春の嵐
男しか好きになれないと知ったのはいつだったか。
そう、あれは中学ぐらいの時だ。こそっとこちらを覗く従兄弟の姿を見て、可愛らしく温かな気持ちになったのが初恋だった。祖父と喋っている僕を見つめている顔が、どこか遠慮気味だったのと、こちらに来たのに来れない勇気のなさが僕の悪戯心を擽った。「おいで」と言うと、パッとしたように表情が変わりこちらへやってくる姿は従順で可愛かった。
そんな従兄弟が今は二十四にもなり、僕をいじめようとしている。
「どうしたの?」
十五年前と同じ質問。彼は未だに変わらない。十五年ぶりに再開した従兄弟は、いつの間にか僕の背を越し一丁前の男に変わっていた。幼いころの印象が強いせいか、彼がこんなにも男らしくなったことは僕にとって脅威であり、一目見て心を奪われてしまうほど魅力的に変わってしまっていた。幼いころの彼に温かな気持ちを抱き、好きになる人は今まで彼に似た無愛想で不器用な人だった。つまりは常に彼の影を追っていたと言うわけだ。そんな彼が僕に好意を抱いているのは、一緒に住む前から分かっていた。けれど、彼の好意に気付かぬふりをして、彼に似た人と付き合っていた僕に、彼の好意を受け取るわけにはいかなかった。
まだ彼が九歳で、僕が十八の時、付き合っていた人と進路の問題で別れた。僕は都会の大学に進むことを彼には言わず、どうして説明しなかったのかと問い詰められた。他に好きな奴が居たのではないかと罵られた。全て本当だっただけに、僕は弁解など出来ず泣いているだけだった。九歳だった彼は、物わかりが悪いふりをして何でも知っていることに気付いていた僕は、わざと彼の前で縋りついて見せた。まんまと騙された彼は、給食の甘いプリンを僕に手渡し、「元気を出して」と言った。
そんな優しいマサを、僕は欲しかった。でも、さすがに手に入れようとは思わなかった。
十五年ぶりに再開したマサが、僕にアプローチを掛けてきた。その日はマサの家で抱かれ、そのまま眠りについてしまったものの、どうしようか迷っていた。マサは地元で就職し、僕は都会で仕事をしている。
「今日のことはお互い、忘れた方が良いかもしれないね」
理解力ある大人のふりをしてそう言うと、マサは少しだけ傷ついた顔をした。それもそうだろう。マサが僕のことを好きだったのは分かっていたし、好きだと言葉にもされた。わざわざ、高校の時に付き合っていた人の姿を見せたのは、彼なりの策略だったんだろう。まんまとその罠にハマり、僕は彼を目にして涙を流す。するとマサは僕を抱きしめて、キスをしてきた。それから「……俺のうちに行こう」と言って、手を引く。いつの間に僕より大きくなって、僕を引っ張る様になったのか、マサが思っているほど僕は良い人間ではない。それに僕はこの日の晩には、東京へ戻らなきゃいけなかった。仕事だって残っている。大人になったマサは、子供のころ同様にワガママを言わない子で、一言「分かった」と返事をしてからは喋らなかった。
それから、五ヶ月が経った。
祖父の十三回忌から地元に戻れずに居たけれど、両親がやっと僕の性癖を認めてくれて実家に帰ることが許された。もしかしたら、十三回忌の時に姿を現したのがきっかけだったのかもしれない。一人息子がゲイだと告白した時の両親は、壮絶な顔をして僕を批難した。堅実で常識人だった彼らに僕の心情なんてもちろん理解してもらえず、半ば喧嘩するように僕は家を出た。これで地元に帰れない理由が出来たから喜べたんだ。なんせ、実家に戻らなければマサと顔を合わすこともない。会わなければ僕の気持ちも彼に気付かれることはない。
僕はマサに気持ちを気付かれるのが嫌だったんだ。
それでも祖父の十三回忌、嫌がる両親を無理やり説得して地元へ帰ってきた理由は、十五年も目にしてないマサがどんなふうに成長したのか気になったからだ。会いたくないと頭の中では思いながら、実のところ、会いたかったのかもしれない。分かりやすい彼の罠にはまったのも、この先どうなるか分かっていたからだ。それでも、彼の好意を受け取るわけにはいかなかった。
幼い従兄弟に恋愛感情を抱いた自分が、劣悪で汚いと思ったからだった。
