君を好きになる20の方法

15項目 俺の言うこと、利けよ


 岡彰文をしっかり認識したのは、中学2年の秋だった。
 その当時、俺には好きな子が居た。学年でも一番かわいい女の子だ。根暗な奴らと一緒に居る俺が、そんな子を好きになったとしても、気持ちなんて告げれるわけも無く、日に日に、思いを募らせていくだけだった。見ているだけでもいい。そんな風に思えたのは、つりあっていないと分かっていたからだろう。自分がどれほどの容姿なのか、自覚はしていた。運動神経だって別に良いわけではない。そして、性格だって明るいわけではない。とりわけ、目立った人物ではなかった。
 そんな俺とは対極に、岡はとても目立つ人物だった。
 顔は良い。頭はあまりよくない。運動神経抜群で、友達も多い。クラスの中心に、いつも岡が居て、その周りには沢山の人が居た。岡のところには人が沢山いるから、岡を見つけるのは簡単だったと思う。その頃、岡と仲良かったわけではないから、探すことも無かったけれど。とにかく、岡は本当に有名だった。
 学年の中でも、岡の名前を知らない奴は居ない。1組から6組まで「岡って知ってる?」と聞けば、「あぁ」と言われるだろう。悪い奴らとも普通に話したりする岡は、その一部に思われがちだったけれど、悪い奴らとは一線を引いていた部分があるから、中に入り込んでいるわけではなかった。そして、悪い奴らからも、一目、置かれていたと思う。岡が歩いていれば、いろんな人が話しかけるし、女子も、岡に話しかけられて嫌がってる人なんて、誰一人としていなかった。
 岡とは小学校から同じだった。でも、クラスが一緒になったわけでもなく、家もすごく近いってわけではなかったから、関わりはとても少なかった。岡が有名になり始めたのは、小学校5年ぐらいだったと思う。その頃から、女子が騒ぎ始め、クラスの男子も明るい奴と暗い奴で二分化され始めたからだ。もちろん、岡は明るいグループ。「岡」と言う人物は知っていたが、フルネーム全てを知ったのは、中学に入ってからだった。俺とは違う人種。そう決め付けて、俺は岡と関わろうとしなかった。だって、それが一番だったから。
 陰湿なイジメ自体は、小学校の頃からあったと思う。目立たず暗い奴らが、遊びのように明るい奴らからからかわれたり、殴られたりしているのを、目にしたことがある。けれど、それを止めることはできない。だって、止めてしまえば次のターゲットは自分になるからだ。誰もがみな、いやそうな顔をしてそれを見つめ、そして、相手に悟られないようそっと目を逸らす。笑いながらイジメている奴も居れば、無視して相手にしない奴もいる。イジメの方法は多種あった。
 出来るだけ関わらない。そうしていても、イジメられる可能性なんて沢山あったんだ。俺はこの時、岡にあんなことされるなんて、思っても居なかった。
 夏休みが明け、部活をしていたやつは真っ黒になり、していない奴も海に行ったりしたのか、黒く焼けている人が多かった。みんながみんな、互いの肌の色を見て「焼けたなー」と言っている。家でゲームをしていた俺は、全くと言っていいほど、焼けていなかった。このとき、俺の席は窓際で、岡の席と近く、周りには人が沢山いて窮屈だった。せっかくの窓際が、人でうるさい。席を立って友人のいるところに、移動していることが多かった。
「里井君。夏コミ、行かなかったんだって?」
 話しかけてきた友人に頷く。夏コミ行こうと誘われていたけど、俺は人ごみが苦手だから断った。大収穫だったと興奮気味に話されたけど、どういう状況なのかネットやテレビでしか見たことない。俺には現実味が無かった。でも、あんな物凄い人ごみに好んで行くなんて、すごいと思う。
「人多いところ、苦手でさ。体調悪くなっちゃうから、みんなに迷惑かけるし」
「そうなんだ。じゃぁ、今日さ、うちにおいでよ。戦利品、見せてあげる」
「うん」
 こう言うやり取りが、中学生の頃はすごく楽しかった。何事も気にせず、自由気ままに自分がやりたいことをやる。イジメの標的にもされていないし、誰かを傷つけるようなことをしたこともないから、俺は大丈夫だと思い込んでいた。
「なぁ、里井」
