賭けと勝敗
携帯電話を片手に持ち、外村拓海は柱に凭れかかりながらある人を待っていた。顔も何も知らない、出会い系で連絡を取っていた人と、今日初めて顔を合わせる。拓海は、それにある賭けをしていた。
自分の性癖が可笑しいと気付いたのは、今から10年以上も前のことだった。高校に上がる直前に、男を好きになってしまうことに気付き、それに悩んでいた。けれど、好きになってしまうものは仕方ないと割り切り、拓海は自由気ままに自分のしたいことだけをしてきた。ゲイバーに行って、好みの人を引っ掛けたり、時には引っ掛けられたりもしていた。それに最近、飽きを感じ始めていたのだった。
そこで、今度は携帯の出会い系サイトで相手を見つけようと試みる。それも、自分の容姿で失敗し続け、悩みに悩んだ末、写真を交換せずに相手と会うことにした。
拓海の顔は、決して、不細工ではない。むしろ、中性的で綺麗な顔つきをしている。それに加えて、自分で会社を経営しているため、金も持っている。まだ人生の半分しか生きていないと言うのに、成功者の道を歩み続けているのだった。
だからこそ、余計にその見た目と金で人を引きつけてしまう。拓海としては、そんな出会いはもうコリゴリだったのだ。
待ち合わせの時間は、午後4時。拓海は時計を見つめて、あと10分ほどでその時間になるのを心待ちにしていた。もし、ここで、拓海の見た目で相手の態度が変わるようだったら、二度と出会い系もゲイバーにも行かず、一人で生きると決めていた。相手には迷惑な話かもしれないが、拓海にとってこの出会いほど緊張するものは無く、人生を左右する大事な待ち合わせだった。
早く、時間にならないかと、はやる気持ちが抑えられない。あまり緊張したこともないので、緊張するとこんなにも手に汗をかくとは思わなかった。汗ばんだ手を握りしめて、相手が来るのを待っていた。
ポーンと頭上の鐘がなる。4時になっても、相手はやってこない。メールでは、気さくで誠実そうな人だったのに、そのイメージがどんどんと崩れて行く。駅前の時計塔の下で待ち合わせ。服はジーンズで、髪の色は黒だと教えたから、分からないはずはない。なんせ、この場所にいるのは拓海だけなのだから。俯いて、時計をもう一度、見つめた時に「……お前がケットシーかよ」とあだ名を呼ばれて、拓海は顔を上げた。
「……なっ!?」
目の前に現れた男に、拓海は目を丸くした。昔、流行ったゲームのぬいぐるみを名前にしていたから、拓海は相手に本名を教えていない。それが、今になって悔やまれるとは思いもしなかった。
「なんで、お前がこんなところに……」
「それは俺の台詞だ!」
拓海の前にいるのは、昔から仲が悪かった幼馴染だった。もう何十年も顔を合わせていないのに、一発で分かってしまうぐらい変わっていなかった。それは拓海も同じだったようで、相手も拓海と同じように嫌そうな顔をしている。まさか、人生を左右する相手が大嫌いだった幼馴染だとは思いもしなかった。拓海はあからさまにため息を吐いて、その場にしゃがみこんだ。
「……最悪。俺の人生、オワタ……」
「はぁ!? それはこっちのセリフだっつの。あー、本気で最悪だ。わざっわざ、1時間も電車に乗ってやってきたって言うのによぉ。相手がお前かよ! しかも、何だよ。ケットシーって。本名、名乗れよ」
上から降ってきた暴言に、拓海は顔を上げた。
「うるせぇ! お前にんなこと言われたくねぇよ! お前だってオルトロスとかほざいてたじゃねーか!!」
不運にも、ゲームの話で盛り上がってしまったので、互いにそれをモチーフとした名前を付けてしまった。二人はその場にうずくまり、同じタイミングでため息を吐いた。この場だけ、一気に空気が暗くなる。
「……仕方ねぇな、飯食ってヤるぞ」
「は!?」
立ち上がった幼馴染を見つめて、拓海は固まった。確かに今日は、顔を合わせて飯を食ってヤると言う話になっているが、この場でおさらばだと思っていた。どう言う気持ちでそんなことを言い始めたのか、拓海には分からず、立ち上がることすらできなかった。
「俺は1時間もかけてここまで来たんだ。何も無しじゃぁ、かえれねぇ。別にお前だって初めてじゃねーんだろ? だったら、欲求の解消ぐらいには付き合え」
そう言って、拓海は腕を引っ張られ、無理やり立ち上がらされた。拓海もここまで来るのに、そこそこ時間がかかっている。だから言っていることは分かるけれど、大嫌いで憎くて、顔も見たくないと言って別れた幼馴染と、体を重ねるなんて考えられなかった。