春の暖かい風が頬を撫でる。五ヶ月前にここへ来た時は、十一月の割に暑く、何年振りかに夏日を記録したと言うのに、今年の冬は物凄く寒く、東京でも雪が積もったりなど寒冬で、地元でもかなりの量の雪が降ったらしい。今やそんな雪も解けてしまい、駅前は桜の木が綺麗な花を咲かせていて、少し強い風に花弁が運ばれていた。
上司と後輩の三角関係にケリをつけ、地元に戻ってきた。上司とは入社した当初から、後輩とは三年前から関係があり、それなりに上手くやってきたつもりだったが、マサとの出会いからついうっかり凡ミスをしてしまい、二人に二股がバレ、修羅場を経験したのちに僕が仕事を辞めるハメになった。今年の四月からニートの三十四歳を、誰が温かく迎え入れてくれるのか。大人しく実家へ向かおうとした僕の前に、懐かしい姿が現れる。僕はにっこりと笑って、彼を見た。
「今日は仕事じゃなかったの?」
「カズ兄が帰ってくるって聞いて、休み取った。引っ越しで、大変だろうから手伝おうと思って」
おそらく、両親から聞いたんだろう。僕は誰にでも向ける笑顔をわざとマサに向けて、「ありがとう」と言う。ロータリーに車を停めてあると聞いて、マサの後を追う。もう自分の車が買えちゃうほどに稼げるようになったのか。何だか意外な姿だ。マサは相変わらず、感情は表に出さず僕を実家まで送ってくれた。
「何かあったら、連絡して」
それだけ言うと車を走らせて消えてしまう。わざわざ、このためだけに休みを取ってくれたのか。それはそれでなんだか悪いことをしたなって思ったので、折角だから引っ越しも手伝ってもらおうと思った。実家に住むつもりはなく、貯金で近くのアパートを借りた。家電なんかは年季も入っていたからほとんど捨ててしまい、自分の物は段ボールで実家に送りつけた。東京での物はほとんどない。新しい生活のために買い直そうと思っていて、どうせならマサを使って電気屋へも行こうと思っていた。両親に挨拶をしてからすぐにマサへ電話をかける。ワンコールで出るあたりが僕からの連絡を待っていたのがバレバレで、ニヤけてしまった。
「もしもし、マサ? 家電を買いに行きたいんだけど、電気屋まで連れて行ってくれないかな?」
そう言うとマサは、良いよと一言で返事をし、すぐに僕の実家までやってきた。近くで待機していたような早さに笑ってしまったのは言うまでもなく、やっぱり僕を好きで居てくれる人を使うのはとても楽だなと思った。後輩もそうだったけど、上司もそうだった。僕のことを好きになり、アプローチしてきたのをわざとかわして、相手が堪え切れなくなって僕に襲いかかって来たのを押さえ付けれる程度に抵抗して、罪悪感を煽る。僕はそう言う最低な奴なんだ。だから、正直で真っすぐなマサには、僕は勿体なすぎる。着いたよ、と知らせるワンコールが鳴って外へ出る。強い風が吹いた。駅に到着した時よりも、風は強い。
「和雄。今日は雨風が強いからやめたほうがいいんじゃないのかい」
母さんが玄関先から僕に声を掛ける。そう言えば、なんか台風並みに強い風が吹くとか言ってたけど、まだ四月だし、大丈夫だろう。
「マサが来てくれてるんだ、大丈夫だよ」
笑顔でそう言うと、母さんは「雅也君が……、そう」とちょっとだけ安心した顔を見せた。マサの信頼度はかなり高く、こんなゲイでどうしようもない息子よりもしっかりしていると思いこんでいる。家の横にぴったりと付いた車に乗り込み、マサを見た。
「ごめんね、さっき送ってもらったばかりなのに」
「……良いよ、暇だし。でも、ちょっと風が強いから、不安だ。橋、大丈夫かな」
そうマサが言った途端に、ビュウと強い風が吹く。洗濯物が飛んでしまったのか、僕らの目の前を下着らしきものが飛んでいく。それを目で追い、どうしようか迷う。
「とりあえず、行ってみようか」
車がゆっくりと前進しだした。風が強いせいか、マサはあまりスピードを出さない。外を出歩いている人はいないが、交通量はそこそこあった。平日のせいか、仕事ある人は休めないんだろう。橋の前まで来ると、通行止めの看板が立っていた。
「……あれ?」
訝しげにマサが首を傾げる。良く見ると、橋の向こう側ではトラックが二つほど横転している。風に煽られて倒れてしまったようだ。そのせいで橋が通れないらしい。
「どうする?」
マサが僕の顔を見る。このまま家電屋へ行ったとしても、帰れないかもしれない。それに車が倒れてしまうほどの風が吹くなら、このまま家へ帰った方が良いのかもしれない。
