劫と刹那


 自分がコンプレックスの固まりだと気づいたのは、いつ頃だったか。
 俺達の間にあるのは、刹那だ。

 同じ遺伝子から分かれて生まれた俺らが、くっつこうとするのは必然だったのかもしれない。しかし、これは間違っていると、理性では十分に分かっていた。元々が一緒だと言っても離れた後にくっ付こうとしたって、個々に体や性格、形成している物が違うのだから一つになれるはずがない。それでも、俺らは既に離れられない存在になっていた。
「ッ、い、……ぁ、おい、朝っぱらから……」
 盛るな! と殴ろうとした手を取られて腰を掴まれる。俺と同じ顔がニヤリと歪んで、「今日ぐらい遅れて行ってもええやろ」と適当なことを言う。イチと違い、優等生で通っている俺が遅刻なんて許されない。イチだって俺と同じぐらい頭が良いのだから、やろうとすれば出来るのに、わざとやらない。俺はイチのそういうところが大嫌いだ。
「……やめろて言うてるやろうが!」
「だっ……! ちょ、おま、ほんまに殴ったな!」
「殴ったらあかんのか!? あぁ?」
 胸倉を掴むとイチが黙り込む。俺が本気で怒れば、イチはそれ以上やらない。分かってるから俺はわざとこうやってイチにケンカを売る。殴らないのも知ってるし、ちょっと先に生まれたからって兄ぶろうとするのも分かってるから、俺はわざとこういうことをする。でも、本気でイチが怒った時は俺はどうしようもない。謝ることしかできない。こんぐらいじゃ本気で怒らないから、俺は怒れるんだ。
 俺はイチに弱い。
 イチも俺に弱い。
 俺と全く同じ顔が、しゅんと歪んだ。
「じゃぁ、ちゅーぐらいしてってや」
「したらお前、調子に乗るやろ。だからせぇへん」
「えええええ! 愛されてるって証拠が欲しいやんかああああ!!」
 叫ぶイチを無視して、部屋を出た。愛されてる証拠って何やねんって突っ込みは、もう面倒だから入れない。一人でボケ倒してろ。俺らがこんな関係になった経緯は、去年の梅雨、イチがいきなり俺にキスをしてきてからだ。大嫌いな俺と同じ顔をしたイチのことは大嫌いだったはずなのに、俺は全部断れなかった。拒絶出来なかった。むしろ、そうしてほしかったと言わんばかりに、俺はイチを求めてしまった。イチは俺を求めてただろうか。求めてるふりをしてただけではないだろうか。そう思ったら、不安になる。表には出さないけれど、俺の方が好きだ。だからいつも、女と一緒に居る姿を見るだけで胸が苦しくなって逃げたくなる。
「なぁ、レイ。来年は同じクラスやとええな」
「……は? 意味分からへんこと言いなや。つか、遅れるから先に行くで」
 イチが何か言いたそうにしているのを無視して、俺は先に家を出た。
 朝の天気予報で言ってた通り、今日は雨になりそうだった。灰色が空を覆い、汗を蒸発させないほどに空気は湿っていて、歩いているだけで汗が流れる。さっそく家に引き返したくなるが、学生の本分は学校へ行き勉強をすること。息を吐いて歩きだしたところで、「待ってやああ」と間抜けな声が聞こえた。
「何やねん。遅刻していくんとちゃうんか」
「レイが行くなら遅刻はせーへん」
「意味分からんわ」
 イチはいつも俺のちょっと後ろを歩く。俺が隣に並んでほしくないのを知ってるから、いちいちそうやっている。イチは勝手に俺の思考を読み取って、勝手に行動する。間違ってないからもっとムカつく。双子のテレパシー? はぁ、何それ。って感じだ。でも、イチが怪我をすれば、俺も同じところを怪我する。小さいころからずっとそうだ。
「今日、体育やろ」
「……せやな」
「あっついのに体育館でマットやろ?」
「何で知ってるん? 違うクラスやろ。きっしょいわぁ」
 呆れた顔して言うと、イチは得意げに笑う。俺と同じ顔なのに、俺にはそんな表情は出来ない。イチと違って運動もできない。足だって遅いし、球技は苦手だ。
「レイのことなら何でも知ってるし」
「はー、きっしょ」
「レイやって、俺のこと、何でも知ってるやろ?」
