Pain


 鬱陶しい梅雨が明けて、学校は夏休みに入った。あれから少しずつ、俺と山本の距離が縮まっているけど、俺はなんだか不思議な気分だった。
 カシャンと倒れたハードルを見て、ため息をつく。山本のことを考えたら、すぐにこれだ。
「安藤、何をやってんだ」
 俺の様子を見ていた部長が話しかけてくる。もうそろそろ3年生は引退で、俺たちが仕切ることになる。次期部長は俺だ……。
 俺がこんなんだったら、どうするんたよ……。
「すみません、ちょっと違うこと考えてました」
「大会近いんだからな」
「はい」
 元々、俺はハードルの選手ではない。100mの選手だけど、たまに違うことをすれば山本のことを忘れられるかなって思ったけど。
 全然違った。
 俺は倒れたハードルを直すと、イライラするぐらいの晴天を見上げた。
 遠くに空を覆い尽くすような入道雲がある。今日は夕立が降りそうだった。
 今年の梅雨明けは遅かった。いつまで雨が降り続けるのかと問い詰めたいぐらい雨ばっかり降ってた。雨は嫌いだ。……走れないから。
 梅雨が明けて数日、空はカラカラに晴れて濃い青が眩しいけれど。俺の心はまだ梅雨明けしていない。
 ジメジメとする良く分からない感情が、ぐるぐると渦巻いていた。
「……安藤、夏バテか?」
「へ……?」
 部室に戻って着替えていると、同い年の沢村がそう俺に問いかけてきた。夏バテだって? 俺、そんなの一度もなったことないんだけど。
「なんか最近、調子悪いよな」
「……そんなことない」
 調子が悪いんじゃなくて、山本のことを考えていると陸上に身が入らないんだ。夏休みに入ってから、山本とは一度も会ってない。
 俺は携帯電話なんて言う高価なもん持ってないから、連絡すら取れないんだ。
 それが寂しい。…………って、なんで俺、寂しがってんだよ。気持ち悪い。
「そっか。それならいいんだけど。そろそろ雨が降り始めるから、早く帰れよ」
 沢村はパタンとロッカーを閉めると、カバンを肩にかけて走って行った。俺も体操服をカバンに詰め込んで、リュックを背負って部室から出て鍵をかけた。
 鍵を持って職員室へ向かう。職員室の中はクーラーが効いていて、凄く気持ちよかった。部活の顧問に鍵を渡して、俺は昇降口から外へ出た。さっきまで遠くに居た雲が、もうこの町の上まで接近していた。
 冷たい風が吹く。
 雨の匂いがした。
「やっべっ……」
 通り雨だって分かっているのに、少し待てば止むことを知っているのに、俺は走りだしていた。肩にポツンと大粒の雨が一滴落ちると、ザーっと言う音と共に激しい雨が降り始めた。
 夕立だ。
 一瞬にして俺はびしょぬれになった。すると、走る気力も無くなってしまうんだ。降り続ける雨は俺の体を冷やしながら、叱咤するように打ちつける。
 ちょっとだけ心地よかった。もやもやした気持ちが、空とは反対に晴れていってる気がした。
「……あ、れ? 安藤?」
 ふっと雨が体を打たなくなって、顔を上げるとTシャツに短パンを履いた山本が俺に傘を差し出している。
「山本……」
 なんで、こう、折角心が晴れたってのに、コイツと出会うんだ。良く分からねえ……。
「どうしたの? びしょぬれだよ」
「今、部活が終わったんだよ」
「そうか。安藤は陸上部だったもんな。お疲れ」
 山本は濡れた俺の髪の毛を梳くように撫で、にっこりと微笑む。俺はこの笑顔を見るたびに、心がズキズキするんだ。
 病気になってしまったんだろうか……?
「つーか、こんなに濡れてたら風邪引くよ。うち、こっから近いから」
 そう言って山本は俺の腕を引っ張って、強引に歩き出す。俺の家とは反対方向。
「ちょ、おいっ……」
「黙って付いてきてね」
 山本は俺を黙らすように笑うと、そのままグイグイ腕を引っ張った。傘を持ってた山本の肩はびしょぬれになっている。この前と一緒だ。
