俺の思い込みは激しい
一緒に居る時間が長くなると、慣れてくると言うかなんと言うか。最初の頃の甘い雰囲気なんて、あっという間に無くなってしまった。寂しい。寂しい。一緒に住んでくれると言ってくれたものの、それ以降、進展なんか無かった。
家に行ってもゲームばっかりしてるし、俺に見向きもしないし、話しかけても素気ないし、里井が何を考えてるのか良く分からない。それに文句を言ったら案の定怒られてしまったけど、不満はまだ持っていた。
そもそもだ。人が来てるのにゲームってどうなんだろう。俺もゲームするって言ったって、里井ほどではない。と言うか、ここ最近、里井はよくゲームをするようになった。それがなぜかは分からないし、俺と一緒に居るときだってなんか詰まらなそうだ。これが俗に言う、倦怠期、なんだろうか。そんな危機を感じてるのも俺だけで、里井はと言うといつも通りだった。
「……へー」
返事は相変わらず、つまらなさそうだ。そんなに面白くない話をしてるだろうかと、里井を見ると目はパソコンの画面に向けられている。そんなに俺の話は面白くないだろうか。話すことをやめても、里井の目はパソコンに向けられたままだった。気にもしてないのだろう。どうしようか。無理やり注意を引かそうとしても、怒られそうな気がしたから諦めた。
「……帰るわ」
「うん」
「じゃぁ」
「じゃぁね」
最後まで里井は俺を見ようとしなかった。本気で嫌われてるのかと、帰りながら考える。やっぱり毎日毎日、家に通いつめてたのがいけないのか。一人トボトボと帰るのは、とても久しぶりだった。
こんな調子で仕事をしたって上手く行くわけなんてなく、俺は凡ミスを連発しまくっていた。上司には怒られるし、先輩にも怒られるし、散々だ。相変わらず、里井は俺に素気ないし、夜勤明けに行っても家に居ないことも多かった。そうなってくると、今度は他に好きな奴が出来たんじゃないかって言う不安が襲ってきて、うだうだと一人悩んでいた。
そんな日が数日続いたある日、中学の時の友達が飲みに行かないかと誘いのメールが入った。里井と付き合い始めてから一年と半年。そんなに友達と遊んだりしてなかったから、少しぐらい距離を置くのが一番だと思って、誘いに乗った。少しは心配でもしてくれるかなと思って、家に行かないと連絡しないつもりでいたが、里井よりも里井のお母さんが俺のことを心配してくれるから、何だか申し訳なくなって連絡した。今日は飲みに行くからと手短に用件を言うと、里井は『あっそう。楽しんでおいでよ』と興味なさそうに言う。そんな風に言われると、本当に俺のことが嫌いなんじゃないかと思いっきり凹むハメになった。
一度、家に帰って荷物を置いてから、待ち合わせ場所の居酒屋へ行く。中に入って室内を見渡すと、「おーい、岡!」と声が聞こえた。視線をそっちに移すと、少し老けこんだ友人が目に入る。中学の時に仲が良かった沢村だ。
「久しぶりだな」
ちょっとだけテンションが上がった。やっぱり、久しぶりに仲の良かった友達に会うと、懐かしさが込み上がってくる。対面に座ってやってきたバイトの女の子に、生ビールを頼む。沢村のところにはもう、半分ほど減ったジョッキがあった。
「お前、もう飲んでるのかよ」
「だって、来るのおせーんだもん。待ち切れなくってよ」
「沢村、ちょっと太った? やっぱり、父親になると体型とかもかわんのか?」
茶化して言うと、沢村は「そんなことねぇよ」と真面目に言い、自分の腹をさすった。
沢村は四年前に結婚して、もう一歳になる子供がいる。嫁さんとも顔見知りで、何度か家にお邪魔させてもらったことがある。最近、疎遠だったのは沢村には家庭があるし、俺も俺で周りとは違うシフトで生活してるから、予定が合わなかった。こうやって飲みに行くのは、いつぶりだろうか。さっきまで陰鬱だった気持ちも、徐々に無くなっていくのを感じた。たまには里井以外の奴と遊んだりするのも、必要なのだと思う。一緒に居る時間が長ければ長いほど、退屈してくるのも分からなくはなかった。
「子供、大きくなったか?」
「おー、もう、毎日大変だよ。今日はたまたま嫁が遊びに行って来いって言うから、岡を誘ったんだけどよー。最近、どうよ。彼女とか、出来た?」
