血液型コンプレックス


 この焼酎ロックが何杯目なのか、坂東慧は覚えていない。
「……どうせ、アレだろ。ヤったんだろ?」
「は、はぁ?! な、なん、なんあん、何で!!」
「分かりやすいんだよ、お前」
 対面にいる幼馴染兼腐れ縁の大野渉は、顔を赤くして俯いてしまった。そんな顔を見せられても、可愛いなんて微塵も思えず、呆れた顔をする。早く帰りたい気持ちになってきて、コップに入った焼酎を全て飲み干した。テーブルに置くと、帰りたい気持ちが伝わったのか「も、もういっぱい行こうぜ!」と言われて、呼び鈴を勝手に押される。明日は休みだからいいものの、こんな時間まで飲んでいて最愛の恋人は何か言わないのか。そう思いながら、腕に付けている時計を見た。もうすでに午前二時。眠気は限界までやって来ていた。
「で、こんなところに俺を呼びだしてまで話したいことって何だよ。どうせ、上手くいってんだろ? 自慢か? コラ」
「最近、お前、やたらと突っかかってこねぇ?」
「いちゃいちゃいちゃいちゃ鬱陶しいからだよ! 全員にバラすぞ。少しは隠せ」
 鬱陶しいと坂東が顔に出すと、大野は困ったように俯いてしまった。キツイことをいうのはいつものことだが、今日は若干、八つ当たりが入っていた。突っかかって来る原因も、大野は分かっていて、そのことを聞きに今日は呼びだした、と言うことだろう。考えなくても分かりやすい態度にムカついてしまうのは、自己嫌悪なのか大野に対する嫌悪なのか、どちらかよく分からなかった。
 相葉と喧嘩みたいなことになったのは先週の土曜だ。原因は坂東の昔の男が連絡してきたことから始まって、飲みに行ったのも全部バレて、どう言うことかと問い詰められた。ただ単に、今の男の相談を乗っただけだったが、面白がって言葉を濁らせていたら、怒るどころか呆れたような顔を見せてそれから連絡を一度もしてこなくなった。元々、坂東は面倒くさがりで自分から連絡することなんて無いので、相葉が連絡をしてこない限り、坂東は連絡などしない。怒っているのかすら聞けない状態が続き、ストレスもたまっていた。心なしか、仕事でも避けられているように感じる。まぁ、同じフロアだが部署は違うので、会話なんてろくにしないが。
「隠すって……、つーか、仲良いな、お前らって褒められてるんだけど」
「は? 誰に」
「お前ん所の課長さん。俺と仲良くなってから、愛野も明るくなったって褒めてくれたんだけど」
「………………………………………………っへー、自慢?」
 呆れた顔をしたと同時に、呼んだ店員がやってきた。先ほどと同じ焼酎ロックを頼み、坂東は浮かれた顔をしている大野を見る。とても幸せそうな顔を見る度、殺意に駆られるのは嫌いだからか、羨ましいのか、どちらにせよ不快な感情であることは確かだ。
「違うって……。まぁ、ほら、ちょっとな」
「あれか。調子に乗りすぎて、嫌われたか」
「……え、は、どういうこと?!」
「まー、ほら、一回目は入れることしか考えてないから、フツーのことしてるだろ? でも、二回、三回と回数重ねると、心にも余裕が出てきて色んなことしたくなるし、試してみたいこともあるから、最初は愛野も我慢しててくれただろうけど、さすがに鬱陶しくなってキレた、とか」
 大野の顔がだんだんと青ざめていくのを見ていたら、幾分かスッとした。てっきり、相葉とのケンカに感付かれたのかと思ったけれど、良い意味でも悪い意味でも大野は自己中だ。自分のことしか考えていない。
「なん……、なんでわかっ……」
「あー、やっぱり。分かりやすいなー、お前」
 どこのカップルでもありそうなことを言うと、大野があまりにも分かりやすい反応をしてくれたので、ニヤニヤと笑ってやる。調子に乗りやすい性格でもあるから、考えなくとも何かあったとしたらそれぐらいしかなかった。
「謝れば愛野は許してくれるだろ」
「……まぁ、そうなんだけど」
「じゃぁ、今すぐ謝ってきたら良いだろ? んでもってまたヤるんだろ?」
「はぁ? 何でそう言うこと言っちゃうのおお!? お前、サイテーすぎない!?」
「そりゃー、人間だれしも性欲あるし、普通そんなもんだろ」
「……つーかさ、少し気になるんだけど、お前ってさ、前から男しか好きになれなかったわけじゃん。どうやって付き合ってきたの?」
 坂東が返事に困り、黙り込んだところで先ほど頼んだ焼酎のロックが目の前に置かれる。
「えー……、まぁ、そう言う奴らが集まる場所があるんだよ。そこ行ってた」
「そういう場でどうやって好きになるんだよ」
「いや、好きになるとかあんまり無かったな。ヤれたらそれで良い、みたいな」
「うわ、サイテー」
「お前に言われたくねぇよ、クソ野郎!」
 酔っ払っているせいもあるのか、二人の声はどんどんと大きくなる。金曜の夜だと言うこともあり、店内は二時を過ぎていてもそこそこの人が入っていた。大声での言い合いがケンカだと思われたのか、客、店員の視線が二人へ注がれている。そんなことも気にせず、二人は言い合いを続けた。
