君を好きになる20の方法

17項目 君に会いたい


 泣いて、目を覚ました。しっかりと思い出した昔の記憶は、辛いよりも驚きの方が大きかった。イジメられていた理由が、何となくだが分かった。どうしようか迷い、俺は起きあがる。まだ熱が体に残っているのか、体がふらついた。
 岡に会いたい。
 頬を伝う涙を拭って、俺はベッドから降りた。窓を開けると、もう雨は止んで眩い太陽が空に浮かんでいた。時計を見ると、10時を指している。俺はかなり長い時間、眠っていたようだ。
 トントンと扉をノックされ、ビクと体が跳ねる。母さんだろうか、ドアノブを掴んだところで「起きてるか」と聞き慣れた声がする。岡だ。昨日の今日で、どうして来たんだろうかと疑問に思い、ドアノブから手が離れる。でも、ここで避けてはダメだとドアノブをもう一度掴んだところで「そこからで良いから聞いてほしい」と言われた。岡はドアの前に俺が居ることに気付いているようだ。回そうとしても、ドアノブは回らなかった。
「俺さ、昨日一晩、すげぇ考えたんだわ。昔のことからずっと。あんまり頭が良いわけじゃないからさ。ぐるぐるとしてるだけであんまりはっきりとした答えって出なかったんだけど」
 岡の声が少し震えていた。ドアノブを開けようとしても、向こう側から掴まれているのか、ドアノブが回らない。開けることが出来ない。岡の顔を見たい。こんなにも近いのに、どうして会うことが出来ないんだろうか。目の前の壁が、高い。俺が部屋に閉じこもった時、岡もこんな気持ちだったんだろうか。
「……開けて」
「イヤだ。そこから聞いて」
「イヤだよ」
 俺は何度も首を振る。岡の顔を見たい。岡に会いたい。顔を見て喋りたい。なのにどうして、どうして岡はここを開けようとしてくれないんだろうか。
「開けてよ」
 トントンと部屋の扉をノックする。どうして、内側から開けてくれと頼まなければならないんだろうか。俺が引きこもったときとは、正反対だった。
「イヤだって言ってるだろ。そこから聞けよ」
「何で、何で顔を見て話そうとしてくれないの。……何で」
「里井の顔を見て喋ったら、決心が鈍るからだよ。分かれよ……」
 そんな身勝手な考え、理解できるはずが無かった。俺はその場にしゃがみこみ、「どうして」と呟く。岡は俺になんて言うつもりなんだ。もう昔のこととか、イジメてたこととか、そんなのどうでも良い。どうでも良いんだ。分かったことがあるから、岡の気持ちを知りたいから、ドアを開けてほしい。岡に沢山、聞きたいことがある。
「俺な。ほんっとうにバカなんだわ。多分、里井が思ってるよりもバカだと思う」
「……バカなのは知ってるよ」
「おい。怒るぞ」
 ちょっと笑っている声がする。怒っても良いから、ドアを開けろ。俺はグーで扉を殴りつける。鈍い音が俺の部屋と廊下に響いた。
「里井と会ったら、今度は里井のためになることをしたかったんだ。俺の一言で、本当に里井が学校に来なくなった時、俺が言ってしまったことの言葉の大きさを知ったよ。言っちゃいけないことを言ってしまったんだなって。言い訳みたいだけどさ。その頃、俺って女の子を好きになれなくて。どんなに告白されても、付き合おうって気持ちにもならなかったんだ。でも、里井だけは違ってた。里井は、凄く目に付いたんだ」
 あれは俺が逃げたと言うのもある。岡が何を考えているのか分からなくて、怖くて、とりあえず関わりたくなくて、目の前に現れるなと言ってくれてほっとした部分もあった。心がズタズタで、何も考えたくなくて、俺だけが被害者だと思い込んでいた。
「でも、接点がないから、どう話しかけて良いか分かんなくて、宿題終わってたんだけどさ。里井に宿題見せてってお願いしたんだ。何でも良いから、話してみたかった。まぁ、里井の表情からどう思ってるのかってある程度は分かってたんだけど。めちゃくちゃ、嫌そうな顔をしてたよな」
「ちがっ……! あれは……」
