君を好きになる20の方法
6項目 君の好意が怖い
……………………あれは夢だ。そう自分に言い聞かせないと、自我が崩壊してしまうほど、俺は追い詰められていた。岡め。岡めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。アイツ、俺に何をしやがった。キスだ! 分かりきっている。分かりきっているだけに、信じられなかった。俺はただ、俺はただ、童貞だってことを信じてやっただけだ。頷いてやっただけだ。そのお礼にキスか? いらねぇよ、バカ。こんな自問自答を、昨晩からずっと続けていた。
合コンから帰るなりに部屋に飛び込んだ俺を見て、母さんが驚いてた。俺の後を追ってきて、合コンはどうだった? と尋ねられたが、そんなこと答えられるわけがなく、俺は寝たフリをしていた。母さんは、ちょっとの間、「ともちゃん?」と声をかけてきてくれたけれど、岡にキスされて終わった合コンの報告なんてするはずもなく、静かにドアの前から去っていった。新しいトラウマひとつ増えたよ! なんて、明るく報告できなかった。
岡が何を考えてあんなことしたのか、すぐに分かる。あの行動は感情に素直だった。好きじゃなかったらあんなことしない。今まで見えにくかった岡の好意が、今、形になって現れたから怖かった。どうしようか。このまま無視してしまおうか。岡の言う好きは俺も知っている好きだ。俺だって、人を好きになったことがある。女だったけど、人を好きになる気持ちに性別は関係ない。
触れた唇をなぞる。湯だったように熱かった。口の中にたまった唾を飲み込む。息が苦しくて、唾すらまともに飲み込めなかった。
岡はいつも俺に優しかった。イジメていたときとは、大違いだった。合コンの時だって、ちらほら俺を見ていたのを知っている。女の子が、下ネタ連発してるときだって、岡は聞き耳立てていたのか、眉間にシワを寄せていたのを知っている。俺が助けてほしいと視線を送ったときだって、辛そうな顔をしたのも、見てしまった。何かあるとき、俺はすぐ岡を見てしまう。それが癖になっていた。岡も、ずっと俺のことを気にしている。
俺は、岡の好意に甘えていた。
俺が岡のことを好きにならない以上、岡の好意に甘えるのは卑怯だ。せこいと思う。いっそ、イジメられた仕返しに、振り回してやろうか。そう思ったけど、人の気持ちを踏みにじるような行為は、岡とやっていることが変わらない。復讐したいか。俺はしたいんだろうか。岡に対する恨みは、年月と共に、形を変え、消えてしまいそうになっていた。
自分が何を考えているのか良く分からない。自分のことなのに、しっくり来ないから、気持ち悪かった。ベッドに寝転がって壁を見つめる。帰ってきてから何時間経っただろうか。服すら着替えていない。部屋の鍵はかけ、一人閉じ籠っていた。
誰にも会いたくない。岡なんかもっとみたくない。したことに罪悪感を感じて、反省してほしい。いきなりあんなことするなんて、セコい。俺の、俺の、ファーストキス。相手が男だなんて、時間を巻き戻してほしかった。
ゴシゴシと手の甲で唇を拭う。立ち上がって、パソコンの電源を入れる。嫁が満面の笑みを、俺に向けた。笑っているのに、嘲笑っているような、侮蔑を込めた目で、俺を見下ろしている。男とキスするなんて、汚い。と言っているようだった。嫁にまで見放されたら、俺はどうしたら良いんだ。死にそうだ。いや、死んでしまいたかった。……全部、岡のせいだ。岡が俺にあんなことしなければ、俺がこんなに悩むことも、嫁に見放されることも無かった。憎い。岡が憎い。
思考はぐるぐると回った結果、一番最初にたどり着いてしまった。
椅子に座って大きく息を吐き出す。うだうだ悩んでても、岡が悪い以外、答えは見つからない。謝ってこようが、土下座しようが、当分は岡の顔を見たくなかった。避けてしまおう。そう思ったとき、トントンと部屋の扉が、ノックされた。ビクと体が震える。
「里井、起きてるか?」
岡の声がした。返事しようと思ったけど、声が出せず黙り込む。寝ていると思えば帰るだろうか。そう思ったけど、「あのさ」と声が聞こえ、脱力した。岡は、俺が起きているのをしっている。何だよ、エスパーかよ。
「俺、謝んないから」
「はぁ!?」
