ダイブゲイト


「あっ……、え、何で俺ら、裸で寝てんの?」
 愕然としている表情を見て、俺も愕然とした。一瞬で鼻の奥がツンとなり視界が滲んで唇が震える。おいおい、脳みその伝達が早すぎるだろう、と必死に自分に突っ込みを入れる。そうじゃないと、泣いてしまいそうだ。もう、半分、泣いてたかもしれない。
「し……、知らない」
 咄嗟にそう答えたけれど、昨日のことはばっちり覚えている。忘れられるはずが無い。忘れるなと尻が訴えている。でも、相手が忘れてるのに、俺が覚えてるなんて惨めじゃないか。だから、知らないふりして服を掴んで部屋を飛び出した。
 何が空しいかと言うと。
 奴の隣の部屋は俺の部屋で、同じ家の中に住んでる同居人なんだから、本当に性質が悪い。何が一番悔しいかと言うと、こっちは勇気を振り絞ったのに相手は全部忘れてしまっていることだ。泣きたくないのに、体はとおおっても素直だから沢山の涙が溢れ出てきた。


 俺は不運な星の下に生まれてしまった、不運星の王子かもしれない。そう思ったのは、地方の人間なら確実だと言われていた寮の抽選に漏れたからだ。片道二時間半も掛けて学校に通わなければならないなんて、想像を絶する。そんな中見つけたのは、ルームシェアの募集だった。条件も価格も何でも良いと思った俺は、それに飛びついた。相手は同い年の同じ大学の同じ学科の生徒。これで友達も一人ゲットかなーって思った矢先、誰かに背中を押されて転んだ。その弾みで紙まで飛ばしてしまい散々だった。本当にこれからの大学生活、大丈夫なのだろうかと不安に駆られた。地面に突っ伏して絶望に浸っていると、まるであの十戒のワンシーンのように、人の波が俺の目の前で真っ二つに割れた。何事かと思い顔を上げると、そりゃぁまぁ、端正な顔をしたどこぞの国の王子様のような奴が、対面に現れた。
「これ落としたの、君?」
 ニコリとイケメンが笑う。その笑顔を向けられているのが俺だなんて、本当に申し訳ない気持ちになるようなそんな綺麗な笑顔だ。慌てて起き上がり、何度も頷く。すると、イケメンはまた俺に笑顔を向けた。
「俺の部屋なんだ。良かったら、見に来ない?」
 女共の視線を受けながら、俺はまた首を縦に振る。条件が良かったことと、イケメンから「一応、男限定にしてるんだけど、君が入ってくれなかったら大変なことになるんだ」とお願いされてしまったので、俺はイケメンこと小野寺と部屋をシェアすることになった。
 そのときはこんなイケメンと共同で住めるなんて、本当に俺ってラッキーだな、ついに不運の星の下から去ることが出来たのかなって思ったけれど、イケメンと一緒に住むって事がどれほど大変なことなのか、奴は俺が引っ越してきてから二週間ほどで本性を出した。
「わあああー、ここが小野寺君の家? 超キレー!」
 女の声が煩い。確かにここはまだ建てられて数ヶ月しか経ってないめちゃくちゃ綺麗な物件だ。しかし、隣の部屋からティッシュを取る音すら聞こえてしまうほど、壁が薄い。そんな賃貸に激安価格で住めてる俺は、世の中からしたらまだ羨ましがられる存在かもしれないが、相手がイケメンだから連夜女を連れ込んでくるので煩い。眠れない。おかげで授業中に寝てしまうほど、寝不足な日々が続いていた。今日も小野寺は女を連れ込んでいる。最初に交わした約束は、食事は各々で作る、掃除は週代わり、日用品は交替で買ってくる、だけと、ルームシェアをしたことない俺は、それだけで十分だと思い込んでしまっていた。まさか、女を連れ込んでくるなんて、想像すらしてなかった。なんせ、隣には俺がいるんだぞ。こんなこと、常識の範囲内だ。
「んっ……、おのでら、くんっ……、もぉー、さっそくぅ?」
「そのつもりで来たんでしょ?」
「ねーええ、隣にきこえなぁい? ああんっ……」
「大丈夫だよ。問題ないって」
