君と一緒に住むまでの過程 3


 あれほど冷たく突き放したのだ。てっきり、仕事明けは家にやってこないと思っていたのに、岡は当直明け早々に俺の家へやってきた。今日は岡が当直だったから、バイトは休みにしている。ついでにいうと、明日も休みだ。今や、引っ越しどころじゃない俺に対し、さすがの岡も今は気まずそうな顔をしていた。
 のこのことやってきた勇気ぐらいは、認めてやろう。
 無意識のうちに、俺は岡に対して身勝手になっていた。こうやって怒ってるのを表に出せば、隠してることだって渋々話をするんだと思いこんでしまっていた。俺の前に正座した岡は「……あのさぁ」と話し始める。両親のことだと思い込んでいた。
「今日はうち、来る?」
「……はぁ?」
 思いがけない質問に、声を荒げてしまった。こんなことを言いにわざわざ、うちへ来たのか。来てほしいって言うなら、行ってやらんでもないけどムカついてるのは現在進行形だ。俺の声を聞いた岡は、身を竦ませた。
「ほら、引っ越しのこととか考えたいしさぁ」
 よくもまぁ、こんな状態で引っ越しの話が出来るなと、尊敬してしまった。冷めた目で見てると、岡が俯く。気まずさはそれなりに感じてるようだ。顔を上げると恐る恐る口を開く。
「そう言えばさ、沢田に俺らのこと、話したの?」
「ん、うん。ついうっかり言っちゃったから」
「あ……、そうなんだ」
 なんか変な質問だった。首を傾げると岡は「……そっか」と呟く。沢田にバレたのがまずかった、と言うわけではなさそうだ。それに誰かに喋ったなんて、沢田以外無いし言いふらしてることもない。俺だってそれなりに常識を持ち合わせてるし、岡と付き合うことが普通じゃないってことも分かってるんだけどな。考え込んでる顔を見てたら、何だかまたムカついてきた。
「沢田にしか言ってないけど」
「いや、それは良いんだけどさ。大丈夫かなって」
「何が?」
「……まぁ、ほら、可笑しいから」
 その言葉に、カチンときた。
「可笑しいってどういうこと」
 俺が問い返してから岡もマズイことを言ったと気付いたようで、「あ、ごめん」とすぐに謝る。けど、可笑しいって言われたのは、ムカついたし傷ついた。そりゃ、男同士で付き合うなんて普通じゃないけど、可笑しいことをしてるわけじゃない。それなりのデメリットを踏まえたうえで、岡のことを好きだから付き合ってるのに。岡は俺と付き合うことを可笑しいって思ってたのか。本音がポロリと出た気がした。
 この一言は、見過ごせない。
「俺と付き合うことは可笑しいって思ってたの?」
「そうじゃないって」
 キツイ言葉で言うと、岡は慌てて反論する。
「でも、岡はそう言ったよね。確かに」
「言ったけど、本心とかじゃないって」
 必死に取り繕うとしているのが目に見えてたけど、言葉は止まらなかった。今の言葉は俺だけじゃなくて、俺達の関係すらも否定してた。この一年半、気にもしてなかったけど、もうこんな付き合いに飽き飽きしてきたのか。まぁ、それはないだろう。どれほど岡が俺のことが好きなのかは、痛いほどに伝わってくる。けれど、心の奥底では引け目を感じてたんだろう。それが露わになったから、辛さを感じてしまった。
 そう思われてたってことが、辛い。
「別に俺は、岡と付き合ってることが恥ずかしいことじゃないし、可笑しいとも思ってない。だからそんな言葉は口に出さない。可笑しいなら、やめにしたほうがいいんじゃない」
「ちょ、どういうことだよ、それ」
 怒りのあまり思いもよらぬ言葉が出てしまう。さすがの岡も危機感があったようで、俺の腕を掴む。
「そりゃ、簡単に話せるような関係でもないし、外で手を繋ぐことだって出来ない。周りが当たり前のようにやってることもできないけどさ、可笑しいだなんて思いたくなかった」
