君を好きになる20の方法

4項目 君と二次元と三次元


 流行と言うものは、日々変わるものである。俺の嫁ももう、何代目だろうか。そんなことを考えながら、パソコンのデスクトップを見つめる。相変わらず、二次元は素晴らしいものだった。
「二次の世界に行きたい」
「ダメだろ、それ」
 容赦なく背後から突っ込みが入る。今日も岡は、仕事帰りに我が家へ来ている。皆勤賞だ。俺と岡が出会った日は、日勤だったので定時上がり。その翌日は夜勤だったので来れず、その翌日には夜勤上がりで我が家に襲来、そしてまたその翌日は無理やり外に出されて、今日。日勤だったらしく、夕方過ぎに我が家へ来た。邪魔だから無視してパソコンしていたところ、岡は何も言わずに俺の様子を観察していた。
「里井のお気に入りはそいつなのか?」
「そいつとか言うな」
「相当だな」
 振り返ると岡がニヤニヤと笑っている。その笑いはちょっとだけ気持ち悪くて、椅子を引かせると、岡は「三次元の女に、興味ないの?」と聞いてきた。あるかないか。無い、と、言いたかったけど、言えなかった。俺だって、少なからず、リアルの女の子好きになったことだってあるし、中学の淡い初恋とか思い出すし、彼女だってほしい。イチャイチャラブラブしたい。それが顔に出ていたのか、「合コンするって話があるんだけど、里井、どうする?」と尋ねてきた。俺のことを好きだと言った岡が、そんなことを言うと思わず、俺は目を見開いた。
 もしかして、好きの意味、違う?
「……え」
「今週の土曜なんだけどな。俺、休みなんだよ。で、同僚が合コンするからどうだ? って聞いて来たんだけど、里井も行く?」
 岡は、いたって普通の顔をしていた。
「………………え」
「怖いかもしれないけどさ、これも勉強だと思って行こうぜ。彼女、までは無理かもしれないけど、友達作る良い機会でもあるし。な?」
 ここで、俺が行かないって言えば、岡はどう思うだろうか。喜ぶ? それとも、怒る? 岡の機嫌を伺いながら、それに行くってのも、なんだか変な話で、俺は一つ頷く。行ってみるのも、経験だ。岡はにっこり笑って「じゃ、美容院とか行かなきゃな」と言った。話が違う! と言いたくなったが、確かにこのぼさぼさ散切り頭じゃ、合コンになんか行けない。
「………………分かった」
「お、珍しく前向きな返事。やっぱり、女が絡むと違うな。明日、俺、夜勤だから、夜勤明けに行こうぜ。今度はちゃんと起きろよ。予約、入れるんだから」
 首を縦に振ると、岡は笑う。もし、もしも、俺がその合コンで彼女とか作っちゃったら、岡はどうするんだろうか。やっぱり、好きって恋愛感情とかの好きじゃなくて、ただの人間として、だったんだろうか。ならどうして、岡は俺にここまでする? 岡は、そんなに良い奴じゃなかったはずだ。友達だと思ってる奴に、人生めちゃくちゃにした責任を取る、なんて言うだろうか。岡が何を考えているのか、全然、分からない。
「ん、もう、10時か。なんか人の家に夜遅くまで居座るって、久しぶりだからなんか懐かしいな」
 岡は腕時計を見てから立ち上がり、「じゃぁ、またな」と言って部屋から出て行ってしまう。それを椅子に座ったまま見送って、椅子を回転させた。パソコンのデスクトップには、俺の嫁が笑っている。でも、笑っているだけだ。話しかけもしないし、怒ったり、悲しんだりしてくれるわけじゃない。いつまでもいつまでも、そんなものに固執していて良いんだろうか。岡が、合コンしようとか言うから、俺の意識が三次元へ向いていく。
 嫁か、女か……。選択肢は、まだ一つだけ、ある。
 でも、俺がそれを選ぶ可能性は、まだまだ低い。
 もし、俺が居なかったら、岡はこの合コンに行ってたんだろうか。分からない。岡の好きが、どういう好きなのか、俺にはさっぱり分からなかった。

