君を好きになる20の方法
3項目 俺と君の距離
「さぁ、岡君。沢山食べて行ってくださいね」
「え、岡……。あ! もしかして、三中の岡さんですよね!?」
「もー、岡君ってば、本当にこんな引きこもりと友達で良いのぉ?」
「岡君。ビールは飲むかね?」
夜まで人のベッドで爆睡してくれた岡は、岡の信者になり下がった母の計らいにより、夕飯をうちで食べて行くことになった。久々に、家族そろって食事を摂っている。大体、俺はいつも部屋で食べるし、姉や弟は俺の顔など見たくも無いって言ってるから余計だ。それなのに、岡が来ただけでこれだ。何なんだ、我が家は。全員、岡の信者か? ってぐらい、岡に話しかけている。父さんも、自腹切って買っているビールを、岡に注いでいた。俺は目の前に並んだ御馳走を見つめ、一言も発さない。
「わざわざ、すみません。なんか、御馳走にまでなっちゃって……。すぐ帰るつもりだったんですが」
「良いのよ、良いのよ。岡君、一人暮らしなんでしょう? ちゃんと、栄養のあるもの食べてる?」
「こんな御馳走、本当に久しぶりですよ」
岡が愛想を振りまいている。母さんは終始笑顔だし、姉ちゃんも岡を見てニヤニヤしている。彼氏はどうした、彼氏は。さっき、化粧直してるの見ちゃったんだからな。弟に至っては、岡を神のように慕っているし、父さんは本物の息子のように可愛がってるじゃないか。何だよ、この扱い。コイツ、俺をイジメて、引きこもりにした張本人だぞ。憎き相手だと言うのに、どうして、みんなは岡ばっかり構うんだろうか。なんだか、おなかが痛くなってきた。この場にいるのが、辛い。
「いつでも、食べに来て頂戴ね」
「お気遣いありがとうございます。でも、ご迷惑になるのも、悪いですし」
「やだわぁ。智弘を外に連れてってくれるだけでも、十分よ、十分」
母さんはニコニコ笑いながら、岡にご飯をよそってやっていた。頼んでないっつーの。って言うか、俺、明日、外に出る気なんか更々ないんだけど。ハンバーグを口の中に入れ、俺はずっと俯いていた。俺、絶対、この場に居ないほうが良い。空気すぎて、誰も俺の存在に気付いてないかもしれない。それぐらい、全員の視線が岡に向いていた。
「……おい、里井。食べてるか?」
岡が小さい声で俺に尋ねる。なぜか知らないけど、岡は俺の隣に座っているから、小さい声でも十分聞えていた。みんなから話しかけられている中、俺に意識を向けているのは岡だけだ。それがもっと俺を空しくさせた。
「……食べてるよ」
「そっか。ご飯、美味いな」
確かに母さんが作ったご飯は美味い。こくんと頷くと、岡が笑う。すると周りから「岡さん、そんな奴、構わなくて良いよ」とか、「そいつと喋ると、根暗が移るわよ」とか俺に対する暴言が飛んできた。何だよ、何だよ、クソ。岡が来たせいで、うちが可笑しくなってくじゃないか。この公開処刑、何なんだよ。
「もー、お姉ちゃんも、かずくんも、ともちゃんのことイジメないの」
「だって本当のことだし」
「つーか、何でコイツ、ここに居んの?」
この場に、俺がいなくても良いんじゃね? って思った。もうマジで居たたまれなくなって、俺は箸を置いて立ち上がる。おなか痛い。精神的に限界が来ていた。バタバタと足音を立てて階段を駆け上がり、部屋に閉じこもる。布団被って、ベッドの上で丸まっていたら、扉の開く音が聞こえた。
「おい、大丈夫か?」
岡の声が聞こえた。
静かに扉を閉める音がして、岡の気配が近づいてくる。これ以上、話しかけてほしくなかった。今はそっとしておいてほしい。でも、岡はそんな俺の気持ち、気付くことなく沢山話しかけてくるんだろうなって思ってた。ベッドが、軋む。
丸めた背中を撫でられた。岡は何も言わない。布団越しから感じる手のひらの感触は、とても心地よかった。俺のことなんか構うことなく、ずけずけと話しかけてくるのかと思っていただけに、ちょっとだけ動揺した。
「俺、そろそろ帰るから。明日には、元気になれよ」
そう言って、岡の手が俺の背中から離れた。
翌日。午前、10時。俺は母さんに起こされた。
「ともちゃん。岡君来てるわよ!」
布団にくるまったまま寝てしまった俺は、全身に巻き付けた布団をはぎとり、体を起こす。部屋の中を見渡すと、部屋の入口に岡が立っていた。
