君を好きになる20の方法

11項目 君なんか大嫌い


 どうして良いのか、分からなかった。遠ざかっていく岡と、その女の子の背中を見つめ、俺は茫然とその場に立ちつくしていた。今、目の前で起こっていることは、どういうことなんだろうか。そこでようやく、今日、岡はうちに来れないことを思い出した。あの子と、遊ぶから、なんだろうか。踵を返し、俺は無心で家に帰った。
 母さんに買ってきたひき肉とお釣りを手渡し、部屋に戻る。ともちゃん? と話しかけられた気がしたけど、俺は振り向くことも無く、階段を上がっていく。上りきったところで、弟とぶつかりそうになって「んだよ」と怒られた。弟の顔を見上げ、俺はその場から退かない。
「どけよ」
 苛立ちを露わにしながら、弟が低い声でそう言う。
「ねぇ、かず」
「あぁ?」
 俺のことを嫌っているかずは、返事すらもロクにしない。急いでるから退けと言われると思っていたのに、かずは別に怒るわけも無く、腕を組んで仁王立ちしていた。
「女の子と、腕組んで歩いたことある?」
「……はぁ? 意味わかんねぇよ。テメーは無いかもしれないけど、俺はあるぜ」
 かずは自慢げにそう言う。それなりに彼女を作っているんだから、女の子のことなら、かずのほうが詳しいだろう。俺より少し背の高いかずを見上げ、俺は「それって彼女以外とする?」と尋ねてみた。
「あー……、まぁ、するかな。でも、そのうちそいつも彼女になるけどな。女も、嫌いな男に腕組んだりとかしねーし」
 少し考え込んでから、かずは独り言のように言って俺を見た。その目は、いきなりそんなことを聞いてきた俺に疑問を感じているようだった。
「……そう、だよね」
「それがどうかしたのかよ」
 逆に問われ、俺は「……別に」とかずから目を逸らした。やっぱり、やっぱり、あれは彼女なんだろうか。それとも、彼女になる前? どっちにしろ、相手に下心があるのは恋愛経験が無い俺にも分かった。途端に、胸が苦しくなる。
「かずは、腕組まれても嫌じゃないの?」
「ま、嫌だったら振りほどくわな」
「……ふぅん。だよね……。ありがとう」
 そう言って俺はかずの隣を通り過ぎる。去り際、かずは「何なんだ?」と漠然とした疑問を口にしていたけど、俺は何も言わずに部屋の扉を開けて、中に入る。
 岡は、俺を好きだと言ったのに、どうして女の子と一緒に居たんだろうか。岡に妹が居たなんて、聞いたこと無い。確か、岡は上にお兄ちゃんがいるだけだ。中学の頃、そんな話をしていたのを思い出す。じゃぁ、あの人は、お母さんか? それにしては、若すぎる。じゃぁ、彼女か、彼女になる前としか、思えなかった。
 疑問が確信に変わった時、怒りが生まれる。
 あんなに俺のことを好きだと言っていたくせに、今頃、女と仲良くしてるなんて、結局、岡は俺で遊んでいただけじゃないか。童貞だとウソを吐いて、男の俺にキスまでして、抱きしめたり、引きこもりだった俺をからかって楽しかっただろうか。楽しかったんだろう。結局、岡は根本から変わっていなかった。中学生のころと同じように、俺で遊んでいたんだ。あの頃と、なんら変わりは無い。
 だったら、もう、拒絶してしまおう。これ以上、からかわれるなんて、ごめんだった。
 岡は明日の昼に来ると言っていた。その時、きっぱりと言おう。
 もう二度と、会いたくない。と。

 結局、その日は一睡もできず、時間だけが経過した。ピンポーンとチャイムを鳴らす音が聞こえ、「はーい」と元気な母さんの声が響く。うちへ来る人なんて、岡ぐらいしかいないからだろう。楽しそうな母さんの声が、胸を刺激する。
「あら、岡君。いらっしゃい」
「おじゃまします」
 やっぱり、来たのは岡だったようだ。少し母さんと喋った後、階段を上がってくる音が聞こえてきた。そして、足音は俺の部屋の前で止まる。顔を見て話をしてやろうと思い、鍵はかけなかった。大した進歩だ。昔だったら、鍵を閉めて岡なんか部屋に入れなかっただろう。そこまでする勇気をくれたのは、岡だった。
 ガチャと扉が開く。
「あれ、起きてたんだ」
 いつも通りの声が、背中から聞えてきた。喉に溜まった唾を飲み込んで、椅子を回転させる。
