君を好きになる20の方法
18項目 君を好きになる
岡はまっすぐ俺を見て、すぐに俯いてしまった。振り向いた岡を見て、ちょっとだけ驚く。
「……ついてくんな」
小さい声でそう言うと岡は走り出してしまった。驚いたせいでワンテンポ遅れてしまい、俺は全力疾走で岡を追いかけた。背中は遠ざかっていく。
「待って!」
そう叫ぶけれど、岡の足は止まらない。岡の足は速い。だけど、背中は見失わないよう、俺は必死に追いかける。見失ったら、最後だ。息切れして、足が動かなくなりそうになっても、俺は岡を追い続けた。走っていく背中を追うのは、初めてだった。追いつかないこの距離が酷くもどかしい。岡はこんな気持ちで俺を追っていたんだろうか。いや、岡の方が足が速いから、きっと、捕まえてやると言う気持ちで俺を追ったんだろう。呼吸が、辛い。
「…………待ってよ」
どんどんとスピードを落としていく足を叩き、俺は走り続ける。足はがくがくとしていて、前に進もうとしない。声は届いているだろうか。息切れしているから、声も張りが無い。歩いている方が早いかもしれないけれど、俺は走った。岡を追いかけるために、頑張って走った。体力なんて俺より何倍もあるはずなのに、俺より先に岡の足が遅くなってようやく捕まえることが出来た。ほぼ、止まっていたようにも見える。
「まっ……………………、て…………」
岡の腕を掴み、俺は大きく息を吸う。体が酸素を求めている。額から汗が流れ落ちた。やっと捕まえることができた。どちらかと言うと、捕まってくれた。と言う方が正しかったのかもしれない。岡の体力だったら、俺から逃げ切るのは簡単だっただろう。でも、こうして止まってくれたことに、安堵を覚える。
「体力、無さ過ぎだろ。よく追いかけてこれたな」
岡は俺に背を向けたままだ。俺をバカにした声が震えている。顔なんて見なくても、岡がどんな表情をしているのか分かる。今から1ヵ月前。月見バーガーが食べたくて、久しぶりに外へ出た。すると子供にお月見団子と言う名の泥団子を投げられ、ケンカして、警察に捕まった。そこに居た警察官は俺をイジメていたいじめっこで、岡と言う。岡はダサい服を着ていた俺に、服を買いに行こうと誘って、無理やり街に連れだした。そこで感じた、俺と岡の見た目の違い。惨めで、空しくて、気持ち悪くて、俺は泣きながら逃げ出した。結局、追いかけられてきた岡に掴まってしまったけれど、今、それと全く同じことが起きている。
俺に背を向けている岡は泣いていた。振り向いたときに見せたその顔が、網膜に焼きついたまま、離れない。あの時と同じで、正反対のこと。捕まったのは、この場所だ。あの時は、俺が逃げて、岡が追いかけてきた。
「待ってよ……」
「離せよ」
俺は岡の腕を離さなかった。ここで離したら、また同じことの繰り返しになる。もう同じことの繰り返しは嫌だ。俺はもう、間違えてはいけない。強く握りしめると、岡は諦めたように項垂れた。
「どうして、追いかけてきたんだよ……。里井の顔見たら、決心鈍るって言っただろ」
岡の声は相変わらず震えている。鼻声にもなってきた。俺に掴まれていない腕で、岡は自分の目元を拭う。何でこんなに、泣いているんだ。どうして泣いているんだ。岡が泣いていたら、俺まで泣きそうになって、鼻の奥がツンとしてきた。岡を泣かせたくて、追いかけたわけじゃない。岡は、俺が追いかける前から泣いていた。その理由は? 知りたい。俺が原因なら、ちゃんと謝りたい。今度は、俺が謝る番だ。
「だって、追いかけなきゃいけないと思ったんだもん」
「二度と関わらないって言っただろ……。俺、里井に関わっちゃいけないんだって」
「そんなの、誰が決めたんだよ」
関わらないと聞いた途端、涙があふれてきた。関わらないなんて、勝手に決めるな。誰がそんなことを決めたんだ。岡が勝手に決めただけじゃないか。そんなこと、許さない。勝手に決めさせない。俺は、俺は、岡に沢山に言いたいことがあるんだ。謝りたいことだって沢山ある。それなのに、それなのに、岡は勝手に関わらないと決めて、俺から離れようとした。どうして、勝手に決めてしまうんだ。俺の気持ちは、どうなる。この胸に秘めた大切な気持ちを、岡に伝えたい。
