君を好きになる20の方法
16項目 俺の前に現れるな
どうして、こんなことになったのか、俺は分からずにいた。岡は笑っているのに、目が笑っていない。否定をしなかったと言うことは、肯定してしまったと同じことで、岡に弱みを握られてしまった。どうしようもない現実に、俺は途方に暮れていた。
「分かったのかよ」
返事も何もしない俺に、岡はキツイ口調で言う。俺はゆっくり、首を縦に振った。
岡がこんなことを言い始めた理由も、それから悪夢が始まることも、俺はまだ分かっていなかった。
岡はそのまま立ちあがって、何も言わずに帰ってしまった。俺は落としたシャーペンを拾い、震える手で日誌を書く。漠然とした不安に駆られていた。言うことを利かなければ、堀内さんに気持ちをバラされる。堀内さんが好きなのは岡だ。岡だってそれは分かっているんだろう。告白されただのされてないだの、そんな噂が飛び交っているのは、俺も耳にしたことがあった。そんなことをして、何になるんだろう。イジメと言うものはそう言うことが多い。バラされたって、互いに利益は無いと言うのに、無意味なことをして笑う。バカにされる俺を見て、岡は喜ぶんだろうか。
そんなことをする奴には見えない。見えなかったのに。カバンを持って立ちあがろうとしても、中々、立てなかった。
翌日から、岡の言った意味を身を持って体験する。
宿題写すのは当たり前。ゲームを渡すのも当たり前。殴られたりしている奴らと比べたら、まだまだ楽なイジメだったと思う。周りから無視をされるわけでもない。それでも、弱みを握られているのが、精神的にきつかった。いつ何時、バラされるか分からない。そんなハラハラとした毎日を送っているせいか、期末テストは散々だったし、冬休みに入ったと同時に安堵したものだ。年が変われば、岡だって気持ちが変わっているかもしれない。そんなことを考えていたが、状況は全く変わっていなかった。
「約束、忘れてないよな」
岡は冬休み明け、顔を合わすなりに俺にそう言った。俺は震える手を握りしめ、頷く。頷くことしかできなかった。忘れたなんて言えば、思い知らされるだけだ。頷いたのを見て、岡は笑った。
ただのパシリだけだったら、俺は何も言わなかっただろう。宿題を写すのだって、別に嫌じゃなかった。でも、何より許せなかったのは、俺の弁当を食べたり、牛乳に浸された雑巾を投げ付けられたりするのは、辛かった。どうして、そんなことをするのか分からない。いつ、俺が岡の機嫌を損ねたと言うのだろうか。怖くて、そんなこと、聞けなかった。
岡は絶対に、誰かのいるところでそんなことはしない。クラスメートの前では明るい岡だった。だから、俺の前で豹変するのだけはどうしても理解できず、むしろ、誰かの前ではイジメなんて出来ない小心者なんだと思って、自分の気を紛らわせていた。
学年でも有名な人気の男は、気が小さい。そんな風に思うことで自分を勇気づけているだけだった。
俺の周りに居た沢田たちは、俺の異変に気付いていた。気付いていたけれど、確信が無かったから、口出しできなかったんだろう。弁当を食べられ、茫然としている俺に「どうしたの?」と話しかけてくれたけど、イジメられてるなんて言えず「何でもないよ」と笑顔で答える。それしかできなかった。
岡のイジメはエスカレートすることなく、2月に入る。女子が浮足立っている。もうそろそろ、俺とは無縁のバレンタインデーだ。男子もそわそわしていた。どうせ、姉ちゃんからと母さんからしか貰えない俺は、気にすることなくいつも通りの生活を送る。岡は沢山もらえるのだろう。「岡にあげるの?」と喋っている女子の会話が、聞えたりしていた。
バレンタインデー当日。岡のところには沢山の女子が押しかけて来た。岡は笑顔で「貰えない」と言って断る。岡の周りに居る奴らは「どうしてだよ」とか「もらっとけよー」と言っていたが、他の男子は僻んでいる。悪口を言っているのが聞えた。そのまま、岡もイジメられればいい。そんなことを考えてしまう。みんなは分かっていない。岡がどんなやつなのか。どうして、俺なのか。何で、俺なのか。まだ理由は分からない。
その日の夕方、俺は岡に呼び出され教室に残っていた。今のところ、無茶な注文はされていない。だからまた、ゲーム寄こせだのそんなことを言ってくるのだと俺は思っていた。椅子に座っていると、教室の扉が開く。自然と体が、跳ねた。
「お前さ、チョコレート何個貰えたの?」
入ってくるなり、岡は下卑た笑いを浮かべ俺に近づいてくる。貰えていないのを知っているくせに、そう聞いてくるのはムカついた。でも、文句を言うことも出来ず、俺は「もらってない」と小さい声で答える。岡はひと際大きく、笑った。
「だよなぁ。お前みたいな根暗な奴が、チョコレート貰ったりとかしねぇよな」
