アブソリュート・ライアー


「ほっらぁ、絶対かわいーから自信もちなよ」
「……マジで?」
「今すぐちゅーしたいぐらい、可愛いよ!」
「マジで!? じゃぁ、俺、行ってくるね!!!」
 幼馴染の言葉に感激した石黒一真は勢いよく立ち上がり、ガラスで出来たテーブルに思い切り膝をぶつけて悶えた。ぶつけた瞬間走ってきた激痛に、骨が折れたと呻き、折角整えた服装をぐしゃぐしゃにして、床に転がる。マスカラを持っていた彼の幼馴染である本田智樹はため息交じりに一真を見つめ、「大丈夫?」と一言、声をかけた。
「ダイジョブ……、多分」
 ひらひらと揺れるスカートの下にある膝は赤く染まっていて、見ているだけで痛々しかった。時間が経つにつれ、変わっていくが目に見えて、智樹はやれやれと息を吐いた。そそっかしく、おっちょこちょいである一真は涙目で、一度ゴシッと目元を擦った。
「あ! マスカラ……」
「ああああ!! ちょ、智樹、直して!!」
 鏡に映った凄惨な顔を見て、一真はすぐに智樹に向きなおる。擦ったせいでマスカラが目元に広がり、悲惨なことになっている。可愛く化粧してもらったと言うのに、これでは台無しだ。
 智樹はコットンを手にとり、目に伸びたマスカラを落とす。優しい手つきで周りの化粧を落とさないように無駄なところだけ消していく作業はかなり手慣れていて、一真の気分も一緒に上がった。
 一真は現在大学2年生の、健全な男子である。そんな彼がどうして、女装をしているのかと言うと、彼が好きになった女性は同性しか好きになれないからだ。本来ならそこで諦めるのだろうが、しつこい一真はその女性のことを諦めなかった。女の子しか好きになれないなら、自分が女になろうと決心し、幼馴染にして、「趣味:女装」である智樹に女にしてもらうよう頼み込んだ。最初は何を言っているか理解できなかった智樹も、好きな子のために女装までしようとする一真を見て、服を貸し、化粧までしてやることにした。本当だったら面倒くさいと言って断っているだろうが、智樹も智樹で、一真を断れない理由があった。
 智樹は15年間、一真に恋していた。
 それこそ初恋を一真に捧げ、それからの人生ほとんどを一真のために生きてきた。一真が智樹にお願いをすれば、智樹は何でも聞いてきた。それはやはり下心があった上で、一真以外の人間には非常に冷たい一面を持っていた。来るもの拒まず去るものおわず、そして一真のためなら何でも捨てると言う、傍から見れば非人道的な行いをしていた。一真だけには優しいので、一真はそんな智樹の一面を知らない。いつでも優しく励ましたり慰めたりしている智樹が、本当の智樹だと思っていた。
「サンキュー、智樹。じゃぁ、俺、コクってくる!」
「うん、頑張ってねー」
 可愛い女の子のように手を振って、部屋を出て行く背中を見つめ、智樹は少しだけ悲しそうな顔をした。何回も体験してきたことだが、一真が告白すると言った時はあまりいい気がしない。こんなにも好きなのに、一真には一向に伝わらず、良い親友で居なければいけないことが辛かった。
「……これで良いんだ」
 窓から走り去っていく一真を見つめて、智樹はそう呟いた。大好きな一真が好きになった相手なのだから、応援しなければという気持ちが強い。いくら、智樹が女装をして可愛い子のふりをしたって、女が好きな一真が智樹になびく事など無い。長年、親友をやってきたからこそ、智樹は一真のことを知り尽くしている。
 一真が智樹のことを好きになることなんて無い。だから、せめて、嫌われないようにするしかなかったのだ。
 静かに家で待つことが辛くなった智樹は、一真のためにおめかしした化粧を落とし、鬘を外した。なぜ、智樹の趣味が女装なのかと言うと、女装した一真と同じように、一真が女の子を好きだから智樹は女の子のフリをしているのだった。智樹がどんなに可愛い女の子に変身しようとも、一真が智樹に対する態度を変えたことは無かった。良くも悪くも、いつも通りだったのだ。服を見て、可愛いと褒めることもあれば、キメェと罵ることもある。それも、全て、昔と変わらなかった。
