ブラザーコンプレックス 3


 若菜総一郎は不可解な男だ。
 ぐずぐずと泣きじゃくっている男を見下ろして、葉山は殴りたい衝動に駆られる。そこまでイラつかせる原因は分かったが、さすがにそれを言葉に出せるほど葉山もまた素直ではなかった。弟に嫉妬して襲いました、なんてこのブラコン相手に言えるはずがない。ましてやそれを伝えると言うことは、総一郎に対してかなり好きだと言っているようなものでもあり、総一郎を増長させるだけだ。偉そうに「俺のこと好きなんだろ?」なんて言われた日には、自分が何をしてしまうのか分からない。今の葉山を支えているのはかなり脆い自制心だ。
 先ほどまでの行為を思い出す。一回目はあんなにもすっきりしたのに、二回目はかなり気分が悪かった。優しくしようとか気持ちよくさせてやろうとか、総一郎のことはこれっぽっちも考えずただただ自分の欲望をぶつけただけなのに、ベッドで蹲っている男は嫌だ嫌だ言いながらも気持ちよさそうに何度もイっていた。
 女は何人か抱いたことがあるけれど、男は総一郎が初めてだ。やり方ぐらいは知っていたけれど、そもそも排泄器官に突っ込まれてそんなにも気持ちいいものなのだろうか。疑問は沢山浮かぶ。
「……前回から思ってたんだけど、なんかお前、慣れてないか?」
「な、なにが……?」
「男に突っ込まれるの。……まさか、初めてじゃないとか言わないよな?」
 一回目に初めては弟に捧げるつもりだったと暴露していたので、他の男と経験済みとは考えていなかった。もしも自分の知らないところで他の男に抱かれているなんて知ったら、自分が何をするか想像つかない。自制心に支えられてはいるが、もう葉山の心はボロボロだ。些細な出来事ですぐに崩壊する。
「お前と一緒にするな! 栄ちゃん以外の男に抱かれるとか有り得るはずないだろ!!」
 まぁ、そうだろうな、と葉山は頷く。大学になってからは無くなったが、小学校、中学校、高校では、毎日葉山と通学していた。校内でもなぜか十二年間ずっと同じクラスだったので総一郎の傍に居続ける破目になった。家まで送り届けてから遊びまくっていた葉山とは裏腹に、総一郎は家に着いたら翌朝の通学まで一歩も外を出ない。弟の帰りを待つ忠犬だ。
 総一郎に手を出せる男が居たとするなら、大学に入ってからか、弟か。まずこの兄を毛嫌いしだした弟は論外だ。最近になってようやく訪れた反抗期らしい。
 確かに総一郎は見目麗しく頭も良くスポーツ万能、中身を知らなければ完璧な男だ。彼に近づきたい男女は多い。しかし生まれてから御曹司として育てられた総一郎は周囲に対するガードも固い。ダメな一面しか見ていない葉山には隙だらけのように思えるけれど、友人がいない理由にはそのガードの固さも影響している。
「じゃ、何でそんなに簡単にチンコ受け入れられるんだよ」
「え……、え、えっと」
 総一郎の目が泳ぐ。これまで何度か自慰行為をしているところを目撃しているが、尻にまで手を出しているとは思わない。だが気まずそうに目を逸らしたのと、なぜか妙に慣れているところ、これまで葉山以外に抱かれたことはないと言う点を踏まえると自分でやった以外答えは出てこない。
 さすがに引いた。
「何だよ、その顔!」
「そりゃ、引くわ」
 総一郎は子供のように怒って枕を投げてくる。
 思い返せば一回目も大して痛いだの何だの言わなかったような気がする。二回目に至っては早くイかせてほしいと懇願までしてきた。
 嫌がってはいたけれど、抵抗はほとんどしていなかった気がする。
「それで……、お前、ちゃんと女とは別れたんだろうな」
「は?」
 どうしていきなり自分の話になるのか分からず、葉山は総一郎を見る。乙女のように自分の体を布団で隠しているので、羞恥心ぐらいは持ち合わせているようだ。立派な男がそんなことをしていても全く持って可愛くないわけだが。
