俺を好きになってもらう方法
壁越し編
あー、やっちまったなぁ、と思ったと同時に、キスできてラッキーとも俺は思っていた。言ったら本人に怒られると思うから、絶対に言わないけれど。童貞であることを信じて? とお願いしたら、こくんと頷いてくれた。そんな里井に俺はキスをしてしまった。自分でも分からないぐらい積極的な行動。あのときの里井が衝撃的なぐらい可愛く見えてしまったんだ。キスしたいと思ったら、行動に移っていた。唇が触れたと同時に、里井が物凄い形相で俺から離れ、立ち去っていってしまった。あー、やっちまったなぁ、と思ったけど、まぁ、キスできてラッキーが俺の思考の9割を占めていた。
でも、里井はかなり怒ってるだろう。だっていきなりだったし。でも、俺は怒っていても謝る気なんて全く無かった。いい思い出でもある。ファーストキスは随分と前に済ませてしまったけど、里井はどうだったんだろうか。俺の初めては全部里井にあげたかったけれど、キスばっかりは不意打ちでされたことがあるから、俺の初めてをあげることが出来なかった。悔しい。あのクソ女め……。当時はちょっと諦めている部分があったから、どうとも思わなかったが、今は違う。どうして避けれなかったのか、過去の自分に苛立ちが増した。
そんなことをうだうだと考えていたら、夜が開け、朝になってしまった。今日は夜勤だ。一向に眠気はやってこず、寝ようと思っても目を瞑ることすらできない。完全に冴え切っている。ちょっと早めに家を出て、ケーキを手に持ち、里井の様子を見に行くことにした。
家に行くなり、里井のおばさんが「智弘、引きこもっちゃったんだけど……」と困った顔をして俺に言う。あぁ、やっぱり。と思いながら「様子、見に行きます」と言って、おばさんにケーキを手渡し、階段を上がった。里井の部屋に行く階段。登るのも慣れてきた。部屋の前に立ち、扉をノックする。中から、里井の声は聞こえてこなかった。でも、起きている気配はする。
「里井、起きてるか?」
声を掛けてみるが、相変わらず返事は無い。
「あのさ……、俺、謝んないから」
最初に、俺のこの固い意志を告げると「はぁ!?」と大声が聞こえてきた。それに笑ってしまい、「あ、起きてた」と声を掛けた。やっぱり、里井はかなり怒ってしまっているようだ。ドアノブを捻っても、ドアを開けることが出来ない。どうやら、鍵を閉めてしまっているようだ。自業自得だから、俺はこの開かないドアの前で里井に話しかける。
「俺は悪いことしたと思ってないし。あれは俺の気持ちだから。無駄にもしたくない」
はっきり言うと、ドアの向こうは黙り込んでしまった。これは俺の本当の気持ち。一晩考えまくって出した答えだ。キスしたことは悪いと思ってないし、俺が好きだと言うのを一番表していただろう。だって、里井は俺の好きを疑っている節があったから。ドアに近づいてくる気配がして、俺はドアの前に座る。廊下に差した光が、俺の顔に当たってドアに影を作った。
「……今日、仕事は?」
小さい声が、ドアの向こうから聞えてくる。今、里井は何をしてるんだろう。顔を見て話したいけど、それはちょっと贅沢だから我慢する。
「ん。夜勤。実はさ、昨日寝れなくて、夜勤中、ぶっ倒れるかも」
笑いながら言うと、ドアの向こうも少し笑った気がする。
「だから、倒れたら里井のせいな」
ふざけて言うと、「なっ、何で」と戸惑う声が聞こえてくる。
「俺を寝れなくしたのは、里井のせいだから」
「自業自得だろ」
すかさず突っ込みが入り、俺は爆笑してしまう。ドア越しで顔なんて見ること出来ないのに、里井と喋っているだけで凄く面白かった。俺は物凄く単純だと思う。きっと、この単純は里井にも通じているだろう。
今、笑ってくれてるだろうか。
それとも、困ってるだろうか。
俺で里井の思考を独占したい。
「あ、そうだ。前にさ、食べたがってたケーキ。おばさんに渡しておいたから」
「……え」
「本当だったら、一緒に食べれるのが一番だけど。今は俺の顔、見たくないと思うからさ。おばさんと一緒に食べろよ? おばさん、結構、心配してたから」
そう言うと、何となくだけど里井が頷いた気がする。俺はそれに満足し、立ちあがった。腕時計を見ると、もうそろそろ行かないと出勤時間に間に合わなくなる。まだまだ喋っていたいけど、さすがに職務放棄はダメだ。
「じゃぁ、俺、仕事行くから」
そう言いながら立ちあがると、ドアの向こうから声が聞こえてきた。けれど、何て言っているのか聞きとれなくて、首を傾げたけれど、きっと今の里井は同じことを言ってくれない気がしたから、俺はドアに背を向け階段を降りた。
「おい、岡! お前、何寝てるんだ!」