 俺は山本に逆らわないよう、黙ってついて行った。
「ここだよ」
 山本の家はそこらにあるような普通の家だった。まだ建ててそんなに経っていないのか、山本の家は新居の匂いがした。
 木の香りがする。
「バスタオル持ってくるから、ちょっと待ってね」
 家の中は誰もいないのか、空気がムッとしていた。シーンとした中に山本の足音だけがパタパタとうるさい。
 俺はびしょぬれになったまま、玄関でボーっと突っ立っていた。何をして良いのか良く分からない。
「はい、バスタオル。拭いたら、そのまま二階の突き当りまで行って。左の部屋が俺の部屋だから」
「分かった」
 俺はバスタオルで頭と体を拭いて、濡れまくってる靴下を脱いでカバンの中に突っ込む。そんで小さい声で「お邪魔します」と呟いてから言われた通り、2階へ上がった。
 日中暑かったせいか、2階はもっと暑かった。突き当りの左の部屋が、山本の部屋。俺はドアを開けてその部屋の中に入った。
 思った以上に整理されている。俺の部屋とは大違いだった。
 山積みされたCDと漫画本、窓際にベッドが置かれてて、机の上は物置になっている。やっぱり中学生の机ってのはこんなもんだよな。
 びしょぬれの俺はすわることもできずに、部屋を濡らさないよう制服のシャツとズボンを脱いだ。
「うおっ……、何やってんの?」
 麦茶が入った二つのコップを持った山本が部屋に入ってくるなりに、俺にそう言う。
「いや、濡らしたら悪いと思って。脱いだ」
「あー……、そう」
 山本は視線をパッと逸らして、ちっさいテーブルの上にコップを置くとタンスの中からもう一枚タオルを出して、俺に投げた。
「まだ髪の毛濡れてるから」
 自分で拭けるのに、山本はわざわざ俺の髪の毛を拭いてくれる。その手がくすぐったくて、俺は拭いている山本の手を押さえた。
「くすぐってぇ」
「人にやられるの、苦手?」
「わかんねーよ」
 山本の手からバスタオルを奪い取って、自分の髪の毛をわしゃわしゃと拭く。それで水が飛んだのか、山本は「つめてっ」と呟いた。
「ごめん。飛んだか」
「いや、いいよ。あ、クーラーかけるわ」
 机の上に置いたクーラーのリモコンを手に取り、山本はピッとボタンを押す。ゴォと起動音がして冷たい風が俺の体に当たった。
「くしゅんっ!」
 冷たい風が急に当たったせいか、鼻がむずむずしてくしゃみが出た。
「あぁ、寒いか。ちょっと待ってな。ジャージ貸すよ」
「悪い」
 山本はタンスの中から学校のジャージを取り出して、俺に投げた。ちょっとクーラー当たって寒かった俺は、そのジャージを受け取るとすぐに履いた。
 上も下もダボダボで、ちょっとイラつく。
 特にズボンなんか、足が出てこない。コイツ、どんだけ足長いんだよっ!!!
 悔しがりながら、俺はズボンのすそを何回か折った。折れば折るほど、俺の心が折れて行きそうだった。
「まぁ、何も無い部屋だけど、座って」
「おう」
 濡れたカバンはバスタオルの上に置いて、俺はその場に座った。何を話して良いのか分からず、俺たちは無言だ。
 会えなかったら寂しいと思ったのに、会えばこうして心が痛くなる。なんだか、俺の中はどうなってしまったんだ。
 どうしていいか分からない。
「雨、凄いね」
 ザーザーと屋根を叩く音が上から聞えてくる。まだ雨はやんでいないようで、ゴロゴロと雷鳴が聞こえる。
「通り雨だろ」
 山本はシャッとカーテンを開けて外を見る。日が照っているのに、雨はまだ降り続いている。
「天気雨」
「狐の嫁入り」
 二人揃って言ったは良いが、互いに違うことを口走った。意味的には同じなんだろう。天気雨のことは狐の嫁入りって言うし。
 けど、俺はなんで狐の嫁入りって言うのか分からない。
