ダブルスタンダード


 誤算だったと言えば誤算だっし、計画通りだと言えば計画通りだった。
「ぁ……、ん、せんぱ、ちょっと……」
 俺を組み敷いてる男に声をかけると、入り口を見て目を見開く。それからすぐに俺から離れて、さっきまで人の体内にうずめていた勃起したチンコを慌てて仕舞う。その姿はかなり滑稽だ。
「誰だよ、アイツ。お前の男か!?」
「……いや、ルームメイトですよ」
「は、はぁ?!」
「すみません、先輩。埋め合わせはまた今度で」
 とりあえずこの場から出て行ってほしくて、身なりを整えた先輩の背中を押す。自分の部屋に入ってきたらルームメートが事に及んでてしまって驚いている男は、唖然とした顔で出ていく先輩を見送った。女の子にもてはやされる綺麗な顔が、間抜け面に変わってるのは写真に撮ってやりたいぐらい面白い。
 パタンと音を立てて扉が閉まる。脱がされた服を着替えていると、呆れたため息が聞こえてきた。
「……部屋ではやめろって前にも言ったよな?」
「ごめんね? バカだから覚えてない」
「嘘吐くな。俺が女を連れ込んだときは、大騒ぎしたくせに」
「じゃぁ、篠宮も騒げばいいだろ。騒がないでくれなんて、言った記憶ない」
 白けた視線を向けると、篠宮はうんざりとした顔で俺の隣を通り過ぎた。
 共学の全寮制高校に通い始めて二年。篠宮とは一年の時から同じクラスだった。愛人の子であるがゆえに疎まれた篠宮は、この学校に押し付けられて二年間、一度も実家に帰省していない。家庭環境に問題を抱えている俺はどちらかと言うと頻繁、いやほぼ毎日の頻度で家には帰っていた。外出にうるさいうちの学校で俺の帰宅は特例だ。
「そういや、さっきのって寮長だよな」
「そう」
「寮長までお前の虜かよ。こえーな、この学校」
 大げさな反応を見せてから、篠宮は窓を開けた。ぬるくなった風が室内に入ってきて、さっきまでの余韻と一緒に窓からよどんだ空気が出ていく。
「ちょっと夜中に抜け出したいからお願いしただけ」
「対価が体かよ」
「まぁ、この閉鎖された空間じゃ、欲求さえ発散できたら男だろうが女だろうが、関係ないんでしょ? そういうところに付け込んでるだけだよ。別に俺じゃなくてもいい」
 趣味がほとんどの割合を占めてるけど、と付け足したら、篠宮が面白そうに笑った。黒い髪を掻き分けて、ベッドに寝転がる。人のことを批難するのは結構だが、篠宮だって女の子を喰い歩いているのは耳にしている。さっきだって通り過ぎた時、篠宮のではない香水の匂いがした。女を喰い歩いている男が、男を喰い歩いている俺を批難するなんておこがましい。性差がなんだと言うのか。やってることは俺となんら変わりない。
「そういう篠宮は誰を相手してきたんだ。香水くさいから、早く風呂行ってほしいんだけど」
「国語の教師。そういうお前だって精子くせぇ。早く風呂入れよ」
 出してもないのに精子くさいと言われるのは気に入らず、自分の服を匂ってみた。俺の匂いしかしないし、香水とは大違いだ。一緒にされたくなくて不満げな顔を見せると、篠宮が「なんだよ」と不満を漏らす。
「今日は飲んでもないし、出してもない」
「そんな報告いらねーよ」
「してほしそうな顔をしてたから。ま、いいや。お風呂入ってくる」
 バスタオルと着替えを持って部屋を出る。今頃、生徒のほとんどは夕食を食べているはずだ。その時間は風呂に入る人は少ないし、気兼ねなくゆっくりと浸かれるからこの時間を選ぶわけだが、バタンと戸の閉まる音が聞こえて振り返ると篠宮が俺の後を追ってくる。
「俺も行くわ」
「ついてこなくていいのに」
 隣に並ぶ篠宮を無視して歩き出した。大浴場へ行くと予想通り、大半が食事へ行ってるせいで人はかなり少ない。ちらほらといるものの、この後の混雑に比べたらいないも同然だ。服を脱いでさっさと浴場へ行くと、篠宮は犬のようについてくる。今更だが隠しもしない股間をちらりと見てみる。
「……………………なんだよ」
「短小?」
「てめっ、後で覚えとけよ!」
 大げさに騒いだりするから、からかうのは面白かった。何度か見たことあるけど、ヤりまくってる割には綺麗なチンコだ。あまり見すぎると狙われてると勘違いされるから見ないようにしてるけど、ゲイである以上、他人のチンコにはそれなりの興味はある。まぁ、ノンケに手を出すほど飢えてるわけでもないし、相手はたくさんいるし、何より篠宮は守備範囲外だ。一言でいえば、性欲が沸かない。見境はないほうだと思ってるけど、なぜか篠宮だけには。