「……そろそろ、女装、やめるべきかな……」
 好きでしていることではない。辛くなる気持ちを抑えきれずに呟き、智樹はメイク落しを顔に馴染ませた。軽く擦りながら洗顔料をメイクに馴染ませて、マスカラなど落ちにくいところは指で念入りにマッサージするように落とす。何十にも塗りたくったマスカラはちょっとやそっとでは落ちず、結構な時間がかかった。すすぎ終わってタオルで顔を拭き、着替えようかとタオルを持ったまま部屋に上がった。一真は何時ぐらいに帰ってくるのだろうかと想像して、虚しくなった。上手くいこうが失敗しようが、一真は必ず智樹に報告をしてくれる。それで一喜一憂してしまうから、苦しさばかり募っていくのが良く分かった。
 フラれてほしいと思えば思うほど、心の狭さが嫌になる。本当にフラれて帰ってきたときは、ホッとして、笑顔を見せそうになる事だってある。それと比べて成功して帰ってきたときは、目の前が真っ暗になり、本心から喜んでやることが出来ない。いつまでこんな状態を続けていれば良いのだろうかと悩んで、智樹はため息を吐いた。
 普段着に着替えてカチカチと光っている携帯を見つめた。顔を洗っている間にメールでも入ったのかと、大して気にもせず、智樹は携帯を開いた。
 着信が1件。
 一真からだった。
 智樹は急いでリダイヤルし、一真に電話をかける。告白しに行くときは電話なんてしたことも無かったのに、今日に限って着信が入っていた。顔なんて洗わなければ良かったと後悔してから、一定の間隔で鳴るコール音に耳を傾けていた。
『………………もしもし』
「一真? どうしたの?」
 明らかに陰鬱な声に、智樹の胸が締め付けられた。この声からして告白が成功したとは思えない。端から成功率の低い告白だったので、フラれることはなんとなく分かっていたが、智樹の想像以上に一真が凹んでいた。
『迎えに来て……』
「え? 良いよ。今どこ?」
『こーえん』
 今にも泣きそうな一真の声に、智樹は走り出していた。財布だけ持って、いつも一真の前なら可愛いオカマを演じていたのに、普段着のまま、おしゃれも何もせずに家を飛び出した。公園と言うのは、告白すると言っていた近くの公園で、そこに一真が一人で居ると思うだけで早く行かねばと急かした。フラれても強気に笑っていた一真が、今日は居ない。
 息を切らして公園の敷地内に入る。犬の散歩をしている人や、サッカーをしている少年たちが、智樹の前を通り過ぎる。辺りを見渡してみると、ブランコを漕いでいる女の子が目に入った。遠くから見れば女の子にしか見えないが、特別なフィルターがかかっている智樹はあれが一真だとすぐに分かった。19年間、生まれてからずっと一緒に居たのだから、智樹が一真を間違えることなんて絶対にない。
「一真!」
 大声で名前を呼ぶとブランコを漕いでいた一真が顔を上げた。名前に反応したと言うことは、ブランコに乗っていたのはやはり一真で、智樹は小走りで一真の下へと向かった。はぁはぁと息を切らして、一真の前に立つ。一真が部屋を出て行くまで女の子の格好をしていた智樹が、トレーナーにジャージとひどく適当な服を着ていて、一真は目を見張った。
「……ごめん、呼んで」
「いや、良いよ。どうしたの?」
 智樹は一真の前でしゃがんで俯いている顔を覗き込んだ。可愛く化粧をした顔は、少し崩れていて、目の下が黒くなっていた。貸してあげた鬘も乱れていて、近くで見れば可愛い女の子ではなく、妖怪のように見える。
「キショイって言われた」
「……え?」
「俺が女装してて、キショイって言われた。俺、なんか、智樹までバカにされた気がしてムカついたから、言い返した。そしたら、あの子、合気道習ってて、ボッコボコにされた……」