 ありまくりだ、バカ! と壁を殴れたら、どんなに良いことか。出来るだけ聞こえないように布団に包まったけれど、やっぱり声は聞こえてくる。小野寺のベッドは、俺の部屋側にくっつけられてるから余計だ。俺は隣の部屋から遠いところに布団を敷いてるけど、部屋にスピーカーをつけてるのか、って思うぐらい煩い。……でも、家賃が五千円だから文句言えない。小野寺の家は不動産を経営してるらしく、このアパートは小野寺の家のものだ。住んでくれるなら家賃なんて要らないと言われたが、申し訳ない気持ちに駆られるので五千円だけ払うことになっている。水道代はタダだ。
 ギシギシとスプリングの軋む音。女のあえぎ声。聞きたくないのに耳に入ってきてしまうから、自然と男の象徴がむくむくと起き始めてしまう。もうそうなったら、寝ることなんか出来ないし、暴れだしたイチモツは静まってくんないし、相手に気づかれないようシコシコするしかない。もうこんな空しい生活嫌だと思うけれど、金がかかんないから文句は言えない。嫌なら出て行けばいい話だけど、こんなことをするつもりだったならどうしてアイツはルームシェアなんてしようと思ったんだ。よく分からなかった。俺が相手だから、舐められてるのか。それなら、納得できた。
 女の喘ぎ声に合わせてチンコを弄っているうちに、限界はやってくる。壁が薄いことはよく分かってるから、気付かれないようにそっとティッシュを取る。女の喘ぎ声が一段と大きくなる。毎日、女を連れ込んでるだけあって、やっぱり上手いんだろうな。そんなことを考えながらシコってるうちに、俺が小野寺に気持ちよくさせられてるような錯覚に陥った。
「んぁ、あっ……、おのでら、くぅん、すきっ、んんっ……、も、あっ……!」
 女のイった声と同時に、出してしまった。サーと血の気が引くのを感じて、手についてしまった精液をごしごしと擦る。イってしまった後の虚しさと、女の声に同調してイってしまった自分の情けなさが襲ってくる。結局、この日も眠れなくて、寝不足だった。女なんて、早く帰っちまえって思った。
 大体、俺が学校へ行こうと準備を始めたぐらいに、女が部屋から出てくる。あ、なんて気まずそうな顔を見せて、そそくさと立ち去っていくのは壁の薄さを思い知ったからだろう。小野寺はと言うと、そんなこと気にする様子もなく、全裸で寝ている。もうちょっと気にしろよ、と言いたいところだが、追い出されたくないから言えない。洗面所で顔を洗っていると、背後に気配を感じて顔を上げた。寝ぼけた顔をした小野寺が、俺の後ろにいる。
「おはよー。朝から授業はだるいねー」
 へらへらと笑いながら話しかけてくる。昨日のこととか、連日のこととか、もっと俺に謝んなきゃいけないことがあるだろう、って言いたくなるけど、そこまで言う勇気も無くて「……うん」と静かに返事をした。もうちょっと顔を洗おうと思って屈むと、俺の尻に小野寺の腰って言うか、股間が当たる。びっくりして、体が跳ねた。
 反射的に振り返ると、どうやら歯ブラシを取ろうとしていたようで、小野寺もびっくりした顔をしていた。
「あ、びっくりした?」
「う……、うん。……ごめん、退くわ」
 そそくさと洗面台の前から退いて、すぐに自室へ戻った。何でか分からないけれど、妙に小野寺のことを意識している自分が居る。ドキドキが、止まらなかった。
 同じ家に住んでるが仲が良いとは到底言えない。けれど会話はそれなりにする。学科だって同じだし、ゼミもたまたま一緒になってしまったから大学生活はほとんど同じだた。まぁ、友達が一人も居ない俺に比べて、小野寺はたくさんいるから、プライベートは全く違う生活を送っていたけれど。
