渡すな、って言うたんや』と言い、桐生からの返事を待っている。いきなり、電話を掛けてきて、何を言い出すのかと思えば、青島の名前が出てきた。あの時、一度しか会っていないのに、どうしてだろうか。疑問が浮かぶ。
「何でやねん」
『キナ臭いからや』
もう少しはぐらかしたりするのかと思っていたが、思いの外、三隅は躊躇いも無く即答した。
「……お前も十分、キナ臭いやろ……」
思ったままそんなことを言ってしまうと、『ええから、分かったな』と言われ、電話は一方的に切られてしまった。通話終了と書かれた画面を見つめ、桐生は首を傾げる。ろくな理由も話さず、渡すな、と命令するのはいかがなものかと思うが、三隅はいつもそうだ。何か理由があるのだろう。そして、青島のことをキナ臭い、と言うのも、分かる。一緒に居る自分が言うのもなんだが、全てが自称でどれが本当かすら確かめようが無い。もしかしたら、名前すらもでたらめで、青島カイなんて人間は存在しないのかもしれない。疑えば疑うほど全てが怪しくなるが、今のところ危害は加えられていないので、気にはしていなかった。ここへ来るのだって、ただの気まぐれにしか過ぎないだろう。何を考えているのか、よく分からないけれど。
「三隅さん、ですか?」
後ろから声が聞こえ、桐生はポケットに携帯を詰め込みながら振り向く。
「せや」
「仲、良いんですね? 腐れ縁の割には」
ニコニコと笑いながら、青島が尋ねる。表情から感情が伺えないのはいつものことだ。かと言って、普段と違う表情をしているわけでもない。それなのに、なぜか、桐生を見つめる目は腹の内を探ろうとしているようで、自然と構えてしまう。
「気持ち悪いこと言いなや。仲なんか、全然ようない」
「でも、なんか楽しそうにお話してたじゃないですか。この前も」
「どこがやねん。やっぱり、お前の目、節穴なんちゃう?」
からかいながら言うと、「そんなことないですよー」といつものように茶化した声が聞こえる。先ほどのは、気のせいだと自分に言い聞かし、テーブルの上に乗せたタバコを手に取る。火をつけながら、対面に座った。
「三隅さんとは、いつからお知り合いなんですか? 腐れ縁って言うぐらいだと、結構、昔からになるんですかね」
何気ない質問に、桐生は「あー……」と答える。一瞬、はぐらかしてしまおうかと迷ったが、無意味に隠しても怪しまれるだけだ。昔話ぐらい、勘ぐる奴もいないはずだ。
「幼馴染や」
「え……、そ、そうなんですか? うっわぁ、なんか凄く意外!」
珍しく大声を出した青島に、桐生が驚いてしまった。
「なんでそないに驚くん? 別に幼馴染でもええやろ。そう言う経緯で、腐れ縁や」
「はぁー、なるほどぉ。いやー、なんか桐生さんって友達も居ないし、恋人とかも居ないんで、てっきり幼馴染とかも存在しないのかと思ってましたよ。びっくりしました」
「さりげなーく失礼なこと言うでな、お前」
「本当のことでしょ」
青島は悪びれてない様子で、にっこりと笑う。確かに今まで、友人だの云々の話は青島にしたことはない。それに、友人だと呼べる人も存在しないのが確かだ。三隅を友人だなんて、呼べない。
……昔は、そう思っていたが。
思い出したくも無い過去まで思い出しそうになり、桐生はすぐに思考を現実に戻す。頭痛がし始め、胸が軋む。穏やかに笑う表情が、視界を揺らがせた。
「あ、もうそろそろ、時間ですね」
「せやな……」
吸っていたタバコを灰皿に押し付け、桐生は立ち上がる。思い出せば思い出すほど、自分が辛くなる。そう分かっているから、出来るだけ思い出さないようにしているが、今日は夢を見てしまったせいだろうか。思い出したくないのに、思い出してしまう。
脳裏に過ぎるのは、優しく笑う愛した女性の姿だ。戒めのように、引っ掻かれた背中が痛む。
<<<<<<<<<<<
Index
>>>>>>>>>>>