「俺に手を出したってことは、女とは別れたんだよな!」
 手を出した翌日には別れ話をしたが、わざわざ腐れ縁に報告など必要だろうか。葉山が無言で考え込んでいると、総一郎の表情は険しくなる。
「……まさか、俺と二股するつもりか?」
「そもそもお前とは付き合っても無いだろ」
 つい突っ込んでしまうと、総一郎は「そっか」と納得したように手を叩いた。その返答で十分だったのか、さてとと呟いて立ち上がる。
「栄ちゃんから買い物頼まれてるから帰ろ」
 脱ぎ散らかした服を拾い、総一郎は大人しく家を出る。その後姿を見送り、葉山は追及しなかったことを後悔する。
 留学など正直言って、半年で十分なのではないか、と葉山は考えていたが、総一郎と父の間で決めた期間は一年。その間、大学は休学することになる。そっちのほうが時間の無駄に感じられたが、決まってしまったことを今更変えようという気力は起きなかった。
 確かに留学など今しかできないし、貴重な体験になるのは分かっている。でも総一郎が一緒だったら、日本にいるのと大差ない。大きな違いは弟が傍にいないぐらいだ。
 春休み前になると名ばかりの送別会が開かれた。実際のところは親達が留学を理由に飲み食いしたいだけだったので二人のことなどほったらかしだった。
 ようやくやってきた遅めの反抗期のおかげで弟は欠席。総一郎はどん底まで落ち込んでいたが、その姿はあまり見せなかった。なぜならば葉山の兄が来ていたからだ。
 葉山と五つ離れた兄は楽天家でちゃらちゃらしている。見た目も性格的にも葉山とは正反対だ。両親はこの兄のことを見限っていて、同い年のせいもあるがこの兄が頼りにならないから総一郎のことはほとんど葉山に任されている。
 本来なら兄が年上の余裕をもってこのバカ男の相手をすればここまで葉山が神経的にやられることはなかったかもしれない。
 また葉山には二つ離れた姉もいる。姉は総一郎を毛嫌いしていて、もちろん来ていない。
「哲平兄さん、お久しぶりです」
 総一郎がにこりと笑って兄に近づく。小さいころは葉山と一緒になって遊んでいたが、子供にとっての五歳差はかなり大きい。気づけばかなりの距離が出来上がってしまっていた。だから総一郎は兄の前で利口になる。
「ああ、総一郎君。久しぶりだねえ。大きくなったねえ」
 兄はニコニコと笑いながら総一郎の頭を撫でる。距離は出来たもの兄は総一郎のことは嫌いではないのだ。明らかな子ども扱いでも総一郎の笑顔は崩れなかった。葉山ではこうもいかない。ガキ扱いするな、と暴れまわるに違いない。
「なんか総一郎君、雰囲気が柔らかくなったね」
 そう言いながら兄は総一郎の体を撫でる。ピクリと反応したが、葉山は無視して皿に乗った肉を口に入れる。
「大学生になって、色々、経験したのかな?」
「兄さん、それではただのセクハラですよ」
 このままどぎつい質問をされて、総一郎がボロを出したら困る。口を挟んでようやく弟の存在を思い出したのか、兄が葉山を見た。
「セクハラ? 嫌だなぁ。大学生にもなれば色んな出会いもあって、彼女の一人や二人も出来るだろ。サークル活動で友達を作ったり、バイトに励んで年上の彼女作ったり、ね」
 悪気があるのか無いのか、総一郎には全く縁の無い話を兄が繰り広げる。本人の心には言葉がぐさぐさと突き刺さっているだろう。外では人と距離を置き、自宅、大学、葉山の家を行ったりきたりしている総一郎に彼女はおろか友達すらもいない。
 ただこの兄、葉山とは見た目も性格も正反対だが、性格の悪さは似ている。
 そして好きな子には意地悪をするタイプだ。
「ねぇ、総一郎君?」
「え、えっと、えーっと……」
 ありのままの事実を説明すればいいのかもしれないが、さすがに自分がどれほど空しい大学生活を送っているのか自覚しているようでたじろいでいる。