「おはよう」
「……え」
どうしているんだと思ったが、今日は強制的に遊びへ行かされる日だったことを思い出す。岡はやたら大きい荷物を持って、俺の部屋に入ってくる。「後は俺が準備しますんで」とか、母さんに笑顔で話しかけ、「あら、そう。よろしくお願いしますね」と言って、母さんは部屋から出て行ってしまった。パタンと扉が閉まり、沈黙が続く。寝ぼけていた俺は、ベッドの上で岡の様子を伺っていた。岡は、でかいカバンの中からいろんなものを取り出し、俺の前に並べて行く。
「まずは、そのぼっさぼさの髪の毛どうにかしないとな。……つか、昨日、風呂入った?」
そのまま寝てしまった俺は、首を横に振る。
「とりあえず、今から風呂入ってこいよ。待ってるから」
「……え、やだ」
「風呂まで、俺に入れてほしいか?」
笑顔でそう言われ、俺はすぐさま立ち上がり、部屋から出て行った。寝ぼけていて良く分からなかったけれど、岡の顔は結構本気だった。どうして強制的に外へ出されなきゃいけないんだ。意味が分からない……。でも、後が怖いから、俺は渋々風呂へ入る。ちらっとしか見てないけど、岡はこの前みたいなラフな格好じゃなくて、今日はちょっとオシャレしてた気がする。しかも、それが凄い似合うから、余計に惨めさを感じた。岡は外に出るのをどうとも思わないんだろうけど、10年間引きこもってた俺は違う。10年って、凄い歳月だった。新しくいろんなものが出来てるし、古い物はどんどん無くなっていく。俺が小さいころよく行ってた駄菓子屋は潰れてコンビニになってた。知ってた街並みが知らない物に変わってて、すごく怖い。一人だけ、タイムスリップしてしまったみたいだ。
いつまでも風呂に入ってたら、岡が様子を見に来そうだと思ったから、俺は嫌々部屋に戻る。ちゃんと洗って出てきた俺を見るなりに、岡は「よし。じゃぁ、これに着替えろ」と言って服を出してきた。用意周到と言うか、何と言うか。逆らうのも面倒だし、服のセンスは岡の方が良いから、大人しく用意された服を着た。サイズはぴったりだ。体格が全然違うのに、どうしたのだろうか。岡を見ると、岡はちょっとだけ照れたように笑い、「昨日、買ってきた。ユニクロだけど」と言う。
「え、お金……」
「良いよ。公務員だから、給料はたんまりもらってるしな」
「……税金のくせに」
「市民の安全を守ってるんだから、良いの」
人に害を与えてた奴が、何を言う。でも、仕事だけは真面目にやっているのをこの前見たから、俺は何も言えずに黙りこんだ。真新しい服は肌になじまず、変じゃないかとか、気持ち悪くないだろうかと、不安になってしまう。
「あとは髪の毛だな。つーか、まだ濡れてんじゃん。ちゃんと拭けよ」
岡は俺が持ってきたタオルを手に取り、俺の頭を無造作に拭く。荒々しい手つきが痛くて、「痛いよ」と言うが、岡は「我慢しろ」と言って手の力は弱めない。頭皮に指がガシガシと当たって痛い。何とか水分を取ることが出来たらしく、岡の手が頭から離れた。
「まぁ、そんなに長いわけでもないし、ちゃんと乾かして梳かせば、大丈夫かな。よし、洗面所行くぞ」
勝手に納得した岡は俺の背中を押して、歩き始めてしまう。今でも十分、外になんか出たくないんだけど、一体、どうしたら良いだろうか。岡のことだから、「大丈夫」と言って、俺の気持ちなんか全然分からず、無理やり、外に出すんだろう。どうせ、そんな奴だ。ちょっとでも出れば、岡が満足しそうだから、今日は諦めることにした。
洗面所に連れて行かれ、岡がドライヤーを片手に持ち髪の毛を乾かしながら、梳かしている。器用な奴だなと思いながら見ていると、鏡越しに目が合う。「ん?」と首を傾げるから、なんだか恥ずかしくなって俺は目を逸らした。
髪の毛のセットは思った以上に時間がかかり、岡が来てから1時間半後、ようやく俺達は外に出ることとなった。岡は靴まで用意してくれてて、真新しいスニーカーを履くとちょっとだけ出てやっても良い気になった。ほんと、何でもかんでも揃えてもらって申し訳なくなる。どうして、岡はここまでして、俺を外に出そうとするんだろうか。よく分からなかった。昔の岡を、払拭させるため? それとこれは、また違う気がした。
