君を好きになる20の方法
7項目 君が好きなのは、俺
ドア越しの会話が、当たり前になった。
岡はほぼ毎日、うちへやってきて、ドアの前に座り、俺に一日の報告をしてくる。パトロールをしているとき、学校の先生にあった、だの、中学生を補導をしたらクソジジイって言われたこととか、どうでもいいことを沢山喋る。俺はそれを聞いて頷いているだけだ。聞いているだけでも、結構、楽しかった。岡の話だけで、町がどんななのか分かる。ちょっとだけ外に出てもいいかなって気になったけど、まだ岡と顔を会わせたくなかったから、それは伝えない。
「なぁ、里井は最近、何してんの?」
ふいに、岡がそんなことを尋ねる。
「……会話」
「それは今だろ? 俺が居ないときだよ」
岡が居ないとき。特に何もしていなかった。パソコン立ち上げてゲームしてるか、ネットしてるか、漫画読んでるか、エロゲしてるか。充実した毎日を送ってるわけではない。
「ゲーム?」
「何で疑問系なんだよ。俺、RPGとかアクションゲームならやるけど、里井は?」
「俺も似たようなものだよ」
シュミレーションゲームが主ですが。なんて、きっと会話が続かないからやめた。そう考えて、俺は疑問に思う。どうして、わざわざ岡と会話を続ける必要がある。ないんじゃないか? だって、別に、喋りたくて喋っているわけじゃない。岡と顔合わせたくないのに、会話したいなんて、可笑しいじゃないか。自分が何を考えているのか、良く分からない。
「じゃぁ、ファイファンとかやってた?」
「……ファイファンとかだっせー。エフエフだろ」
「うるせーよ」
岡が笑う。
「ネトゲ以外のシリーズは全部やったよ」
「お。さすが。俺、7と10しかやってねーや。どのシリーズが面白い?」
さすが、岡。にわか乙、と言いたかったが黙る。
「そうだね。昔は昔で面白かったし。今はリメイクとか出てるから、手っ取り早く4とかやってみれば?」
「あぁ、DSでやってるな。すれ違い通信だっけ?」
「それ、ドラクエ」
会話していると、ドラクエもFFも分かっていない気がする。ドアにもたれかかって、岡の様子を伺う。
「里井、DS持ってる? 俺、ポケモンやりたいんだけど、通信しないと進化しねーやつとかいるじゃん?」
「持ってるよ。ポケモンもブラックホワイト両方買った」
「金銀のリメイクは?」
「買ったよ」
「どこまでやってる?」
「越したよ」
やり始めたらキリがないポケモンだけど、とりあえず、ストーリークリアを目標にやっている。それからは、またポケモン集めたりとか、種族値、努力値いろんなものを厳選しながら、最強のポケモン作ったりとかしてるけど、対戦する相手が居ないから意味が無い。
「対戦しようぜ」
「俺の、強いよ」
「え、マジで?」
岡の動揺が見える。
「だって、1ヵ月ぐらいずっとやってたし」
「やりすぎだろ! 確かに俺も仕事の休憩中とか帰って来てからとかやってたけどさ」
「プレイ時間、500時間こえてるし」
「俺、200時間で自慢してた……」
普通の社会人が200時間もプレイしてたら自慢できると思う。ちょっとだけ笑うと、「結構、凄いだろ!?」と岡の声が明るくなる。なんか単純で笑ってしまった。
「凄いんじゃない?」
「なっ……、適当だろ!」
「そんなことない」
「……ほんとかよ」
どうやら、岡は俺の言葉を疑っているようで、声が小さくなる。
「凄いよ」
もう一度、念を込めてそう言った。
「こっから、通信対戦とかできねーかな」
向こう側から、トントントンと扉を叩く音が聞こえた。
「障害あるから無理じゃない」
「じゃぁ、扉開けろよ」
岡ははっきり言う。
「やだ」
俺もはっきり言う。
「何で」
その質問に、俺は答えることが出来なかった。どうして、この扉を開けることが嫌なのか、まだよく分かっていない。でも、岡と顔を合わせたくない。顔を合わせてしまったら、何かが壊れるか、爆発するか、とにかく今の俺が変わってしまいそうで怖い。そして、岡の好意がまだ怖い。
「………………、まぁ、気が向いたらで良いけど」