立ちながら寝ていたようで、頭を叩かれた。殴られた後頭部をさすり、「すみません」と小さい声で謝る。眠気はピークに達していた。
「普段、真面目なお前が居眠りだなんて珍しいな」
「ちょっと昨日寝てないんですよ」
そう答えると、上司はニヤニヤと笑って俺を見る。その笑顔に嫌な予感がした。
「ほお。遊んでか?」
「いや、そんなんじゃないです」
どうも俺は遊び人だと思われてるようで、寝てないって言ったら下世話な想像をされる。どうしてだろうか。そんなに遊んでる様に見えるんだろうか。俺は自分の頬を叩き、目を覚ます。
「そう言えばお前、今月末の約束、覚えてるよな?」
一瞬、考え込む。そう言えば、地区の運動会に出てくれとか頼まれた気がする。そんでもって、なぜか知らないけど、自分の地区が負けたら俺のせいだから、焼き肉おごれとか無茶なことを言ってきた気もする。まぁ、焼き肉おごれは冗談かもしれないけど、子供に良いところを見せたいから、勝てと言われているのは本当だ。
「覚えてますよ」
「そうか。頼んだからな!」
「……あ、そうだ。それって、誰でも見に来ること、できるんですよね?」
せっかくだから、里井にも来てもらった方が良い。そう思って聞いてみると、上司は「当たり前だろ。地区の運動会なんだから」と返事をくれた。よし、と思い、笑顔になると、上司がニヤけた顔をする。
「何だ? 女か?」
相変わらず、下世話な妄想をしてくれる上司に、俺は苦笑いで「違いますよ」と言った。
仕事が終わるまであと2時間だ。終わったら、また里井の所へ行って、運動会を誘おう。そんなことを考えながら、俺は目を見開く。頑張って仕事をしているつもりだったが、やはり、二日間寝ていなかったのは俺の体に応えたようで、それから4回ぐらい、居眠りをして怒られた。
家に帰り、ちょっと疲れてベッドに寝転がったところで、俺の意識は消えた。目を覚ますと、すでに外は真っ暗になっていて、時間は夜だ。俺は時計を見て飛び起きる。里井の所へ行こうと思っていたのに、かなりの時間、寝てしまっていたようだ。急いで風呂に入り、身なりを整えてから里井の家までチャリで爆走する。いつもより行くのが遅かったせいか、ピンポンを押すなりにおばさんが「遅かったわね」と心配そうに声を掛けてくれた。
「えぇ、昨日夜勤だったんで」
「あら、そうなの。お疲れじゃないの?」
「寝てきたんで、大丈夫です。……里井はどうでした?」
「実はね、今日のお昼に降りて来たのよ。それでね、岡君が持ってきてくれたケーキを食べてたの」
おばさんが嬉しそうに説明するから、俺まで嬉しくなった。部屋に閉じこもりっぱなしだと思っていたけど、なんだかんだ言って部屋からは出ているようだ。それに安心する。一緒に食べたかったけれど、寝てた俺が悪い。「そうですか」と言うと、おばさんはニコニコと笑う。本当に嬉しそうだ。
「じゃぁ、俺、上に行きますね」
「あ、そうそう。まだ、あの子、扉の鍵閉めちゃってるから、よかったらコレ、持って行って」
そう言っておばさんはリビングに置いてある座布団をわざわざ持ってきてくれた。確かに床に座るのはちょっとケツが痛い。「ありがとうございます」と言って、俺は階段を上がった。上がってすぐにある扉をノックする。
「家帰って、寝てた」
いきなり話しかけても、向こう側から返事は聞こえてこない。無視をしている訳ではなさそうだ。扉の近くで、座る気配がする。俺もそれに合わせて、座布団を敷き、その上に座る。
「さすがに二日間起きてるのは辛かったわ。途中、寝てて怒られたし」
今日のことを報告すると、「自業自得だよ」と笑われた。やっぱり里井は起きてたようで、「起きてたか」と言うと、不貞腐れたような声で「この時間は大体、起きてる」と返答がきた。部屋の電気がついていたから、起きているのは知っていた。
「そっか。俺、さっき目が覚めてさ。やっべー、里井の家行かなきゃって必死になって来たよ」
遅くなった理由を言い訳のように言うと、「別に……、来なくてもいいのに」と、無愛想な声が聞こえてくる。そんな里井に笑ってしまい、俺の笑い声が廊下に響いた。俺が来ることを歓迎していないのは分かっている。分かっているけど、俺はここに来るのが楽しくて仕方ない。ドアを開けてくれなくても。顔を見れなくても。こうして話しているだけでも、俺は十分だった。
「里井のところへ行くのは、日課だから」
「……何それ」
呆れた声がドアの向こうから聞えてきた。俺は思っていることを、里井に伝える。
「声だけでもいいから、聞きたいじゃん? ま、顔、見れるのが一番だけどさ。こうしてドア越しに会話するのも中々楽しいな。おばさん、俺のためにわざわざ座布団まで用意してくれてさ。すごく申し訳ないけど」