 良く見てみると所々服が土ぼこりで汚れていた。女装するほど一真が好きだと言うのに、そんな非情なフリ方をした女が一瞬にして、智樹の敵になった。合気道を習っているのかなんだか知らないが、強者が弱者に手を出すなんて、弱いものいじめも甚だしい。外から見れば、男が女に負けるなんてと思うだろうが、一真のことを溺愛している智樹にそんな常識は通じない。一真を傷つける奴は、誰一人として許さない。
「……その女の名前は」
「え?」
「ぶっ殺してくる」
 ゆらりと立ち上がった智樹を見て、一真は怯んだ。こんなに怖い顔をしている智樹を見たのは生まれて初めてで、女装をしていないせいか、オーラも禍々しい。
「や、やめろよ! もう良いんだって……。諦めるから……」
「諦めるだけじゃダメだって。一真をキショイと言った罪は非常に重たい。見返してやろう」
 一時は怒りで我を失った智樹だったが、すぐに自我を取り戻しブランコを揺らしている一真を見た。男っぽい格好をしているから、一真は男のように見えるけれど、本当はすごく可愛いと智樹は知っている。目だって大きくクリクリとしているし、背も言うほど高くはない。女の子みたいになろうと思えば、いつでもなることはできる。
「……え?」
「俺が、一真を女の子にしてあげる。そんでもって、ふった女を今度は一真がふってやれ」
 立ち上がって笑う智樹を見ていると、本当に出来るんじゃないのかと一真は錯覚に陥った。まだやる前なのに、勝ち誇っている自分の姿が浮かんで、悲しげな表情から笑顔へと一変する。
「おう!」
 元気良く返事をした一真を見て、智樹もニッと笑ってみせた。本当は殴りたいし、一真をボコボコにし、レズならばめちゃくちゃに犯してやろうまで思ったけれど、そんなことをしても一真は喜ばない。一真が喜んで、なおかつ、智樹がすっきりする方法はそれしか無かった。

 それからと言うもの、一真は毎日のように智樹の家に通っていた。通うことが面倒になってくると、幼馴染だと言うのを利用して、泊まり始めてしまった。一真が泊まりに来ることはあまり無く、夜中に遊んでと来た事は多々あるけれど、智樹の家で寝るなら家に帰ると言って泊まることは本当に少なかった。
 泊まって欲しくないわけではないが、近くで一真が寝ていると言うだけで、体が熱くなってしまう。耐え切れない衝動に負けそうになりながら、智樹は毎日格闘していた。ここで手を出してしまえば、全てが台無しだ。今まで築き上げてきた関係、信頼、友情、それらを捨てることなんて智樹には出来なかった。
 化粧の仕方、仕草、服装、喋り方。自分は女であると言い聞かせて、女になりきらなければいけないと、智樹は一真に伝えた。実際、本当にそれをやっているのかと尋ねられれば、智樹は一切やっていないけれど、本当に見返したいのなら、それぐらいの気持ちがないと出来ない。要は気持ちの問題なのだ。少なくとも、あまり頭の良いほうではない一真は、智樹の言うことを全て受け入れ、納得し、まず一人称を「俺」から「あたし」に変えた。
 どんどん変わっていく一真に、最初は抵抗したけれど、変えているのは自分だと思うだけで智樹は嬉しくなってくる。二人揃って大学に行くときは、楽しくてたまらなかった。
 一真の化粧などをしていると、自然と腕が上がったのか、やたらと周りから「綺麗になった」と言われることが多くなった。元々、中性的だっただけに、女装が似合わないわけではないが、妙な違和感があった。けれど、ここ最近、それが無くなって、本物の女みたいに見える。
「……そうか? 別に、俺、いつも通りだけど」
 同じ学部の友人にそういうと、「……俺って言わなきゃ完璧。本田は喋らないほうが綺麗だな」とため息混じりに言われた。鏡に映る自分の姿を見つめ、智樹は一真のほうが可愛いし綺麗だと思った。
 良い意味でも、悪い意味でも、一真に対するフィルターは年月を重ねるごとに分厚くなっている。智樹が可愛いと思っていても、周りが可愛いと思っているかと言えば、そうではなかった。
