ブラザーコンプレックス 1


 若菜総一郎は自他共に認めるブラコンだ。
 彼がそこいらのブラコンと一線を画しているのは、大好きな弟に対しかなり本格的に恋愛感情を抱いていることだ。弟のためならばこの身全てを捧げても構わないと随分と昔から考えていて、ちょっと行き過ぎたブラコンと言うよりモンスターブラコンと言っても過言ではない。
 そんな総一郎に僅かながらも恋心を抱いている幼馴染の葉山順平はこの弟を目の上のたんこぶ、目障り、正直なところ邪魔者だと思っているが、弟もまた幼い頃から知っている数少ない存在であり、総一郎を作る要素の一つだから憎みきれないところがある。
 まぁ、本音を言うと、弟の一挙一動に総一郎が振り回されるんだから、その辺を弁えていい加減兄に心配させないような行動を取ってほしい。ブラコンさえ卒業してしまえば、目下の問題に向き合わなければならない。
 その目下の問題というのは葉山との曖昧な関係だ。凄まじいほどの弟バカで性格的にダメなところを見まくっているというのにこんなバカを好きになってしまったと気づいたのは中学三年の秋。あまりのショックで寝込んだ。物心付く頃から一緒にいて、悪いところを挙げたらきりがないほどダメ人間である総一郎に好意を抱くなんて有り得ない。自分のことを召使、もしくはぶつくさ文句を言いながらも結局は頼みごとを断らない奴隷程度にしか思っていない人間になぜ恋心を抱くことができるのだろうか。いいところなんて一つもないのにどうして。そう考えてから顔だけは人よりもかなり優れていたな、と思い、あの顔が自分の好みだったんだろう、ということで落ち着いた。
 恋愛において惚れたほうが負け、だなんて言うが、総一郎に対して負けたと思ったことはあまりない。小学校、中学校、高校、大学と親の意向で総一郎と同じところにされて、成績は常に総一郎の次、運動も彼の次だったけれど、実のところ葉山は実力の七割ぐらいしか出していなかった。中学一年の学年末テストでたまたま総一郎よりいい成績を取ってしまったとき、「どうしてお前が俺を超えたりするんだよ!! 有り得ない!! 有り得ない!!! 葉山のくせにいいいい!!!」と地団太を踏まれ、挙句の果てには大泣きされ、心底面倒くさいと思った。自分より優れているのは弟以外は許せないのだ。器の小ささに呆れて、さっさとこんな奴とは縁を切りたい、とまで考えていた。
 葉山の心境など露知らず、総一郎の気持ちは全て弟に注がれる。ここまで兄が献身的になってくれるのだからさぞかし弟は気分が良いだろう、と思っていたけれど、当本人は非常に迷惑していた。中学生になれば友人と寄り道したり、部活動に勤しんだり、多少なりとも家とは距離を置く。だが総一郎は友人も作らず毎日同じ時間に帰宅し弟の帰りを待つ。葉山も部活ぐらいはしようと思っていたのに、総一郎もといクソ野郎のおかげでそれも儘ならない。いくら親が仲良くても、子供同士までもが仲良くなるとは限らない。これまで親が総一郎と仲良くしろと言うので仕方なく面倒を見てやっていたのだ。葉山の意志ではない。それなのに「お前ってさ、俺の傍にいて何が楽しいの? ぶっちゃけ、気持ち悪いんだけど」と言われたときは殴った。
 とにかく、この若菜総一郎という男は自己中極まりない。迷惑がっている弟を猫かわいがりしているのだって、自分が甘えさせたいからやっているのだ。弟のことを考えるなら、時に厳しいことを言うのも兄の役目だ。だが総一郎は違う。弟がやりたくないなら自分がやってやるし、嫌なことは一切させない。そう考えると弟も被害者なのだと分かり同情した。
 べったべたに甘やかされて育った弟だが、兄の可愛がり方は異様だと気づいていたらしく彼はそこそこまともに育った。都合のいいように兄を使い、邪魔になれば即座に捨てる。全く持って可愛げのない男に育ってしまった。中性的な顔と同じように儚げでお淑やかならばまだ可愛がることも出来ただろうが、物事に鋭く頭も回り一筋縄ではいかない強かな男をどう可愛がれというのか。成長するまでさほど興味が無かったけれど、総一郎が利用されていると気づいてからはあまり好ましく思っていなかった。