 毎日、毎日、よくもまぁ、女が尽きないなと途中から思い始めた。小野寺と一緒に帰ってくる女は、いつも違うように思えた。俺は相変わらず、そんな喘ぎ声を聞きながらオナニーをして、いつしか自分まで小野寺に抱かれてるような妄想までするようになってしまい、遂に末期だと思った。そろそろ、潮時だ。二時間半ぐらい通えない距離じゃないし、またルームシェアとか寮の空きとか、そう言うのを探せば良い。でも、いつも女を連れ込んでくるから、どのタイミングで話しだせばいいのか分からなかった。そして、やっと、そのチャンスが回ってくる。
 その日はたまたまだと思うけど、小野寺が早く帰ってきた。珍しくと言うか、本性を出してから初めて女を連れて帰ってこなかった。リビングで炒飯を食べていた俺はびっくりして声すら出せず、驚きすぎてスプーンを皿の上に落としてしまう。ガシャンと耳障りな音が響いた。
「ただいまー。あれ、なんか美味そうなの食べてるね」
 小野寺はニコニコ笑いながら、俺の対面に座る。丁度、テレビが見やすい位置に座ってたのでかなり邪魔だった。何を言っていいのか分からなくて俯くと、小野寺は俺のことなど気にせずベラベラと喋り始める。
「そういや、守谷は料理出来るんだっけ」
「……まぁ、自炊した方が安いし」
「あー、そうだよなぁ。俺、こう言うのからっきしできないから、羨ましいなぁー」
 ニコニコ笑ってる顔を見てると、罪悪感に襲われた。小野寺は、俺が抱いた女でオナニーしてることは知らない。気付かれたら、絶対に気持ち悪いって思われる。それが怖くて言い出せもしないし、小野寺に女を連れ込むなとも言えない。黙って俯いていると、皿の上に落ちたスプーンが小野寺の手に拾われる。
「ん、うま。すっげー美味い!」
「えっ!?」
 驚いて顔を上げると、小野寺が満面の笑みを俺に向ける。
「なぁ、出来るだけ早めに帰ってくるし、俺、もうちょっと掃除とかするからさ。俺にご飯、作ってよ」
 作ってくれる人なんて、いっぱいいるじゃん。と思ったのを飲みこんで、「うん」と頷いた。小野寺の周りには沢山の人がいるから、俺より料理が上手い人なんていっぱいいるはずだ。なのに、小野寺は俺を選んだ。ジワリと胸に広がるのは、優越感だ。ここへ来て抱かれた女よりも、俺の存在なんて小野寺の中ではちっぽけかもしれないけれど、少なくともここに居る意味がある以上、俺は抱かれた女より大きい存在になれたのだと、錯覚していた。そうして俺は出て行くと言えなくなって、小野寺とルームシェアを続けていた。
 その日から、小野寺の女を連れ込む回数が減った。でも、俺は女がいないのに、毎日オナニーをしてしまっていた。いつしか、対象が女ではなく小野寺に変わっていた。学校でも頻繁に声を掛けられ、小野寺と一緒に居る時間が日に日に増えていく。それに満足している自分は、どこか奇妙で気持ち悪かった。
「アンタ。小野寺君とルームシェアしてるからって、いい気にならないでよ」
 突然、ケバい化粧をした女が、俺の前に立ちふさがる。何のことか分からなくて、「……え」と戸惑いを声にすると、女の眉間に皺が寄る。
「アンタが飯作って待ってるから、今日は遊べないって断られたんだけど!」
 そんな約束はした覚えがない。小野寺に予定が無い時だけ、俺が飯を作るって言う話になっているが、断るのが面倒で俺をダシにしたのか。理解出来た俺は、女から視線を逸らす。
「何か用事作って、断ってよ」
「……で、でも」
「なーにやってんの?」
 小野寺の声が聞こえた途端、女の体がビクと震えた。小野寺は笑顔を絶やさず、女を見つめている。その目はどこか、冷たくも見えた。
「守谷に、何してんの?」
 笑いながら、小野寺は尋ねる。
「……あ、あの……」
「俺が何しようが、付き合ってもないんだから君には関係ないよね?」
 どうやら、話は全部聞いていたようだ。俺を庇おうとしてくれてる小野寺の気遣いが、俺にとっては優越感で、女に対してざまぁ見ろなんて思ってしまうんだから、俺も女と同類に成り下がってしまった。虚しくなって、二人から床へ視線を移す。
「それに、俺、こう言うことする女、大嫌いなんだよね。行こう? 守谷」