俺が言い切ってから、沈黙が続く。里井は黙り込んでしまったようで、ドアの向こうからは声が聞こえてこない。俺の話を聞いて、どう思っただろうか。鬱陶しいと思ってしまったのだろうか。押し付けすぎる感情は、相手にとってマイナスでしかない。とりあえず伝えたことに満足して、俺は話を切り替える。
「そういや、この前、川沿い散歩しただろ? あそこにコスモス咲いてたの、覚えてるか?」
そう尋ねると、とても小さい声で「……うん」と返ってきた。
「あれさ。俺たちと幼稚園生が植えたんだぜ? キレーだっただろ」
自慢げに言うと、里井は「そこまで覚えてないよ」と言う。きょろきょろしていたイメージがあったけど、周りに目を配る余裕まで無かったようだ。覚えていてくれなくて、少しだけ凹む。でも。
「また、見に行こうぜ。枯れる前に」
もう一度、見に行けば良い。そう思って言ったが、里井から返事は来ない。俺はちょっとそれにムッとしてしまう。
「あと、そろそろ紅葉の季節だからな。神社のもみじが綺麗だぞ」
行こうと言ったら返事しないくせに、綺麗だって近況を報告すると、「……へぇ」って返事がくるから、またムッとしてしまう。返事してくれるだけマシだと思って、自分を落ち着かせる。どうも、一緒に行くのを避けてるみたいだ。そんなにキスされたのが嫌だったか? さすがの俺も、少し凹み始めた。
そんなに、嫌なことだったか。
だったら、本当に悪いことをした。
「あと、秋って言えば果物だよな。俺の家の大家さんがさ、柿、くれるんだよ。りんごとかぶどうとかもくれるんだけど、今度持ってくるから、食べような」
明るい声で言っても、誘うと里井からは返事が無い。少しでもいいから、里井と何かしたい。ほんのわずかなことでも良いんだ。散歩でも良い。こうして会話してるだけでも良い。何かを食べているだけでも良い。何でも良いから、里井と何かをしたい。そうすることで、里井にもいろんな世界が見え始めてくるだろう。きっと、里井にマイナスなことはさせないし、俺だってできるだけ頑張る。
秋はすることが沢山ある。その中の一つで良いから、里井と一緒に何かをしたかった。
なのに、里井からは返事が無い。イライラとショックが一斉に襲ってくる。
「秋って、色々あるよなぁ。食欲、運動、読書、芸術。今月末にはさ、地区の運動会にも無理やり出されることになって、負けたら焼肉奢れとか上司から言われててさ。プレッシャーなんだよなぁ。地区別の運動会に、人数が足りないからって強制参加。上司もこの辺に住んでて、子供のために人肌脱ぎたいとか言って、張り切っちゃってんの。来れたらで、いいからさ。里井も来いよ」
相変わらず、向こう側から声は聞こえてこなかった。俺は、なんだか空しくなって、ドアに頭をぶつける。トンと小さく、ドアが揺れた。里井から声が聞こえなくなると、不安になる。
何でも良いから。答えてくれ。
嫌でも良いから。
「おい。なんか答えろよ」
苛立ちが口から出てしまった。でも、出来るだけ考え込んでる素振りを見せないよう、声は笑わせる。俺が里井のことを気遣うのは良いが、里井には気遣ってほしくない。俺が不安な素振りを見せれば、また里井は迷ってしまうだろう。だから俺は、出来るだけ同じテンションで里井と接する。
辛くても、嬉しくても、悲しくても。
「……先のことなんて分からないよ」
ようやく向こう側から声が聞こえてきて、俺は笑ってしまう。でも、俺は今、ちゃんと笑えてるだろうか。ドア越しで、良かった。絶対に笑えてない。
「里井が来てくれたら、俺、1位取れるわ。でも、来てくんなくて、負けて、焼肉奢るはめになったら里井のせいな」
「……なんで俺の」
「だって、里井が俺のこと、避けるから」
つい、本音が漏れてしまった。こんなことを聞いて里井はどう思うだろうか。
「……避けてなんか、ない」
苦しんでいるような声が、ドアの向こうから聞えてきた。避けてないのに、どうして里井はこのドアを開けてくれないんだろう。顔の見えないドアが、分厚くて邪魔だ。取り払いたいけど、無理に取り払ったって、里井のためにならない。だから、俺はずっとここで出てくるのを待っている。
ずっとこの場に居たいけど、それは叶わない。
「ならいいんだけど。人と、顔を合わせたくないときってあるしな」
気にしていないふりをしながら、そう言う。里井のことを理解しているふりして、俺はむしゃくしゃしていた。
避けてないって言うなら、どうしてこのドアを開けてくれないんだろう。
里井は今、どんな顔をして俺と喋っている?
不安ばかりが募った。
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