 周りから見ると、智樹のが断然に綺麗だった。
 そんなある日のことだった。智樹がカフェテリアで一真を待っているとき、智樹の前に一人の女の子が座った。智樹は一瞥をくれて、興味がないと視線を逸らし、読みかけていた本を開いた。
「……ちょっと」
 丸出しの無視が気に食わなかったのか、智樹が読もうとしていた本が取られた。赤いマニキュアを塗った女は、プライドが高そうで、黒髪は顎のラインで切りそろえられていた。一昔前だったらモテそうだなと内心で笑い、智樹は顔を上げた。
「返してください」
「あら、あなた、男だったの」
 声音で気づいたのか、マニキュアの女は目を丸くした。本を持ったまま、智樹を見てニヤニヤと笑う。その笑顔が気に食わない智樹は、興味なさそうにふいと顔を横に向けてアイスコーヒーを口に含んだ。
 面倒くさい奴の相手はしない。基本的に一真以外どうでも良い智樹は、敵対心をむき出しにされようが、好意を丸出しにされても動じることは無い。告白されれば容赦なく断るし、遊びならばその場限りと言うことで遊ぶことだって多々あった。
「綺麗な顔してるのに、男だなんて、勿体無いわね」
 そんな声も智樹は無視して、いつになったら一真がやってくるかと出入り口を見つめていた。早く家に帰りたいし、明日はどんな髪型にしようなど考えている間も楽しくてにやけそうになる。それが顔に出ていたのか、ドンとテーブルを叩く音がして智樹はゆっくりと振り向いた。
「あたしの言うこと、無視!?」
「キョーミ無い」
 この女が怒る理由も、智樹はなんとなく分かっていた。スタイルの良い体に、強気な目。言ってしまえば、すぐにヤらせてくれそうなこの女の周りには、男がデレデレとしているのだろう。その裏側には下心しかないと言うのに、それにも気づかず、はべらしているのは自分の顔が良いからだと勘違いしているのだ。そういう女ほど、相手にすればするほど面倒ごとがかさむ。
「このあたしに、そんなこと言って良いと思ってんの!?」
 ヒステリックに叫ぶ女を目の前にし、智樹は面倒くさそうに息を吐いた。一真が来れば、こんなところから早く居なくなるというのに、こういうときに限って一真は中々やってこない。
「このカマ男!」
 こんな暴言に対しても、智樹は冷静だった。確かにやっていることは周りと違うけれど、智樹本人がやりたくてやっていることなのだから、マニキュア女に何を言われても恥ずかしいことなんて一切無い。そう言い返してやろうと思ったときに、遠くから叫び声が聞こえた。
「智樹をイジメるな!!!」
 聞きなれた声がして振り向くと、カフェテリアの入り口から一真が鬼のような形相で走ってきた。ふわっふわのスカートを揺らしている一真は、遠くから見ていても可愛いことは良く分かる。デレーとしてしまう顔を引き締めて、智樹は「……一真」と名前を呼んだ。
「智樹をイジメる奴はなぁ、俺がゆるさねーんだからな!!」
 小学生のときに戻ったような口調に、智樹はくすくすと笑ってしまう。昔、上級生にイジメられていたとき、一真がこうして智樹を助けてくれた。一真に助けられなくても、智樹一人で大丈夫だったが、正義心が強く弱いものイジメを嫌う一真が助けてくれるから、やられているフリをしていた。
「あら、あんた。この前のオカマじゃない。何よ、あんたたち。二人揃って女装してるの?」
「……う、あ……。原田……さん……」
 気まずそうに顔を上げた一真を見て、こいつが前に一真をふった女だと分かった。原田さんカッコイイと何度も何度も智樹に言うので、名前だけ無理やり覚えさせられたと言っても過言ではない。
 よくよく見てみると、こうもプライドが高そうな女は、確かに一真の好みだった。
「あたしが女が好きって言ったの本気にしたわけ? あんなみたいなブサイク、相手にするわけないでしょ? バカじゃないの?」
