便利屋第九話

「便利屋です。斯くなる上は嫌な奴でも頼むしかない 前編」


 暑い日が続いていたと思えば、急激に湿度が下がり体感温度は下がるものだから、体がついていかない。そんな状態に年を感じたのは、九月下旬に差し掛かった時だった。桐生は長袖のシャツを羽織り、タバコを吹かしていた。窓を閉めているせいで、煙は宙を漂い滞留している。さわやかな秋の朝だと言うのに、昨晩飲んだ酒が体内に残っているせいで、そのさわやかさすら鬱陶しく思っていた。
 カンカンカンとリズムの良い足音が近づいてくる。誰が階段を上っているのか、選択肢は二つあった。一つは今日が家賃の支払い日であること。もう一つは毎日、この事務所へやってくる青年がいるからだ。おそらく、この足音は青年だろう。案の定、鍵を掛けているにも関わらず、扉は勝手に解錠された。
「おっはようございまーす!」
 二日酔いの脳に響く大声だ。桐生は頭を押さえ、「……何で入ってくんねん」と対面に座る青島を睨みつける。
「何でって……、そりゃぁ桐生さんと会うためですよ」
 自分のした行いを正当化させる青島に、ため息しか出ない。吸殻が山になった灰皿に、タバコを押し付ける。ぐりぐりとねじるように火を消したため、指先が灰で汚れた。溢れた灰皿から吸いがらが落ちた。それを見て、青島が眉間に皺を寄せる。
「吸いすぎじゃぁありませんか?」
「そんなことはない」
「まぁ、別に良いんですけどね。ちょっと煙いんで窓開けますよ」
 青島は立ち上がって事務所の窓を開けた。窓を開けようとも、外の空気も排気ガスで汚れているので、入れ替えてもさして変わらないように思う。桐生は新しいタバコを箱から出し、銜えて火を付ける。煙を吸い込むたびに、二日酔いは悪化しているように感じた。
 深酒をしてしまったことは後悔しているが、昨晩はどうしても飲みたい気分だった。酒が弱いわけではないが、自分のキャパシティを超えてまで飲んでしまった。飲んでいる最中、猛烈な眠気に襲われ立ち上がることもままならず、糸が切れたようにその場で眠ってしまった。おかげで体の節々が痛い。
 ため息と共に煙を吐き出すと、また階段を上ってくる足音が聞えてきた。
 今度の選択肢は、一つしかない。
「煩いのが来ましたね」
「……せやな」
 二人が言い合いをすると考えただけで、ズキンと頭が痛くなった。
 バァーンと勢いよく扉が開き、外からは黒いハットを被った一見外人のような金髪が中に入ってくる。カールのかかった髪の毛は、本人曰く唯一のコンプレックスである天然パーマだ。モデルのような体型をしていて、すらりと伸びた足にはいくらするのか想像したくないほど高級な靴がある。
「久しぶりやな、桐生」
 微笑めばそこらの女が寄ってきそうな笑みを、湯浅は桐生に向けた。
「家賃ならそこの棚に置いてんで」
 残念なことに四捨五入をすれば四十のおじさんにそんな笑みを向けても、意味は無い。
「なぁんや、ノリ悪いなぁ。久しぶりやねんから、ちょっとぐらい愛想よぉしてくれてもええんちゃう? なぁ」
 そう言いながら、湯浅は青島の座っているソファーに座る。どんと体を押されて端に追いやられた青島は「何するんですか」と言い、湯浅の体を押し返す。そうなると、二人は途端に険悪なムードを醸し出す。となると、桐生の面倒事も嵩む。
「邪魔やねん」
「邪魔なのはそちらでしょう?」
「久しぶりやねんからちょっとは遠慮せぇや」
「嫌です」
 青島はにこにこと微笑んでいるが、その表情は若干怒っているように見える。桐生は対面で繰り広げられる論争には一切口出しせず、タバコを吹かす。朝っぱらから元気な奴らだ。二日酔いでは怒る気にもならない。普段なら、二人が言い合いを始めた時点で怒鳴る桐生が、今回は大人しくしているのに怪しさを感じたのか、二人の視線は一気に桐生へ向けられる。心なしかやつれた顔をしている桐生を見て、顔を見合せる。
「なんか元気ないですね。桐生さん」
「あれちゃう? この前、誕生日迎えたからちゃうか?」
「あ、そうなんですか。桐生さん、もう三十五。でしたっけ」
「……せやな。俺も三十路超えてもうたしな」
「ぷ。おじさん」
 青島は口元を押さえてニヤニヤと笑う。バカにした青島を睨みつけ、湯浅は「じゃぁ、青島君はいくつなんや」と尋ねた。
「さぁ、何歳に見えますか?」
「意外と桐生と同い年やったりして」
「違います。残念ですね。外したバツで早く出て行って下さい」
「なんやねん、それ! そんなん、お前の裁量やないか!」
 年を知らない以上、当たっていたとしても青島が嘘を吐けば、全部はずれになってしまう。大声を出した湯浅に、青島が迷惑そうな顔をする。
「うるさいですよ、湯浅さん。桐生さん、お年でお疲れなのに」
「それは毎日、青島君が桐生のところに来るからやろ?」
「あ、そう言えば、家賃は棚にあるって言ってましたよね」
 青島は突然立ち上がり、家賃が置いてあると言う棚に向かった。一番上に置いた封筒を手に取り、湯浅に差し出す。その中にはこの事務所の家賃が、入っている。それを受け取ってしまえば、湯浅がここに居る意味は無い。つまり、それを差し出すと言うことは。
「……帰れって言うてんか」
「まぁ、そう取って頂く方が賢明ですよね。湯浅さんは頭が良くて助かります」
「ほんま嫌味な奴やな。東京人ってみんなそないなん?」
「東京に居る人がみんな僕みたいだったら、それはそれで怖くないですか?」
