里井君の思惑、岡君の意図


 脱引きこもりってことで、働こうかなって思った。
「ええええ!! ダメ、絶対、ダメ!!」
 岡に相談したところ、こんな返事をされて俺は物凄く驚いた。それから、ちょっとだけ気持ち悪いって思って顔に出すと、「……里井。気持ち悪いって思ってるだろ」と考えを当てられてしまい、俺は素直に頷いた。
「だって。俺、もう母さんに迷惑かけるのもなぁって……。外に出れるようになったし、コンビニでもちゃんと温めてくださいって言えるようになったし。って言うか、何で俺、働くことに反対されてんの?」
 そう尋ねると、岡は俺から目を逸らし、俯く。はっきりしない態度に苛立ちを覚えながらも、俺は求人雑誌を見つめていた。まず簡単に、適当に、お金が稼げる楽な仕事。そんなものはない。分かっている。このきれーさっぱりな履歴書をどうにかしなきゃいけないから、職種は選ぶ気無かった。
 買ってきた履歴書を袋の中から取り出すと、岡がそれを奪う。
「あっ」
「とにかくダメ! 絶対ダメ!」
「……キモイよ?」
「キモイって言ってもダメ!」
「もう夜勤でしょ。早く行けば?」
「追い出されてもめげないからな!」
 なんだか知らないけど、岡は怒って俺の履歴書を手に持ったまま、部屋から出て行ってしまった。呆気に取られた俺は、バタンと閉まった扉を見つめ、頭を掻く。岡ってバカだなって思うこと沢山あるけど、今日は特に思った。引き出しの中から新しい履歴書を取り出し、テーブルの上に置いた。
「……予備、あるに決まってんじゃん」
 岡に反対された理由を考えながら、俺は履歴書に必要事項を書き込んだ。そもそも、引きこもりを辞めさせるために頑張った岡が、働くことを反対する理由が分からない。てっきり、喜んでくれるもんだと思っていた。だから、正直、がっかりしたってよりショックを受けた。何で反対されたんだろう。考えるけれど、岡の考えなんてさっぱり分からなかった。
 書き間違えて履歴書を丸める。なんか上手くいかないのも全部、岡のせいな気がしてきた。
 2枚書き間違えたところで、全てのやる気が吹っ飛んでしまった。もう全部、岡のせいだ。ぐしゃぐしゃと履歴書を丸めて、ゴミ箱に投げた。働こうと思った気持ちを否定されるのは、かなり辛い。机から離れて、ベッドに寝転がった。岡は今日、夜勤だって言ってたから、明日になるまで会うこともない。ベッドの隣にある引き出しから、岡に渡された合鍵を掴み、明かりに照らす。好きな時にいつでも来いよ、と言われたけど、俺は一度もこの鍵を使って岡の家に行ったことがない。大体は、岡がうちに来て飯食って帰るし。引きこもってた時と、あんまり生活は変わっていなかった。
 岡は変わることを嫌がってるのだろうか。鍵を見つめながら、そんなことを思った。
 色々考え込んだせいで、寝れなかった。明るくなっていく空を見つめて、俺は息を吐きだす。一瞬、扉の鍵を閉めようとして躊躇う。嫌なことがあったら逃げるくせ、俺のダメなところだ。ここで岡から逃げたって仕方ない。岡を選んだのは紛れもなく俺なんだから、ちゃんと納得する理由を聞こうと思い、俺は合鍵を手に持ち、外に出た。まだ岡は仕事中のはずだ。夜勤明け、いきなりやってきた俺に岡は面倒だと思わないだろうか。そんなことを不安がったって、岡のことは岡にしか分からないから、考えるのはやめて岡の家に行く。道中、コンビニに寄って食べ物を買う。岡の好きな食べ物って何だろう。そんなことも知らない俺に、嫌気が差した。岡はきっと、俺のことを沢山知っている。でも、俺は岡のこと全然分かってない。もっと、岡のことを知りたい。何を考えているかちょっとでも分かれば、仕事すんなって言う理由も分かるかもしれない。
 何だか、沢山の物を買いすぎて重たい。沢山食べるからと言うだけで、おにぎりやパン、サンドイッチなど袋の中にはどっさり入っている。こんなの、岡でも全部食べきれないだろ。買った後に後悔した。
 岡の家に行くのは、久しぶりだった。大体、岡が俺の家に来ちゃうから余計だ。ポケットの中から合鍵を取り出して、鍵穴に差し込んだ。回すと、カチャンと解錠する音が聞える。岡が居ない時にここへ来るのは、とても奇妙だ。ドアを開けると、暗い部屋に光りが差しこんだ。カーテンが閉まっているせいで、部屋の中は全体的に暗い。誰も居ないこの部屋に入ってしまっても良いんだろうか。ドアを開けながらそんなことを考えていると、「……里井?」と声が聞こえて振り返る。自転車に乗った岡がいた。