 席に戻ると、俺の斜め前に座っていた岡が、俺の席に居る。珍しく、岡の周りには人が居なかった。けれど、何の接点も無い岡がいきなり俺に話しかけてくるなんて、ちょっとだけ怖くて、俺はビビっていた。不良とも仲が良いわけだし。みんながみんな、悪くないと思っていても、動物で例えたら岡は肉食獣。俺は草食動物だ。どう見ても不釣合いだし、傍から見たら、イジメられていると思われても、仕方ない。
「………………何?」
 よく考えると、初めての会話だった。
「数学の宿題、やった?」
「…………え?」
 どうして宿題のことを俺に尋ねてきたのか分からず、俺は首を傾げた。日に焼けた岡は、ちょっと笑って「え、って何だよ」と言う。岡は良い奴だと、みんなが言っていたように、悪い奴では無い気がした。笑顔が爽やかで、顔が良いからモテるのも分かる。今年のバレンタインは、岡に渡す奴が続出したんだっけ。どれも受け取らなかったらしいけど。
「宿題やったかって聞いてんの」
「……うん。やったよ」
「悪いんだけど、見せてくんない?」
 困ったような顔をする岡に、俺はいいよ、と答えた。それからだ。なぜか、岡が頻繁に話しかけてくる。どうして気に入られたのかは分からない。宿題を見せてやったからだろうか。良いように使われているだけだと、自分に言い聞かせた。期待をして裏切られたら、俺はきっと傷つく。宿題を真面目にやってそうな俺が、たまたま岡の近くに居て、偶然に話しかけただけだ。岡にとったら、誰でも良かったんだろう。俺じゃなくても良かったはずだ。大体の用件は、「宿題見せて」か、「ノート貸して」「漫画貸して」「ゲーム貸して」だった。断って関係を悪くするのも、気が引けたので、俺は出来る範囲、頼まれたことは了承してやった。クラスの中心人物と揉めるのは、誰だって嫌がる。でも、岡が誰かを苛めているシーンなんて、目にしたことが無かった。岡の周りに居る奴らは、やっていたらしいけれど。
「里井君。最近、岡と仲がいいよね」
 帰り道、一緒に帰っている沢田がいきなりそう言う。いきなりどうしたのだろうかと思って沢田を見ると、沢田は言いづらそうに俯いてしまっていた。もしかして、岡と喋って悪口を言っているのかと思われたのだろうか。俺は「そんなことないよ」と言って、否定する。現に、仲が良い、と言うわけではなかった。
「だって、ゲームとか漫画の貸し借り、してるでしょ?」
「いや……、貸してるだけだよ。断ったら、なんか怖いし」
「……そう、だよね。ちょっと里井君と岡って合わないから」
 沢田にそんなことを言われなくても、自分でよく分かっていた。岡が俺に話しかけているのは気まぐれだってことも、最初から十分に承知していた。それなのに、言葉に出されるとちょっとだけムッとしてしまう。それが顔に出ていたのか、沢田が「……里井君?」と言って、俺の顔を覗き込んできた。
「……えっ、あ……。なな、何?」
「岡と喋るの、嫌なら嫌って言った方がいいよ」
「……でも」
 他人がそう言うのは、とても簡単なことだ。言い返す言葉が思いつかず、俺は俯いた。喋るのが嫌なのかと尋ねられたら、そうではない。岡はちゃんと漫画もゲームも返してくれるし、どれが楽しかっただの、あれが難しかっただの、感想を俺に伝えてくれる。本当にやってるんだなって思うし、楽しんでくれてるなら、俺も悪い気がしない。岡だって楽しんでくれてるようだった。かと言って、沢田が心配してくれてるのも分かる。いきなり嫌なんて言われたら、岡がちょっと可哀想だ。どう答えていいのか分からず、俺は俯くことしか出来なかった。
「とりあえずさ。休み時間は僕らのところにおいでよ。ね?」
「……うん」
「席替えもそろそろあるんだし」
 心配してくれてる気持ちが、すごく重たいと思った。
 10月に入り、席替えがあった。窓際の後ろの席、すごく気に入っていたけれど、真ん中の真ん中と微妙な席になってしまい、岡とも離れた。これで一安心だと思っていたが、相変わらず、岡は俺に話しかけてくることが多かった。周りの目が、少し痛い。岡と喋っていたら、みんながみんな、俺を見る。そして、「……なんで岡、あっちにいるの」と女子が言っているのを、耳にしてしまったこともある。その言葉は、辛かった。全部が岡のせいじゃないけれど、岡が話しかけてくるから、こうなったんだって俺は日に日に思うようになる。一番、ショックだったのは、俺が好きな堀内さんに「……岡と里井って、似合わない」と言っていたことだった。俺だって、岡と似合わないのは分かっている。岡と一緒に居るだけで俺が悪いように言われる。俺は何も悪くない。岡が、岡が、岡が俺に構ってくるから、全部俺が悪くなってしまう。
