ブラザーコンプレックス 4


 葉山順平という男は傍若無人だ。
 なんやかんやで二回も抱かれてしまった。何がどうしてこうなったのか、総一郎は理解できていなかった。数日前、幼馴染から突然の告白。もしかして、コイツ、俺のこと好きなんじゃね? ぐらいは考えていたけれど、本気とは思わなかった。困惑していたらいきなり襲われて体を繋げてしまった。好奇心から後ろを使ってのオナニーに嵌ってしまい、今では後ろを使わなければイけなくなってしまったほどだが、実物は思っていたより善かった。まさかこの後、慣れすぎていて他の男と経験があると疑われるなんて、総一郎は予想すらしていなかった。
 葉山が告白してきたとき、やっとこの無愛想で無表情な男の弱味を握れた! と歓喜した。それもつかの間、葉山にとって総一郎を好きでいることは弱味でも何でもなかった。だから何? とでも言いたげだった表情を思い出して怒りが沸いてくる。普通、好きだったら色々としてやりたくなるもんではないのか。愛情を無条件に与えたくなるものではないのか。と考えるも、それは総一郎の異常な愛情であり、それなりに常識を持ち合わせて育った葉山には無縁だった。
 ただその日は驚いたしショックも受けた。何だかんだ言いつつ生まれたときからほとんどの時間を一緒にいたのに、葉山の知らない面を沢山教えられた。これまでさほど気にしてこなかったから気づけなかった。どれほど葉山に対して無関心だったのか思い知った。だがあまり反省していない。
 そもそも葉山に対して総一郎は幼馴染だとも友人だとも思っていなかった。物心ついた頃から一緒にいたせいで、兄弟とも言えないし家族でも無く彼との関係にふさわしい言葉が出てこない。
 父が銀行の頭取をしているおかげで小さい頃から総一郎の周りには大人と、彼らの思惑に無理やり付き合わされる子供で溢れていた。総一郎の機嫌を損なえば、自分達もどんな目に遭うか分からない。だから彼らは総一郎の言うことならば何でも聞いた。
 葉山の両親は父にとって腹心でもあり友人だったので、父に媚び諂うこともなければ時に厳しいことも言う。そのせいもあるのか、葉山も総一郎の我がままは聞かない。無謀なことは怒る。癇癪を起こせば放置する。自分に近づく子供は全員奴隷だと考えていたが、葉山はその中で唯一、反抗的な人間だった。
 葉山がそんな態度を取るんだから、自分も遠慮する必要は無い。そう思い続けて早二十年、葉山が何を思っているかなんて、微塵にも考えなかった総一郎は完全に開き直った。好きになろうが犯してしまおうが、葉山の態度はこれまでとなんら変わらない。だから自分も変わる必要ないと思った。しかし心の中に僅かなしこりが残る。それは彼女の存在だった。
 これまでずっと一緒にいて、同じ時間を過ごしてきたと思い込んでいる総一郎は、葉山もまた自分と同じように空しい青春を送っている予定だった。中学も高校も同じ時間に通学し、帰りも家まで一緒だった。その後はそれぞれ自宅で休養、もしくは勉強、総一郎の場合は四つ歳下の弟の帰りを待ちわびていた。
 普通の友人関係ならば通学途中に日常生活を話したりするものだが、二人の関係は友人と呼べるほど親しくない。それに葉山は無口であまり自分のことは語らない。どんな女性が好みなのか、趣味は何なのかすら、総一郎は知らない。知らない尽くめだ。だから今になって入ってきた情報量が多すぎてついにパンクした。これ以上考えても頭が痛くなってきたので止めてしまう。
 これが現実逃避だとは総一郎は余り考えていなかった。
 にこやかに近づく人間は警戒したほうが良い、と教えられて育ったせいもあって、総一郎の世界はあまり広くない。弱味を見せれば付け込まれる。だから自然と人と接するときは壁が出来てしまい、わざわざ相手のことを理解するのが面倒になってしまった。それに何より四つ年下の弟のことで頭がパンクしてしまっているから他が入りこむ余地が無い。
 それは葉山も含まれた。彼に遠慮も何も無いが、実際のところ壁を作っていないわけではない。葉山が自分のことを何も話さないように、総一郎もまた葉山に全てを話しているわけではない。会話の九割以上は弟のことだ。