 岡が一日来なかっただけで、うちはとても静かになっていた。これが当たり前の我が家で、岡が居た我が家は異様な空気だった。姉は相変わらず俺を無視。弟は俺を見ると威嚇する。嫌われている俺は、出来るだけ部屋から出ずに、母さん以外とはコミュニケーションをとらない。父さんだって、俺のこと、鬱陶しいと思ってるに違いない。もしかしたら、母さんだって、俺のことをウザイと思ってるかもしれない。家族全員、俺のこと、嫌いなのかもしれない。そう思い始めたら、ずるずると思考はどん底まで落ちて行き、死んだほうが良いんじゃないか、まで思ってしまう。俺に、生きている価値なんてあるんだろうか。……いや、無い。こうやってたまに、気分が底まで落ちることが多々ある。ベッドに寝転がったまま、壁を見つめる。そうすると、ちょっとだけ気分が落ち着いた。
「おーいって……、寝てるのか?」
 勝手に扉が開いて、声がする。寝返りを打つと、岡が私服で立っていた。今日は制服じゃないらしい。そう言えば、美容院に行くとか何とか言ってた気がする。もう、一晩経ってしまったのか。時間の感覚があまり無かった。岡は俺の顔をジッと見つめ、「何かあったのか?」と聞く。一人、どん底まで落ちてただけで何も無いから首を振ると「そっか」と笑って、ベッドのふちに座った。
「予約、夜からしか取れなかったんだよ」
「……そう」
「だからさ。少し、寝てもいいか?」
 どうしてうちに来て寝るのか分からず、「家に帰れば?」と言う。岡は「良いだろ」と言って、俺の体を端に寄せた。それから勝手に寝転がり、目を瞑ってしまう。気分がどん底だから、言い返す気にもなれなかった。狭いベッドに二人で寝るなんて、気持ち悪い光景だ。岡の肩が、俺の腕にぶつかる。
「退いてよ」
「やーだよ」
「邪魔だよ」
「そうだな」
「キモイよ」
「……うん」
 頷いても、岡は退かなかった。眠たいのか目は閉じていて、呼吸はゆっくりになっていく。仕事明けで、疲れてるくせに、わざわざ来たりするなよ。鬱陶しいってより、なんだか悲しくなって、泣きそうになった。岡が俺をイジメていた事実より、自分のメンタルの弱さが、一番の原因だ。
 俺は弱い。
 引きこもりになったのは、岡だけのせいじゃない。
「……なぁ、里井」
「な、何……?」
 答えてから少し待ってみたが、岡から声が聞こえない。何が言いたいのか分からず、岡を見ると、岡はもう眠ってしまっていた。スースーと寝息が隣から聞こえてくる。ちょっとだけ構えてたけど、バカバカしくなって力を抜く。昨日、眠ってなかったせいか、だんだん眠たくなってきちゃって、俺まで一緒に、寝てしまった。
「おい、里井! 起きろ!」
 肩を大きく揺らされ、俺は目を覚ます。岡が必死な形相で俺を見下ろしていて、何度も何度も肩を揺らしている。一体、何があったんだろうか。岡を見ると「時間!」と騒いでいる。引きこもりの俺に、時間なんて言われても、何がなんだか良く分からない。急ぐことなんて無い生活だから、岡がどうしてそんなに焦っているのか、俺はさっぱり分かっていなかった。
「美容院行くって言っただろ!」
「………………そうだっけ」
「そうだよ! 早く準備しろ」
 そう言えばそんなことも言っていたような気がする。俺はゆっくりと起き上がり、ベッドから降りる。この前、岡が用意してくれた服を着ていけば大丈夫だと思うから、それを着てみた。洗濯した服は、この前よりも肌に馴染んでいる。
「よし。行くぞ」
 服を着ただけなのに、岡は俺の腕を引っ張って早歩きで部屋を飛び出した。どうして、そんなに急いでいるのか分からない。母さんへの挨拶も疎かで、岡は大またで歩く。自分のペースでしか歩かない俺には、岡のペースが辛い。息切れし始めて、ゼーハー言ってるのに、岡はスピードを落とさなかった。競歩のようなスピードで歩いて10分。やっと、岡の足が止まった。顔を上げると、大通りに出ていて、目の前には美容院がある。それを見て、逃げ出したくなった。背を向けようとすると、岡が腕を引っ張って「行くぞ」と歩き始めてしまう。半ば、引きずられるようにして、豪華で煌びやかで派手な美容院へと、連れて行かれた。
 中に入った途端、「いらっしゃいませー」といろんな人が声を掛けてくる。怖い。逃げたい。そう思っているのに、岡は俺の腕をがっちり掴んで受付へと歩いていく。
「予約してた岡です。すみません、遅くなって」
「いえいえ。お待ちしてました。お荷物、お預かりしますね」