「どうしようか」
マサに答えを出させてやろうと思って問い返す。マサはジッと僕の顔を見てから、「……カズ兄の家に行きたい」と言った。
「僕の家?」
「そう、新しく住む家」
「何も無いよ?」
「……それでも良い」
マサは決して、多くを僕に求めない。それでもその目の奥は、もっと欲しいと訴えていて我慢ばかりしている。それは小さいころからずっと変わらなかった。
僕は知っている。高校の頃に付き合っていた男と夏休みにセックスしているのを、マサが見たことを。
もちろん、見せるつもりなんて無かった。本当にこれは誤算で、下手したらおばさんやおじさんにバレるんじゃないかと思って冷や冷やしたけれど、マサは黙ってくれていた。彼なりの気遣いだってことはすぐに分かり、優しい子だと再認識した。
「良いよ」
マサがあまり求めてこないからと言うわけではないが、ちょっとぐらいはワガママを聞いてやりたいのと、初めて入れる他人がマサだったら文句ないと思って、新居を案内する。マサは近くまで来て、目を見張った。
「俺んち、近い」
「こんな田舎じゃ、近くなるのも仕方ないでしょ。僕もこの辺が一番地理知ってるし」
決して、マサのために近くしたわけじゃないことを説明すると、少し残念そうな顔をした。本当はマサの家が近いからここにしたわけだけど、本当のことを言ってしまっては面白みがない。マサは自分の家の駐車場に車を停めてからこっちへ来ると言って、僕をアパートの前で下ろした。それから数分後、額を赤くしたマサがやってくる。
「……ど、どうしたの?」
「空き缶が飛んできた。びっくりして避けれなかったんだ」
気にするそぶりもなく、マサが僕の隣に並ぶ。力強い眉と奥二重の瞼の間に、薄い切り傷が出来ていた。見てられなくて触れてしまうと、マサは少し痛そうに顔を顰め、大丈夫だよと言って僕の手を取る。
見てられなかった。マサの手を引っ張って、部屋へ引きこむ。中へ連れ込んでからすぐにマサをしゃがませその傷口を舐めた。マサの両手が僕の背中へ回る。
「カズ兄、何やってるの?」
「消毒。痛かったでしょう?」
マサが傷つくのは、見たくなかった。頭を抱え込むように抱きしめると、マサは何も言わずに抱きしめる力を強める。どうやら両親がカーテンぐらいはつけてくれていたようで、何も無い綺麗な部屋に見知らぬカーテンが張られていた。
傷つけたくなかったから、マサの気持ちを無視した。遠くから風の音が聞える。その音が憎たらしかった。
「カズ兄、俺、勘違いする」
「していいよ。勘違いだけならね」
「カズ兄のこと泣かせたい」
「そう言えば、前に泣かされたね」
「カズ兄が好きだ」
「……僕は好きじゃないよ」
「それでも良い」
マサが僕の体を抱き上げて、部屋の奥へと進んでいく。好きだと言葉に出来ないこの口は、どうでも良いことばかり言えるくせに、大事なことをマサには伝えれなかった。
マサが僕のことを好きだとはっきり認識したのは、いつぐらいだったんだろう。怖くて聞けない。
僕がマサのことを好きだとはっきり認識したのは、彼の優しすぎる好意がプリンと一緒に渡された時だ。
温かかった気持ちがどんどんと荒くなって、今、世界を荒らしている春の嵐と同じように僕の心をかき乱す。
心の中ではこんなことしてはいけないと思っているのに、体は従順で素直だ。マサに抱かれることを喜んでしまっている。いつも以上に感じる体をコントロールするのは難しくて、上に乗せられ涙が出るほど気持ちよくて、何度もイかされた。マサも何度かイった。
「……カズ兄、俺のことは嫌い?」
冷たいフローリングの床に寝ころばされ、マサは服を僕の上に掛けながら尋ねる。まだ水道も電気もガスも開通してないから、風呂にも入れないし電気も点けれない。
「嫌いじゃないよ」
「……そっか」
ガタガタと窓を揺らす強風が、少しだけ和らいだとき「カズ兄が好きだ」と二度目の告白を聞いた。
それでもこの頑なな口は、頷くことを許さなかった。
返事をしない僕の体を、マサは強く抱きしめる。その腕から彼の感情が伝わってきた。
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