ブラザーコンプレックス 2


 若菜総一郎は無神経極まりない男だ。
 これまで溜まりまくった欲求を解消できたせいか、それともこれまで溜まりまくった鬱憤を晴らしたせいか、葉山の心は晴れ渡った雲ひとつない青空のように清々しかった。
 ぐずぐずと泣きながら蹲っている総一郎を見下ろす。泣き顔を見ているとムラムラしてきてまた泣かせたくなる。手を出せば面倒だと分かっていたのに勢いに任せてヤってしまった。言い訳する気もないし、こんなことした理由は中学三年から抱えている好意のせいだ。こんなことに至った経緯ぐらいは説明するつもりでいた。
「お前さ、童貞だろ」
「……は?」
 目を真っ赤にした総一郎が睨み付けながらそう言う。何を言っているのかさっぱり分からないが、筆下ろしは高校のときに済んでいる。
「中学も高校もろくに女なんて居なかっただろ」
「いや、居たけど」
「は?」
「は?」
 自分が真っ直ぐ帰っているからと言って、葉山までそうだとは限らない。
「えっ、お前、彼女居たのかよ!」
「今もいるけど」
「はあああああ!?!?!?!?!?!? 女居るのに、俺に手を出したのかよ!!!!!」
 がばっと起き上がると「有り得ない!!」と喚く。誰と付き合おうが葉山の勝手だと思うが、まぁ、手を出してしまった以上、そんなことを言われても可笑しくは無い。ただ二人の関係は別に友人でもないし、恋人でもない。彼女の台詞ならば納得だが、総一郎に言われたところで葉山の行動を制限できる権限はない。
 だがこの男にそんな一般常識は通用しない。
「俺とその女、どっちが大切なんだよ!」
 友人とも思っていない腐れ縁と恋人、後者を選ぶのは当然だ。
「その女とは今すぐ別れるよな!?」
 留学の話が出た時点で別れるつもりだったが、総一郎に命令されて別れるのはなんか違う気がする。
「葉山の分際で俺より先に彼女作るとか間違ってんだろ」
 それはただの僻みだ。ぶつくさと文句を言う総一郎を見下ろして、葉山は息を吐く。
「彼女と別れたら、お前はどうするつもりなんだ?」
「……え?」
 ただ子供のように喚いただけで、その後のことは全く考えていないらしい。手を出してしまった以上、責任ぐらいは取るつもりでいたが、何だかイライラしてきてそんなことはどうでも良くなってきた。やっぱりバカだ。どうしてこんな奴を好きになってしまったのか。
「俺とはセフレのような関係で構わないってことか?」
 総一郎は小さい声で、「……いや」と否定に似た言葉を発する。
「そもそも俺は栄ちゃんに初めてを捧げるつもりだったのに!」
 これが現実逃避とは葉山も気づかなかった。いきなり出てきた弟の名前にイラっとして、半裸のまま部屋から追い出す。
 この時点でしっかり関係について話し合っていれば、後々に曖昧な関係で悩まなかったかもしれない。
 だが召使いだと思っていた男から突然の告白、そして強姦され、思考を奪われた総一郎は葉山の好意から逃走。ますます弟へ倒錯した愛情が向けられる。
 葉山はと言うと、予定より早かったが彼女に別れを告げた。怒ることも泣くこともなかった彼女は「どうして?」と疑問を葉山にぶつけた。色んな理由はあったけれど、予定を早めたのは総一郎に手を出したせいだ。素直に「好きな人が出来た」と答えた。怒るかと思ったけれど、理解力のあった彼女は「そんなこったろうと思ったよ」と笑って終わった。
 それから少しは距離を置かれると思っていたのに、自分は被害者だから遠慮する必要は無い! と考えたらしく、総一郎はいつも通り時間が空けば葉山の家にやってきた。
 心底、バカだと思った。
 一度、手を出してしまえば、二度目は簡単だ。
「栄ちゃんがさあ、俺とおんなじ高校に入学するんだけどさ」