「なんで狐の嫁入りなんだろうな」
「ほら、晴れてるのに雨が降ってるっておかしいだろ? 昔の人はさ、狐が化けてるんじゃないかって。狐の提灯行列のように見えたんじゃないかな」
「……なるほどな」
 コイツ、バカなくせに結構物知りだ。俺がジッと外を見ていると、山本は続ける。
「知ってる? お天気雨ってさ、涙雨とも言うんだぜ?」
「なみだあめ?」
「そう。ほら、この前七夕の話しただろ? 二人が悲しんで流す涙を催涙雨って言うって。涙雨も一緒だよ。空が泣いてる」
 天気雨がそんなところと繋がっているなんて、知らなかった。そう言われたら、天気雨が特殊なのに見えてきた。
 俺たちは降りしきる涙雨を、見つめていた。
「こっちこいよ。虹が見える」
「え? うっそ」
 俺は山本に言われるがまま、ベッドの上に飛び乗った。窓越しに見える晴天には、七色の虹が見えた。
「うお、すげぇ」
 灰色の空の隙間から青色の空が見えて、そこには虹がかかっている。すげぇ光景を見ている気がした。
 まさか、あの夕立からこんな良いものが見れるなんて。俺は嬉しくなった。
「なんか、俺たちってさ。雨の日に良く会うよな」
「……へ?」
「ほら、この前もさ、雨降ってただろ? 今日も雨降ってるし」
「学校で良く会ってるだろ」
「……そうじゃなくてさ」
 山本の言っている意味が分からない。学校じゃ同じクラスだから毎日会ってたしさ、雨じゃない日だって喋ったりしてたじゃん。
 なんなんだ、コイツは。
「学校とかじゃなくて、学校終わった後にってこと」
「あぁー……。そう言えば、学校終わってから会うのは久しぶりだな」
 それは基本的に学校が終われば俺は部活。山本は友達たちと一緒に帰ってしまうからだ。学校での会話だってそんなにしているわけじゃない。
 話しかけられて、ちょっと答える程度。俺と山本には個々に友達がいるから、あまり話すことは無い。
「何かの縁があるのかな」
「なんだよ、それ」
 縁があるもなにも、たまたまだろ。今日は山本がたまたま通りかかって、俺を助けてくれただけ。この前だって、たまたま残ってた山本と俺が出会っただけじゃないか。
 窓枠に手をついて立ち膝で外を見つめる。いきなり後ろから抱きしめられた。
「なっ……!」
「黙って」
 ギュッと強い力で抱きしめられて、ズキズキと心が痛む。急に心拍数が早くなって俺は俯いた。
 顔が熱い。
 心が痛い。
「……ごめん」
 力が弱められて、俺が振り向くと山本は下を向いててどんな顔をしているのか分からなかった。
 俺は逃げ出すように山本の部屋から出て行く。


 まだ雨は降り続いている。


 俺が泣いているのか、それとも空が泣いているのか、どっちか分からなかった。



 この涙雨は誰の涙?









+++あとがき+++
美希様からのリクエストでした。

まず、Rainで思い浮かんだのは、陸上の練習をしている安藤君からでした。
まさか、このRainでリクエスト頂けるとは思わなかったので、どうしようか迷ってました。

Rainなので、雨に関わる話にさせていただきましたー。
夕立から何かからませれないかと思い、試行錯誤した結果……。
なぜか天気雨に飛んでました。
そんでもって、天気雨から涙雨の存在を知り、検索をかけたら催涙雨が出てきたので
「おおおおっ!!」と叫びました。
なんか中途半端な終わり方でしたね。すみません……。
二人はずっとプラトニックで居てほしい……。


この話も続編考えてます。……ちょっと今回の終わり方が中途半端ってのも理由のうちの一つですが……
2009/10/11 20:10 移転に伴い追記。


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