君を好きになる20の方法

10項目 君を、好きになっても良いのだろうか


 岡のいる食卓は、我が家で、当たり前になっていたようだ。
「岡君って、あまり嫌いな食べ物無いわよね」
「えぇ。好き嫌いすると、怒られたんです」
「へぇー、どっかの誰かとはお、お、ち、が、い」
「岡さん! ビール注ぎますよ!」
「かず! それは父さんがやる!」
 茶碗を左手で持ちながら、俺は家族のやり取りを見つめる。むしろ、なんか俺がお客さんみたいな扱いに、涙が出そうになった。でも、岡が「食べるならみんなで食べた方が良い」と力説するから、今日は何を言われても逃げないと約束した。家族が俺と岡を比べたくなるのは、分かる。あまりにも、俺と岡は違いすぎるからだ。誰もが、俺と岡だったら、岡を選ぶだろう。それなのに、みんなが選ぶ岡は、俺を選ぶ。なんだか奇妙だった。目の前に置かれた春雨サラダを箸で掴み、口へ持って行く。俺は一言も、発しなかった。
「わざわざすみません。でも、自分でやりますよ」
「良いんだよ、岡君。やりたいんだから」
「そうですよ、岡さん」
 なぜか知らないけど、弟は岡のことをリスペクトしている。最初は、リスペクト(笑)とか思ってたけど、本当に尊敬しているようで、まるで信者だ。思い返してみれば、中学の時、岡は学年のほとんどが知っていた。運動が出来て、明るくて、みんなと仲が良くて、顔も良い。岡は沢山の人に告られただろうし、岡の周りにはいっぱいの人がいた。それを羨ましいと思った時期もあったけど、本性を知ってからは、そんな気持ち、どこかに消えてしまった。中学生のころって、イジメが頻発していたが、岡は誰かと一緒に一人をいじめるようなことはしなかった。むしろ、それを嫌っていた節だってあったのに、どうして俺をイジメてたんだろうか。その理由は、未だに、謎だ。俺の何が気にくわなかったのか、分からない。そして、俺を好きになった理由も。とにかく、今、分かっているのは、岡が俺を好きだってことだけだ。
 ご飯を口に入れる。腹が減っていたのか、それとも、元々よく食べるのか分からないけれど、岡はすでにおかわりを2回もしていて、3杯めのご飯も、半分ほど減っていた。
 小食だった俺は、茶碗一杯で腹がいっぱいになる。それに比べ、岡はご飯もおかずも沢山食べて、沢山飲んでいた。弟も、そこまで食べないから、作っている母さんは沢山食べてくれて嬉しそうだった。母さんが笑ってる顔を見つめ、俺は箸を置く。部屋に戻りたいけれど、岡がみんなと喋っている以上、俺がどこかに行くわけにもいかず、黙って俯いていた。時間が、長い。出されたお茶を飲み、どんどんと減っていくマーボー茄子を見つめる。半分以上は、岡が食べてしまった。気のせいかもしれないが、出される夕飯の量も、いつもより多かった。
 全部、岡のためだ。
 俺の知らない間で、岡の居る生活が当たり前になって、食事も全部、岡のためだ。父さんも母さんも、姉も弟も、岡がいるほうが良いみたいだ。複雑な気持ちだった。みんなが笑っているのは、岡のおかげ。じゃぁ、いきなり岡がいなくなってしまったら、家はまた暗くなるんだろうか。それは俺のせいだろう。だったら、俺なんて居ないほうが良いじゃないか。また、思考がマイナス寄りになって、気が沈んで行く。
「どうしたんだ?」
 4杯目のご飯をおかわりした岡が俺を見て、尋ねてきた。
「……何でもない。よく食べるね」
「あぁ、美味いから。里井のおばさんが作るご飯、すげー美味い」
 岡が笑う。
「やだわぁ」
 母さんも笑う。
 逃げ出したくなったけど、今日は逃げないって言う約束だったから、逃げたい衝動を堪えて俯いた。
 拷問のような食事の時間が終わり、俺はそそくさと部屋に戻る。岡も「そろそろ帰るかな」と言い始め、早く帰れと頭の中で念じた。もう、一人になりたい。思考がマイナス寄りになると、どうしても一人きりになって閉じこもりたくなる。まだ引きこもりは解決していなかった。外に出るようにはなったが、人が怖いのは変わらない。まぁ、岡のおかげで多少は改善されたけれど。帰ると言った岡だったが、ベッドの前に座り、テレビを付けて寛いでいた。帰る気は、あまり無さそうだった。
「明日、日勤なんだよな。明後日は休みだから、それまで頑張るかー。ちょっと体辛いけど」
「ゆっくり休めば良いのに」