 まぁ、これが総一郎にバレると「どうして栄ちゃんを邪険にするんだ!」と面倒くさいため、表面的には大事にしてきたと思う。取り繕うのがあまり上手くない葉山の心情は鋭い弟に気づかれていたが。
 葉山から総一郎、総一郎から弟、矢印が一方通行の関係は長いこと続くことになる。
 肝心の弟は、自分がゲイであることをあっさりと認め、欲求が解消されてなおかつ後腐れのない相手なら誰でもいいや、と遊びまくっていた。遊び相手でも総一郎は構わなかっただろうが、一度、関係を持ってしまえば面倒ごとしか起こさないだろう兄には冷たくあしらうだけだ。彼とて実の兄を抱くなんて想像するだけでもおぞましいことだ。
 それなのに中学を卒業したぐらいから総一郎のオナネタは弟だ。気持ち悪すぎて二ヶ月は口を利かなかった。
 高校入学してからも総一郎の生活習慣は変わらなかった。毎朝、ギリギリまで寝ている弟を起こして蹴られ、葉山が迎えに来て登校する。校内では人望厚く誰からも頼られる秀才。プライベートを知っている葉山の視線では子供っぽくて癇癪持ちの変態だが、総一郎は外面だけなら最高の人物だ。頭もいいし運動も出来る。顔が良くて背も高く、何より人当たりが良いので女性からも頻繁に告白された。色んな部活から引き抜きがあったけれど、「弟が家で待ってるから早く帰らなきゃいけないんだ」と真顔で答え、下校時刻になると真っ直ぐ自宅へ向かった。
 もちろん、弟が家で待っているはずもない。捻じ曲がったところはあるもの、兄よりかはまともに育った弟は寄り道する程度の友人はいるらしい。男の子らしく泥まみれになって帰ってくることもあった。それなりに楽しんでいる弟とは裏腹に、青春全てを弟に注ぎ込む総一郎が哀れを通り越してイラついた。どうしてこんなバカに自分が付き合わなければならないのか。こいつのせいで青春をふいにさせられた葉山は一生根に持っている。
 大学生になってからも総一郎の生活はさほど変わらない。自宅から通える距離の大学を選んだ総一郎と葉山だが、せっかくの機会だから葉山は大学入学と同時に一人暮らしを始めた。総一郎とは実家が隣同士なので少しでいいから距離を置きたかった。どうせ大学では一緒に居るのだ。プライベートぐらい大切にしたい。この頃になると好きだとは思っているけれど、係わると面倒なので出来る限り接触を減らしていた。
 鍵を渡したところで弟一番の総一郎が家に来るとは考えにくい。渡して来ないのも苛立つので、葉山は総一郎に合鍵を渡していなかった。渡すつもりもなかった。そもそも渡せ、など言うとは思っていなかったのに、一人暮らしを始めて二日目、「なあ、俺の鍵は?」と聞かれたとき、驚きすぎてポンと渡してしまった。人生最大の過ちだった。
 どうせ持ってたって来ないと踏んでいたが、午前中で授業が終わったときなど、そこそこ頻繁に総一郎は葉山の家にやってきた。幼馴染であるのは認めるが、友人と呼べるほど親しい関係だったとは葉山は思っていない。総一郎だって鬱陶しく付きまとってくる召使い程度に考えていたはずだ。離れて清々する、と口にしていたが、その割には自分から近寄ってくる。一体、何なんだ。誘ってんのか、コイツは。と思ったけれど、手を出すと非常に面倒くさい気がしたので放っておいた。
 転機がやってきたのは大学二年の冬、葉山は小遣い稼ぎでバイトをしていて、帰宅すると珍しく総一郎が家に居た。弟が帰ってくる時間には必ず家にいるはずなのにどうして、と思い、家の中に入ると総一郎はコタツで寝ていた。
 子供のように規則正しい生活を送っている総一郎が昼寝するのは稀だ。もうとっぷり日が沈んでいるので昼寝と言うより夜寝だが、待ちくたびれて寝てしまったのか。二人の間に急ぎの用事など存在しない。蹴って起こそうとしたところでコタツの上に散らばるプリントが目に入った。アメリカへの短期留学の案内。そう言えばこの前実家に呼び出されて似たような話をされた。葉山が断ったところで就職先は若菜銀行と決まっている。最初は二人揃って下積みからだろうが、レールは決められていて留学も将来のためだ。