 受付の女の人は、岡を見てニコニコと笑っている。中から男の人や女の人が俺をじろじろと見ている。笑顔だけど、その笑顔の裏でキモイとかウザイとか言ってそうで怖くなった。冷や汗が、流れてくる。
「じゃぁ。こちらへどうぞ」
「ほら、行くぞ」
 女の人が案内を始めると、岡が俺の腕を引っ張って歩き始めた。
 対面に鏡がある。自分の姿が映し出された途端、叫びそうになった。気持ち悪い奴が、目の前に居る。それなのに、俺を担当する美容師は「こんにちはー」と鏡越しに会話をするから気持ち悪かった。美容師と、俺が違いすぎる。「どうしますか?」とか言われてたけど、「あ……、あ……、う……、あ……」としか受け答えが出来なかった。
「似合う髪形にしてやってください。初めての美容院だから、こいつ、緊張してるんですよ」
 隣に座った岡が、俺を担当する美容師にそう言う。ちょっとだけ助かった。美容師は岡を見るなりに「分かりました」と言って、「まず、シャンプーしますんで、移動してください」と俺の椅子を回転させた。言われたまま、俺は美容師の後に続き、シャンプー台が置いてある部屋へと入る。薄暗い感じが、心地よかった。かゆいところはありませんか、や、いろんなことを話しかけられたけど、俺は終始「う」とか「あ」とかしか答えられなかった。まだまだ、俺に美容院はハードルが高すぎる。頭を洗い終わり、さっきまで座っていた席に戻ると、岡はすでに頭を洗い終わったようで、美容師の人と楽しく談話しながら、髪の毛を切ってもらっていた。現時点でも短いのに、それ以上、切ってもらうところ、あるんだろうか。美容師の人は、器用に岡の髪の毛を切りそろえていた。
「カラーとか、どうされます?」
「……え」
「あ、カットだけでいいよ」
 俺への質問を、岡が答えてくれる。これは中々便利だった。
「じゃぁ、切っていきますねー」
 適当にきり続けていた髪が、やっとプロの手によって切られた。俺と会話しようとしても会話にならないことが分かったのか、美容師は終始無言で髪の毛を切っている。隣に居る岡とその美容師はわいわいと喋っていて楽しそうだ。会話すらろくに出来ない俺の髪の毛を切っていて楽しいんだろうか。でも、美容師は楽しそうに髪の毛を切っていた。ただ、切るだけでも楽しいのかもしれない。ちょっとだけ、思考がプラスになっていた。10年近くろくに切っていなかったせいか、そろえたりするのに時間がかかり、カットは1時間近くかかった。鬱陶しいぐらい長い前髪は額まで短くされ、視界が明るくなる。もう少し暗くてもいいんじゃないかってぐらい、周りが明るい。耳上まで切られたから、風通しが良くてスースーした。なんだか、気持ち悪い。
「お疲れ様でしたー」
 立ち上がるといろんな人が俺に声を掛けてくるから、ビクッとしてしまい、そそくさと岡が待っている受付へと行く。受付の前で待っていた岡は、雑誌を読んでいて、近寄ると顔を上げる。
「お。似合ってる」
「……そう」
「よし。じゃぁ、今から服を買いに行くぞ」
 岡はそう言って、俺の腕を引っ張る。美容院代はどうするのかと思い、「ちょっと」と声を掛けると、岡は「もう払ったから気にすんな」と言う。何でもかんでも払ってもらう義理は無いから、「服は自分で買う」と言ったら、岡の足が止まった。
「……え、金、持ってんの?」
「母さんからもらった」
 どうやら、岡は俺が金を持ってないと思ったようだ。でも、これは自分で稼いだ金じゃないし、母さんから貰ったと言っても稼いだのは父さんだ。でも、岡に払ってもらうのと、親からお金を貰うのはやっぱり違う。
「土曜、合コンなんだから。それまで持っとけよ」
「何でもかんでも買ってもらうの悪い」
「気にすんなって。俺がしたいの」
「でも、悪い」
「いいから」
 あまりにも岡が真剣に言うから、俺は黙ってついていくことにした。岡が俺にそこまでする理由はさっぱり分からない。地味に、彼女でも友達でも作ってほしいと思ってるんだろうか。
 すれば、岡が俺の面倒を見なくても済む。
 もう、岡は、俺に構うのが飽きてしまったのかもしれない。岡の後ろを追いながら、そんなことを考えてしまっていた。

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