 小野寺は笑って俺の手を引く。女は泣きそうな顔をして唇を噛みしめていて、何も言わなかった。小野寺も涼しそうな顔で歩いていて、口にした言葉がどれほど残酷だったのかも分かってなさそうな表情だ。せめて俺は、こんなことを言われないように取り繕うしか無くて、女だったら俺はどうしてただろうかと考える。
 多分、あそこで立ち尽くしてる女と同じ目に遭ってただろう。首だけ振り向いて、俯いている女を見た。顔から水滴が落ちるのを目にしてしまい、苦々しい物が胸に広がった。
 ガダダダダンと大きい物音で飛び起きた。何が起こったのか分からなくて、初めは布団を被ってぶるぶる震えていたけれど、「うー、あー」と苦しげな声が聞こえて布団を剥ぐ。小野寺の声だった。そっと部屋の扉を開けると玄関が見える。小野寺が靴箱に凭れかかって、倒れそうになっている。ムワッと香る酒の匂い。どうやら、今日は飲んで帰ってきたようだ。にしても、ここまで酔っ払っている小野寺を見るのは、初めてだった。
「……だい、じょうぶ?」
 恐る恐る声を掛けると、小野寺は顔を上げて俺を見る。それからふにゃと笑って、「手、貸してぇ?」と甘えた声を出す。部屋まで運べば大丈夫だろうと思って、小野寺の手を掴む。紐の多い脱ぎづらそうな靴を脱がして、凭れかかってくる小野寺をなんとか部屋まで運んで、ベッドに寝転ばせた。半分寝かかっていた小野寺は、ベッドに寝転ぶとすーと静かに寝息を立てる。その顔をジッと見つめていると、何だか吸い込まれそうになった。こんな無邪気な寝顔を、何人の女が見てきたんだろう。俺だけだったら、どんなに良いことか。沢山の女が、この大きい体に抱かれている。柔らかなそうな唇に触れて、舌を絡ませている。そう考えたら、俺は小野寺にとってどんな存在なのか。実はミジンコと同じぐらいちっぽけなもんではないかと思って、劣等感と焦燥が同時に襲ってくる。体を屈めて、その赤く柔らかい唇に自分の唇を重ねようとしたところで、正気に戻った。こんなことをしたって、また惨めになるだけだ。体を起こし、自分の部屋に帰ろうとしたところで腕を引っ張られた。後ろから抱き抱えられて、「あーあ」と低い声が耳元で聞える。
 起きていたのか。血の気が、一気に引く。
「今、俺にキスしようとしてたよな?」
「……え?」
 びくりと体が震える。
「ここで俺が女を抱いてる時、シコってただろ?」
「……え、え……?」
「俺が抱いてる女の喘ぎ声聞いて、お前、オナニーしてたよな?」
 また、体が震える。目を見開きながら後ろを見ると、小野寺はいつもと同じようににっこりと笑っている。知っていたのか。やっぱり、壁が薄すぎて俺が何をしているのかも、小野寺は気付いていたのか。ならどうして、今まで普通の顔をして接していたのか分からない。ぞくりと背筋が粟立つ。
「バラされたくなかったら、大人しくしてろよ。あぁ、声は沢山出して良いけどな」
 耳たぶを噛まれて、小野寺の手がズボンの中に入ってくる。触れられただけで反応してしまうペニスは、既にはちきれんばかりに勃起していた。俺は、いつか、こんな日が来るのではないかと予想していたのか、ただの願望だったのか、豹変した小野寺を無意識のうちに受け入れてしまっていた。
「あっ……、ッ、うっ……、ん」
 パシャリと、フラッシュが光る。もう何度目か数えるのも面倒になっていて、服を脱がされた俺は何人もの女が寝転がった小野寺のベッドに寝かされていた。立てた膝は震えていて、何回かイかされたのにペニスはまだ勃起している。指が、中に入って来てぐちゅぐちゅと音を立てていた。頭がボーっとしていて、何も考えられない。腕を引っ張られ、体を起こされる。
「舐めてよ。出来るよな?」
 お願いと言うより、命令だった。小野寺の股間に顔を埋めて、勃起しているペニスを口に含む。苦いのが口に広がって、後頭部を掴まれた。喉に詰まって上手く出来ない。舌を動かしていると、ため息が聞こえた。