一瞬、頭の中に賭けのことが浮かんだ。まず、この幼馴染相手に顔が通用しないことは分かっている。では、拓海が金を持っていると言ったらどうなるだろうか。それで反応を見ることにした。
それでもし、媚びてくるようだったら、一生、誰とも付き合わないし相手にもしない。そう決めて、拓海は引っ張られている手を振り払った。
「離せ。俺、店を予約してるんだ。そこへ行く」
「ヤダね。俺も予約したから、そっち行くぞ」
「は!?」
もう一度、拓海は腕を掴まれて、行きたい方向の反対へと突き進まされた。
昔から、この男はそうだったのだ。拓海が行きたいところには行かず、イヤだイヤだと言っているところばかり連れて行く。そこからケンカになり、殴り合いの末、大体は拓海が勝っていた。それでも謝らず、全部拓海のせいにして、癇癪を起していた。互いに横暴で、自分の思い通りに進まないと気が済まないから、ケンカばかりしていた。
でも、もう、拓海とて大人になったのだ。予約を取ったレストランはキャンセルすれば良い。そう思って、拒むのはやめた。そんなことをしている余裕も、拓海の中ではあまり無かった。
連れて行かれたレストランは、物凄く豪華なフレンチレストランだった。一瞬、場所を間違えたのかと疑うぐらい、拓海は驚き、隣に居る幼馴染を見つめた。
「こんなところ、来たこともないだろ? お前、貧乏そうだし」
「うるせぇ、お前だって貧乏だろうが」
「残念だったな。俺さ、今、フクシャチョーなんだよね。だから、金はたんまり持ってんだよ」
その言葉に驚き、拓海は幼馴染から目が離せなくなった。ことごとく、拓海の条件をクリアしていく幼馴染に、動揺が隠せない。これでは、拓海が社長をやっていて、金を持っていると言っても驚いたりしないだろう。離れていた10年間に、何があったのか分からない。拓海は見た目だけ変わっていない幼馴染の本田一輝に、かなり驚いていた。
「……ほら、はいんぞ。こんなところに突っ立ってても、仕方ねぇだろ」
腕を引っ張られて、拓海は中に押し込まれた。一輝が中に入った瞬間から、店員が二人に頭を下げて、中へと誘導する。それにも慣れているようで、一輝は椅子に座るとメニューを見つめて、「赤」と勝手にワインを頼み始めてしまった。
拓海はどうして良いのか分からず、ただジッと、目の前に居る一輝を見つめていた。
「……んぁ? なんだよ」
「何でもねぇよ」
拓海の視線に気付いた一輝が、怪訝そうに拓海を見る。一輝が口を開こうとしたところで、ソムリエがワインを持ってきて説明を始めてしまった。何年物のワインで、口当たりがどうのだの話しているが、拓海の耳には全然入ってこなかった。
「…………おーい……、おいってば!」
ドンとテーブルを叩かれて、拓海はようやく目の前に居る一輝を見た。考え事をしすぎていて、人の話も何も聞いていなかった。きょとんとした顔で一輝を見ると、一輝は不機嫌そうに「何だよ、お前。そんなに俺がイヤだったのかよ」と愚痴を漏らす。
「イヤだったなぁ……」
しみじみ言うと、ぷはっと笑われ、その笑顔に拓海は目を見張った。色々と変わった一輝だったが、その笑顔だけは10年前と変わっていなかった。不覚にも、その笑顔にときめきを感じていた。
「かわんねーなぁ、お前は」
「お前もだろ。見てすぐに分かった」
「俺も俺も。まさか、立ってるのが拓海だとは思わなくて、正面から見たらやっぱりそうだーって。俺の目は正しかったわけだな」
何が自慢なのか分からないが、一輝は自慢げに拓海を見て笑っている。大嫌いだと思っていたし、今も好きではないけれど、中学生の時見たく顔も見たくないと思うほど嫌っているわけではなかった。そんな溢れた感情は10年で消え去ってしまったようだ。
今、考えてしまうと、何が嫌いで、何が気に食わなかったのかもよく分からない。きっと、互いの性格が似すぎていたからだろう。譲らず、自分の思い通りにさせようとする一輝が嫌いだったのだ。それは一輝も同じだったようで、譲らずに自分勝手な拓海が嫌いだったんだろう。所詮、同族嫌悪だ。
そんな感情は、一緒に居なかった10年間で消え去ってしまっていた。子供だったから、嫌いと言う感情に素直になりすぎていたのだ。
「って言うか、拓海もゲイだったんだな」
「……は?」
「まー、人のこと言えないけどさ。まさか、お前がなぁ」
