思い出話:青島編
桐生には妹しかいなかったので、弟と言う存在がどんなものなのか知らない。それでもこの青島カイと言う人物は、弟としても人間としても兄よりよく出来ていた。
「あけましておめでとうございます。これ作りすぎちゃったんでよかったら食べてください」
新年早々、ご丁寧に挨拶をしに来た挙句、立派なお重におせち料理を持ってきてくれた助手なんて、これまでいなかった。以前の助手は人間として最低ランクに分類されるので、彼と比較するのは間違っている。一緒に働き始めて二ヶ月。働き者の助手のおかげで三キロも太った。
「わざわざありがとうな」
「いえ、俺はこっちに知り合いがいるわけでもないし、暇なんですよ」
「まあ、俺も暇やし、ゆっくりしていきや」
テーブルの上にお重を置き、桐生は棚からコップをもう一つ取り出しさっきまで飲んでいた日本酒を注いだ。
皿と箸を二つずつ用意し、早速お重の蓋を開けた。一の重には黒豆や田作り数の子などが綺麗に詰められている。大学を卒業するぐらいまでは毎年おせちを食べていたが最近はめっきりだ。なんだか懐かしくなった。
「料理出来るんやな」
「あ、ご飯係りは俺だったんで」
「へ? ご飯係り?」
なんだかよく分からない係りに桐生は首を傾げた。カイはコップを掲げて「いただきます」と桐生に頭を下げてから、半分ほど飲み干した。
「両親は俺が三歳の時に死んだんですよ。で、俺は才能もないし、跡取りだったんで、危険なことは一切させてもらえませんでした。やることないから自動的に家事なんかをするようになったんです」
「跡取り? でも、お前、弟やろ」
「あ、うちは一番下が継ぐことになってるんですよ。だからリクやソラは学校とか行きませんでしたし」
聞きなれない名前に、桐生は「は?」と問い返す。青島が小学校すら行ってないのは本人から聞かされていたのでそれは驚かない。
「え?」
どうやらカイも聞き返されたのが予想外だったのか驚いた顔をした。
「ソラって誰や」
「あ、聞いてなかったですか? 俺とリクの兄です。長男ですね」
「三人兄弟やったなんて、初めて聞いたわ。そもそもお前が来るまで弟がいることすら教えてもらってなかったしな」
そもそもお互いに自分の話はしなかったので、知っていることのほうが少ない。新しい話に驚くのも無理はない。
「まあ、自分のことをべらべら喋る人は信用できませんからね」
「それにしてはお前はよう喋るような気がするけど」
「俺なりに桐生さんを信用してるからですよ」
そう答えると日本酒を飲みながら、カイはへらへらと笑った。その笑顔は青島と似ていて、兄弟だなと桐生は思った。
酒の肴におせちを摘まみながら、つくづくマメな男だと実感する。仕事をしていても桐生だったら流してしまうようなこともカイはきっちりとやるし、依頼者との交渉もかなりうまい。青島は常識のない行いをよくしていたが、カイはしっかり教育されたのかそれともただ周りの影響なのかは分からない。空になったコップを見て桐生は酒を注ぐ。酒に強いのは兄弟共通のようだ。
「桐生さんこんなところに居ていいんですか?」
「意味が分からへんねんけど。ここは俺の家やで」
「てっきり三隅さんのところにいるのかと思ってましたよ」
「…………居なかったらお前どうするつもりやったん」
「置いて帰りますよ」
平然とした顔でそう言うカイを見て桐生は項垂れる。いくら助手になったと言っても、桐生はカイに事務所の鍵を渡していない。さすがは青島の弟と言うべきか、彼は才能がないから家業を継いでいないと言いつつも、そこそこのスキルは持っている。ピッキングして入るつもりだったのだろう。時たまそれをやられる。
「一昨日ケンカしとるからな。顔合わせたくないんちゃう」
「いい年こいたおっさんがケンカとか……」
心底呆れた顔をされて、桐生はコップを握りしめる。
「お前が聞いてきたんやろが。ほんとのことを言うただけや」
そんな顔をされるぐらいだったら黙っておけば良かったと桐生は後悔する。バカ正直に話したりしたのも悪かった。
「年を取ればケンカなんてなくなると思ってましたけど、そうでもないんですね」
「お前らやって兄弟ケンカとかいつまでたってもするやろ」
「うちの場合、リクが一方的に怒るだけですから、ケンカなんかしたことないですよ」
平然と答えるが、それは自慢になるのだろうか。ケンカばかりと言うのも子供っぽいけれど、ケンカを全くしないなんて、常にどちらかが我慢しているということだ。それがどちらに当たるのか、桐生は考えなくても分かった。