「さっき中途半端だったからって、欲情してんのか?」
「篠宮だけはないわー」
「……おっまえェ」
 篠宮だけにはないと言うのはあまりにもおかしいけれど、本当だから仕方ない。どんなに節操のない俺も興味がわかない奴にいちいち手出ししないし、なんせ同室の奴に手を出していいことなんて一つもない。まぁ、日ごろの行いからそんなことを言われてしまうのはしょうがないとして、誤解は早めに解いておかなければいけない。
「そう言えば、今日は家に帰らなかったのかよ」
「夜に帰るから寮長にお願いしたんだって。なんかあったときはよろしくね」
 話しかけようとする篠宮を無視して、シャワーを出した。言いたいことを飲み込んで隣に座った篠宮を横目で見ると、なぜか不満げな顔をしていた。からかいすぎてしまっただろうか。なぜか知らないけど、最近、やたらと篠宮が俺のことを聞いてくる。同じクラスで席も近いし、同室だから聞きたくなるのも分からなくはないが、あまり人には干渉してこなかったから驚きと言えば驚きだ。
「……何で、夜なんだよ。日中のほうがいいだろ」
「飯食う約束してるから」
 シャンプーを落としてリンスを付ける。篠宮の鬱陶しい話にはあまり返事せずに、早く上がろうと思った。ご飯を食べる約束をしてるから、だけの理由じゃないことは、篠宮も薄々気付いている。本当のことを聞いてこないから、決して言わないけれど。
 俺にしても篠宮にしても、家庭に問題を抱え過ぎている。だからお互いに干渉しないことで距離を保っているから、いやすさはそれなりにあった。体についた泡を流して浴槽へ行くと、篠宮は俺の後を追ってはこなかった。
 髪の毛を乾かしてから身支度を整える。裏口の鍵は寮長から先ほど貰ったので、明日の朝に返せばいい。
「日付が変わる前には帰ってくる予定だから、部屋の鍵を開けておいてくれ」
「えぇー。同室の七海君がいませーんってチクっちゃおうかな」
 悪戯をしている子供のような笑顔で篠宮がそう言う。
「んなこと言ってみろ。国語の教師、英語のキャサリン、保健室の先生に手を出してることぜーんぶ学年主任にバラすぞ」
「うわ、せっこ」
「バラされたくなかったら、しっかりやっとけよ」
 嫌そうな顔をしてから篠宮は自分の横に置いた雑誌を手に取り、「分かったー」と適当な返事をして手を振った。財布と携帯、裏口の鍵だけ持って部屋を出る。人通りが多い時間だけれど、裏口まで行けば誰も居ない。辺りを見渡してから、裏口の鍵を開ける。普段は鍵が閉まっているので、出る時は施錠しなければいけない。しっかりと鍵がかかっているのを確認してから、塀を登って外に出た。
 俺の両親は三年前、事故で死んだ。残された妹と弟は今、会社を経営している親戚の家に預けられている。長男の俺は大学卒業後、その会社に入ることを決められていて、そのために今の学校へ進学させられた。決して、厄介者だったというわけではない。ただこの学校の偏差値は一般と比べて高い方で、評判がとても良く、伯父も伯母もこの学校出身だから俺をそこに進学させただけだ。どうも理事長と繋がりがあるようで、随分と良い待遇をしてもらっていた。
 父の兄でもある伯父には、一人っ子の息子がいる。俺より三つ年上の大学生だ。金もありそれなりに勉強も出来るし、顔だって人より優れている一見好青年だが、腹黒くて常に何かを目算している策士だ。大学に行けば一人暮らしすると思っていたが、なぜか実家に居付いている。大学がさほど遠くないこともあるが、何よりも残った理由は俺を脅すためだ。そのために今日も、家に帰ってクソ野郎の相手をしなければいけない。
「ただいま」
 ドアを開けて家の中に入ると、伯母さんが笑顔で俺を迎えてくれる。
「おかえりなさい、春也君。学校はどう? この前テストだったんでしょう?」
「えぇ、出来る限り頑張りました。まだ結果は出てませんので、出たらすぐに報告します。伯父さんはもう、帰ってるんですか?」
「今日はお仕事が忙しいみたいでまだなの。もう南ちゃんも将司くんも食事を終えてしまって、部屋でお勉強してるわ」
「そうなんですか。遅くなってすみません。務さんは帰ってきてますか? この前借りたCDを返したいんです」
「えぇ、務もとっくに帰って来て部屋にいるわ」