 あれは、怖かったんだ。そう言いたかったけれど、言葉にすることができなかった。岡と話すことで、何かが壊れるんじゃないかと言う漠然とした不安に駆られていたんだ。それが顔に出てしまった。そんな表情一つでも、岡はしっかりと覚えていて、岡なりの受け取り方をしている。
「まぁ、俺、ポジティブだからそんなこと気にしないんだけど、さすがに避けられたのは応えたかな」
 疑問が確信に変わった。俺は立ちあがって、ドアを叩く。
「開けて」
「そのまま黙って聞いて」
「やだ」
「良いから」
 ドアノブはまだ回らない。岡の顔を見て、岡を見て話したいのに、岡がそれをさせてくれない。泣きそうになって、俺は唇を噛みしめた。岡がこんなことする理由も全て、俺に原因がある。イジメだって、結局は、自分のせいだったんだ。もっとちゃんと、俺がしていればこんなことにならなかったかもしれない。岡だって、思いつめることは無かったかもしれない。
「でも、イジメなんかしちゃダメだよな。どんな理由があろうとも。それで里井を傷つけたのは間違いないし、里井の人生めちゃくちゃにしたのも俺のせいだ。俺な、居なくなってから気付いたんだ。……里井のことが好きだって」
 好きと言う言葉が、胸にしみる。心臓が痛い。
「全部、嫉妬からだったんだ。避けられてショックで、堀内のことが好きで悔しくて、バレンタインに堀内から告白されて調子に乗って、友達が庇ってきた里井に嫉妬した。里井、何も悪いことしてないのに、俺が勝手に嫉妬してイジメた。……ごめん」
 全ては俺の無視から始まったんじゃないか。もし、俺があそこで岡に、周りから言われてる言葉が気になる、と言っていたら、こんなことにはなっていなかったのかもしれない。俺が岡のことを好きになることは低かったかもしれないが、イジメられることもなかった。こうして、引きこもりになることもなかっただろう。岡だけが悪いんじゃない。俺にだって、悪いところはあったじゃないか。
「昨日の晩、沢山考えた。謝りに来てくれた里井に、八つ当たりして、里井泣かせて……。俺って、本当にバカだわ。どうしようもないわ。泣かせたくなかったのに。もう俺が理由で、里井を泣かしたりしたくないって、心に誓ったのに……。俺は同じことをしてしまった。だからな……」
 岡の声が小さくなってフェードアウトする。何を言うつもりなんだろうか。俺は「……岡?」と話しかける。ドアの向こうから、声は聞こえてこなかった。未だ、ドアノブは回らない。
「もう、二度と関わらないほうが良いと思って」
 声は無駄に明るかった。
「ごめんな、里井。色々、苦しめちゃって」
 岡が何を言っているのか、頭が理解しようとしなかった。
「今度は、俺が消えるわ」
 声から、岡の感情は分からなかった。笑っているようにも聞こえたし、悲しんでいるようにも聞こえた。無理をしているようにも聞こえる。顔を見なければ、どんな表情でこの言葉を言ったのか分からない。表情を見なければ、岡の感情も分からなかった。ドアノブを握っていた手が、するりと離れる。今度は、岡が消える。もう岡は、俺の前に現れてくれないんだろうか。脱力したようにその場に座り、俺はドアを見つめる。足音が遠ざかっていく。小さい声で「お邪魔しました」と言う声が聞こえてきた。岡が、どこかに行ってしまう。もう二度と、関わらないと岡は言った。ここへ来て、ぐずぐずしてる俺を引っ張って外に連れ出すことも無いだろう。とても行きにくい美容院だって、一緒に連れてってくれないだろう。合コンだってそうだ。お弁当を作って、紅葉だって見に行けなくなる。俺はそれで良いのだろうか。
 岡を好きになる可能性は、今、どれぐらいだろうか。
 俺と岡の距離は、どれぐらい縮まったのだろうか。
 二次嫁、リアルの女、そして岡。選択肢は三つある。さぁ、俺はどれを選ぶ。
 突然、現れた岡の好意。
 今、それを怖いと思っているだろうか。
 岡が好きなのは俺で、岡を好きになる前提は昔の岡を消し去ること。今はどうだ? 昔の岡は消えているだろうか。
 岡が居なくなっても、俺は変わらないだろう。それは本当か?