 また、得意げな顔で言われた。せや。今日の時間割だって知ってるし、イチのクラスの橋田って奴に告られたのも知ってる。イチのことで知らないことなんてなんもない自分が、気持ち悪くて嫌になる。きっとだが、俺の方がイチのことを知ってる。自慢にも何にもならないけど。
「そういや、レイは今日、委員会やな」
「せやで」
「じゃぁ、待ってるわ」
「いなんから帰れ。早く帰ってクーラー付けとけや」
「しゃぁないなぁ。付けたらご褒美くれる?」
 振り返るとイチはまだ笑っていた。なんかイチのケツから尻尾が見えた気がするけど、それはスルーしてため息を吐く。
「お兄ちゃんやろ? 弟のために頑張ってや」
「こんなときばっかお兄ちゃんって言うな!」
 悔しそうな声が聞こえたけど、もう面倒だから振り向かなかった。
 朝っぱらからイチが襲いかかってくれたおかげで、学校に着いたのはギリギリの時間だった。イチのクラスは八組で、俺は三組。校舎の棟が違うから、余程のことがない限り、顔を合わすことは無い。一日のうち、半分以上は一緒に居る中で、一番活動する時間帯に離れられるのは自分の気持ちを整理するのに最適だった。自分の席に座って、下敷きで扇ぐ。クーラーなんて高級な物はないド田舎。窓から入ってくる風は、生ぬるくて不快を煽るだけだった。
 いつも思う。俺はいつからレイで、イチはいつからイチになったのか。あまりにも似すぎている俺達は、小さい頃、どっちがどっちか分からなかったはずだ。お互いを区別できたのは俺達だけで、周りはしょっちゅう俺とイチを間違えていた。イチに出来ることは、俺にも出来た。俺に出来ることは、イチも出来た。
 どのぐらいから、差が出てきたんだろう。中学の頃にはもう、俺達を間違える奴は居なかったし、イチはクラスの中心だった。小学校の頃はどうだ。低学年の時はどっちがどっちだか分からなくて、何度もイチと呼ばれた記憶がある。と言うことは、高学年に入ってからか。それぐらいから、俺もちょっとずつ根暗になっていった。
 確か、それぐらいから、イチがやたらと「お兄ちゃん」と言う言葉を使いだした。それが鬱陶しくなって、イチに冷たく当たるようになった。お兄ちゃんが守ったるからな、なんて言われると、虫唾が走る。
「……佐古田君」
 名前を呼ばれて顔を上げる。クラスメートの女子が俺を見て、少し気まずそうに視線を横へ逸らした。どうせ、イチへのラブレターとかそんなもんかと思いきや、女子はぎゅと拳を握りしめて俺を見つめる。
「日曜日、暇?」
「は?」
 無愛想に返事してしまうと、女子の顔が見る見るうちに悲しげに変わっていく。まるで俺が、酷いことを言ってしまったようだ。視線を感じて周囲を見渡すと、女子が凶器のような目を俺に向けている。たじろぎながら、女子を見上げた。
「……ど、どやろ?」
「暇だったら、あのね……」
「なーにしてんの!」
 ドスンと背中に衝撃を感じて、頭を机にぶつける。聞き覚えのあるあまり変わらない声。起きあがろうとする俺の体に体重を掛けてくるから、身動きが取れない。
「……あ、イチ君」
 みんなイチのことは名前で呼ぶのに、俺は名字だ。声も若干落ちついていて、やっぱり目当てはイチだったんだと思ってしまう。そのまま起き上らずにいると、イチが嬉々とした声で喋り出す。
「レイは暇ちゃうから、日曜無理ちゃう?」
「あ……、聞いてた?」
「うん。ばっちし聞えた」
 笑ってる二人の声を聞いてたら、何だか虚しくなった。俺は女の子をこんな風に笑わせることはできない。俺はいつも、イチと一緒に居るたび、コンプレックスを刺激される。イチのことは好きなのに、イチに対して素直になれないのは、双子だからだ。同じ細胞から生まれた二人の人間が、ここまで違うなんて双子ってことすら嘘だと思ってしまう。
 イチは完璧だ。
 俺は出来損ないだ。
「重たい」
「……へ?」
「はよ退け」
 イチの体を無理やり退かし、カバンを持って教室を出る。誰かが名前を呼んだけど、反応することすら面倒だった。追ってきたクラスメートに頭が痛いから帰る、と伝えて、昇降口へ向かった。嘘は吐いてない。イチが乗っかってきたせいで、頭をぶつけてそこが痛い。けど、一番痛いのは俺の心だ。