「じゃぁ、ちょっと務さんの所に行きます。ご飯は伯父さんが帰って来てから、ご一緒させて下さい」
「あら、遅くまで大丈夫なの?」
 門限を気にしてるのか、伯母さんは頬に手をついて困った顔をする。
「九時になって戻らないようなら、一人で食べます。寮長にお願いしてきましたので、多少なら大丈夫ですよ」
 にっこりと微笑むと、伯母さんはそうと言って笑った。靴を脱いで、玄関から真っすぐ歩いた先にある階段を登る。二年前までは俺もこの家に住んでいたが、今は部屋を弟に明け渡した。大学に行ったら、一人暮らしをさせてもらう予定だ。この家には良い思い出が全くない。わざわざ俺を呼びだした元凶の部屋の前に立ち、扉を二回叩く。するとすぐに戸が開いた。女受けの良い優しそうな顔が、俺を見て笑顔になる。
「おかえり、春也」
「……さっさと済ませませんか? 寮を抜け出してきたんです」
「つれないな。春也はいつもつれない」
 困ったような顔を見せながら、クソ野郎こと務は俺の腕を引っ張って部屋の中に入れた。相変わらず綺麗に整理された部屋は、伯母さんがやっているわけではなく務自身が部屋を掃除している。友人関係だけでなく、務は自分の両親にも良い顔をしている。下衆で最低な野郎なのは、俺の前だけだ。そして、俺もコイツの前では別の顔を使い分けなければいけない。従うためだ。俺には今、人質を取られているのと同じ状態だ。
 ベッドに座った務の前でしゃがみ、ズボンに手を掛ける。萎えたペニスを手にとって、舌で舐める。風呂に入ってないせいか、舌に苦みを感じた。思わず顔を顰めてしまうと、頭を掴まれてそのまま奥まで突っ込まれた。
 務は俺の初めての男だ。そもそもの原因は俺が中学三年の時、入寮が決まりこの家を出て行くと家族のみんなに説明をした日だ。務は俺を部屋に呼び出した。一体、何事かと思えば、まだ中学に上がったばかりの南が気になっているといきなり暴露し始めた。何が何だか分からなかった俺はただただ務の話を聞いているだけだったが、聞いているうちに妙な方向へと話が進みだした。
 単刀直入に言えば、妹の南とヤりたい。と、俺に伝えてきたわけだ。どうしてそんなことを俺に言ったかは分からないし、理解しようとも思わないし、これは俺を嵌めるための罠だったと思う。もしも例え、務が南を犯したとしても、南は誰にも口外しなかっただろう。今、俺達が頼れるのはこの伯父夫妻で、この人たちがいなければ路頭に迷うこととなるだろう。そんなことになれば俺も悲しむし、弟も悲しむ。そう思ったら口に出来なくなるのは目に見えていた。きっと、同じ状況になれば兄弟全員が揃って同じ選択をしただろう。だから俺は、南の代わりになるのを選んだ。おそらくだが、務の狙いは俺の口からそれを言わすことだっただろう。それから脅迫が続いている。
「上手くなったな、春也。もしかして、ルームメートのもこうやって銜えてるんじゃないだろうな?」
 頭を撫でながら務が尋ねる。
「……まさか。ルームメートはただのヤリチンだって言いましたよね? 俺になんか興味ないですよ」
「春也はどうなんだ?」
 顔を上げると、いつにも無く優しい笑顔を俺に向けていた。俺がどこのどいつと関係を持とうがこの男には全く関係ないのに、妙なことを口走るから本当に困る。初めての男だからと言って優越感に浸っているのか、自分のものだと思いこんでしまっているのか、お前に従っているのは南と将司がこの家に住んでいるからだと言うのに、滑稽すぎる。お前が思っているほど、俺は純情なんかではない。ルームメートには手を出してないが、俺を抱いた男は学校には溢れている。そんなことも知らず、篠宮に身勝手な嫉妬をしてしまうのだから哀れだ。
「あるわけないじゃないですか」