「ここに来てるほうが休める」
 自分の家でもないのに、どうして休めるんだろうかと、疑問に思った。でもそんな疑問もすぐに頭の中から消えて行く。パソコンの電源を入れ、椅子に座る。チャンネルを回しているのか、テレビの声が途切れては変わっていく。暇な俺はカチカチとマウスを動かし、お気に入りのサイトを巡回していた。
「あ、そうだ。明日はちょっと俺、来れないわ」
 背中から声が聞こえ、「ふぅん」と頷く。岡だって、それなりに友達だっているんだろうし、用事だってあるだろう。毎日毎日、うちに来ていたこと自体、間違っていたんだ。
「明後日の昼ぐらい、来るからさ。ちょっと外に出ようぜ」
 その誘いに、俺は頷かない。頷いてしまったら、明後日は出なければならなくなる。まぁ、岡のことだから、行きたくないと言っても、俺を無理やり外に引きずり出すんだろうけど、気持ちが向かないのに、外に出るのは精神的にキツイ。黙っていると、「行くからな」とやっぱり強制された。
「じゃ、俺、帰るわ。またな」
 そう言って岡が立ちあがるから、俺も椅子を回転させて岡を見る。岡はニコニコと笑って手を振り、部屋から出て行ってしまった。静かに扉が閉められ、トントントンと階段を降りる音が聞える。「あら、もう帰るの?」と言う相変わらずのセリフを言う母さんの声が聞こえ、「えぇ、長居してすみません」と謝る岡の声も聞こえてくる。玄関が真下だから、よく声が聞こえてきた。
 それから二人の声量が落ち、何を喋っているのか分からなくなる。明日は岡が来ない。久しぶりに、静かな日を送れると、俺は安堵していた。

 夕方前に目が覚め、俺はいつも通り、パソコンの電源を入れネットをする。それもなんだか集中できず、パソコンから離れ、漫画本を手に取った。好きな本なのに、中々、ページが進まず、本を閉じる。起きてから、まだ30分しか経っていなかった。どうして、こんなにもやる気が起きないのか、よく分からない。ゲームを始めてみても、集中できずにすぐやめてしまった。どうしてもやる気が起きない。ベッドに寝転がって、天井を見上げた。昨日、岡に抱きしめられたのを思い出し、体温が上がり、頬が火照った。
 好きだと告白され、合コン後にキスされ、そして、夜中に出会って抱きしめられと、岡の行動は日に日に積極的になっていく。俺はいつもそれに戸惑い、恥ずかしくなって、俯くことしかできない。キスされたのは驚いたけれど、嫌ではなかった。抱きしめられたのも、嫌ではない。それってつまり、好きなんじゃないかって思ったけど、確実な気持ちってのは、まだ俺の中で生まれていなかった。
 岡と居ると、怖い時がある。昨日の夕飯でもそうだ。俺と岡が違いすぎて怖いってのもあるが、たまにイジメられていたときのことがフラッシュバックする。あのニコニコ笑った顔が、いつか変化するんじゃないか。そう思った時、一瞬にして血の気が引いていく。そして、布団にもぐりこんで泣きそうになるのを堪えていた。それほど、岡がしたことって大きい。昔は何も考えられないほど怖かったけど、今は違っていた。もう、大丈夫だと、自分に言い聞かすだけで、早くなった鼓動も落ち着きを取り戻し、泣きそうになるのもどこかへ行ってしまう。その変化は、時間の経過、そして、岡が変わったと言うことによるんだろう。俺のことを好きだと言う目は、まっすぐで、真剣だ。決して、ふざけて言うなんてことは無かった。
 信じても、良いのだろうか。
 岡は、信じるに値する人間なんだろうか。
 きっと、岡を信じたら、俺は岡を好きになってしまうだろう。人を好きになる気持ちに、相手の性別なんて関係ない。ぶっちゃけ、前までは気持ち悪いと思っていたのに、そんな気持ちはどこかへ消えて行ってしまった。岡が俺のことを好きだと言っても、気持ち悪いと思わない。俺が岡を好きになってしまったとしても、それはれっきとした感情なのだから、胸を張って言えることだった。
 岡を、好きになっても良いんだろうか。
 まだそれは、分からなかった。
 ベッドから起き上がり、服を着替える。今日はちょっと暑いから、ジーパンにTシャツとラフな格好で部屋から出て、階段を降りる。窓の外から漏れる日差しが心地良さそうだから、外に出てみたくなった。行く前に、母さんの所へ行く。
「あら、ともちゃん。お出かけ?」