 俺はまっすぐ、岡を見た。
「紅葉、見に行こうと思って、ちゃんと弁当作ってきたんだぜ」
「行かない」
 はっきり言うと、岡が少し笑い「何でだよ」と言う。状況が分かってないようで、困った顔にも見えた。大体、俺が断る時、岡の顔を見ないことが多い。まっすぐ、岡の目を見て断るのは初めてだった。俺はもう一度、「行かない」と言った。
 今度は、岡の動揺がしっかり見えた。目が泳ぎ、とりあえず、ベッドに座る。弁当が入っていると思われる紙袋を折り畳み式のテーブルの上に置いた。そして、大きくため息を吐く。
「理由は? ちゃんと理由聞かないと納得できない」
「岡と一緒に行くのが嫌だから」
「……え」
 戸惑っているのか、岡の目がキョロキョロと動いていた。昨日は物凄く怒っていたけれど、今は怒りを通り越して落ち着いていた。岡の顔を見たら、ムカつくかなって思っていたけど、そうでもない。むしろ、今、岡の方が以前の俺のように動揺して、挙動不審になっていた。足の間に置いた手が、せわしなく動く。
「どうしたんだよ、いきなり」
 動揺が声に出ていた。これも全て演技なんだろうか。岡の全てがウソに見えて、信じることなんて出来なかった。動揺も、戸惑いも、全て。演技にしか見えない。岡は弱々しく、俺を見上げている。息をのみ込み、拳を握りしめる。
「言葉通りだよ。嫌なんだ」
「え、ちょっと待て。……え、意味分からない。何でいきなり、嫌になるんだよ。なんか、俺、悪いことした? 確かに最近、ちょっと調子に乗ってたかなって思うけどさ……。里井に対して悪いことしたなんて思って無いんだけど」
「自分の胸に聞いてみれば良いだろ。もう、嫌だよ。俺、岡に振りまわされるの、もう嫌だ」
 困っている岡の目が、俺を捉える。はっきりと、嫌いだって言ってしまった方が良いんだろうか。すれば岡だって、正直な気持ちを白状するかもしれない。俺をからかって遊んで、何が楽しいんだろうか。引きこもりにさせただけで十分じゃないか。これ以上、俺の人生を岡にめちゃくちゃにされたくない。もうイヤだった。
 何もかも。
 岡も、俺も、全部。
「思いつかない。ちゃんと言えよ。俺に悪いところがあるなら、謝るから。振りまわしてるつもりなんか……、全然、無いんだけど」
「俺が好きなんて、ウソなんだろ」
「ウソじゃねぇよ」
「ウソだ」
「俺の気持ちを、勝手に決めつけるな」
 ガダンとベッドが揺れる。いきなり怒鳴った岡に驚き、ビクと体を震わせる。もしかしなくても、言ってはいけないことを言ってしまったようだ。岡の目は、先ほどと打って変わって据わっている。怒りは目に見えて分かった。怒らせてしまってから、後悔するのはバカバカしい。俺も開き直って、岡を睨みつけた。どちらが先に、気持ちを踏みにじったのか、もう分からなくなっていた。
「どうして、ウソだって決めつけれるんだよ。ふざけんなよ。俺の気持ちは、俺にしか分からないことだ。だから、言葉で伝えるんだろうが。俺の言ってることを信じられない理由は? この前、信じるって言ったじゃねぇか。そう言ってくれた時、俺がどれほど嬉しかったか、里井に分かるか? 分からねぇだろ。そのくせに、ウソだなんて言う。ふざけるなよ。俺からしたら、里井のほうがウソつきに見える」
「ウソつきは岡の方だろ」
「俺は、今まで里井にウソを吐いたことなんてない」
 ウソを吐いたこと無い。なんて、信じられなかった。ウソツキと言われ、胸が痛い。息が苦しい。泣きそうになるのを堪えながら、俺は必死に岡を見ていた。岡に、岡にウソツキだなんて言われたくない。岡だけには言われたくない。岡は、岡は。
 俺にウソを吐いていたんだから。
「じゃぁ、昨日、何してたんだよ」
「……はぁ? 何でいきなり昨日。用事があるって言っただろ」
「俺に、言えないようなこと、してたんだろ」
 女と一緒に居たなんて、言えるわけがないに決まっている。俺のことを好きだと言いながら、女と遊んでるなんて、やっていることがむちゃくちゃだ。それとも何か、特別な理由でもあるんだろうか。腕を組んで、歩いていたことに。そんな理由、一つしか思いつかなかった。かずだって、それを肯定している。岡は首を傾げて、「何言ってんるんだよ」と呟いた。