「じゃぁ、岡君。智弘のこと、よろしくお願いしますね」
「はい。じゃぁ、行ってきます」
岡は「ほら、行くぞ」と言って俺の腕を引っ張る。玄関から出るのは、2日ぶりだ。あまりにも心地よい陽気に、俺は空を見上げた。雲ひとつない、見事なまでの晴天。ポンポンとどこからか、花火の音が聞こえた。
「良い天気だな」
「……うん」
素直に頷くと、岡は「ちょっと、その辺、散歩していくか?」と聞いてきた。ハードルの高い洋服店へ行くよりも、まだ散歩の方がハードル低く感じる。首を縦に振り、岡を見た。
「今日は日曜だからな。そこの小学校では運動会やってるぞ」
「……へぇ、そうなんだ」
先ほどの花火は、そのせいだったみたいだ。岡が歩き始めて、その後ろを俺が追う。歩いて5分ほどで、小学校が見えてきた。ワーワーと騒ぐ声が、徐々に大きくなっていく。
「俺さ、26だからまだまだ若いって思ってたけど、ダチとかさ、結婚して子供いんだよなぁ。20で結婚した奴とかもいて、ここでハンディカムとか持っちゃって、ガキ応援してだぜ? 考えられるか?」
あまり現実味のない話だった。首を横に振ると、「だよな」と言って、岡は小学校のグラウンドを見つめる。沢山の人が、そこには居た。
「小学校とか見てると、俺らはさ、自分のことを振り返るんだよ。小さいころはああだな、こうだなって。でも、家庭持って、子供がいる奴らは違うんだよな。子供のことを話すんだよ。その辺にギャップ感じて、ちょっとだけ悲しくなったり、するんだよなぁ。俺らももう、おっさんなんだなって」
俺は頷くことしかできなかった。引きこもってた10年間。岡にも俺にも、確かな時間はあるけれど、その中身は全然違う。岡には沢山の友達がいて、彼女とかもいて、充実した時間を送っていたんだろう。その点、俺は、10年間一歩も外になんか出ず、俺の嫁俺の嫁と、二次元に走っていた。友達なんて、一人も居ない。引きこもりになってから、誰一人と連絡なんてとってこなかった。事の大きさが、今、目の前に見えた。
俺と岡の距離は近いようで、とても遠い。
「川沿いとか行くか? 今日は天気が良いから……」
「行かない」
「……え?」
「もう帰る……。やだ。こんなところ、居たくない」
「どうしたんだよ」
背を向けると、岡が俺の腕を掴む。嫌だ。離してくれ。泣きそうになって、「離して」と言ったら、「イヤだ」と断られた。
「帰りたい。帰らせて」
「どうしたんだよ、一体」
「惨めだからだよ! 分かれよ、それぐらい!」
俺の気持ちを岡に分かれって言う方が、無茶だった。それぐらい、無茶なことを言った自覚はあるのに、岡はまっすぐ俺を見つめ、はっきりと言った。
「惨めじゃない。里井は、惨めなんかじゃない」
何を、分かったつもりで言ってるんだ。まず最初に、そう思った。俺がどれほど惨めなのか、岡に分かるはずがない。だって岡は、今まで充実した生活を送ってきたんだ。俺が学校に行かなくなっても、ちゃんと中学卒業して、高校に行って、大学行ったのかどうかは知らないけど、警察官として真面目に働いている。そんな岡に比べて、俺は、中卒の無職だ。しかも10年間、外に出てない。そんな俺の気持ちを、岡が分かるはずなんて無いんだ。無いのに、本当に分かってるような顔をして言うから、信じそうになった。
「今から、一個ずつ、やり直そうぜ。俺と」
一言、余計だったけど、俺はその言葉に頷いてしまった。やり直せるかどうかなんて、まだ分からないけれど、絶望するには早すぎる気がした。岡の一言が、俺を元気づけるなんて、前から考えたらあり得ないことだけど、今日は凹んだ分、元気づけられた気がした。
それから二人で川沿いの土手を散歩して、昼飯を喫茶店で摂って、ぶらぶらと街を回ってから家に帰った。岡は道中、あそこはああだ、ここはああだ、といろんなことを説明してくれた。俺が全然、外に出てないのを知っているような口ぶりに、戸惑いは感じたけれど、街がいきなり変わった違和感は岡の説明のおかげで無くなった。
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