 会話のほとんどは弟のことだ。それはいつものことなので気にならない。留学に向けて葉山は英語の勉強を始めた。日常会話程度は話せるが一年は向こうにいるのでそれだけでは心もとない。
 それにしてもこれだけ弟にべったりな総一郎が、一年も留学なんて可能だろうか。そちらの方が不安だ。
「そろそろ帰る時間だろ」
「何だよ、居たら悪いのかよ!」
 勉強の邪魔なのでさっさと帰ってほしいのが本音だ。ちらりと時計を見ると、五時になろうとしている。そろそろ卒業間近だというのに、弟は部活動に専念していて帰宅は以前よりも遅くなっていた。部活を理由に遊びまわっているだけではないのか、と葉山は邪推する。
「勉強の邪魔だから早く帰れ」
 総一郎は「何だと!」と怒りを露にして立ち上がる。訝しげに葉山の机を覗き込むと、広げている参考書を奪い取って「へえ」と笑う。成績は二人ともさほど差はないが、語学に関しては総一郎のほうが上だ。明らかにバカにしている顔で総一郎は葉山を見る。
「何だかんだ言って、留学する気満々じゃねーか」
 この間、一人で行ってくれ、とぼやいたことを根に持っているようだ。
「行かなくて良いなら行かない」
 だが留学に関しては両親からの命令でもあるので、葉山がどう思っていようが断れる話ではない。
「……別に葉山ぐらい来なくたって何とかなるし」
 子供のように唇を尖らせてそう答えた。まぁ、実際のところ、アメリカに行くぐらいは総一郎一人で何とかなりそうだが、この男は壊滅的に自立できていないので周囲が心配しているのはアメリカでの生活だ。家事はもちろん、ごみ捨てすら知らない男が外国で一人暮らしなど出来るはずがない。葉山が留学に同行するのは総一郎の面倒を見ろと言われているようなものだ。
「寝言は寝て言え」
「寝言じゃない!」
「アメリカに行くのは簡単だ。成田から指定された飛行機に乗って降りるだけだからな。空港から出るのも言葉さえ話せれば問題ないだろう。だがその後はどうするんだ? ちゃんと借りたアパートまで到着できる自信があるか? 自分で食事を用意して、着たものを洗濯して、部屋の掃除も出来るのか?」
 総一郎はぐうの音も出ない。
「はあ、栄ちゃんが一緒に来てくれれば問題ないのに」
 イラっとする。
「まだ高校生だろ」
 それに本人は兄と留学なんて即座に断るだろう。
「何で、よりによって葉山となんだよ。他にもいるだろ」
 その言い分にはカチンと来た。別に葉山も行きたくて行きたくて仕方がない、と言うわけでもないし、親からの命令でなければ断っていた話だ。総一郎が独り立ち出来ているなら、葉山にまで留学の話は回ってこなかっただろう。葉山からすれば仕方なく受けてやった話なのに、迷惑を掛けている当本人がこの態度だ。
「…………他に行く奴がいると思ってんのか?」
「そ、そりゃ……!」
 反論しようとしたが、葉山以外の人間が思いつかなかったのだろう。拳を握り締めたまま数分考え込んだけれど、弟のために全てをささげた総一郎には留学についてきてくれる人など一人も浮かばなかった。まぁ、留学など誰かと一緒にするものではないが。
「けど、お前、行きたくないんだろ!」
「行かなくていいなら行かないって言っただけだ。俺は親からも行けって言われてるんだ。結局は一緒に行くしかない」
「行きたいわけじゃないんだろ」
 一体、何に怒っているのか。だんだんとお互いの口調が激しくなるのが分かる。勉強する気は失せて、葉山は唇をかみ締めている総一郎と向き合った。
「何が不満なんだ」
 せめて怒っている原因ぐらいは話してもらわないと、さすがにエスパーではないので分からない。どうやら留学に前向きではないのに怒りを感じているみたいだが、さして行きたくもないアメリカに親の命令で総一郎の保護者として留学させられるんだから、どうやって前向きになれと言うのか。これがちょっとでも自立していてくれたら、葉山も行かなくて済んだだろう。