岡を好きになる可能性なんて、無いと思ってた。
俺と岡の距離が、こんなにも縮まるとは思っても居なかった。
二次嫁も、リアルの女も捨てて、岡を選ぶなんてあり得ないことだった。
岡が居なくなっても、変わらないって思ってたのに、本当に居なくなったら寂しくてたまらない。
岡を好きになるなんて、想像出来ただろうか。
「勝手に決めるな」
俺はそう言って、岡の背中に抱きついた。関わらないなんて、岡が勝手に決めたことだ。俺が関わらないって言ったわけじゃない。二度と関わらないなんて嫌だ。もっと、もっと、沢山、やりたいことがある。紅葉だって見に行きたい。あのモミジを一緒に見たい。岡の作った料理をもっと食べたい。実は下手くそなんだろって、ちょっとだけ貶してやりたい。ポケモンだって俺が圧勝したままで良いのか。美容院だって、岡が連れて行ってくれなかったら、俺は行かないぞ。
岡が、岡が。
岡が俺を連れださなかったら、俺は外に出ない。
「関わらないなんて、言うな……!」
もう泣くのは堪えられなかった。岡の背中に抱きついたまま、大泣きしてしまう。泣くのを堪えるなんて無理だった。どうして泣いているのか分からないけれど、涙が目から溢れてとまらない。「何だよ……」と呆れたような声とともに、鼻水を啜る音が聞こえてきた。笑っているのか、怒っているのか分からない。でも、怒っているようには聞えなかった。
「俺のこと、嫌いじゃねーのかよ……」
岡は振り返り、抱きついている俺を引きはがす。顔を上げると、俺も岡も、バカみたいに泣いていた。何で、岡が泣いてるんだ。泣いている岡の顔を見て、笑ってしまった。流れてくる涙を手の甲で拭って「嫌いだったよ」と答える。嫌いだったけれど、それ以上に、上回る感情があった。怖いなんかも、その感情が吹き飛ばしてくれた。
「俺と一緒に行くの嫌って言われた時、昔とダブったんだ。避けられた時思い出して、すげーショックで。里井のためにしてきたことってなんだろうって。俺、見返りなんていらないと思ってたのに、いつの間にか里井に見返りを求めてた。……好きになってほしいと願ってた」
岡はそう言って、腕で目元を拭う。俺もかなり泣いているけど、岡もだ。目が充血して赤くなっている。二人揃って同じタイミングで鼻水を啜る。顔も、涙でぐちゃぐちゃだ。優しくて誠実なお巡りさんの面影は、全くない。どちらかと言うと、中学生のように見えた。きっと、俺も同じだ。俺がちょっと笑うと、岡も吹っ切れたように笑った。そして、流れてくる涙を拭う。
「贅沢だよな。最初は引きこもりから脱出させれるだけで十分だって思ってたんだ。でも、里井と一緒に居ればいるほど、俺の気持ちは膨らんで行く一方で、女に嫉妬して、逆に引きこもってくれたとき、俺が原因だったけど、ちょっとだけやったーって思ったんだよ。俺、本当にサイテーだ。……そう言えば、里井にもサイテーって言われたこと、あったな」
それはバレンタインの時だ。堀内さんの気持ちを踏みにじった岡に対して、俺はサイテーだと言った。確かにそれはサイテーなことだったけれど、その時のことを今さらウダウダ言っても仕方ない。だって、あの時は、俺をイジメるためだけに、堀内さんの気持ちまで巻き込んだんだと思っていたんだ。だから、サイテーだって言った。
今は違う。そんなこと思ってない。
「もうな、俺が原因で里井を泣かしたくないんだよ。里井には元気で居てほしい。里井が元気なら、俺はもうそれで十分だからさ。……だから」
岡の言葉が一瞬、止まった。その隙をついて、俺は言葉を挟む。
「俺の気持ちは?」
俺は岡を見上げてそう言う。岡はさっきから俺のことを考えてくれているけれど、俺の気持ちはさっぱり考えていなかった。俺のことを考えてくれているのは凄く嬉しいけれど、俺の気持ちは考えていないからもどかしくて苦しい。岡は俺を見下ろし、「里井の考えてることなんて、昔から分からない」と言った。それもそうだ。俺は今まで、岡に自分の気持ちを告げたことなんてない。流れてくる涙を拭い、俺は抱きしめる力を強めた。