無理していつも通りの声を出す岡が、どんな表情をしているのか、何となく分かってしまった。苦しい。これと言って厚い扉ではないが、この扉が俺にとっての砦であり、岡にとっては分厚い壁になっているんだろう。開ければ、未来が変わる。
「じゃ、俺、そろそろ帰るわ」
布の擦れる音が聞こえ、俺も扉から立ち上がる。
「またな」
岡はそう言って、部屋の扉の前から去っていった。トントンと階段を降りる音が聞こえて、ホッとする。そっと鍵を開けて下の様子を伺っていると、「お邪魔しました」と滑舌の良い声が聞こえた。「あら、もう帰るの?」と言う母さんの声も、聞えてくる。玄関の前に階段があるから、声が2階まで響いてくる。
「明日は早出なんですよ。だから」
「あら、そうなの。頑張ってね」
「はい、ありがとうございます」
「……智弘はどう?」
母さんの声が小さくなる。俺の様子を聞いているってことは、心配をかけているんだろう。ここ最近、外に出たりして、行動が活発だったから余計なんだろう。岡の声は聞こえてこなかった。何て答えたんだろうか。まだ、ちょっと、とか言ってるかもしれない。あまり良い返事をしていないのは確かだ。だって、俺はキスされてから岡の顔を見ていない。
「じゃぁ、また明日来ますんで」
「ごめんなさいね。ありがとう、岡君」
「いえ……。俺も夕飯御馳走になってるんで……。こちらこそ、ありがとうございます」
気付かれないよう、俺は扉を閉め、窓に向かった。玄関の真上にある俺の部屋は、窓から道路が見える。そっとカーテンを開け、外を見ていると私服姿の岡が出てきた。門を出て、岡が立ち止まる。岡が振り向くのと同時に、俺はパッとしゃがんだ。見られているのがバレたら、岡が家の中に入ってきそうだ。数十秒ほどしゃがんだ状態を維持し、俺はそっと窓を覗きこむ。
岡はまだ、俺の部屋を見つめていた。
気まずくなって、またしゃがむ。
久しぶりに、岡の顔を見た。何を考えているのか分からなかったけれど、岡は少し笑っていた気がする。まっすぐ、俺の部屋を見つめている目は、俺の存在には気付いていなさそうだった。動悸が激しい。胸を握りしめて、俯く。ドキドキ、ドキドキ。いつもより早い心拍数は、怖かったのか、それとも、別の感情なのかよく分からない。なぜ、顔もあわさず、会話をしているだけなのに、あんな嬉しそうなのか分からない。俺だったら、絶対めげてる。凹んでいる。
岡はポジティブだ。凄くポジティブだ。
だから、ちょっとぐらい、キツイことを言ったって大丈夫だと、俺は思い込んでいた。
岡が家の前から居なくなったのを確認してから、俺は1階へ降りる。俺の姿を見るなりに、母さんが「ともちゃん。岡君が持ってきてくれたわよ」と言って、シュークリームを差し出した。相変わらず、まめな奴だ。別に何も持ってこなくてもいいのに、俺が引きこもってからずっと、岡は手土産を持ってきていた。ちゃんと、5つ入っている。家族の分、なんだろう。
「ここのシュークリーム、テレビに出たのよ」
「へぇ、そうなんだ」
「いっぱい並んでて買えないのに、岡君、並んだのかしら」
岡ならやりかねないと思った。ガチャガチャと玄関の鍵を開ける音が聞こえ、俺はビクと体を震わせる。「ただいまー」と言って帰ってきたのは、俺の姉だった。リビングに来るなり、「……うわ、最悪」と言って俺を睨み付ける。嫌われてるって分かってるから、部屋に戻ろうとしたところ、腕を掴まれた。
「……離してよ」
「アンタさぁ、岡君が何で仲良くしてるか、分かってる?」
姉の厳しい一言に、胸が軋む。
「……………………知らない」
分かってた。俺はなぜ岡がここまでするのか、ちゃんと分かっている。分かっているけど、そんなこと家族に言えず、知らないふりをした。俺の返答を聞いた姉は、呆れたような顔をして俺を見る。
「使命感だよ」
「……え」
思いも寄らない言葉に、戸惑いが隠せなかった。
「岡君。責任感強いから、アンタみたいな引きこもり放っておけないだけだよ。勘違いしないほうがいいんじゃない?」
「……勘違いしてるのは、姉ちゃんのほうだ」
声が震えた。岡はそんな気持ちから、俺に構ってるわけじゃない。分かっても無いくせに、そんなことを言うのは腹が立つ。
でも、本当にそうだと言えるだろうか?