「行きたくもないのに行こうとしてるのがムカつく」
「……だからそれは親が」
「親が死ねって言ったら、お前は死ぬのかよ!」
 少しずつだが怒っている理由が分かってきた。親に言われて行くのが気に入らないらしい。だが本当のことだから仕方ない。
「行きたいって言ってほしいのか?」
「……はぁ?!」
「お前と一緒にアメリカに行きたいって言ってほしいのか?」
「ち、ちがっ、違う!!」
 顔を真っ赤にして否定しても、図星だと言っている様なものだ。多少なりとも自分に好意があるのではないか、と考えた葉山だったが、そんな淡い気持ちも弟からの電話により一瞬で吹っ飛ぶ。
「あ! 栄ちゃん!? どしたの!?」
 携帯が鳴ったのは一度もあるかないか、凄まじいスピードで電話に出た総一郎はデレデレと表情を緩める。
「俺に電話なんて珍しいね? 困ったことでもあった? 何でもお兄ちゃんに言ってね」
 そんなに質問攻めしたら相手はさぞかし話しにくいだろう。しかし十六年間も一方的な愛情を向けられている弟は、既にこの兄の操り方を知っている。総一郎はぴたりと黙り込んで、受話器に神経を集中させる。雑用でも任されているのか、時折、コクコクと頷いていた。
「分かった! お兄ちゃんに任せてね!」
 元気よく返事する頃には通話は切られ、総一郎の携帯からはプープーと音が漏れている。総一郎は携帯をポケットに戻して葉山を一度だけ見てからすぐに背を向ける。
「おい、どこ行くんだ」
「栄ちゃんに買い物頼まれたから帰るんだよ。お前だって勉強するんだろ」
「……話、終わってないだろ」
「うるさい」
 この件は後回しにするつもりなのだろうか。イラっとして葉山は総一郎の腕を掴む。
「離せ」
「お前から売ってきたケンカだろ」
「ケンカなんか売ってない」
「俺は売られたと判断した」
「栄ちゃん待ってるんだから、離せよ!」
 このとき、葉山は初めて総一郎の弟、栄次郎に敵意を覚えた。総一郎と同じように彼のことは生まれたときから知っていて、葉山もまた弟のように思ってきた。それでも小学校、中学あたりから、栄次郎に対してじわじわと嫌な感情が芽生え始める。それが何なのか、今の今まで分かっていなかった。
 嫉妬だ。
 総一郎にとって一番は栄次郎、二番は自分。残りはどうでもいい。ここまでしてやっているのに自分がどうでもいい枠にいることが葉山は許せない。そう考えた後に、やっぱり自分はこんなバカが好きなんだな、と改めて認識させられ、死にたくなる。
 腕を握り締めている手の力が強くなる。「……いたい」と女みたいな反応をするのでまたもや欲情してしまう。
「今日、何も言わずに大人しくヤらせたら、アメリカに行きたいって言ってやる」
「は、はぁ!? 別にいらねーよ! それに栄ちゃんから頼まれてるんだから今から帰るんだよ! いい加減に手を離せ」
「別に急用でもないだろ」
「栄ちゃんからの頼まれ事は俺にとって急用なんだよ!」
 そんなもの知ったこっちゃない。やはり一度でも一線を越えてしまえば、次に手を出すのは簡単だった。喚く総一郎をベッドに押し倒して、脱がしながら服で腕を縛る。そうなるともうろくな抵抗は出来ない。
 長い間、弟に抱かれることを想像しながら自分を慰めていたせいか、一回目からスムーズに指が入る。さすがに突っ込んだときは痛かったみたいだが、二度目は気持ちよさそうによがっている。バカみたいな顔をして、最後には葉山を求める。
 今回はあまりすっきりしなかった。
 抱いている間に、総一郎が何度も何度も弟の名前を呼んだからだ。

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