「ヘタクソ。もういいや」
 ようやく解放されて、少し噎せる。小野寺は俺の体をベッドに倒して、足を持ち上げた。
「気持ちよくしてやるから、いっぱい、声出せよ」
 にこりと笑う。それは出会ったときや、炒飯を食べたときと同じ笑顔だ。やっていることとこの笑顔のギャップがありすぎて、涙が出てきた。嬉しいと思った反面、これで俺も小野寺に抱かれた女と同レベルだと思って、悲しくなった。何度か、俺のことが好きなの、と聞かれたから、抱かれながら俺は好きだと言った。あの女たちと同じように。
 小野寺に抱かれないことが、俺とここへ来た女たちの決定的な差だったのに。


 やっぱり俺は、不運な星の下に生まれた不運星の王子だ。
 酔っ払っていたこともあって、小野寺は昨晩の記憶が全くないらしい。どうして全裸で寝ていたの? と何度か聞かれたけれど、俺も知らないで白を切りとおした。小野寺の顔を見ているのも辛くなって、必要最低限、部屋からは出なかった。あれからまた、小野寺が女を連れ込むようになったけれど、俺がオナニーをすることはなかった。
 そろそろ終わりにしなければ。この前もそんなことを考えて、結局、出て行くとは言えなかったけれど、今回ばかりはそうもいかない。二時間半ぐらい、この苦痛と比べたら決して苦しくなんか無い。今日こそは、小野寺に出て行くことを告げようと思って、小野寺に声を掛けた。
「……あの、夜、空いてる?」
「ん? 空いてるよ。どうしたの?」
 寝起きだけれど、小野寺の笑顔はいつもと変わらない。胸を抉られるぐらい苦しい気持ちになったけれど、それも今日でおさらばだ。
「話が……、あるんだ」
「うん。分かった。じゃぁ、ご飯作って待っててよ」
 にこりと笑顔を向けられたけど、俺は目を逸らしてしまった。そそくさと部屋に戻って、言いたいことを頭にまとめておく。さっさと話して出て行くのが一番だ。関わりたくない。虚しいから放っておいてほしかった。
 今日の授業が全部終わって、今までにないぐらい猛スピードで家に帰った。鍵穴に鍵を差し込むだけだと言うのに、手が震えて上手く入らなかった。緊張しているのがよく分かる。一人で苦戦していると、後ろから誰かが俺の手を掴んだ。びくりと震えて、振り返ると小野寺が立っていた。
「どうしたの?」
 いつもと同じ笑顔で笑う。その顔を見ているのも辛くなって、息が出来なくなった。
「はな……」
「嫌だよ。守谷、出て行こうとしてるんでしょ?」
 小野寺は笑って、鍵穴に鍵を差し込む。解錠すると俺の腕を引っ張って、家の中に押し込んだ。
「んー、そろそろ、忘れたふりをしてるのも潮時だと思ったんだよねぇ」
 対面に座った小野寺が、悪びれない表情でそう言う。何がなんだかよく分からない俺は、正座して小野寺の話を聞いていた。
「つーかさ、携帯見たらすぐに分かるじゃん。俺が守谷に何をしたのか」
 あはは、と俺を見て笑っている。
「例え、マジで記憶が無かったとしても、携帯に見知らぬデータがあれば、守谷に聞いてるって。そう言うことも、考えなかったの?」
 語尾に、バカじゃない? と付けられてるようで、バカにされているのは十分に分かった。それすらも、怒る気力はない。ただ、俺は小野寺の話を聞いているだけで、意見など口にしない。思考が停止していたのかもしれない。
「これぐらいしたら、文句言うかなって思ったけど、思った以上に守谷って引っ込み思案って言うかさ、からかいがいが無いって言うか。普通、女を連れ込んだその日に文句言われても仕方ないと思ってたけどさぁ、文句を言うどころかオナニーしちゃうからちょっとムカついてたんだよね」
 ……ん? と、疑問が浮かぶ。
「女連れ込んで、わざと大声出させてたんだよね。気付いてた?」
「な、何で、そんなこと……」