「え……」
 どうして、ここにいるんだろう。まだ仕事中のはずだ。岡は自転車をその場に停めると「どうしたんだよ」と言って近づいてくる。どうしたんだよ、は俺のセリフだ。
「里井が俺んち来るとか珍しい。しかも、その大きい袋、何だよ」
 岡は俺が持っている袋を見つめて笑う。何が起こったのか分からない俺は、茫然と岡を見つめることしかできなかった。岡は腕時計を見つめ、「あと2時間ぐらいで終わるからさ。家の中にいてよ」と言う。何が何だか分からない俺は、困った顔で岡を見ることしかできなかった。
「ほら。早く入んねーと、風邪ひくぞ。かなり寒くなってきてんだから。あ、そだ。あんまり部屋の中探んなよ。掃除してないから」
 俺の背中を押して家の中に押し込むと、「じゃぁ、またあとでな」と言って岡は家の扉を閉めてしまった。ただ、見回りをしてただけなんだろうか。偶然にしては出来過ぎてる気がするけど、偶然以外、考えられない。靴を脱いで家の中に上がり込む。誰も居ない部屋は、ちょっとだけ寂しかった。
 散らかってるテーブルを適当に片付けて、その上にコンビニの袋を置く。掃除してないから漁るなと言っていたけど、きっと、見られたら困るもんが沢山あるんだろう。それは男として良く分かるから、あえて詮索はしない。しないけど、堂々と置いてあったら、そりゃ目に付くわ。ベッドの真横に放置されてるエロ本を手に取り、ぺらぺらと捲った。置いてあった場所に戻すなんてひどいことはせず、ベッドの下辺りに入れておいてやろうか。巨乳特集と書かれた本を閉じ、表紙をまじまじと見る。ちょっとだけ、ムカついた。
 こんなのに妬いたって仕方ないのは分かってる。ベッドの下に本を入れると、俺は大きく息を吐いて天井を見上げる。かなり寒くなってきてると岡が言ってた通り、今日はいつもより寒かった。他人の部屋だと言うのに、何でかしらないけど岡の部屋はすごく落ち着く。寝てないせいでうとうとしてしまい、気付いたら寝てしまっていた。
 ガサガサとビニールを擦り合わせた音で目を覚ます。
「あ、起きた?」
 声を掛けられるまで、ここがどこなのか良く分かってなかった。俺の隣に座った岡は、サンドイッチを食べながら俺を見る。
「これ、食べてよかった?」
 今更、そんなことを聞いてくるから、何かちょっと可笑しくて、俺は「いいよ」と笑いながら答える。レタスが挟んであるサンドイッチを食べながら、「俺、これ好きなんだよなぁ」って岡が呟いた。
 一つ、好きなものを知った。
「珍しいな。里井が俺んちくるの。どうして?」
「……ん、反対された理由聞きに」
 そう言って岡を見ると、あからさまに俺から目を逸らし、ウサギみたいにサンドイッチを食べる。食べている間は喋らなくても良いと思ってるんだろうか。ジッと見つめていると、諦めたように「……あのな」と言って食べかけのサンドイッチをテーブルの上に置いた。
「怒らない?」
 俺が怒るようなことを言うつもりなのか、岡は機嫌を伺うように尋ねる。
「場合による」
 怒らない自信は無かったからそう答えたけど、岡は「……まぁ、怒んないで」と言い、話し始めた。
「心配、なんだよな。里井が独り立ちしちゃうの。どんどん、里井が俺いなくても大丈夫になってきちゃう。そしたら、なんか、俺と一緒に居る意味あんのかなぁって思い始めちゃってさ。そしたら、なんか逆に仕事とかしないでほしいなぁってのと」
 うわ、くっだんねーってマジで思ってしまった。そんな理由で却下されてるのは何となく気付いてたけど、マジだとは思わなかった。冷めた視線を岡に向けると、「次は真剣な話だから!」と大声を出された。
「俺さ。いつ、転勤になるか分からないから。もしかしたら、地方に飛ばされるかもしれない。……そんときはさ、里井も一緒に来てくんないかなって思ってて」
「……へ」
「せっかく仕事始めたのに、転勤します。一緒に来てって、可哀想だなぁって……」
 言われてみれば、公務員は転勤が多いと聞く。それは岡も例外じゃないだろう。今はここにいるから、それが当たり前になってるけど、居なくなってしまったら俺はどうする? 考えてみて、すごく悲しくなった。ここから離れるのも嫌だけど、岡から離れるのも嫌だ。でも、仕事だから、仕方ない。
「なぁ、里井」
 真剣な声が聞こえて、俺は息を飲む。
「俺と一緒に来てくれる?」