岡は笑いながら、俺の対面に座った。分かっているなら言うな。そんなことを心で念じ、俺は俯く。思っていても、口になんか出せない。出してしまったら、最後だ。
「なぁ、これ、誰から貰ったと思う?」
ポケットの中から、岡は何かを取りだした。可愛いビニール袋に入ったクッキー。手作りなのは見るだけで分かった。岡は誰からもチョコレートを貰ったりなんかしない。それなのに、それなのに、どうしてそれだけは貰ったんだ。
不安が、疑問に変わり始める。そして、確信になった。
「……ま、まさか」
「分かってるよな。誰から貰ったか」
そこまで、するのかと、つい言ってしまった。言葉に出てしまった。岡の眉間に、皺が寄るのがはっきり見えた。上機嫌だった岡が、途端に不機嫌になる。それ以上に、俺は岡がしたことを信じることが出来なかった。しかし、これは現実だろう。俺が思っていることも、間違っていないに決まっている。
「何だよ、その顔」
「……それ、気持ちが籠った奴、だよ」
「分かってる。告白されたし」
岡は平然とそう言う。チョコレートを貰ったと言うことは、オッケーしたんだろうか。岡も、堀内さんのことが好きだったのか? 好きだったから、俺をイジメていたのか? イジメなくても、勝負は分かっていただろう。俺と岡では、全然違う。
「付き合うん、でしょ?」
「いんや」
岡は首を横に振った。
「……え」
その言葉を信じることが出来ず、俺は目を見開く。
「フった。付き合うつもり無いって言って。どうだ? 悔しいか?」
言葉にならなかった。チョコレートを貰っておきながら、どうしてそんなことをしたんだ。俺は岡に何をされるかも分からず、そんなことを問い詰めていた。俺をイジメるためだけに、堀内さんまで巻き添えにされたのは許せなかった。俺が気にくわないなら、俺だけにしろ。どうして、他人まで巻き込む必要がある。
人を好きだと言う気持ちを、踏みにじるのは許せなかった。
人を好きになるって言う気持ちは、とても大切なものだ。
それを、それを、遊ぶ道具になんかしてはいけない。
「元々、サイテーだと思ってたけど……。本当にサイテーなんだね」
怒りのあまりそんなことを言うと、岡は立ちあがって俺の胸倉をつかむ。ついに、殴られるかと思っていたけど、岡は俺を睨みつけ「覚えておけよ」と言った。これでバラされてしまっても、仕方ないと思った。
だって、悪いことは言っていないと思ったから。
でも、よく考えたら、初めに岡を傷つけてしまったのは、俺なのかもしれない。この当時は分からなかったことだけれど、近づいてきた岡を避けたのは俺だ。この時の俺は、そんなことすっかり忘れてしまっていた。
サイテーだと言った時、岡はわずかに悲しそうな顔をしていた。
それからも、岡は相変わらずだった。まだ堀内さんにはバラしていないようで、みんなのいないところで俺をパシリに使ったりしていた。そろそろ春休みに入る。新学期になれば、岡とクラスが別れるかもしれない。すれば、岡にイジメられることだってないだろう。俺はそう思って、残りの日数を頑張って耐えた。
バレンタイン以降、岡に呼び出される頻度は減っていた。岡ももう、飽きていたのかもしれない。それならそれで、俺と関わらないで居てくれた方がましだった。
パシリや牛乳雑巾、早弁は無くなったけれど、二人きりになるたび文句を言われるのは変わらなかった。それが結構、精神的に辛くて、俺は何度か泣きそうになっていた。泣きそうになると、岡は必ずと言って良いほど「また泣くのかよ。本当に泣き虫だな、お前」と言って笑う。俺の泣く顔を見て笑っているようにも見えた。泣いているのを見て笑うなんて、本当に最低な奴だ。けれど、言い返す気にもなれず、俺は黙りこむことしかできなかった。すると、暴言は加速する。あとちょっとだ。2年が終われば。3年は同じクラスになりませんようにと、毎日、空にお願いをしていた。
しかし、現実と言うのは無情で、3年も岡と同じクラスになった。クラス表を見た時は、これは本物かと疑ったほどだ。手が震える。泣きそうになる。
「また同じクラスだな」
俺の隣を通り過ぎた岡が、小さい声でそう言った。
本当の悪夢の始まりだった。
いつ、どこで岡を怒らせてしまったのか分からないから、対処法が無かった。バレンタインの時、口答えしたのが許せなかったのだろうか。岡を見て、「羨ましい」と言えばそれで済んだんだろうか。考えることすら面倒になっていた。殴ったり蹴ったりしてこないだけマシだけど、言葉はいつも俺の胸を抉る。学校に行きたくないと、俺は思い始めていた。
「……ねぇ、里井君」