 高圧的で傲慢な女にキレたのは、智樹だった。先ほどまで何を言われても相手にしなかった智樹が、立ち上がって一真の前に立つ。背の高い智樹に見下され、原田は少しだけ怯んだ。166センチしかない一真を見下して笑っていたのはいいが、180センチ近くある智樹に見下されるのは怖いようだ。
「……一真がブス? ふざけんなよ。お前のほうが、何万倍も不細工じゃねぇか」
「な、何よっ……!」
「ヒール履いて、濃い化粧して、パット詰めたって、分かるやつには分かるんだからな。この、不細工」
 智樹ははっきりそう言うと、唖然としたまま固まっている一真の腕を引っ張って歩き始めた。ちょこちょこと付いて来る姿はリスみたいで可愛い。どこをどう見たら、これがブスになるのか教えて欲しいぐらいだった。それでも、一真をバカにした罪は重く、みんなの前で不細工と言ってやったって、智樹の気は晴れなかった。
「と、智樹っ!」
「……何?」
「手、痛い」
 いつの間にかきつく腕を握ってしまっていたようで、一真の表情が苦渋に滲んでいた。智樹は一言「ごめん」と謝り、手を離した。何度か握られていた手の部分を擦り、智樹を見上げる。
「……俺、何も言い返せなかった」
「一真。家に行って話そう?」
 一真が何を言いたいのか、智樹には分かっていた。日が暮れ始め、涼しくなってきたので、外で話すのは体に良くない。そういう意味で言っているのを理解している一真は、一つ頷き、智樹の後ろを歩いた。
 無言で家の中に入り、智樹の部屋まで直行するとテーブルを挟んで対面に座った。いつも一真がくると、ガラスのテーブルの前に座ることが多く、その対面にいつも智樹が座っていた。慣れたその位置は、智樹にとっては遠く感じていた。このテーブルさえなければ、泣きそうな一真を見て抱きしめることも出来ただろう。笑っている一真と、一緒に喜んでやることも出来ただろう。でも、このテーブルは、智樹が越えてはいけないボーダーラインだ。
「ごめんね、本当は一真が言い返したかったよね」
 あんなヒドいフラれ方をしたとは知らなかった。もし、あの場に一真が居なかったら、あの女が一真をふったと知らず、無視し続けていたに違いない。一度でいいから、一真をフッた奴に文句を言いたかったので、智樹は少しだけすっきりしていた。
「……いや、智樹が言ってくれなかったら、俺、言われっぱなしだったと思う」
 しょぼんと俯いている一真を見て、見返してやろうなんて言うのではなかったと後悔した。一真の魅力も知らずに、言いたいことをずかずかと言う原田が憎くてたまらない。当分の間、狡い嫌がらせでもしないと気が晴れないだろう。
「なぁ、智樹」
 顔を上げて、一真は真剣な目で智樹を見る。
「……俺、女装やめるわ」
「え?」
「智樹がすげぇ似合うのは前から知ってた。智樹が似合うから、俺も大丈夫かなって思ったけど、俺がやるとダメだ。俺、めちゃくちゃ男顔だし」
 顔を崩して笑う一真は、無理をしているように見えなかった。元から無謀なことをしているのは、一真も気づいていたのだろう。原田が「あたし、女しか好きになれないの」なんて、適当なことを言い出したから、一真は女装することを決めた。言葉の重さも知らずに、簡単に言った原田に対してまた苛立ちが込みあがってきた。
「……女が好きだって言うの、嘘だって気づいてたんだ。気づいてたけど、女装したらちょっとは原田さんの考え変わるかなって思ったけど、ダメだった。……俺、遊ばれてただけなんだよ」
 はははと空元気に笑う一真を見て、智樹はボーダーラインを超えた。今まで、隠していた気持ちを隠しきれる自信がない。机を乗り越えて、うな垂れている一真を抱きしめて、智樹は「……そんなことない」と一真の耳元で囁いた。香ってくるワックスの匂いは智樹のと同じ匂いのはずなのに、一真がつけているだけで違う香りがする。小さい体を抱きしめて、智樹は抵抗しない一真を見た。
「今日ほど、智樹が居てよかったって思った日、無い。智樹が居てくれてよかった、ありがとう」