「遊びに行ってただけだよ」
 何も言わずに岡を見ていると、諦めたように岡が言う。
「……へぇ」
「それすらも疑ってるのかよ。……そんなに俺って、信用ないか?」
 俺は首を縦に振った。いつもと同じような仕草。それを見るなりに、岡は息を吐いて項垂れる。数分間、そのまま、微動だにせず、カーペットが敷いてある床を見つめていた。俺はそんな岡を見つめ続ける。
「里井さ。この前、イメージ変わった? って聞いた時、ちょっとだけって答えてくれたよな。あれも全部、ウソなのか? 里井にとって、俺ってまだ、イジメっこのときと変わらないのか? 中学の頃、お前のことをいじめていたのは本当に悪いと思ってる。謝っても許されないようなことをした。だから、里井に出来ることは何でもして、ちょっとでも良いから里井のためになるようなことを俺はしてきたつもりだ。……俺の気持ち、里井には通じてなかったのかな」
 俺に対する問いが、独り言に変わっていく。岡は顔も上げずに俯いたままだ。あの時は、イジメっこだった岡なんてほとんど忘れてしまっていたから、ちょっとだけと答えた。けれど、今は違う。今の岡は、昔と同じように見える。希望を抱いたら、壊される。岡は俺の気持ちをいつもめちゃくちゃにする。
 今も昔も。
 全く、変わっていなかった。
「信じてもらえてないってことは、そうなんだろうな。俺が今までしてきたことって、里井のためになってなかったんだな。俺、すげぇ浮かれてたわ。ちょっと悪化したときもあったけど、日に日に、里井が外に出たりして、表情も明るくなって、いろんなことが出来るようになったのは、ちょっと俺のおかげかなとか、自惚れてた。里井のおばさんもさ、俺が来てから里井が元気になって、よくリビングに降りてきたりするって報告も聞いてたからさ。里井のためにいろんなことが出来てよかったなって、ずっと思ってた。俺がどれほど里井のことを考えて、里井のために出来ることをしてきたのか。全部、自己満足だったんだな」
 長い沈黙の後、岡は顔を上げて俺を見る。
「もういいわ」
 諦めたような声だった。それから立ち上がり、椅子に座った俺を見下ろす。
「お前はウソツキだ」
 俺を侮蔑しているような、冷たい目で見下ろされる。悲しいや、戸惑いよりも先に、岡に対する怒りがいきなり沸いた。
「人の気持ちを踏みにじりやがって。最低なのはお前の方だ」
「ふざけるな!」
 椅子から立ち上がり、俺は岡を見上げる。踏みにじられたのはどちらなのか、岡が一人傷ついた顔をしているのが気にくわなかった。俺がどれほどショックだったのか、岡には通じていない。俺がどんな気持ちで昨日、家まで帰ってきたのか、岡には分からないはずだ。
 岡の気持ちが俺に分からないように、俺の気持ちだって岡には分からない。
「岡だけには、ウソツキだなんて言われたくない……!」
「本当のことだろ。里井は俺のことを信じるって言いながら、信じてなかったんだ。それがウソツキ以外の何がある。もういいわ。当分、顔も見たくない」
 それだけ言うと岡は俺に背を向けて、扉に向かった。
「岡なんか大嫌いだ」
 今の気持ちをはっきりと述べる。岡は顔だけ振り向き、「もう、嫌いでも何でも良いよ」と言って扉を開け、出て行ってしまった。その時の表情が、あまりにも悲しそうだったのが、印象的だった。怒ったり、困ったりしているわけではない。大嫌いと言われて、本当に悲しそうだった。俺の言ったことは、間違っていたんだろうか。あんな表情を見てしまったら、怒りも吹っ飛んでしまった。岡の悲しそうな顔が、頭から離れない。
 何で、俺が悪くなっているんだ。理解が出来ない。岡が悪かったはずなのに。どうして、岡があんなに悲しそうな顔をする。
 分からない。
 脱力したように椅子に座る。視界に、岡が置いて行った紙袋が入った。あの袋の中には、確か弁当が入っているはずだ。俺は立ち上がり、袋の中を覗きこんだ。
 そこには確かに、大きい弁当箱が一つ入っていた。

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