 にこにこと笑ってる顔を見ていたら、それしか聞けなかった。当てつけのように声を聞かせてどうしろって言うんだ。そりゃ、女の声を聞いてオナニーしてたけど、それって連れ込む小野寺のせいじゃないか。俺が怒られる理由って、一体、何なのか。
「何でって……、まぁ、意地悪?」
「……え」
 思わず、低い声が出た。
「なんかさ、苛めたら面白いだろうなぁって、一目見た時から思ってたんだよね」
「え……、どど、どういう」
「一言で言えば、一目ぼれ? 守谷が寮の抽選漏れたって聞いたからさ、ルームシェアなんて全然する気無かったんだけど、守谷だったらいいやって思って。わざわざ、守谷が掲示板を見に行くタイミングを見計らって募集かけたんだよ? 凄く頑張ったから、ちょっとぐらい意地悪したって、俺は怒られないよね?」
「ち、違うだろ!」
 大声を出してしまうと、小野寺がクスクスと笑う。純粋に楽しそうな顔をされる理由が分からなくて、俺の頭の中ははてなで埋め尽くされている。戸惑いを見せていると、小野寺は笑ったまま俺の手を引っ張って、いきなり抱きしめてきた。びくりと体が震える。
「ねえ、守谷。このまま、俺の物になってよ」
「……いみ、わからない」
 声が震えて、上手く出てこなかった。首筋を噛まれて、ビクと体が震える。ジンジンとした痛みが広がって来て、何をされてるのかよく分からなかった。
「なーってくんないなら、写真バラまいちゃおうかな」
 楽しそうな声が聞こえて、どんと小野寺の体を押した。小野寺は相変わらず笑っていて、俺の顔を見るともっと笑みが深くなる。苛めていて楽しいと言わんばかりの笑顔だ。
「……そういうこと、やめろよ」
「どういうこと?」
「俺は……、脅されるんじゃなくて自分の意志で……」
「え、ちょっと待って。守谷、俺のこと好きなの?」
 ボッと勢いよく、俺の顔が赤くなった。それと同時に、悔しさが込み上がってくる。小野寺に抱かれた時、俺はあんなに好きだと言ったのに、そのことはすっかり忘れてしまっているのか、女たちと同じように思われたのか、どちらにせよ悔しいのは変わらない。
「……前にも、好きだって言った」
「あれって、俺に脅されてじゃなかったんだ!」
 小野寺は嬉しそうな表情を見せる。こんな顔は、初めて見た。
「え? え? マジで? わぁー、嬉しいなぁ」
 小野寺は俺の体を抱きしめて、突然、立ち上がる。どこへ連れて行かれるのかと思えば、小野寺の部屋ではなく、俺の部屋だった。何をするのかと目を泳がせていると、布団の上に押し倒されて唇を塞がれる。
「じゃ、守谷。俺達、両想いだな」
 上に乗った小野寺が、俺を見て笑っている。両想いだな、なんて言葉を、よくもまぁ恥ずかしがらずに言えるもんだ。頭がくらくらして、上手く脳は働いていない。
「ほんとに、俺のこと、好きなの……、か?」
 躊躇いながら尋ねると、小野寺は俺を抱きしめる。
「好きだよ。一目ぼれだもん」
「……じゃあ、何で女連れ込んだりしたんだよ」
 その理由を聞かないと、納得できなかった。多分、ずっと小野寺のことを疑いながら、生活することになる。小野寺は「うーん」と少し悩んだ様子を見せてから、にこりと笑った。
「意地悪に決まってんじゃん。どんな反応するか、楽しみだったんだけどさ。まさか、オナるとは。結構、守谷ってこう言うことに弱い?」
 そう言って、小野寺は俺の股間を掴む。強く握られて、声が漏れた。
「……変態だね」
 耳元で囁かれて、体が震えた。やっぱり、こんなイケメンに好かれるなんて、俺は不幸の星の下からやっと脱却できたのかと思ったけれど、それは錯覚にしかすぎない。
 小野寺はナチュラルにドエスだ。この前はわざとだったんじゃないかと思ったけど、今日で確信した。

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