じろじろと一輝は拓海の顔を見つめる。茶色い髪の毛を立てて、力強い眉と目が、拓海を射竦める。こんなにも、良い男だっただろうか。ゲイと認めてから、男をこんな風に見てしまう自分に嫌気がさした。少なくとも、目の前に居るのは幼馴染だ。恋愛の対象になど、入っていなかった。
「めっちゃくちゃ、モテそうな顔してんな。なんで、出会い系なんかで遊んでるんだよ。お前だったらゲイバーで十分だろ?」
「……んなこと言ったら、お前だって」
「飽きたんだよなぁ。なんか、こう、刺激を求めに? そう思ったら、いろんな意味で、刺激的だったけど」
あははと笑いながら、一輝はワインを口に流し込んだ。それに釣られるように、拓海もワインを口の中に入れる。渋い苦みが、口の中に広がって、余計に頭の中がこんがらがっていた。
同じような理由で、出会い系を選んでいることも、運命的な何かがあるのではないかと、拓海は無意識にそう思った。
2時間ほどで食事が終わってしまい、拓海と一輝は店を出た。酒を飲んだにも関わらず、二人の表情は入ったときと変わらず、会話もあまり無かった。
「どーする? もうホテルでも行く?」
「……は? マジでヤんの?」
怪訝な顔をした拓海に、一輝は「あったりまえだろ。そのためにわざわざ、ここまで来たんだから」と言って、拓海の腕を引っ張り歩き始める。拓海だって、ヤるつもりでここまで来たが、相手が相手だ。昔から知っている相手とセックスを知るなんて、考えられなかった。
そして、性格から考えると互いにタチだ。
そこでも、問題が生じてしまう。
「ちょ、ちょっと待て!」
「大丈夫だよ、お前。顔良いし。抱ける抱ける」
何が大丈夫なのか分からないが、大丈夫と連呼している一輝の腕を振り払って、拓海は立ち止った。幼馴染だからとかではない。互いにタチなら、セックスをする意味は無い。拓海も引く気は無いし、一輝だって引く気は無いだろう。昔からの性格を考えれば、そんなこと言われなくても分かっていた。
「……俺、お前に抱かれる気は無いぞ」
「俺だって、お前に抱かれる気はねーなぁ」
「利害が一致してねぇ。ってことで、今日はもう止めだ。分かったな?」
「よーし、じゃぁ、じゃんけんをしよう。3回勝負で、負けたら大人しくネコをやる。それで良いな?」
一輝は腰に手を当てて、拓海にそう言った。拓海の意見は完全に無視されていたが、そんなこと気にもならなかった。昔から勝負事は全て拓海が勝ってきた余裕があってからか、それとも、負ける気がしなかったのか、拓海はその勝負を受け入れた。
道路のど真ん中で、二人はじゃんけんを始める。
「「じゃーんけーん、ポン!」」
拓海はパーを出した。一輝は、チョキを出している。手を見つめてから、顔を上げると、一輝はニヤリと偉そうに笑っていて、腹が立った。まだ勝負は始まったばかりだ。あと2回勝てば、拓海が抱くことになる。とりあえず、ヤると決めてきた以上、一輝は抱くか抱かれるか、ヤるまで帰らないようだ。それならそれで、拓海だって勝って抱いてやろうと思った。
昔から、気に入らなかった相手なのだ。快感に屈服する姿ぐらい、見てやりたいと思って、じゃんけんにも熱が入る。
「「じゃーんけーん、ポン!」」
目を閉じながら出したので、どうなったのか分からない。拓海はそっと目を開けて、自分の手と一輝の手を見つめる。拓海はチョキを出した。一輝はパーを出している。「っしゃ!」と小さい声で喜びをかみしめると、悔しそうな顔で一輝が拓海を睨みつけていた。
「まぁ、あと1回あるしな」
「負けても文句言うなよ」
負け惜しみのように言ってきた一輝に、拓海は指を差して忠告をする。昔から、気に入らないことがあると駄々を捏ねて大騒ぎしてきたのだ。こんな道路のど真ん中でじゃんけんをしていることすら恥ずかしいと言うのに、ケンカなんか始めたらそれこそ警察でも呼ばれるだろう。
「しねーよ。ガキじゃねーんだから」
ため息交じりにそう言った一輝にホッとして、拓海は一輝をジッと見つめた。
「「じゃーんけーん、ポン!」」
目を開けて、じゃんけんなどできなかった。タチかネコをやるかでこんなにも緊張するとは思えなかった。拓海はそっと目を開けて、一輝の手を見る。一輝はチョキを出していた。拓海は、最初と同じようにパーを出していた。
「……なっ!?」
「ふふーん。負けても文句言うなってのはどっちかなー?」