 俺は、岡と一緒に歩いてた女に嫉妬していた。岡を好きになっても良いだろうかと、迷っていた時期もあった。
 それぐらいまで、俺の中での岡の存在は大きくなっていて、岡が居る毎日が当たり前になってて、岡を怒らせてしまった時、わざわざ自分で岡の家に行って謝ろうとも思っていた。最初は俺が悪くないと思っていたのに。
 二人で紅葉が見たい。まだまだ沢山したいことはある。引っ込み思案の俺を、誰が引っ張って行ってくれるんだ。引きこもったときだって、わざわざドア越しに会話してくれる奴がどこに居る。月見バーガーの販売期間が終わるからと言って、買ってきてくれたのはどこの誰だ。寒いと言った俺にパーカーを貸してくれるのは一人しか居ない。
 俺と女の子を会わせたくないくせに、俺のためだからと言って岡は俺を合コンに連れて行った。ずっと、岡が俺のことを見ていたのは知っている。分かっていた。だって、岡の態度って分かりやすいんだ。ジーッと俺のこと見てるし、隣に座った女の子が変なことを言えば眉間に皺寄せたりするし、来た女の子の中でも一番可愛い子に話しかけられてるのに、半分無視したり、素気なくしたりするし。
 分かりやすいんだ。岡ってそうだ。分かりやすい態度を、いつも俺に示していた。中学のときだってそうだった。
 お勧めの本無い? と聞かれて、小説を勧めたら物凄く嫌そうな顔をした。小説読むなんて苦手だったんだろう。でも、1ヵ月ぐらいかけて読んで、俺に感想を言ってくれたじゃないか。ゲームだってそうだ。推理ゲーム苦手なのに、俺が勧めたら毎日毎日俺のところに来て攻略法聞いて、頑張ってやってた。毎回「おもしろかった」と笑顔で話す岡を見て、俺は悪い気がしていなかった。
 それなのに、それなのに。
 どうして岡はいつも、最後に自分を責める。俺が悪かったんじゃん。俺が最初に、岡を避けたり、岡にキレたり、理不尽なことをしてきたのに、岡は最後に絶対自分を責める。岡が悪いわけじゃない。
 このままでは、岡がどこかに行ってしまう。もう二度と、俺には関わらないと言った。それって、もう会わないのと同じことで、間違ったまま終わってしまっても俺は良いのだろうか。岡は結論を出している。昨日一晩悩んだと言っていた。イジメられていたときのことから考えて、あの岡の態度が寂しさを紛らわすためだったとしたら、何となく納得が出来た。中学の頃も、昨日も。
 10年ぶりに岡に会って、俺は岡がとても変わったと思っていた。それもそうだ。イジメられていた時の岡と、今の岡では全然違う。お巡りさんだし、よく面倒見てくれるし、普通に考えて変わったと思うのが妥当だろう。でも、変わっていなかった。俺がしっかり考えれば、岡が全く変わってないことに気付くことが出来ただろう。
 イジメていたときも、さっき謝りに来た岡も、根本は変わっていない。寂しさを紛らわすために、俺に八つ当たりしていたと考えたら、全てがぴったりと当てはまった。
 岡は寂しかったんだろう。俺に避けられて。俺に行かないと拒絶されて。
 岡も変わっていなかったけれど、俺も全くと言って良いほど、変わっていなかった。岡のことを何も考えず、自分の考えを岡に押し付ける。最初はそれを受け取ってくれるから、俺は勘違いしていたんだろう。それから岡が暴走して、全てを岡のせいにする。
 悪いのは、俺だ。
 俺が、岡に謝らなければならない。
 俺は立ちあがってドアノブを回す。出て行こうとしたとき、丁度母さんが階段を上がって来ていて「どうしたの? そんな焦った顔をして」と言う。俺は拳を握りしめて「岡を追う」と言った。まだ母さんが決めたタイムリミットまで、時間はある。今日までなんだから、今日が終わるまでは有効時間内だろう。
「……そう。気を付けてね」
 母さんは笑いながらそう言うと、俺の肩を叩いた。「いってきます」と母さんの顔を見て言うと、俺は階段を駆け降りる。岡からもらった靴を履いて、パジャマ姿の長袖シャツとスウェットで岡の後を追う。もうどのぐらい先にいるのか分からない。でも、追わなければ岡がどこかに行ってしまうから、俺は必死になって岡の後を追った。
 話さなければ。ちゃんと言わなきゃ。俺の考えも、岡に言わなければ。
 走っていると見慣れた背中がある。
 岡だ。
「待って!!」
 俺はそう叫んだ。岡がゆっくりと振り向く。

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