「ちょぉ、レイ! どこ行くん!?」
「帰るんや。放っとけ」
「は……? 何でやねん。ちょ、待ってや。俺も帰るって」
「ついてくんな」
 振り返らずにきっぱり言う。こう言うことをすればイチが怒るのを分かっていても、やめられなかった。腕を掴まれて、ぐいと引っ張られる。イチが引っ張ったのは校舎ではなく、校門に向かってだった。汗ばんだ手はやっぱり不快だけれど、イチだから許せた。
 来た道をそのまま戻り、家の中に入る。不機嫌を態度に出すイチは、そのまま俺をリビングへ連れて行きソファーに無理やり座らす。家を出た時間からさほど経ってないと言うのに、家の中は蒸し暑かった。すかさず、イチがエアコンを入れる。
「何を怒ってるんや」
「何がやねん」
「朝から襲っただけやなくても、お前はずっと不機嫌やったやろ。何があったん」
 眉間に皺を寄せたイチが俺を見る。その表情は俺の普段の顔とそっくりで、同じ顔なんだなと認識させられた。パーツは一緒だが、雰囲気が違うだけで完全な別人になれるんだから、凄いもんである。黙り込んでるとイチが息を吐く。呆れたようなため息だった。
「俺が嫌なんやろ」
 何も答えなかった。目も逸らさずにイチを見つめる。
「小さい頃に言うたけど、俺は俺、レイはレイで別の人間や。でも、俺はレイのことをレイ以上に知ってる」
 俺はイチのことをイチに以上に知ってる。とでも言いたいんだろうか。小さい頃は識別できるのがお互いしかいなかったから、二人で何でもやった。けれど、今は違う。俺には俺の、イチにはイチの、それぞれがそれぞれの道を歩いていける。
「お前、俺と一緒にされたくなくて、手、抜いてるやろ」
「……はぁ? 何にや」
「運動。ほんまは俺と同じぐらいできるくせに、無意識に手を抜いて勝手にコンプレックス感じてる。だから俺を見てると嫌になるんやろ? 原因作ってんのは自分のくせに。俺やって、レイと一緒に居ると嫌なことやって沢山ある。けど、それ以上に好きなもんは止められへん」
 言葉が出てこなかった。無意識ってことは、自覚がないんだから肯定も否定もできない。
「レイもそうやろ」
 俺と同じ形をした目は、何事も見透かしていた。
「……せやな」
 嫌いである以上に、好きだ。だから、止まらない。イチの隣に移動して、体を預けた。今はとにかく、イチの体温を感じたかった。
 顎を掴まれて唇が合わさる。舌を絡ませてる間にも、イチの手が俺の服を捲りあげて肌を撫でる。触れられる場所は絶対に気持ちいいところで、キスされただけで俺は勃起していた。体をイチの方へ向けようとすると、意地悪する子供のように笑って前に座らされる。
「……なに、するん」
「たまにはこんなんもええやろ」
 上機嫌な声が聞こえて、耳たぶを噛まれた。イチが意地悪をするつもりなのは、表情や声を聞くだけでもよく分かる。服を捲りあげられ、ズボンのボタンを外される。
 後ろから抱きかかえられるのは風呂場でよくやるが、ソファーの上では初めてだ。体を捩じらせてその体勢から逃れようとするものの、イチががっちり掴んでしまっているため動かせない。顔が見れないからおもんないと言ったのは、つい最近だ。
「俺も少し怒ってんねんで」
「……何でやねん」
「女といちゃいちゃしとったから」
 ハァ!? と文句が出た。
「いちゃいちゃしとるのはお前やろうが」
 振り返るとイチが煩いと言わんばかりに俺の唇を塞ぐ。無理やり黙らされたので抵抗しようとしたものの、イチは手を緩めずペニスを揉む。先走りが零れて手を汚してるのが音でよく分かった。
「ぁ、ちょ、誤魔化すな……」
「デート誘われとったやん」
 イチは話しながらも手を動かす。こう言う時は本当に怒っていて、俺の話を聞く気が無い。けれど、イチだけには女といちゃいちゃしてるって言われたくないから、振り絞って声を出した。怒ってるかどうかなんて、あまり関係ない。
「あれ、は……、イチ目当てやろ」
 イチの手が前から後ろへと移動する。腹筋に力を入れて侵入を拒もうとしたが、喋ろうとする俺の口に指を入れられ、口の中も蹂躙される。涎が口の端から垂れてしまい、手の甲で拭おうとしたところで、イチの手が口から抜かれて足を持ち上げられる。