 あんまりにも下らない事を言うから、笑いが出てしまった。それで満足そうな顔をするから余計だ。腕を引っ張られて、ベッドに押し倒される。務は初めての男だが、そんなにセックスは上手くなかった。大体、どんな人が上手いか下手か分かり始めたら、演技と言うのもある程度出来るようになってきた。それにしても今日は篠宮が邪魔してくれて本当に良かったと、今頃になってそんなことを思った。一度、イっていたら、務とのセックスではイけなかった可能性がある。そりゃぁ、まだ俺も若いわけだし復活とかはするが、一度イったら次に出る量は少なくなるし、イきにくくもなる。そうなれば務は確実に機嫌が悪くなって、俺に対してかなり酷いことをしだす。一丁前にヤキモチなんてものを焼いてるわけだ。本当は今日、誰ともヤるつもりはなかったけど、裏口の鍵を貸してくれと言ったら寮長が一度でいいからヤらせてくれと言ってきた。セックスは別に嫌いではないし、寮長の顔も好みと言えば好みだったから部屋で事に及んだ。途中で篠宮が入ってくるのは何となく分かってたし、校舎から寮までの道のりで国語の教師とキスしているのを目撃したから、そんな時は大体、そそくさと帰ってくる。だからわざと部屋で事に及んだ。そうしたら見事に篠宮は部屋に入って来て、俺と寮長のセックスを邪魔してくれた。
「っ……、つと、ぁ、はや、くぅっ……」
 さっさと入れろ、と言いたいのを堪えて、腕を掴んだ。
「なんだ? 我慢できないのか、春也は」
 こくりと首を縦に振ると、喜んで務は俺の中に入れてきた。セックスは下手くそだけど、チンコのでかさはそれなりに認めている。少しだけ腰を動かして、良い所に当たるよう位置を変える。それからちょっと腰を浮かせれば、足が震えるぐらいの快感が襲ってくる。部屋の壁はさほど厚くないので、声は出来るだけ抑える。気持ちよさに思考が吹っ飛びそうになるけれど、頭上にある間抜け面を見て思考回路は現実に戻ってきた。
 自分のペニスに手を伸ばして、何度か扱く。いきり立ったそれは、俺の手であっという間に果ててしまい、腹筋に力を入れると務もイってしまう。コイツが何をしたかったか、なんて今となってはどうでもいいことだ。俺をこっちの道に引きずり込む元凶となっただけで、恨みも何もしてない。ただ、兄弟には絶対に手を出させない。
 けれど、こんなことをされてから、体は乾いて乾いてパラパラと剥がれて落ちてしまいそうだ。何も満たされて無かった。何も詰まってない空っぽの笑顔を向けて、人を騙すだけ。
「そろそろ夏休みだろう? 春也は帰ってくるんだよな」
「えぇ、帰るつもりですが、ちょっとは寮に顔を出そうかなって思ってます」
「どうして?」
「こう見えても忙しいんですよ、俺」
 服を着ながら笑顔で受け流す。本当のことは分からないし、どうしてそんなことを口走ってしまったのかもよく分かってない。ただ、寮に一人で篠宮が残ると言うなら、顔ぐらいは出してやっても良いと思った。
「じゃあ、そろそろ帰りますね」
 ニコニコと笑いながら務の部屋を出る。それから伯父が帰って来てるのを確認して、食事をしながら学校のことを話す。たんまりと土産を持たされて、家を出たのは午後十時を過ぎてからだった。早く帰る必要もなかったけれど、いつの間にか早足になって学校の壁をよじ登る。ここだけ警備から漏れてしまっているのは、警備員から聞いていた。裏口から鍵を使って寮内に入り、部屋の戸を開ける。まだ電気は点いていた。
「はえーな」
「食事してきただけだから。あ、これ、篠宮にも分けてあげるよ」
 貰ってきた土産を篠宮に投げると、「うお!」と声を出して受け取る。務とヤった日はいつも、気持ちが落ち着かなくなる。頭を掻きむしって、この世から居なくなりたい衝動に駆られる。他の人ならこんなことにならないのに、なぜか務とだけは情緒が乱されて泣きだしそうになる日もある。最近は内股にジンマシンのような物が出来るようにもなった。
「…………お前さぁ」
 服を脱ぎかけたところで、篠宮の声が聞える。
「そんなことしてて、虚しくなんねぇの?」
「……どう言う意味だよ」
「いや、てきとー言っただけ。ありがとな」
 篠宮に背を向けていたから、どんな顔をしていたのかは分からない。けれど、本当のことを言われてしまったようで、胸にぐさりと何かが突き刺さった。
 今まで篠宮は俺の領域には絶対に入ってこなくて、俺も篠宮の領域には入らなかった。お互いに距離が取れていて、とても一緒に居やすかったのにどうしてこんなことを口走ったのだろうか。俺がどんなことをしようとも、篠宮は絶対に俺のしてることを批難などしなかったし、気付いてても気付かぬふりをしていてくれた。
 だからこそ、夏休み中でも篠宮が寮に居るなら来てやろうと思っていたのに。篠宮の前では出来るだけ自分を出していたのに。
 胸に突き刺さる一言は、俺の領域を侵犯した。

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