つい、大声を出してしまう。
「あ、起きてた」
岡の笑い声が、ドア越しに聞こえた。謝らないと言うのは、あのことだろう。いきなりキスしてきて、悪いと思わなかったんだろうか。問い詰めたい。でも、キスされたことを言葉にしてしまうと、それを肯定したようで嫌だ。岡にキスされたなんて、認めたくない。
「俺は悪いことしたと思ってないし」
岡の声は落ち着いていた。
「あれは俺の気持ちだから。無駄にもしたくない」
もう岡の中では思い出になってしまったようだ。呆れ気味にため息をついて、ドアに近づく。まだ、鍵を開ける気はない。でも、話ぐらいならしてやっても良いと思った。岡があんまりにも、自分の気持ちにまっすぐだから、悪い気がしなかった。
ドアを背にして座る。
「……今日、仕事は?」
「ん。夜勤。実はさ、昨日寝れなくて、夜勤中、ぶっ倒れるかも」
岡の笑い声が聞こえる。寝れなかったとか、バカじゃないかって思った。岡が夜勤中に倒れようが何しようが、俺は知らない。
「だから、倒れたら里井のせいな」
「なっ、何で」
「俺を寝れなくしたのは、里井のせいだから」
「自業自得だろ」
寝れないのを俺のせいにされるのは、不可解だった。岡の笑い声が聞こえてくる。楽しそうに笑うから、なんだか苦しくなってちょっと辛い。岡の気持ちがはっきり分かったから、俺と喋ってるだけでも岡が楽しそうだ。きっと、楽しいのだろう。好きな人と喋って楽しくなる気持ちは、俺も分かる。好きなものほど、気分が上がってしまうのも、俺は分かる。だからこそ、俺が曖昧にすればするほど、岡が辛くなっていくんだろう。でも、ちょっとだけ、辛い気持ちを味わったら良いと、性格の悪い考えが、尻尾を覗かせる。
「あ、そうだ。前にさ、食べたがってたケーキ。おばさんに渡しておいたから」
「……え」
「本当だったら、一緒に食べれるのが一番だけど。今は俺の顔、見たくないと思うからさ。おばさんと一緒に食べろよ? おばさん、結構、心配してたから」
ついクセで、岡から見えないと言うのに、俺は頷いてしまう。でも、ドア越しでも感じ取ったのか、「じゃぁ、俺、仕事行くから」と明るくなった声が聞こえる。岡もドアの前で座っていたのか、布を擦る音がした。
「……倒れるなよ」
聞こえないぐらい、小さい声で俺はそう言った。
翌日の夜勤明け、岡は家にやってこなかった。来たら、一緒にケーキ食べてやろうと思ったけど、来なかったから母さんと一緒に食べ、俺はまた部屋に引きこもった。来なくて、良かった。ちょっとだけホッとしてしまい、情けなくなる。まだ、岡と顔を合わせるのは辛い。岡が買って来たケーキは、俺の好みを知ったかのように、ショートケーキだった。好きだなんて、一言も言ってない。きっと、ケーキを食べた俺の顔が、嬉しそうだったからなんだろう。岡は細かいところまで良く見ていた。
部屋に戻って、鍵をかける。ガチャンとデッドボルトが落ちる音を聞くと、安心できた。一息ついて、椅子に座る。ネットでもしようかと画面を開くが、やる気は起きなかった。カチカチとお気に入りのサイトを巡回して、専用ブラウザ立ち上げてスレッドを見る。面白そうなのはやっていない。いつもだったら適当に開いて書き込みするのに、今日はそんな気すら起きなかった。
椅子から降りてベッドに寝転がる。岡が来ない日はあまりなかっただけに、ちょっと暇だと思ってしまった。なんだかんだ言って、俺は岡が来るのを楽しみにしてるじゃないか。何でだろう。まだはっきりとした気持ちは、俺の中に生まれてなかった。天井を見上げて、息を吐き出す。昨日、寝てないって言ってたから、岡は帰って寝てるに違いない。だから、俺も寝ようと思って、目を瞑った。
少しずつ、少しずつ、気持ちが落ち着いてくる。岡にキスされたのはかなりびっくりしたし、ファーストキス返してほしいけど、今更、そんなことを言ったって仕方ない。ごちゃごちゃ思うことはやめた。嫌いか、嫌いじゃないか。イジメられていたことは、記憶の中で風化されつつあるから、どうでもよくなっていた。引きこもりになった起因ではあるが、原因は俺だ。俺自身の弱い心が、この現状を生んだ。それだけは間違いなかった。
当時は分からなかった。つい最近まで、知らなかった。全部、俺は岡のせいにして、自分を正当化する。もっと俺が強かったら、岡にちゃんと言い返すことが出来れば、こんなことにもなってなかったかもしれない。