 それは総一郎の脳内がほとんど弟で占められているせいでもあるが、小さい頃から刷り込まれた処世術はいくら幼馴染と言えど簡単に拭い去ることはできない。その割には弱味を見せすぎている気もするが。
 告白されたのも驚いたが、それ以上に驚いたのは、葉山がアメリカへの留学が乗り気でなかったことだ。大学に進学が決まってから三年の一年は休学して留学すると決めていた。他国での生活はとても魅力的に見えたし、何より日本にいるより気を張らずに済む。これで少しは交友も広められると思っていたし、そこに葉山が来るのは当然だと考えていて断るなんて予想すらしていなかった。だから「一人で行ってくんねぇかな」という独り言が聞えた時は驚きを通り越してショックだった。
 行きたくないのか、と尋ねたら、葉山は素直に頷いた。その返答に頭が真っ白になった。以前、留学の話をしたときは「良い経験が出来ますね」なんて言っていたのだが、あれは父の手前、行きたくないとは言えないだけだったのか。そもそも本人の意欲とは関係なく、自分が行くって言えば付いてくるもんじゃないのか。そんなことをぐるぐる考えているうちに、もしかしたら自分は嫌われているのかもしれない、という結果に辿りついた。それなら留学に行きたくないのも頷ける。一人で行ってくれれば、一年間だけでも距離が置ける。これまでは親に言われて仕方なく傍にいただけなのかもしれない。好かれているなんて自惚れた考えを持っていた自分にとてつもない羞恥心を覚えた。
 恐る恐る嫌いなのか、と尋ねてみたら、好きだと返された。この前はただ驚きばかりでしっかり考えていなかったけれど、二度も抱かれて思考は冷静になる。葉山が自分に好意がある。その事実はちゃんと覚えておこうと思い、総一郎は家路に着く。弟から頼まれていた買い物など、すっかり忘れてしまっていた。
 弟が生まれてから十六年、総一郎が彼に言われたことを忘れたのは今日が初めてだった。


 葉山が挨拶に行くと、姉は「あんな奴と一緒じゃ気が休まらないと思うけど、存分に楽しんできなさいよ」と言って笑った。姉の言う通り、総一郎と一緒では休養なんて全く取れない。これまでほとんど家事などしたことがないが、二人でアパートに住むことを考えたら葉山が全てやらなければ生活が成り立たないだろう。ハウスキーパーぐらい雇えばいいもの、なぜかその提案を総一郎が断ったらしい。それを聞かされた時はキレそうになったけれど、本人曰く「実家から離れて自立するいい機会だ」らしい。自立の意味を分かっているのか、一人暮らしの大変さを知っているのか、問い詰めてやろうかと思ったが、自分がどれほど自立できていないか自覚しているのは悪いことではないと思って思いとどまった。
 今日ぐらいは実家でゆっくりしていけばいいのに、と母に言われたが、葉山はそのまま自宅へ戻った。今は実家に居るより自分の家の方がゆっくりできる。あまり総一郎の近くに居たくなかった。
 一旦はこの家も引き払わなければならない。まだ引越しの荷物もまとめられていない。気の早い総一郎は留学の準備が完了しているという。未だ乗り気ではない葉山はダラダラと支度していた。
 断れる状況でも無いからさっさと諦めてしまったほうが得策だと分かっている。支度が終わらないから行かないなんて、国内旅行ではないんだからそんな理由でキャンセルはできない。明日には一通り終わらせてしまおうとまだ組み立ててもいない段ボールを取り出した。
 本棚に詰まっていた本がようやく全て詰め終わった。二年間しかいない部屋だが、予想していたより物が多い。大学生活が思ったより充実していたみたいだ。総一郎から距離を置いたことで、バイトも始められたり、高校の時よりも友人と遊ぶ回数も増えた。やはりこれまで総一郎にかなりの時間を割いていたと分かる。そしてまた一年間、従者のような生活を送ることに気が重くなった。
 好きだが、一緒に居ると疲れる。ワガママは許さないし、呆れたら放っておく。だが文句を言いながらも彼を見放したことはなかったように思う。今回も気は重たいし、一人で行ってくれないかと考えたりもしたけれど、結局のところ親に行きたくないと訴えたことはない。なんだかんだ言いつつも一緒に行くつもりだったのだ。