「ちょっと散歩。……何か、買ってきてほしいものあったら、買ってくるけど?」
 引きこもりなりの、親孝行だった。欲しいもの全てを母さんに頼み、何でも俺の言うことをきいてきてくれたんだから、ちょっとぐらいは親孝行をしたくなった。俺が変われば、周りの考えも変わるかもしれない。俺がそう言った途端、母さんは笑顔になり「じゃぁ、駅前のお肉屋さんに行って、合挽き肉1キロ、買って来て頂戴。今日はハンバーグよ」と言った。
「うん。分かった」
 母さんから千円を貰い、ポケットに突っ込む。リビングから出て玄関に行き、岡から貰った靴を履く。貰った当時は真っ白だった靴も、ちょっと出かけたりするときに使っているから、真新しい色ではなくなっていた。きゅ、と紐を結び、外へ出る。ドアを開けるなりに、暖かい風が体の横を通り過ぎて行った。空気は乾燥しているけれど、気温は暖かい。
 西に傾いている太陽は、オレンジ色に空を染める。ランドセルを持った子供が、俺の隣を通り過ぎて行った。前のように、泥団子を投げられるんじゃないかと、ドギマギする。両手に大きいビニール袋を持った主婦が、せっせと歩き、俺を追い越して行く。自転車に乗った中学生が、颯爽と通っていく。夕方に外へ出るのは、久しぶりだった。いろんな人が生活しているんだと実感させられ、大通りに出ると働いている人が目に付いた。
 もうちょっと、もう少しだけ、外に慣れたら、働いてみるのも良いかもしれない。まさか、俺がそんな風に考えるとは思わず、自分自身驚いた。確かにいつまでも母さんや父さんに迷惑になるのも悪いし、姉だって働いている。弟だってもう就職が決まっているから、来年から働くらしい。いつまでも俺がお荷物で居てはダメだ。頑張って働いている岡を見ていたから、俺はそう思えたのかもしれない。確実に、岡と一緒に居て、俺も変わっていた。
 駅前の肉屋に到着し、俺は小さい声で「合挽1キロ」と店員さんに告げる。店員さんは一瞬、俺を見て固まり、それから「国産とアメリカ産がありますけど」とショーケースに入っている肉を揺らした。貰ったお金は千円。国産の合挽はグラム150円。アメリカ産の合挽はグラム98円。1キロ買えるのはアメリカ産だけだった。
「あ、アメリカ産で……」
「畏まりましたー。少々お待ちください」
 そう言って、店員のおばちゃんはビニール袋に肉を詰め込み、計りに乗せて肉の重さを計っている。ちょっと多めになってしまったが、千円以内だったので、それを了承し会計を済ます。子供のおつかいみたいだったけど、達成感を感じてしまった。ビニール袋を下げ、俺は家に戻ろうとして、足を止めた。
 岡は駅前の交番で働いていると言う。もしかしたら、働いている姿が見えるかもしれない。どんな警察官なのか見てやろうと思い、俺は駅前の交番に向かった。バレないよう、物陰に隠れ、交番の様子を伺う。なんだか、こんなことをしている俺が変質者みたいだったが、その時は、あまりそんなことを感じていなかった。交番の前に立っている警察官は、見覚えがある。
 岡だ。
 おばあちゃんに道を尋ねられ案内したり、二人乗りしている中学生を注意したり、見ている限りでは真面目なおまわりさんだった。いろんな人に向ける笑顔は、俺と一緒にいるときとちょっとだけ違っていて、違和感を覚える。首を傾げて岡を見つめていると、交番の中から人が出てきて、岡の肩を叩き、一言二言喋ってから、岡は中に入って行ってしまった。駅前広場にある時計を見ると、もう時間は5時だ。日勤と言っていたから、もう終わりの時間なんだろう。岡が中に入って10分後、私服姿で出てきた。
 今、声をかけたらどんな顔をするだろうか。
 俺は昨日、岡が言っていたことをすっかり忘れていた。
 物陰から出て、遠ざかっていく岡の背中を追う。結構、離れている岡を小走りで追っていると、岡に近づく人影が目に入る。
 茶色いふわふわとした髪の毛に、白を基調としたひらひらの服、そして茶色いブーツ。横顔しか見えないけれど、かなり可愛い女の子だった。「あーくん」とあだ名で呼ぶ声が聞こえ、岡がその子を見る。笑顔で、手を振り返していた。
 女の子の手が岡の腕に触れ、腕を組む。
 その二人の姿は、どこからどう見ても、カップルだった。

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