 もう嫌だった。辛かった。何もしていないのに、喋っているだけで悪く言われるのはコリゴリだ。趣味の合う友達と、話しているだけで十分だったのに、それを全部岡がぶち壊した。岡が何を考えているかなんて、俺は分からない。考えたくも無い。岡さえ、岡さえ俺に話しかけてこなかったら、こんなことにならなかった。岡が悪くないのは、頭の片隅で分かっていた。
 しかし、この気持ちを誰かにぶつけないと、俺は気が済まなかった。
 自然と、その矛先が岡に向いてしまう。
 素っ気無くするのは、簡単だった。話しかけてくる岡を視界に入れず、そっと離れていく。元々、席だって遠かったわけだし、沢田たちと喋っていれば、岡はそこまで踏み込んでこない。休み時間、チャイムがなると同時に俺は沢田たちのところへ行って、ジャンプやマガジンの感想を語り合う。それを1週間続けたら、岡は俺に近寄らなくなった。
 人と疎遠になるのは簡単だ。これで、俺はもう、誰かに何かを言われる必要なんてない。不釣合いだと分かっている。合わないと言うのも分かっている。分かっているんだから、わざわざ口出ししてほしくなかった。言葉にされることほど、虚しいものは無い。岡だって聞こえていたはずだ。だから、俺が遠ざかる理由だって、岡も分かっていただろう。そんな身勝手な考えを、俺は岡に押し付けていた。
 最初の頃と同じように、普通の生活が始まる。岡は岡で、友達とバカみたいに笑い、大声で喋る。時たま、岡めあての女の子が教室にやってきて、ひゅーひゅーとからかわれ、教室の外へ出て行く。周りは何が起こってるのか大体分かっていて、戻ってきた岡に「どうだったんだよ」と聞いている。これが当たり前の風景。俺の傍に居る岡なんて、あり得ない光景だったんだろう。いつも通りに、日常は動き始めた。
 明るくて、顔も良い岡は、よくモテた。それは前々から分かっていることで、俺の好きな堀内さんも、岡のことが好きだった。大半の人は、岡のことが好きだっただろう。背もそんなに低くないし、運動神経も良いし、そして何より、笑った顔が良いと評判だった。男の俺にはそんなのさっぱり分からないけれど、女の子は笑顔の良い男に騙されがちだ。
 俺は俺の仲間と、岡は岡の仲間と、仲良くしているつもりだった。
 2学期も終盤に差し掛かり、そろそろ、期末テストが近づいてくる頃、俺は日直にあたってしまい、その日は一緒に帰っている友達のほとんどは先に帰り、俺が一人、教室に居残っていた。寒くなり始めたから、早く帰ってゲームがしたい。そんなことばかり考えていて、その頃になると、岡のことも頭から抜け落ちていた。教室には、夕日が差していて少し薄暗い。早く終わらせてしまおうと思い、俺はシャーペンを走らせる。ガラと教室の扉が開いた。
 担任の先生がやってきたのかと思って、俺は顔を上げる。
「……何やってんの」
 入ってきたのは岡だった。
「日誌……、書いてる」
「へえ」
 教室の中には岡しか入ってこなかった。夕方のせいかもしれないけど、岡の表情がいつもより違う気がする。寒気を覚えた。近づいてくる足音がして、俺は「……ど、どうしたの?」と岡に話しかける。岡は俺の対面に座って「里井ってさぁ」と、いつもより低い声で呟いた。
「堀内のこと、好きなんだろ」
 シャーペンを落としてしまった。どうして、岡がそのことを知っているんだろう。俺のこの淡い気持ちは、誰にも告げたことが無い。何も言い返せず、俺は岡を見つめる。岡は、俺を見たまま、笑っていた。
「へぇ、やっぱりそうだったんだ。なーんか、やたらと堀内のこと、見てると思ったんだよなぁ」
 何もしていないのに、手が震えていた。俺は愕然とした表情で岡を見つめ、言葉を発することが出来ない。どうして、どうして分かったんだ。そんなに、堀内さんのことを見つめていたんだろうか。無意識だった。誰かに気付かれるなんて、思いもしていなかった。
 岡は笑っている。
「堀内が聞いたら、何て言うかな?」
 相変わらず、笑ったまま、岡は言う。そんなの、考えなくても分かる。
 気持ち悪いだ。
「バラされたくなかったら、俺の言うこと、利けよ」
 この日から、岡のイジメが始まった。
 理由は、分からない。

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