ニヤニヤと笑いながら、沢村が俺に尋ねる。そこでようやく、バイトの子がビールを持ってきてくれた。話は一旦中断し、食べたいものを注文する。目に付いたものをとりあえず頼むと、「お前は相変わらず良く食うな……」と呆れ気味に言われた。そんなに食べてるつもりはないが、やっぱり俺はかなり食べる方なんだろう。
「仕事明けで腹減ってんだよ」
「おまわりさんだもんなぁ。なんか岡の警官姿は想像できないな」
「今度、お前の車見つけたら、切符切るからな」
「うわ、職権乱用。善良な市民を国家権力で脅すなよなぁ」
ケラケラと笑いながら乾杯をする。ジョッキの中に入ったビールを半分ほど飲み干す。喉を突き刺す炭酸が、仕事終わりの疲れた体を癒してくれる。叩くようにジョッキをテーブルの上に置き、息を吐く。声が出てしまうあたり、俺も歳を取ったなと思った。つきだしの春雨サラダを一口で食べる。さっきの質問は出来るだけ流したかったが、沢村はそれを許してはくれなかった。
「で、どうなんだよ。岡って、すげぇモテるのに彼女作んないんだもんなぁ」
「……付き合ってる奴はいるよ」
一応。と小さい声で言う。すると、沢村は目を見開いて「マジで!?」と叫んだ。その声は店中に響いてしまい、一気に視線が俺達に集中した。そんなこともお構いなしに、沢村は身を乗り出して俺に追及する。
「えー! いつからだよ! 言ってくれよなぁ。ついに岡も誰かと付き合うようになったのか! 童貞卒業?!」
「……大声で言うなよ。っていうか、別に誰かに自慢するほどのことでもないだろ」
「けどさぁ、お前、ずっと好きな奴が忘れられないって言って、どんなに可愛い子でも見向きしなかったくせに……。ついに、その好きな奴と?」
「ま、まぁ……、な」
それが男だとは、口が裂けても言えなかった。いくら仲の良かった友達と言っても、俺が男と付き合ってるなんて事を知れば偏見の目で見るだろうし、その相手が不登校だった里井と分かれば、もっと引くはずだ。なんだかんだ言って、俺は物凄く体裁を気にしてるのかもしれない。言えないことが、今さらになって申し訳なくなった。でも、どんなことがあっても、このことは口にできない。
「えー、そうかぁ。それはよかった。今度、家に連れてこいよ」
「あ、……えっと、それは無理だな。相手、すげぇ人見知りするし、引きこもりだし」
「……え、そうなの? 別に悪意があって尋ねるわけじゃないけど、お前さ、どうして好きになったの?」
凄く考えたが上手く説明できなくて、「一目ぼれ?」と曖昧な言葉で誤魔化してしまった。それでも沢村は「なるほどなぁ」と頷いてくれて、何とか事なきを得た。ホッとしたのもつかの間、沢村の質問責めは止まらない。
「で、いつから?」
「えー、一年と半年前ぐらい?」
下手に嫌がると怪しまれる可能性があるから、里井だと分からない程度に答えることにした。付き合い始めた頃のことを思い出すと、何だか楽しい気分になってきた。けれど、また近日のことを思い出してブルーになる。俯くと沢村に気遣われる。
「どうしたんだよ?」
「え?」
「なんか、暗い顔してね? 今、幸せなんじゃねぇの?」
幸せかそうじゃないかって聞かれたら、もちろん、幸せなほうにいるって答えるだろう。けど、それに疑問を覚えるのは、幸せじゃないと思ってるからだろうか。
「分からないなぁ」
「何だよ。恋愛に関しては俺のほうがかなり先輩なんだから、相談してみろよ」
甘い誘惑にも似ていた。確かに高校の時から、いろんな女の子と付き合ってきた沢村は、恋愛に関しては俺なんかよりもエキスパートだ。ましてや、浮気もしまくったせいで、修羅場は何度も経験している。今の嫁さんとは上手くやっているし、浮気なんて絶対にするもんじゃないと豪語してるから、大丈夫だと信じている。
どうしようか。迷っている最中にも、俺は何度も言葉を吐きそうになっていた。それはつまり、聞いてほしいんだろう。まぁ、里井とバレる可能性も低いだろうし、喋ってしまっても良いかと俺は愚痴を零した。
「なんか、素気ないんだよなぁ」
「……なるほどなぁ」