「最初に会った時。俺、怖かったんだ。岡って、明るいグループの一員だったから、イジメられるんじゃないかって。でも、岡は違ってた。ゲームや本貸して、面白かったって言ってくれて凄く嬉しかった。嬉しかったんだけど……、どうせ、岡が俺に話しかけてるのは気まぐれだと思ってた。単に珍しいだけだって。じゃないと……、いつか離れて行った時、寂しくなるって……。俺は、自分が傷つきたくないから、シェルターを作ってたんだ。俺と岡って合わないって、人に言われたりもした。どうして、俺が岡と仲良くしてるのって陰口言われたこともあった。……それに耐えれなくなって、俺は岡を無視してしまったんだ。ごめん……。悪いのは、俺の方だ」
岡の服を握りしめる。今度は、俺が許してほしいと頼む番だった。
「ごめん、岡。……俺のこと、許してくれるかな」
岡の手が俺の背中に回る。
「何となく、そんなことだろうって……。俺、分かってたよ」
「……え」
「里井が居なくなった後、いっぱい考えたんだ。どうして、こんなことになったんだろうって。里井は何で俺を避けたんだろうって。いろんな奴から言われたよ。どうして、里井なんかと仲良くしてるんだって。俺が誰と仲良くしようが、俺の勝手じゃん。何で周りに決められなきゃいけないのか分からなくて、キレたこともあった。俺が面白かったって言ったら、里井が笑ってくれるから、俺まで嬉しくてさ。多分、そんころから、俺は里井のことが好きだったんだと思う。……だから、避けられてすげぇショックだった。避けられる理由が分からなかったからさ。その頃はな。でも、よく考えたら、俺だけじゃなくて里井も言われてたのかなって。全部、後から気付いたんだ。里井が、居なくなってから」
もう、何が悪くて、何が良かったのか。今、こうして話している理由はあるんだろうか。間違えてしまったことはやり直せばいい。俺も岡も、間違えていたことは沢山あった。だから、今から、一つずつやり直せばいいだろう。俺は顔を上げて、岡を見る。岡は目を真っ赤にして、俺を見つめ、一度、腕で涙を拭う。
「俺、里井を好きでいて良いのかな」
そう尋ねるから、俺は頷いた。
「なぁ、俺、多分、里井が思ってるほど出来た人間じゃねぇよ? すぐ嫉妬するし、感情のままに行動して後悔すること多いし、これからも里井を泣かしてしまうことって多いと思う。それでも、俺、里井のことを好きでいていいのかな。関わって、良いのかな。もう、里井を傷つけるのは嫌なんだ。泣かせたりしたくないんだ。……俺が理由で、里井をめちゃくちゃにしたくないんだ」
岡の手が少しだけ震えていた。どれほど嫉妬深くて、感情にまっすぐで、人のことをどれだけ考えているのか、今の俺なら分かる。それも全部含めて、俺は「大丈夫だよ」と答える。岡の全てを、受け止めてやりたい。俺が出来ることって、それぐらいだ。でも、それぐらいが一番丁度良いのかもしれない。互いが、互いを支え合えば大丈夫だ。
「出来た人間なんて、何処にも居ない」
「……そうか?」
「そうだよ。岡だけが悪いんじゃない。俺にも悪いところはあった。それでいいじゃん。俺ね、したいことが沢山あるんだ。岡が綺麗だって言ってた紅葉も、一人で見に行ったけど、一人じゃ寂しかった。岡が頑張って作ってくれた弁当だって、二人で一緒に食べたかった。ポケモンだって、俺の一人勝ちで良いの? まだまだ、やることは沢山あるでしょ?」
そう尋ねると岡は頷いた。
「大嫌いなんて言って、ごめんね。ウソツキって言われて、ムカついたんだ。俺、いつも岡に八つ当たりしてた。岡が悪くないって分かっていても、矛先が岡にしか向けれなくて、俺も言った後によく後悔してた。岡の優しさに甘えていたんだ。謝っても謝りきれないこと、俺にも沢山あるんだ。だから、俺、態度で表そうと思う」
「……え?」
俺は背伸びする。岡の肩に手をかけて、その赤い唇に自分の唇を合わせた。少しの時間だったけれど、岡が目を見開き、驚いているのが見えた。ちょっとだけしてやったりなんて思ったりして、恥ずかしくなって俯いた。岡の手が、俺の肩を掴む。熱くなった唇が、俺の唇に触れる。
岡の腕を握りしめた。
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