 はぁ、一人で行ってくれればいいものを、と思わず言葉を口に出してしまう。その声で目が覚めたのか、それ以前から起きていて寝たフリをしていたのかは分からない。総一郎が葉山を見上げる。
「……お前、行きたくないの?」
 小さい声で尋ねられた。どうしようか迷って、正直に頷く。
「もしかして俺のこと嫌い?」
「好きか嫌いかで言えば、好き」
 言う気なんてなかったのに、伝えたところでドン引きするか調子に乗るかのどちらかなのに、嘘は吐けなくて言ってしまった。総一郎は目をぱちくりとさせて「は?」と首を傾げる。一緒に行きたくない、と言ったせいか、総一郎は自分が嫌われていると解釈したようだ。まぁ、それでもあながち間違ってはいない。好意はあるもの人間としては最低の分類に入るし、これからの人生、コイツに振り回されると考えただけで死にたくなる。
「好きなのに、一緒に行きたくないってどういうことだよ」
「はあ……、そもそも好きの意味が違う」
「今! 何で溜め息吐いたんだ!」
 そこかよ、と突っ込むのも面倒くさい。中学の自分に問いただしたい。こんなバカ男のどこを好きになったのか。いいところなんか一つもない。顔とスタイルがいいぐらいで惚れたなら、高校ぐらいで夢から覚めていても可笑しくない。
 自分にも呆れた。このバカ顔を見て好きだと思ってしまうんだから。つくづく恋と言うのは理解できない。
「おい、葉山!」
 ぐいと服を引っ張る総一郎の手を取った。好きだって伝えたんだから、もう何をしたっていいだろう。これまでずっと我慢してきた欲求、感情。全部、ぶっ壊したのは総一郎だ。
 あんな悲しげな顔をされるとは思っていなかった。その顔はぐっと下半身にきた。
「え、あ、ちょっ……、何、して」
 引っ張り上げられ困惑する総一郎をそのままベッドに押し倒す。「わわっ」と驚きと共に怒りを露にした。
「何やってんだ、お前!」
「ここまでされて何されてるか分からないほど初心でもないだろ。自分の弟に抱かれる妄想してオナニーしてるくせに」
「なななな、何で知ってんだよ!」
 これまで部屋を訪れた際に目撃しているからだ。
「て、ていうか、お前のいう好きってこういうことかよ」
「そもそも俺たちの間に友情なんてもんはなかっただろ」
 好きなアーティストについて語り合ったり、悩みを相談したり、など、ごく一般的な友情は総一郎以外と培ってきた。総一郎には友達など存在しないが、葉山はそこそこいる。隠れて作っていたわけではないが、総一郎に紹介する機会がなかった。弟が家で待っているからすぐに帰らないといけない。その嘘のおかげだ。放課後、総一郎を家まで送り届けたあと、時間が有り余った葉山は高校の友人と遊びに出かけたり、時に合コンなんかも参加していた。
「……言われてみれば」
 召使い程度にしか思っていなかったのだ。そういう意味では主従逆転、まさに貞操の危機に瀕しているのに総一郎は妙に落ち着いていた。
「へえ、お前、俺のこと好きなんだ?」
「状況分かって言ってんのか、それ」
「惚れた弱味って言うだろ。俺に逆らえないだろ」
「何、言ってるんだ?」
 弱味だったら葉山のほうが沢山持っている。惚れているからなんだ。友達一人もいないくせに、誰に言いふらしたりするというのか。勉強はできるかもしれないが、それ以外では脳みそが足りていない。そして今まさに襲われそうになっている事実すら認識できていない。
 シャツをインナーごと捲り上げると白い肌が露になる。部活動もせず、サークル活動もせず、ただひたすら真面目に大学と自宅、時折葉山の家を行ったり来たりしている空しい大学生の肌は息を呑むほど美しい。別段、鍛えているわけではなさそうだが、皮下にはしっかりとした筋肉がついている。右手で撫でると「やめろ」と叩かれた。
 暴れるのは分かっていたので総一郎の服で腕を縛り、彼の意思など関係なくめちゃくちゃに犯した。
 心がすっとした。

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