「はなし、聞けって……」
 指が中に入ってくる。まだペニスを触られてるだけだったら喋れるが、後ろを弄られてはまともに喋れなくなる。二本一気に入れられ、内壁をこすられる。
「あれはレイ目当てや。有名やもん。あの子がレイのこと好きやってことは」
「……お前やって、ん、ッ、……こく、られたっ、やんか」
「ふったし、ちゃんと」
「あたり、まえや……」
 俺と言う存在が傍に居るにも関わらず、告白を曖昧になんてしようもんならば、それこそ許さない。執着の強さとか、イチのことだから十分に分かっているはずだ。体を持ち上げられて、無理やり向かい合わせにさせられる。足を開かされ、イチのが中に入ってきた。
「いれ、るなら、言えや……!」
 腰を掴まれて揺すられる。
「入れたで」
「……おっそ、いわ……、ん、ッ……」
 対面で座っていると動かしづらいのか、ソファーに押し倒された。イチはそれ以上何も言わずに、怒りを俺にぶつけてくる。あのクラスメートが俺目当てだったとしても、告白されて無いし、喋ったこともロクにない。どこを好きになったのかさっぱり分からないけれど、イチと同じ顔をしてるから好きになったと言われたら納得できた。見た目は違っていても、顔のパーツは同じだ。悔しくても、それは認めるしかない。
 同じ細胞から生まれた俺らが、一つだったのは刹那だ。
「誰にも渡さへん」
 イチが俺を抱きしめながら、独り言のように言う。俺に向かってではない。クラスメートの前では言えないから、わざわざここで言ったんだろう。俺だって、イチと同じ気持ちだ。橋田とか言う女にイチを理解することはできないし、イチのことをイチ以上に知ってるのは俺だけだ。
 どうやらイチは、相当、怒っているみたいだ。俺が女と喋ったりする性格じゃないからこそ、俺には八つ当たることしかできない。仕方ないから、背中に手を回した。イチの動きが、ピタリと止まる。
「俺はお前や」
「……え?」
「お前以外何もいらんから、安心せぇ」
 顔を上げたイチは、上機嫌に笑っていた。こんだけの言葉で安心してしまうんだから、本当に単純だ。俺も、イチに八つ当たられて安心してるんだから、単純だと思う。俺がイチを見る度コンプレックスを感じていたように、イチも俺を見る度コンプレックスを感じていたんだろう。多分、考えていたことは俺と同じだ。同じ遺伝子を持ちながら、対極に育ってしまった俺達は、また一つになろうとしている。イチが居なくなれば、俺は半身が無くなったような喪失感を味わうだろう。それはイチも同じだ。
 俺達は一緒に居ないと、死んでしまう。
 一つで居た時間は刹那かもしれないが、一緒に居れる時間は劫にもできる。
「……俺もレイしか要らん」
 分かっとる。と言おうとして飲みこんだ。言わなくても分かってるのは、イチも一緒だ。

+++あとがき+++
すっごく久々に書きました。三年ぶりぐらいですかね。
双子ネタはなんか暗くなってしまうと言うか、近親関係ってどうしても暗くなってしまうって言うか、
地味に苦手なんですよね。でも、兄弟よりも双子とか好きです。
壱と零に関しては結構細かい設定があって、とても書きやすかったです。
もっと書きたいなーって思ったんですけど、一話完結のSSであまり長いのは好きじゃないので、
こんなもんでまとめました。なんかほんとエロ多いですね。この話。
読み返すのは最初拷問だと思ったんですけど、無心で読んだらそうでもないって言うか、
真剣に読むと突っ込み個所多すぎるんで、何も考えずに設定の確認だけしました。
つーか、二人の愛が深すぎて怖い……笑
続編書きたいなーって思ってるんで、機会あればやります。……二年ぐらい前にも同じこと言ったけど。爆

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2012/7/19 久遠寺 カイリ
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