そんなある日、沢田が俺に話しかけてきた。「どうしたの?」と笑顔で話しかけると、「……岡にイジメられてるの?」と聞かれ、俺は黙り込んだ。岡は人前で、俺をイジメることはしない。それなのにどうして分かってしまったんだろうか。今まで誰にもバレてなかっただけに、イジメられている事実を尋ねられたら、今まで逃避していた現実が目の前に突き付けられたようで、逃げれなかった。
「えっと、その……」
「何か、悪いことしたの?」
俺は咄嗟に首を振ってしまった。俺は悪いことをしたと思って無いから余計だ。岡が勝手に、俺をターゲットにしてきたんだ。悪いのは、イジメっこの岡だと。そう決めつけていた。
「……うん。分かった」
沢田はそれだけ言うと、「里井君は早く帰った方が良い」と言って俺の背中を押す。どうするつもりなのか、俺はよく分からなかったけれど、精神的に参っていることもあって、沢田が岡に何かするのは分かっていたけれど止められなかった。助けてくれるなら、助けてほしい。このままは嫌だ。そう思っていても、自分で行動する勇気は無く、誰かにこうして庇ってもらえるのを待っていたのかもしれない。結局俺は、他人任せだった、と言うわけだ。
翌日の放課後、俺は岡に呼び出される。すでに沢田は行動に移していたようだ。俺は喉に溜まった唾を飲み込んで、岡を見る。
「お前さ、沢田にチクったんだな」
「……え」
何のことを言っているのか、俺はよく分からなかった。
「里井のこと、イジメるのはやめろ。だって。笑っちゃうよな。何、沢田にそう言ってくれってチクったのか? まぁ、俺も他の奴に言ったりするなって言ってないから、このことをどう言おうが里井の勝手だけど。他人使って言わせるのって、セコイとおもわねぇの?」
岡はバカにしたような目で俺を見る。そんなつもりなくて、俺は首を横に振った。違う。そうじゃない。そう心の中で言っているだけで、口には出せなかった。笑っている岡の顔が、怖い。
「ムカつくんだよな。お前見てると」
「……え」
「何でだろ。すげぇムカつく」
ゆっくりと岡が近づいてくる。捕まってはいけないと俺は後ずさった。笑っている岡が怖い。ムカつくと言われたって、どうして良いのか分からない。岡がどうしたいのか、分からない。
「なぁ、お前さ。どうやったら居なくなってくれんの?」
「……え?」
「俺、そればっかり考えてるんだよ。お前がいなくなれば、このムカつく気持ちだって無くなると思う。見てるだけでムカつくんだ。なぁ」
岡が近づいて、俺の肩を押す。背中に壁がぶつかって、少し悶えた。そのまましゃがみ込み、俺は岡の顔を見ない。怖くて、涙が出そうだ。ムカつくって言われたって、その理由が分からなければ俺はどうしようもない。
居なくなれば良いのか?
俺が、消えれば良いのか?
「俺の言うことを利いている間は、黙っててやったんだけどな」
岡が俺の前に立っている。視界の端に、岡の上履きが写った。
「折角黙っててやったのに、チャンスを潰したのはお前だからな」
「……どう、言う」
「堀内、キモイだって。笑ってた。キモイって言って笑ってたぜ。里井が、堀内のこと好きなんだってって言ったら」
笑い声が、教室に響いていた。
頭の中が真っ白になった。俺は何もしていない。言うことだって利いてた。それなのに、どうして岡は約束を破ったんだ。目から涙が溢れて、床に落ちる。ポタリ、ポタリと何滴も落ちては床にしみを作る。怒りよりも悲しみが襲ってきた。
初めての恋だった。
気持ちなんて通じなくても良いと思ってた。
見てるだけでよかったのに。
こんなのって、あんまりだ。
「可哀想だな、里井。好きな奴からキモイって言われて。……なぁ、今、どんな気持ち?」
岡がしゃがむ。俺は壁に蹲った状態で泣いていた。答えることなんてできない。心をズタズタにされたんだ。答えれるわけなかった。
岡が憎い。
岡が怖い。
もう、俺に関わらないでほしい。
「……な、何でも、するから」
ぽたぽたと涙が床に落ちる。岡の上履きが視界の端に入ったままだ。教室には二人きり。夕日が差して、少し薄暗い。最悪な光景だ。
「もう、やめて……」
お願いだった。これ以上、俺を苦しめるのはやめてほしかった。何がしたくてこんなことをしているのか俺には理解できない。気にくわないなら、もう二度と岡に逆らったりしない。何でもするから、これ以上、俺を苦しめるのはやめてほしかった。
「……へぇ、何でも。ねぇ」
笑い声が聞える。岡の声だ。
少し間を置いてから、岡はこう言った。
「じゃぁ、俺の前に現れるな」
顔を上げると、岡は笑っていた。笑いながら、岡はそう言った。俺は何でもするから、と岡に言った。岡の前に現れなければ、もうこんなことをされる必要はない。泣くことも、苦しむことも、辛くなることも無い。俺は一つ頷いて、立ちあがった。
俺はその日から、学校に行っていない。
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