負けてしまい、言葉が出なかった。じゃんけんにしろ、殴り合いのケンカにしろ、拓海が一輝に負けたことなどあまり無かった。だから、今回も勝てると思っていたのだ。昔とあまり変わらない一輝を見て、自分が負けるなんて想像すらしていなかった。その場にがっくりと膝を付き、拓海は項垂れた。
「立てよ。ほら」
ぐいと腕を引かれ、拓海は引きずられるように一輝にホテルまで連れて行かれた。入ったホテルもまた、高級そうなホテルで腹が立つ。じゃんけんに負けてから、一輝の何もかもが腹立ち、頭の中ではもやもやとしていた。部屋の中に押しいれられ、ベッドの上に押し倒される。いつもだったら、逆の格好で上から見上げることがこんなにも屈辱だとは思わなかった。
「そう、睨みつけんなって。負けたのは、お前だろ?」
そう言って、一輝は拓海のシャツを捲り上げた。長い指が肌の上を擦り、キュッと胸の突起をつねられた。
「っ……! 下手くそだったら、蹴り倒してやる……!」
「はいはい。どうぞ、ご勝手に」
にっこりと笑った一輝に、拓海は睨みつけることしかできなかった。
事を終えてしまい、拓海はぐったりとしたまま、タバコを吸っている一輝を見つめた。風呂に入り、すっきりしたのか、ソファーでビールを飲んでいる。勝者の余裕と言うべきか、余裕綽々の姿に、拓海の怒りは絶頂にまで達しそうになっていた。
それでも、イかされ、最終的には挿入まで許してしまったのだ。下手くそだったら蹴り倒してやると言ったが、そんな余裕も無かった。
「タチやってた割には、感度良いな。お前」
「……うるせーよ」
ベッドに寝転がったまま、拓海は体を起こせなかった。セックス自体は初めてではないが、ネコをやったのは初めてだ。こんなにも痛いとは思わなかったし、疲れるとも思わなかった。はっきり言って、タチのが疲れると思っていた。
「なぁ、拓海」
「……んだよ」
「なんで、お前さぁ、出会い系なんかで人探してたの?」
そう尋ねられて、拓海は一輝から目を逸らした。こうして抱かれてしまった以上、隠している必要もないと思った。出会い系で出会った以上、一輝とこれからも関係を続けるわけでもない。今日限りのことだと、思っていた。
「俺だってなぁ、そこそこ金持ってんだよ。そこらの25歳より、かなり持ってんだよ」
「……へぇ」
「来るやつ来るやつ、俺の顔と金目当てだ。そんなのに、飽きたからだよ。俺だけを見てくれる人が欲しかったんだ。……そんだけ」
独り言のように呟いてから、今日、賭けに出ていたことを思い出す。一輝は拓海だけを見ていたかと言ったら、どうなんだろう。拓海の話を聞いて、ビールを飲みこんでいる一輝を見つめて、拓海は答えを出そうとする。
けれど、頭の中に答えは出てこなかった。どうして良いのか、分からないのだ。これからも希望を持っていいのか、それとも、そんな下らない希望は捨てた方が良いのか、一輝では当てにならなかった。
「俺は昔から、お前を見てたけどな」
「……え」
一輝は立ち上がって、ベッドの上に座る。拓海の髪の毛に触れて、前髪をかき分けると唇にほんの少しだけ触れる。それがキスだと気付くのに、30秒ほど、時間を要した。
「メールしてるときから、お前だって俺は分かってたんだよ。メルアド、変わって無かったからな」
「……は、はぁ!?」
「俺は、昔からお前のことが好きだったぜ。ま、拓海はどうだったか知らないけどさ。だから、まー、会えるように必死だったってわけ。まさか、お前がゲイだったとは思わなかったしなー。ここで会えなかったら、俺はもうダメだと思って、必死だったってわけ。お分かり?」
お分かりと尋ねられたが、状況についていけず、拓海としては全然分からない状態だ。好きだと言う言葉が、ウソのように聞える。
「なぁ、拓海。俺のこと、好き?」
酷く優しい手が、頬に触れた。それを拒めないと言うことが、どういうことなのか、拓海は気付く訳にはいかない。昔から嫌いだったのだ。今も嫌いで可笑しくない。そう、拓海は自分に言い聞かせる。
「…………………………嫌いだ。大っ嫌い」
「あはは、今はそれで良いや」
楽しく笑う一輝の笑顔が、胸に響いた。一輝との関係を、これだけで終わらせたくない。拓海は、そう思った。
かぶってるって思うから、そう思うだけ……、ですよねー?
いや、喋り方がでしょうか。少なくとも、攻めは変態じゃ、ありません……笑
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