 自分は総一郎とどんな関係になりたいのだろうか。好きだと言って抱いてしまったときからこれまでの関係は壊れてしまっている。そもそも二人の間に名前のついた関係など無い。強いて言うなら腐れ縁。好きだと伝えてしまった以上、今まで通りにはいかない。そのはずだがこれまでの総一郎の言動、行動を考えるとこれまで通りだ。
 総一郎が何を考えているのか、ずっと弟のことばかり考えてきて、弟のために行動してきた彼が、ようやく自分に目を向けようとしている。そう考えると僅かばかり気分がいい。だが二回も抱いたのに、総一郎の思考は弟で占められているように思う。
 ピンポンとチャイムが鳴った。時刻は既に午前二時。深夜だ。こんな時間にやってくる人間など葉山の中には彼女ぐらいしか思いつかないけれど、彼女とは別れてしまってからすっかり連絡を取っていない。それに常識を持ち合わせているので、来るなら前もって連絡をくれる。突然、こんな非常識な時間にやってくる人物。一人だけ知っている。躊躇っていると何度もチャイムを押された。
「……はい」
 不機嫌気味に出ると「なんだ、起きてんじゃねーか」とご機嫌な顔が満足そうに笑みを浮かべる。こんなにも物腰が柔らかい総一郎はこれまで見たことがなかった。
「こんな時間に何の用だ」
「用がなきゃ来ちゃいけないのか?」
「……別に」
 構わないけど、と言いかけてから、葉山は「いや、困る」と前言を撤回した。夜中の二時ははっきり言って迷惑だ。一度許せば、これから何度も二時にやってくる可能性がある。
「そもそもお前は十時に寝るだろ。こんな時間に何やってるんだ」
 来たことよりも起きていることのほうが異様だ。総一郎は「まぁまぁ」と言いながら部屋の中に入ってくる。良い、なんて一言も言っていないのに、勝手だ。
「おい、帰れって」
「寒いから中入れろよ」
「……あのなぁ」
 頭が痛くなってきた。総一郎は靴を脱ぐとズカズカと入りこみ「まだ荷造り終わってないのか」と段ボールを覗きこんだ。
 隣を通り過ぎたとき、酒の匂いがした。間違いなくこの男は酔っ払っている。中に入れてしまった以上、今から帰れと強くも言えない。まぁ大学生になった以上、もう誘拐の心配などしなくても大丈夫だろうが、帰り道にナンパでもされて付いて行ってしまっても大変だ。酔っ払っているせいでこれまでずっと張り続けていたガードの固さが全くなくなっていた。
 それに気付いて、自分にもそのガードが張られていたのに葉山は気付いた。こんな総一郎は今まで見たことが無い。
 総一郎は振り返って玄関で立ち尽している葉山を見た。
「……何やってんだよ?」
「どんだけ飲んだんだ」
「へ?」
「兄貴に酒、飲まされたんだろ?」
 はっきり話して、ちゃんと立っている。酔っ払っているようにも見えないが、ガードが無いのは不安だ。
「コップ一杯分ぐらいしか飲んでない。途中で眠たくなったし、俺、あまり酒飲めないのかもしれないな」
 記憶もしっかりしているなら問題ないだろう。葉山は安堵して、冷蔵庫の中から水を取り出す。邪魔だからさっさと寝かせてしまって、自分は片づけに取りかかるつもりだ。総一郎の相手をしている時間はない。
「ほら、飲め。ベッド使って良いから、さっさと寝ろよ」
「葉山は?」
「俺はまだ片づけが残ってる。時間が無いんだよ」
 総一郎は水を受け取ると、ベッドに座って葉山を見上げる。
「一緒に寝ないの?」
「…………………………は?」
 思考が停止した。
「だから、一緒に寝ないのか? って聞いてる」
「え……、俺、まだ片づけが残ってるって言っただろ。一緒に寝るわけない」
 一緒に寝たりしたら何をするか分からない。総一郎の家とは隣同士だったせいで、お互いの家でお泊まりもロクにした記憶が無い。だから同じベッドで寝るなんてことはしたことがなかった。
「俺、お前と寝るつもりでここに来たんだけど」
「は? お前、もしかして相当酔っ払ってるんじゃ」
 ないのか、と言おうとしたところで腕を引っ張られた。
「この前、すごい気持ちよかった。だからもう一回、したい」
 ここまで言われて自分を抑えられるわけがない。本来なら喜ぶ場面なのかもしれないが、葉山はただただ不安しかなかった。一見、シラフに見えるこの男、かなり酔っ払っている。次の日、しっかり覚えているはずがない。

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