 にっこりと笑う笑顔は、本人の言うとおり、女装は似合わなかった。いつもみたいに短い髪の毛で、男物の服を着ているほうが可愛い。断然、可愛かった。
 自然と手が一真の頭に伸びて、後頭部を固定する。目を見開いている一真を無視して、智樹は唇を合わせた。
「ふぅっ、んっ……」
 一真は別に抵抗などせず、入り込んできた智樹の舌を受け入れていた。ぬめった舌が歯列をなぞり、上あごをくすぐる。それに反応してしまった一真は、声を漏らして、背中を揺らす。少しだけ苦しそうに目を瞑った一真を見て、智樹は一真の体を足の上に乗せた。邪魔な鬘を外して、深く口の中を弄っていた。すると膝の上に乗せた一真のペニスが智樹の腹に当たって、訴えているように思ってしまった智樹はスカートを捲ってパンツの上からペニスを扱いた。
「んぁっ、……とっ、もぉっ……」
 そこで我に返った智樹は一真を剥がして、非常に焦りながら一真を見た。唇が離れて初めて感じる快感が急になくなり、一真は少し物足りなさそうに目を見開いている智樹を見つめる。
「……ごめ……、俺っ……!」
 何で謝られたのか分からず、理解するのに数秒かかった。気持ちよくて安心させられたキスに、一真は拒むことが出来なかった。どうして良いか分からず、慌てている智樹を見て、一真はプッと噴出した。
「智樹が俺に、ウソ吐いているの何となく知ってた」
「……え?」
「だって、小さいころ、ねーちゃんに女物の服を着させられて、すげぇ嫌そうな顔してたじゃん? そんな智樹が、女装するなんて可笑しいなって思ってたんだよ。そんで今、キスされて、分かった。智樹はいつでも俺のことを支えてくれていた。欲しいときに、俺の欲しい言葉をくれる。ただの親友じゃないって、今さら気付かされたよ」
 軽く笑う一真の表情は嫌がっているわけでもなく、智樹の想いを知っているからこそ出る、本物の笑みだった。
「……良く考えたらさ、男友達でもこんなに良くしてくれる奴、いねーじゃん。俺、超良い奴、親友に持ったわ! って思ってたけど、智樹はいつも、無理してたんだな……」
 一変して暗くなった一真に、智樹は慌てて「違う。俺がしたくて、してたんだから!」と弁解する。今まで嫌だと思ったことなど一度も無い。一真が頼りにしてくれればくれるほど、智樹は一真に必要とされている気がしていたのだ。
 頼られた分だけ、そこに存在意義があるように思っていた。
「まだ、好きになれるかどうかわかんねーけど、もう、俺にウソ吐いたりすんなよ」
「……うん」
「あ、でも、俺、お前とのキス、結構好きかも。さっき、めっちゃ気持ちよかった」
 さらりと言われ、照れたのは智樹だった。気持ち良いと言われて嬉しいが、手の出せない状態を我慢できるかどうか分からない。
「だから、キスぐらいはして良いぞ」
「ちょ、それ、生殺し!」
「それ以降はお前次第だな」
 一真は智樹の顔をじーっと見つめて、ぼそりと「女装ならアリだな」と呟いた。綺麗な顔をしている智樹なら女装も似合うし、一緒に居ても女に見えないことはない。それなら何かが許せる気がした一真は、何も考えずにそう言ってしまう。
 ウソを吐くなと言ったばかりだと言うのに。
「……ちょっと、女装極めてくるわ」
「ま、待て! アリなだけで、許してないんだからな!!」
 立ち上がった智樹を見て、一真は慌てる。キラキラと輝く様な笑みを浮かべて、智樹は「一真のために、ともちゃん頑張るね」と声のトーンを最大限に上げて、ウィンクした。それを見た一真は、うんともすんとも言わず、部屋を出て行った智樹を見送った。
 報われないと思っていた恋が、叶おうとしている。そのためなら、女装だろうが、カマ語だろうが、何でも出来る。


 一真のために始めたウソが、今、真実になろうとしている。



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