「そんな極端に解釈しぃなや。んなこと言うてへんやろ」
「だってそう言う言い方をするから。湯浅さんが悪いんですよ」
 一方的に悪いと言われて頭に来たのか、湯浅の眉間に皺が寄る。つくづく、短気な奴だ。桐生は我関せずと言った顔で二人を見つめていたが、大声で言い合いを始めるのも時間の問題になってきた。さすがにこの二日酔いの状態で大声を聞くのは苦痛だ。
「ケンカするなら、二人とも出て行きや」
 静かに言うと、ぴたりと黙り込んだ。何だか動物園の飼育員になった気分だ。
「どないしたん、桐生。元気ないやん」
「二日酔いや。だからあまり話しかけてこんといて」
「二日酔いになると年を感じるでなぁ」
「あと肌の乾燥とか皺とかも年を取ったって実感しますよね。ね、湯浅さん。顔がぱっさぱさですね」
「……地味に気にしてること言いなや」
 得意げな顔をしている青島を睨みつけ、湯浅はソファーに凭れかかった。
「そういや桐生。三隅さんから聞いたんか?」
 三隅と言う名に青島の目が動く。桐生はタバコを灰皿に押し付け、「聞いたで」と他人事のような言い方をした。昨晩掛って来た電話は、決して忘れることは無いだろう。また嫌な依頼を受けてしまったものだ。そのおかげで、この二日酔いがある。
「あれ。湯浅さん、三隅さんのこと知ってるんですか?」
「知ってるも何も、なぁ、桐生」
 青島の問いを湯浅は桐生に振る。大きくあくびをした桐生は湯浅を見てから、青島に視線を移した。
「湯浅を紹介したんは、三隅や」
「そういうことや。三隅さんとは……」
「湯浅さんの話は聞いてませんので、チラシの裏にでも書いててください。で、その三隅さんの話って言うのは? また、依頼ですか?」
 やけに食いついてくる青島に、桐生は「……せやなぁ」と曖昧な返事をする。あれは依頼と言うより、ただの雑用だ。金銭も発生しない。金銭が発生しないなら仕事ではないし、それは依頼とも言えない。そう思ってから桐生は「ちゃうな」と先ほどの言葉を否定し、箱からタバコを出した。
「ただの人探しや」
「……人探し?」
「せや。三隅の知り合いの娘が、家出したんやと。けど、どうも奇妙でな。家出ではなくて誘拐ちゃうかって言い始めてるんやけど、別に脅迫されるわけでもない。だから警察に相談しても、家出じゃないんですかって言われててなぁ。困ってるんやと」
「あぁ、そこで僕たちの出番ですね!」
「……せやな」
 煙が宙を舞った。探しに行くとしても、行く宛ても良く分かっていないし、警察が家出だと言ったように桐生も家出ではないのかと思っている。金持ちのお嬢様らしいが、時にはお嬢様だって家出をしたくなるだろう。そう言う見解で居るが、三隅に頼まれた以上断ることは出来なかった。面倒だが、昼を過ぎれば行かなければいけない。
「どこへ行くんか、決めてるん?」
「高校に行って聞きこみしてこいって言われたわ。高校の場所はしっとるけど、俺みたいなんがあの辺うろついたら通報される」
「あぁ、せやな。帝塚山やろ?」
 大阪でも有名なお嬢様学校だ。そんなところへ行き、聞きこみなんてしてみればすぐに警備員がやってくるに違いない。想像するだけでもゾッとする。頼まれたことをしているだけなのに、警察へ連れてかれるなんて考えたくもなかった。それにここに通っている生徒の大半は高級車での送迎だ。どこで聞きこみをしろと言うのだ。最初から前途多難だった。
「そんなに凄い所なんですか?」
「せやな。高級車で送迎されるお嬢様ばっかりや」
「あー……、それなら桐生さんが行ったら通報されそうですね」
 散々なことを言われているが、言い返す気力も完全に二日酔いで奪われていた。
「それにしても、家出ぐらいで騒ぐ親がいるんですね」
「一ヶ月帰ってきてないらしいで。それなら、騒ぐのも無理ないやろ」
「あぁ、そう言えば、湯浅さんも実はお坊ちゃんなんでしたっけ。家出とかしました?」
「してへんな。遊びまくってたけど」
「なんか、湯浅さんの高校生活って、凄く安易に想像できますね」
 ニコニコと笑っている青島は、何度か黙り込んでいる桐生の様子を伺っていた。桐生と知り合ってもう五年になるが、こんな桐生は見たことがない。二日酔いになった日は何度か目にしたことがあるが、常に疲れた顔をして寝転がっていることが多い。今の姿は、二日酔いに苦しんでいると言うより、考え込んでいるようだ。全ては三隅に何かがあると、青島は気付いていた。それを気付かないふりで隠している。
 気にはなっているが、踏み込むにはまだ早すぎる。笑いながら湯浅を茶化して、話題を逸らさないよう気を付けていた。
「何時ぐらいに行くん?」
「せやな。三時過ぎぐらいには到着せなあかんな」
「やったら、車、出したろか?」
 どうしようか迷ったのか、桐生の視線が一度泳ぐ。それからわざわざ歩いて行くのも面倒になったのか「頼むわ」と諦めたように言う。それは最後まで行くことを躊躇っていたせいなのかもしれない。何本目か分からないタバコを口に銜え、火を付ける。三隅が人探しを依頼してくるときは、大体、何か裏がある時だ。それが分かっているから、一人罪悪感をしょい込むはめになる。
 だから、生き物を探すのは嫌いだ。見つかったとしても、生きている可能性は低い。

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