「だから、それは悪かったって……」
「俺は、岡の言葉に傷ついた。そんな風に思ってるのかって勘ぐっちゃう。思ってないって言われても、それ、信じること出来ないよ」
 泣きそうな顔に変わった岡を見つめる。言葉を探ってるのか、何度も俺から目を逸らして俯いたり上を見上げたり、挙動不審だ。沢田に話した俺が悪かったのか、可笑しいって言った岡が悪かったのか、もう何がなんだか分からなくなっていた。ただ、ちょっとした間違いからこんなことになったのは分かっている。岡の隠し事とか、俺の狭量なところとか。けど、戻れない。
「俺、軽い気持ちで岡と付き合ってるわけじゃないよ」
「俺もそうだよ」
「でも、今はさ、信じられないからとりあえず帰ってよ」
 俺の腕を掴んでる岡の手を振り払って、無理やり立たせると背中を押して部屋から出した。今は顔も見たくないし、岡のことも考えたくなかった。パタンと静かにドアの閉まる音が聞えたから、家を出たのだろう。本当に些細なことから始まってしまったケンカは、俺の胸を抉るような傷を作ってくれた。誰が聞いても些細なこと、と思うかもしれない。岡が隠し事を貫くのは初めてだし、言ってくれないことがやっぱり寂しかったのかもしれない。布団の中に潜ってみたけど、眠気なんて全然襲ってこなかった。それもそうだろう。岡が来るまではぐっすり眠っていたんだ。目の前からいなくなれば、ちょっとは気も落ち着くかなって思ったけど、全然落ちつかなかった。岡が出て行ってから三十分後、部屋の扉が叩かれる。
「ともちゃん?」
 母さんの声だった。
「なに?」
 少し大きめの声で答えると、ドアの向こうから戸惑った声が聞こえてくる。
「バイトは?」
「休みだよ」
 ドア越しの会話が鬱陶しくなって、布団から這い出る。扉を開けると母さんが困った顔をして、頬に手を当てていた。何か、あったのだろうか。
「岡君とまたケンカ?」
「ん、まぁ、ちょっとしたいざこざ」
「玄関の前に立ってるんだけど」
「無視してよ。とりあえず今は、顔を見たくない」
 はっきり言うと、母さんは「……そう」と言って俺に背を向けた。あまりはっきりと言うこともないし、そこまで怒ることもあんまりない。そんな俺が、顔を見たくないって言うほど怒ってるんだ。母さんも相当だと分かったのだろう。静かに降りて行く足音が遠ざかっていく。外に居るって言っても、そのうち帰るだろう。少しでも気を落ち着かせないと、苛立って頭が痛かった。何をするにも、イライラしてしまって集中できない。こんなときにネトゲをやっても、きっと上手くいかない。本を読もうと思ったけど、それもやる気が起きなかった。全部のやる気そげてしまい、またベッドに寝転がる。
 岡が何を考えてるか分かってると思ってたけど、俺は何も知らなかった。俺と付き合うことが可笑しいって思われてたことが、ショックで仕方ない。そりゃ、普通の人と比べたら、可笑しいと言えるだろう。男同士だ。普通じゃあり得ない付き合いだ。でも、俺も岡も判断も責任も取れる大人になったわけだし、それなりのデメリットだって踏まえたうえでの交際だった。だから、可笑しいだなんて思ってほしくなかった。世界中の誰もが俺らのことを批判したとしても、岡だけには可笑しいと思ってほしくなかった。
 可笑しいと言ったのが岡だったから、ここまでショックなのかもしれない。母さんや父さん、沢田に可笑しいって思われても、俺はこんなに怒ったりしなかったし仕方ないと諦めれた。でも、岡は違う。岡は俺のパートナーだ。
 どんな気持ちで一緒に住もうなんて言ったんだろう。今となっては、そんなことすら分からなくなり始めていた。