 岡の目は、マジだった。本気で一緒に来てほしいと思ってる。いきなり、そんな話をされても俺はどうしていいのか分からず、返事が出来なかった。返事しないと、岡が凹む。ショック受ける。顔には出さないけど、内心はすごく凹んでいるはずだ。きっと、今のこの間も。俺が即答しなきゃいけないのに、出来なかった。勝手にがんじがらめになって、身動きが取れなくなる。
「……考えといて」
 ポンと頭を撫でられた。咄嗟に顔を上げると岡は笑って「返事はすぐじゃなくていいから」と言う。その笑顔が無性に寂しそうで、申し訳なくなった。即答してほしかったはずだ。行くと。でも、即答できる勇気も覚悟も、今の俺には無かった。
 沈黙が続く。岡はテーブルに置いたサンドイッチを手に取り、パクパクと食べていた。返事は今すぐじゃなくても良いと分かっていても、伸ばせば伸ばすほど岡は辛くなるんじゃないかと思った。
「食べないの?」
 先ほどのことなど無かったように振る舞う岡を見て、凄く申し訳ない気持ちになった。
 返事が出来ない以上、俺が気にしてても仕方ないので袋に入ったおにぎりを取って食べる。色々と岡が喋ってくれたけど、あんまり頭の中には入らなかった。
 俺が買ってきた大量の食糧は、ほとんど岡の胃に吸収された。つくづく、よく食べる奴だ。かなり買ってきたから、余ってしまうと思ってたのに。おなかいっぱいになったら眠たくなってきたのか、岡が俺に凭れかかる。
「今日、このままうちに泊まってけば?」
 そう言われて、俺は岡を見た。肩に頭を乗せた岡は俺の目をジッと見つめてて、どうしようか迷う。岡の手が俺の頬に伸び、唇が重なる。泊まるってことは、やっぱりこの前みたいなああいうことをするんだろうか。ギュと拳を握りしめる。あれから色々ネットで調べたけど、なんか凄すぎてちゃんと読めなかった。失敗して凹んでた岡は、ちょっと勉強でもしたんだろうか。自然と唇が震えてしまった。
 正直、まだちょっとヤるのは怖い。あの時は勢い的なものもあったし、雰囲気と言うか、なんか俺も流されたけど今回は違う。
「……怖い?」
 唇を少し離し、岡が小さい声で尋ねる。少しだけ頷くと、岡は「最後まではしないから」と言ってもう一度唇を合わせた。手がおもむろに股間へ伸びる。
「んっ……、ちょ」
「里井、触って」
「……え」
 突然の言葉に、何を言っているのか分からなかった。岡はもう一度、「俺の、触って」と言って、俺の手を取る。すでに勃起したペニスに触れびくりと体が跳ねる。そっとスウェットの上から、撫でる。もどかしかったようで、空いている手が俺の右手を掴み、スウェットの中に突っ込まれた。熱い塊に触れると、それがビクと震える。
「ん、……ッ」
 俺に覆いかぶさり、岡が俺にキスをする。唇を合わせながら、二人で互いのを扱いてるってなんだかエロくて、恥ずかしい。ベッドに凭れ掛かった俺の体を、岡の左手が支えてくれる。ぐっと腰を掴まれ、引き寄せられる。互いの右手が、ぶつかってしまった。
「ふ、んっ……、あ、お、かっ……」
 岡の手の動きが早くなる。舌が絡み、クチュクチュと言ってるのは下からなのか、それとも口からなのか分からない。岡も短く息を吐き出す。
「里井、イきそ?」
 岡が急かす様に尋ねるから、首を縦に振る。
「俺も、イきそうだから、一緒にイこ」
 そう言って岡は手の動きを早くした。一緒にイくってことは、俺も頑張んなきゃいけないってことだ。少し強めに握り締めて、上下に動かす。自分でやってるのとそう変わらない動きなのに、どうして岡に触れられるだけでこんなにも気持ちいいのだろうか。衝動が込みあがってくる。
「ん、あっ……、おかっ、おか」
 イきそうになって、岡の名前を必死に呼ぶ。岡のペニスを握ってない左手で肩を掴み、唇を合わせる。きっと、岡がやってくれてるから気持ちいいのだろう。分かってる。舌が絡んで、目の前が霞む。
「さとい、も、無理っ……。俺、イきそっ」
「んっ、おれも、あっ……、おか!」
 俺がイったと同時に、岡のペニスを掴んでた手の力も強めてしまい、遅れて岡もイった。手のひらが熱い。それは俺の熱なのか、岡の熱なのか、よく分からなかった。息を整えながら、俺は岡を見上げる。ちゅ、と軽く唇を合わせ、「風呂、一緒に入るか?」と笑いながら聞いてきた。なんだか、一緒に入ってほしそうだったから、仕方なく「良いよ」と言う。
「やったぁ」
 そう子供みたいに笑う岡を見て、離れたくない。って思った。

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