やっぱり、考え始めたら思考が止まらなくなって目が冴える。リビングへ行こうとしたとき、とんとんと部屋の扉がノックされた。ドキと、心臓が飛び跳ねる。
「家帰って、寝てた」
岡の声が聞こえた。
俺はゆっくりと扉に近づき、ドアを背もたれにして座る。
「さすがに二日間起きてるのは辛かったわ。途中、寝てて怒られたし」
笑い声が聞こえて、「自業自得だよ」と俺は言う。扉の向こうから「起きてたのか」と嬉しそうな声が聞こえた。時計を見ると、もう夜になっている。夕飯はいらないと母さんに伝えていたから、今が何時だったのかよく分かっていなかった。
「この時間は大体、起きてる」
「そっか。俺、さっき目が覚めてさ。やっべー、里井の家行かなきゃって必死になって来たよ」
「別に……、来なくてもいいのに」
急いできて事故られたなんて言われたら、後味が悪い。岡の笑い声が廊下に響く。
「里井のところへ行くのは、日課だから」
「……何それ」
呆れ気味に言う。
「声だけでもいいから、聞きたいじゃん? ま、顔、見れるのが一番だけどさ。こうしてドア越しに会話するのも中々楽しいな。おばさん、俺のためにわざわざ座布団まで用意してくれてさ。すごく申し訳ないけど」
ただ、それだけの気持ちでうちに来ているのが、すごく苦しくなった。岡の気持ちはストレートで、強烈だ。野球のストレートと同じだ。まっすぐ、俺のところに飛んでくる。それを俺は受け取ることが出来ずに逃げてしまう。今もそうだった。
「そういや、この前、川沿い散歩しただろ? あそこにコスモス咲いてたの、覚えてるか?」
「……うん」
「あれさ。俺たちと幼稚園生が植えたんだぜ? キレーだっただろ」
どうして、それを岡が自慢げに言うのか分からず、「そこまで覚えてないよ」と言う。
「また、見に行こうぜ。枯れる前に」
俺は、頷くことができなかった。
「あと、そろそろ紅葉の季節だからな。神社のもみじが綺麗だぞ」
「……へぇ」
「あと、秋って言えば果物だよな。俺の家の大家さんがさ、柿、くれるんだよ。りんごとかぶどうとかもくれるんだけど、今度持ってくるから、食べような」
岡は次々と、俺にそう提案する。岡はやりたいことが沢山あって、わざわざ俺を誘ってくる。俺の気を引くためなんだろうか。それとも、ただ、したいだけなのか良く分からない。岡の好意がはっきりと分かってしまったら、次はその行為に下心があるのか無いのかが気になって、岡を拒絶してしまう。
一緒に居るのが、怖い。
顔を合わせるのが怖い。
岡の好意が、怖かった。
「秋って、色々あるよなぁ。食欲、運動、読書、芸術。今月末にはさ、地区の運動会にも無理やり出されることになって、負けたら焼肉奢れとか上司から言われててさ。プレッシャーなんだよなぁ。地区別の運動会に、人数が足りないからって強制参加。上司もこの辺に住んでて、子供のために人肌脱ぎたいとか言って、張り切っちゃってんの。来れたらで、いいからさ。里井も来いよ」
楽しそうに喋る声を聞いているのが辛かった。黙り込んでいると、トンとドアから衝撃を感じる。ドアを殴ったのか、もたれたのか、良く分からない。
「おい。なんか答えろよ」
言い方は怒っているようだったが、声は笑っていた。
「……先のことなんて分からないよ」
仕方なく答えると、笑い声が聞こえる。
「里井が来てくれたら、俺、1位取れるわ。でも、来てくんなくて、負けて、焼肉奢るはめになったら里井のせいな」
「……なんで俺の」
「だって、里井が俺のこと、避けるから」
はっきりとした言葉で、そう言われた。遠まわしでもない、ストレートな、岡らしい言い方。岡はあまり、遠まわしな言い方をしない。言うと決めたら、分かりやすく簡潔な言葉を使ってくる。
だから、思ってる以上にダメージを食らう。
胸が痛い。
「……避けてなんか、ない」
「ならいいんだけど。人と、顔を合わせたくないときってあるしな」
岡の声は相変わらず笑っている。
でも、表情はどうなんだろうか。
そう疑問に思っても、扉を開ける勇気は無かった。
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