キスされたぐらいで、調子に乗って良いものだろうか?
怒りと不安が、交錯する。
「はぁ、何よ。引きこもりのアンタに現実ってのを教えてやってんじゃない。岡君がしてることは、仕事の範囲内よ」
「違う!」
「何で違うって言い切れんのよ。分かるように説明しなさいよ」
目から涙が溢れて、視界が滲む。
「……岡は、岡は……」
岡は俺との関係をやり直したいと言った。
岡は俺の人生をめちゃくちゃにしたから、責任取るって言った。
岡は俺と仲良くしたいって言った。
岡は俺と一つずつやり直していこうと言った。
岡は、俺のことを好きだと言った。
だから、違う。
岡はそんな奴じゃない。
「お姉ちゃん! ともちゃんをイジメないの」
見かねた母さんが、口を挟む。姉ちゃんの目が母さんに向けられ「どうしてお母さんはすぐにコイツの肩を持つの」と母さんにも怒っている。俺一人のせいで、みんなが疑われる。
岡も、母さんも。
「どうして、お母さんも岡君も、こんな奴庇うの? 普通に考えてあり得ないよ。アンタ、岡君を部屋にも入れず、廊下で喋ってるんでしょ? 失礼だと思わないの? まず、そこが間違ってるのよ。せっかく、岡君がわざわざうちまで来てくれてるのに、どうしてアンタがそんな態度取るのよ。嫌なら嫌ってはっきり言えばいいじゃない。そうしたら、岡君だってアンタのところなんか来ないわよ。所詮、アンタの存在なんて岡君からしたら、そんなもんなのよ」
「お姉ちゃん。言いすぎよ」
「お母さんは黙ってよ。コイツに現実ってもんを……」
「一番分かってないのは姉ちゃんだ。岡のこと何も知らないくせに、姉ちゃんが偉そうなこと言うな!」
腕を振り払って姉ちゃんを睨み付けた。ぽろぽろと涙が落ちる。決して、同情なんかで岡は俺に話しかけてきてるわけじゃない。
「……どうしてそう言えるのよ」
「俺が、俺が……、学校に行かなくなったのは、岡のせいだから」
「じゃぁ、もっと納得したわ。岡君は、罪滅ぼししに、ここまで来てるのよ。アンタに同情してね」
姉ちゃんの手が、離れていった。
「確かに岡君だってひどいことをしたかもしれない。けど、引きこもりになったのはあんたのせいでしょ? もういい年こいた大人なんだから、それぐらい、弁えなさいよ」
「……お姉ちゃん。言い切るのはよくないわよ。岡君から聞いたの?」
「違うけど……。そうとしか考えられないじゃない」
「だったら、違うかもしれないじゃない。ね、ともちゃん」
なんだか、すごく惨めで悔しくて、何も言い返せなかった。零れてくる涙を拭って、俺は姉ちゃん達に背を向ける。こんなところに居たくなかった。分かってくれないのは、全部、俺のせいなんだろうか。俺が、岡を受け入れれば、みんなは満足するんだろうか。それじゃぁ、俺の意思はどこへ行く。俺だって俺なりに色々考えてることがあって、分からないなりに努力してる。それが周りに伝わらない。と言うことは、必然的に俺が努力していないのではないかと、思ってしまった。俺の努力が足りないから、誤解される。分かってもいないのに、分かったように言われる。俺が引きこもりをやめたら、みんな満足なのか。大円満になるのか。俺一人が、我慢すれば良いのか。
……そんなの、間違ってる。
それはただの、仮初でしかない。
もし、こんなことを言われたと岡に言ったら、岡はなんて答えるだろうか。そうだよ、と肯定するかもしれない。違うよ、と否定してくれるかもしれない。そんなの俺も姉ちゃんも母さんも、誰も分からないことだ。岡の考えは、岡しか分からない。そんなことで口論するのは、時間と体力の無駄だ。そう思ったら、幾分かすっきりした。
岡のことは岡しか分からない。岡の気持ちを、俺が語るのも、姉ちゃんが語るのも、間違ってる。
好きなのは本当だから、信じてと言った岡の言葉を、俺は信じた。だから、誰に何を言われようが、岡が俺のことを好きだと言う事実は、疑わない。
岡が好きなのは、俺。
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