「元々、淡泊だったんだよ。人見知りするし。最初、俺のことすげぇ嫌ってたから。けど、やっと好きになってもらって、両想いになって、毎日顔を合わせてたらどんどん素気なくなってきて、ゲーム好きだったこともあって俺と一緒に居てもゲーム三昧。ちょっとぐらいだったら俺も出来るけど、パソコンでやるゲームなんかほとんどが一人用だろ? そんなの目の前でやられたら、俺、黙ってることしかできねーし……。嫌いになったのかなって」
吐き出してしまうと、すっきりしてしまった。ジョッキに残ったビールを飲み干し、新しいのを頼む。沢村は「うーん」と唸って俯いていた。俺のために、わざわざ考え込んでくれるのは嬉しくもあり、申し訳ない気持ちにもなった。こんな暗い話をするために、飲みに来たわけじゃない。
「それに引きこもりでロクに外も出れなかったのに、最近、やたらと出てるんだ。今までだったら俺が家に行ったら必ず居たのに、居ない日のほうが多い。避けられてるとしか思えないんだよな。……どう思う?」
沢村は数十秒ほど黙り込んでから、ポンと手を叩いた。
「……それは、浮気の可能性があるかもな」
雷に打たれたような衝撃が、俺を襲った。
「まぁ、それはジョーダンだよ。岡を相手に、浮気する女とかいねーって」
「わ、わわ、わ、わっわ、わわわ、わ、分かんないだろ、そんなの」
「おいおい、動揺しすぎだろ。とりあえず、もうちょっと様子見てみろよ。たまたまかもしれないだろ? 引きこもり治ったのかもしれないし。今までがちょっとくっ付きすぎてたんじゃねぇの? なんか岡が真面目に悩んでるみたいだから、からかいたくなっただけだ。気にすんなって」
沢村はケラケラ笑いながら、ジョッキに残ったビールを飲み干す。丁度タイミング良く、俺のところにビールジョッキが置かれ、沢村はついでにビールを頼んでいた。
俺の頭の中には、浮気、と言う三文字が、ずっと巡っている。
「あ、そうそう。ゲーム好きで思い出したんだけどよー。二年の時に、同じクラスだった里井って覚えてる?」
「へ!?」
里井と名を出され、俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「岡はあんま覚えてないかなー。タイプ違ったもんなぁ。三年から不登校になって、来なくなった奴なんだけどさ。ほら、クラスでもアニメとかゲームとかが好きな奴がいたじゃん? そのうちの一人なんだけどさ」
「さ、ささ、さ、里井のことは覚えてる」
覚えてると言うより、今付き合ってる奴が里井なんだけどな。そう思いながらも、俺はぐっと口の中に溜まった唾を飲み込む。体内に入ったアルコールは、蒸発してしまったように無くなってしまっている。サーと血の気が引くのを感じた。
「アイツさ、駅の近くのゲームショップで働いてんのな。この前、ばったり会ってびっくりしたよ。中学卒業するまで学校来なかったし、その後も何してんだか知らなかったけど、なんかふつーに働いてるからびっくりした。試しに話しかけたら、案外、普通だったしな」
あははーと笑っている沢村を無視して、俺は立ち上がった。そんな話、俺は一切、聞いていない。そもそも、いつ引っ越すか分からないから働かないでくれって言ってるのに、どうして里井はゲームショップで働いたりなんかしてるんだ。
「……え、岡、どうしたの?」
「ちょっと用事思い出したから、帰る。悪い」
「え、あ、おいー!!!!!!!!!!」
怒鳴り声が聞えたけど、構ってなんか居られなかった。全力疾走で里井の家に向かう。夏の湿度の高い空気は、汗を蒸発させず、ダラダラと流れる。家の前に到着して、部屋に居るのを確認してからドアを開けた。廊下に立っていた里井のお母さんが「あら、岡くん。どうしたの?」と笑顔で尋ねる。
「里井に用事があって。お邪魔します!」
返事は待たずに部屋に駆け込んだ。ドアを開けると、パソコンを目の前にイヤホンをしてた里井が、驚いた顔で振り返る。
「どうしたの。今日は飲みに行くんじゃなかったの?」
「来ちゃ、いけないのかよ」
「そうじゃないけどさ。もっと遅くなるのかと思って。……って言うか、なんか怒ってる? どうしたの?」
里井は首を傾げていた。俺が怒ってる理由、分からないんだろうか。近づいて腕を掴むと、「ちょっと待って」と冷静に言い、パソコンに目を向ける。それが無性にムカついて、怒りが頭に昇るのを感じた。