 三時を過ぎたあたりに、また母さんが部屋にやってくる。トントンと扉を叩かれ、俺は起き上った。眠っていたわけではないが、頭の中でいろんなことを考えていたのであっという間に時間が経っていた。
「どうしたの」
「岡君がね、まだ外にいるのよ」
 追い出して三時間。まだ外に居るのか。今日はまぁ、かなり暑い日だから熱中症とかにならないだろうか。そんな不安を感じたけど、顔を見たくないのは今も変わらない。
「家の中に入る? って聞いても、いいですって言うから、お茶は渡したんだけどね」
「本人がいいって言ってるなら、別に何もしなくていいんじゃない?」
「って言ってもねぇ。可哀想でしょう? 汗だくだったわよ」
 母さんは暗に、俺が言えば中に入ることを知っててそう言ってるんだろう。
「母さんが帰ってって言えば、帰るよ」
「……でもねぇ」
「とりあえず、まだ、顔見たくない」
 そう言って母さんに背を向けた。わざわざ家の前で待ってるのも、何だかわざとらしくてムカついてきてしまった。そんなに反省してるなら、どうしてあんなことを言ったんだ。岡の本心だったとしか思えないじゃないか。そんな状態で謝られたって、許せるはずがない。それならもう、俺も俺で答えを決めるべきなんじゃないだろうか。日はどんどんと落ちて行き、空がオレンジ色に染まる。決めたら決めたで、ちょっとだけ泣けた。それほど、岡のことが好きだった。好きだったからこそ、この決心が出来なかった。
「ねぇ、ともちゃん」
「まだ居るの? 呼びに行くよ」
 結局、岡は六時間も家の前で立ち尽くしていた。玄関を開けると、岡が俺の顔を見て泣きそうになる。
「とりあえず、家の中に入りなよ」
「……良いの?」
 クソ暑い中、外にいたせいか少し疲れてるような声だった。家の中に招き入れると、母さんがどでかいコップに氷を入れた麦茶を持ってくる。それを受け取って、部屋に上がった。さっきと同じように座って、岡の前にコップを差し出す。喉が渇いていたのか、岡はお茶を一気飲みした。
「色々と、考えたんだけど」
「……ん、俺も考えた」
 岡はまっすぐ俺を見つめている。迷いの無い目だった。岡も決めたことがあるんだろう。それは俺と同じことだろうか。違うことだろうか。でも、出来れば別れは俺から切り出したかったから、岡より先に話し始める。
「可笑しいって思ってるなら、この関係はやめようか」
「……え」
「すれば、何事も解決するじゃん?」
 何も気にしなくて良いし、好き勝手出来る。そう思ったら、この決断は俺のためでもあって、岡のためでもあるような気がした。でも、これが俺の悪い癖だった。何事も、悪い方向ばかり考えてしまう。
「とと、ととと、とりあえずさ! 俺も決めたことがあるんだ。ちょっと一緒に来てほしい」
 そう言って岡は俺の腕を掴んで立ち上がった。汗にまみれた手は、冷たくなっていて緊張しているのが分かる。
「どこへ行くんだよ」
「良いから」
 部屋を出て、階段を降りる。どこへ連れて行かれるのか分からないから、恐怖が込み上げてきた。家を出て、岡はずんずんと歩き始める。俺と歩く速さが全然違うから、岡のスピードで歩くと、どうしても俺は小走りになってしまう。空はどんどんと群青色に染まっていき、家から出て五分後、周りの家より若干立派な家の前で岡の足が止まった。
「俺は、別れる気なんて更々ない。俺達の関係は可笑しいものだと思ってるけど、恥だなんて一度も思ったことない。……今から、それを証明する」
 顔を上げて、岡を見た。まっすぐと家の門を睨みつけている姿は、ちょっとだけカッコイイなんて思ってしまって、俺もバカだなと思った。
 俺の腕を掴んでいる岡が、一歩、その家に向かって足を進めた。

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