「可哀想な奴らやな」
「どういうことですか」
「まぁ、そういうことや」
気づいていないならわざわざ教えてやる必要はない。桐生は自分のコップに酒を注ぐ。朝っぱらから飲んでいるせいもあって、仄かに酒が回ってきた。去年一年は波乱だったが正月は変わらずにやってくるし、過ごし方もそう変わらない。
「で、兄ちゃんはどないしたんや」
「え?」
「長男おるんやろ?」
カイはきょとんとした顔で桐生を見つめてから、ブリの照り焼きを皿に取る。
「もう結構前に死にましたよ」
「え、あ、そやったんか。なんかすまんな」
「気にしないでください。うちが普通とは違いすぎるだけですから」
感情の揺らぎすら感じさせない冷静な声。青島に対してはかなりの執着を見せているのに、長男にそんな態度なのは早くに亡くなってしまって思い出が少ないのだろうか。だとしたらこの兄弟はずっと二人で生きてきたのか。そう思うと何となく同情してしまう。そんな桐生の心情を察したのか、カイは箸を皿の上に置く。
「年も離れてましたから、あんまりどうこう思わないんですよね。嫌いでしたし」
「へ? 嫌いやったん?」
「えぇ。粗暴で自信家で何よりリクと俺を道具だと思ってましたからね。好きになれませんでした」
淡々と話されると余計にその恨みが出てるようで、桐生は新年早々とんでもない話を聞いてしまったと後悔する。
「だから長生きできないんですよ。失敗してあっけなく死にました。ま、殺されたって表現が妥当でしょうね」
やはり一般家庭とはかけ離れた生活を送っているのだと実感する。それを当たり前のように話すカイにも違和感はあるもの、それが彼らの普通だったのだから仕方ない。
「シビアな世界やな」
「そうですね。それが俺らの普通だったんですよ」
七つも年下なのに桐生より大人びた雰囲気を持っているのはこれまで生きてきた境遇が尋常ではなかったからだろう。彼よりも壮絶な人生を送ってきたはずなのに、青島は十代の子供のようだった。兄弟だと言うのと、同じ助手になったせいか、どうしても二人をいつも見比べてしまう。青島のことなんてほとんど知らないのに、彼の持つ雰囲気や仕草なんかは鮮明に残っているから不思議だ。
「そっちでは栗きんとんとか入れんねんなぁ。この卵は確か伊達巻やんな」
「こっちでは入れないんでしたっけ」
「うまいな、これ」
「ありがとうございます」
ニコリと笑ったカイを見て、桐生はもう一度一の重に視線を落とす。
「もしかして全部手作りか?」
「えぇ、暇だったんで」
確かにこの数日は仕事もなくて暇だった。しかしカイは昨日も顔を出したし、一昨日だって同じだ。いつなんどき仕事があるか分からないから、カイは時間さえあれば来てくれてる。
「ほんま料理得意やねんなあ」
「家事ぐらいしかできませんでしたから。俺みたいなのはあの家だと役立たずなんですよ」
「そないなことないやろ。こんな食事が待っとったら家に帰りたくなると思うけどなぁ」
煮物のしいたけを口に含む。関東は味が濃いと聞いていたのでしょっぱいと思っていたけれど、だしがよくきいておいしい。
「褒められたことないんですけどね。まずいって言われたこともないですけど」
少し悲しそうに笑うカイを見て、桐生は青島が前に味覚がないと言っていたのを思い出した。どうやら全く味を感じないわけではないようで、本人はかなりグルメだ。まずい物など一口ですぐにやめてしまう。弟にだけはかなり厳しい青島が美味いと褒める姿も想像できないが、まずいと言わなかったのは感情の裏返しなのではないかと思う。
「まずいって言えへんのは、まずいと思わなかったからやろ」
それにしっかりと味が分からない以上、おいしいとも言えなかったのだろう。下手に喜ばせて会いたくなる気持ちを煽るのも悪い。どこへ行ったか分からないので追いかけることもできない。二度目だから慣れたとカイは言うけれど、懐かしそうに青島の話をするので未練は残っているようだ。
唯一の家族なのだから無理はない。
「良くも悪くも素直ですからね」
「まあ、そこは良いことにしとてやろうや」
桐生がふざけながらそう言うと、カイは「そうですね」と言って笑った。いいところなんてほとんどなかったので、素直なところぐらいは褒めてやるべきだ。
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