「俺の方を見ろよ!」
思いっきり怒鳴ったついでに、頬を叩いてしまった。思わず手が出てしまい、急に怒りが冷めて行くのを感じる。
「……あ、ご、ごめ……」
里井はぶたれた頬を片手で押さえ、俺を見る。
「いきなり殴られても、意味が分からないんだけど? ちゃ、ん、と、説明してくれるかなぁ? 岡くん?」
正直言って、目がかなり怖かった。
やって良いことと悪いことってのがあり、俺はやってはいけないことを里井にしてしまった。怒っているときはちゃんと、相手にどんな理由で怒ってるかを伝えなきゃいけないし、説明をすれば分かってくれる奴だと知りながら、俺は怒りを半ば強制的に里井にぶつけてしまった。その結果は、まぁ、土下座だ。里井はパソコンデスクの椅子に座り、俺はその下に正座した。
「も、申し訳ありませんでした……」
深々と頭を下げると、上から冷たい声が降ってくる。
「別に謝らなくて良いんだけど。何で俺は殴られたわけ? お父さんにもぶたれたことないんだけど」
「う、それは……。里井が俺の話を聞いてくれないから」
「だから、それはゲームの最中だったから、離席するって仲間に伝えたかったんだけど」
「な、仲間?」
「そう。今やってるの、オンラインゲームだからね。ここに映ってるプレイヤーみんな人間だよ」
そう言って里井は、俺にパソコンの画面を見せてくれた。中世のヨーロッパみたいな街並みに、沢山のキャラクターが映っている。頭の上にはローマ字で何かが書かれていて、自由自在に動いている。これがみな、人だと言うのか。たった二十インチの小さい画面の中に、世界が広がってるようだった。
「すげぇ」
感嘆の息が漏れる。
「でしょ。ちょうど、チャットしてる最中だったから、突然返事が無くなっちゃったら、相手が困るでしょ? 話は聞く気だったよ。だから、相手にパソコンの傍から離れますよって言うのを伝えたかったんだけど。まぁ、知り合いだから大丈夫でしょ。で、俺に何の話だったの?」
里井に話を蒸し返され、沢村を放ってまでここに来た理由を思いだした。俺は立ち上がって、里井の腕を掴む。いきなりだったせいか、ビクと震えるのを両手越しに感じた。もしかして、恐怖を与えてしまっただろうか。申し訳なくなって、里井の体を抱きしめる。
「叩いて、ごめん」
「……まぁ、それはいいよ。叩いたなりの理由があったんでしょ? どうしたの。ちゃんと、聞くよ」
「正直に答えてほしいんだけど」
「……ん? うん」
「俺に、飽きた?」
俺は真面目に尋ねた。里井が咄嗟に俺の体を突き放し、拳が近づいてくる。殴られる! と思った時には既に殴られていて、バキと鈍い音が響いた。左頬が焼けるほどに熱い。
「よくそんなこと真剣に聞けるな!」
「だ、だって、里井最近素気ないじゃん! それに俺に内緒で働いてることだって知ってるんだからな!」
「それは、一緒に住もうって言われたから、資金貯めてるんだよ!! ふざけんな、バーカ!!」
そう言って、里井は俺の腹を思いっきり蹴る。みぞおちにクリティカルヒットした俺は、その場に蹲り悶え苦しむ。この苦しみが里井の苦しみなのだろうか。
そうか。一緒に住むためのお金を、わざわざ貯めてくれてたのか。どうして、俺はちゃんと聞いてやることが出来なかったんだろう。今更そんなことを後悔しても、もう遅い。蹲っていると、上から声が降ってきた。
「次、同じこと聞いたら、別れるから」
「……す、すみません」
「絶対に許さない」
「つ、月見バーガー出たら買ってくるから」
「全種類ね」
「はい……」
まぁ、でも、月見バーガーぐらいで許してくれるんだから、それはやっぱり愛なのかなって思う。腹をさすりながら体を起こすと、目に涙を浮かべた里井が俺を見てすぐに顔を背けた。あぁ、また俺は里井を泣かせてしまうところだった。立ち上がって、俺なんかより小さくて細い体を抱きしめる。
「なぁ、里井」
「なんだよ」
「今日はうちに来てくれる?」
ゆっくりと頷くのを、体で感じた。
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