「……まさか、若菜家の御曹司ですよ、兄さん。総一郎君に友達や彼女がいないはずがないじゃないですか」
 葉山は一応助け船を出したつもりだが、総一郎からすれば後ろから刺されたような気分かもしれない。更に顔色が悪くなった。だが二人とも追撃はやめない。
 性格の悪さが似ている二人だ。この窮地に陥った顔が大好物だった。
「やーっぱ、そうだよねえ。高校生活も中々刺激的だけど、大学はもっと自由で楽しいよね。俺が大学生だった時はしょっちゅう授業サボって女の子の家に入り浸ってたもんだよ。夜になったら友達とクラブ行ったりしてオールで授業に出て、寝てないアピールとかね」
 きちんと六時には帰宅して、十時には就寝している総一郎には無縁どころか、想像もできない世界だ。ははは、と空笑いしながら、オレンジジュースを飲みこんでいる。
「サークルには入ってるの? 入ってたら、一年も留学するなんて聞いたら、みんな驚いて引きとめたんじゃない?」
「え、あの、その……」
「この前、盛大な送別会開いてもらってましたよね、総一郎君」
 ニコリと笑って葉山が答える。
「へえ、どんなサークルに入ってるの?」
「ボランティアサークルですよ、兄さん」
 御曹司としては無難なサークルだろう。兄のことだから深掘りしてくるのは予測済みだ。嘘を吐いた時点でここまではちゃんと設定していた。総一郎はもう吹っ切れたようで、返答を全て葉山に任せてケーキに手を伸ばしている。
「さっきから気になってたけど、なんで全部順平が答えるの?」
「一緒に居るからに決まってるじゃないですか、兄さん。俺は両親から総一郎君が困ったら助けるように言われてるんです。サークルだって同じのに入ってるに決まってるじゃないですか」
 真っ赤な嘘だ。総一郎がサークルに入らないから、葉山も入っていない。だが大学の友人から定期テストの過去問を回してもらっているので心配はない。それよりサークル活動で時間を割かれる方が厄介だ。
「総一郎君がどんな大学生活を送っているのか、一番知ってるのは俺なんですよ」
「……へえ」
 一応、助け舟だったが、なんだか独占欲をひけらかしたようで興ざめした。
「まぁ、俺はそろそろ家に帰ろうと思うので、色々聞いたら良いじゃないですか」
 ナフキンで口を拭ってテーブルの上に置いた。自分があまりにもみっともないことをしているように感じて、この場から早く立ち去りたい。
「え、帰るのか?」
 総一郎が驚いた顔で葉山を見た。
「姉さんに挨拶したら帰る」
 ここには来ていないだけで家にいるのは知っている。総一郎と姉の間には因縁があり、総一郎自身も自分が凄く嫌われているのを自覚している。
「……俺も行こうかな」
 だがそんなことを言い出すので「やめておけ」と言う。姉が一方的にヒステリックを起こすシーンを何度も目にしている葉山は出来たら面倒事は起こさないでほしいと願う。
「そうそう! 聡美の所になんか行かなくてもいいよ。俺と一緒に飲もう。総一郎君もやっと二十歳になったんだろ?」
 バレンタインデーが誕生日の総一郎はこの前やっと成人になった。
「え、あ、でも……」
 ちらりと総一郎が葉山を見る。助けを求めているのは分かるが、助けたところで感謝されるわけでもなんでもない。まぁ、ちょっとは痛い目に遭えばいい、と思って葉山はその視線を無視した。
 だが葉山はその選択を後ほど悔やむことになる。葉山は大学に入る前から何度か友人たちと飲酒する機会があったから、自分がどれほど酒が飲めるのか知っている。
 総一郎の父も母もまぁまぁ飲めるので、その遺伝子を受け継いでいる総一郎だって、多少は飲めるのだと葉山は思っていた。
 しかしこれまで一度も飲酒している姿だけは見たことが無かった。

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