「前々から思ってたけどよぉ、そのクソって何だよ!」
「クソだよ。排泄物だよ」
「こう、大人になったらもうちょっと優しくするとかお前には出来ないのかよ……!」
「つーか、何でお前に優しくしなきゃいけないの? 愛野に十分甘えさせてもらってるだろ? それで我慢しろよ、ノミ」
「の、ノミ!?」
「お前の存在価値って、一ミクロンもないよな」
「笑顔で言うなよおおおお!!! お前、そんなんだから相葉課長とケンカすんだろ!」
「はぁ?! どうしてここにあのメガネ虫が出てくるんだよ! 関係ねーだろ!」
「どーせお前の自己中が原因でケンカしたんだろ!? 分かってんだよ、バーカ!」
「お前、俺にケンカ売ってんだな!? 分かった、表へ出ろ」
 坂東がテーブルを叩いて立ち上がると、それに煽られた大野も立ち上がって「望むところだ!」と叫ぶ。それから大慌てで店員が二人の前にやってきて、外へ出るなら代金を払ってくれ。と言われてしまった。その言葉で急に落ち着いた二人は、一度顔を見合わせ財布から金を出した。羞恥心がある以上、この店には二度と来れない。心地よく酔っていたのも、全て台無しだ。
「……だからお前と飲みに行くの嫌なんだよ」
「とにかく、俺、愛野に謝らなきゃいけないな」
「愛野のことだからすぐに許してくれんだろ。つーか、こんな時間まで俺と飲んでるほうがごちゃごちゃ言うんじゃねーの。しらねーけど」
 返答するのも面倒になり、坂東は適当な言葉で会話を終わらせる。広い通りを歩いているが、深夜のせいか車は少ない。電車もなくなったので、タクシーで帰ろうと車道へ出る。
「………………愛野ってヤキモチやいてくんないんだよなぁ」
「ハァ?」
 面倒なことを言い出した大野に、坂東は怪訝な顔をする。
「ヤキモチやいてくんないと、本当に好きなのかなって疑問に思わない?」
「面倒くせぇ野郎だな」
「坂東は思わないのかよ」
 そう言われてみて、一度だけ考える。
「面倒くさいの嫌いだから、思わない」
 はっきり答えてから、ポケットに手を入れる。ズボンのポケットに入った携帯の感触を確かめながら、今日も鳴らなかった携帯電話にイラつきを感じていた。
 本来だったら、このままどこかへ消えていた。大野のことなど気にせず、通り過ぎようとするタクシーを捕まえて、飲みなおしたかったら行きつけのスナックへ行ったり、面倒だったら帰ってしまってもいい。なのに、今は後ろでしゅんとしている大野が気がかりだった。理由は頭の片隅で理解しているけれど、それを認めたくなかった。気がかりなのも多分、今は一人になりたくないからだ。
「…………おい、別のところで飲み直すか?」
「え! いいの?!」
「次はお前の奢りな」
 そう言いながら、坂東はポケットに入った携帯を指で撫でていた。
 人の奢りだったと言う事と、日ごろの鬱憤を晴らすかのように強い酒ばかりを飲んだせいで、帰る頃はぐでんぐでんになっていた。先に酔いつぶれた大野を拳でたたき起こし、タクシーに無理やりつめてから坂東も自宅へ帰った。足はふらつき、ドゴンドゴンと壁にぶつかりながらカバンの中に入れている家の鍵を取り出す。鍵穴に上手く入らず、ガチャガチャと苦戦しているとなぜか内側から扉が開く。思いっきり額に扉をぶつけ、そのまま尻餅をつく。
「………………酔っ払ってるのか、お前」
「あー……?」
 不機嫌な眼鏡が、そこに立っていた。
 ちゅんちゅんと鳥のさえずりが聞こえ、横から差し込む眩しい朝日。今が何時なのか分からないが、目の前にいるのが誰かは分かった。わざわざ寝ずに待ってたのだろうか。昨日、会社で見たときと同じシャツを着ていた。それは坂東も同じだが。
「あれ、なんれいんの?」
「とりあえず立て。近所迷惑だ」
「んだよ、機嫌わりーな」
 言われたとおりにしようと思ったが、立ち上がったところで足がもつれてまた倒れそうになる。グイと腕を引っ張られて、体勢を立て直すことができた。そのまま引っ張られて胸に顔をぶつけてしまう。
「ぶっ……!」
 ドアが閉まると同時に、唇を塞がれた。
「ん、……ッ、ぁ」
 服を捲りあげられ、手が中に入ってくる。酔っ払っているせいもあって、頭がボーっとして眠たかった。立っていられなくなり、相葉の首に腕を回し体重を掛ける。
「重たい」
 唇が離れるなりに、文句を言われた。
「ベッド行こうぜ。ここだとしんどい」
「どこで誰と何をしていたんだ」
 突然の質問に、一瞬だけ思考が止まる。目をぱちくりとさせてから、正面にいる相葉を見た。至極真剣な顔をしている。茶化したら怒られるだろうし、このまま八つ当たりされる可能性もあるが、妬いているのでは、と思ったら、面白くなってしまった。小さく笑う。
「誰だっていいだろ?」
 そう言った途端、ドアに体を押し付けられた。
 だんだんと酔いが覚めて来ると同時に、頭痛が襲い掛かってくる。一件目はまだほろ酔いだったが、二件目はハメを外した。相葉とケンカしたのも原因の一つだが、何よりイラついていたのが大嫌いな大野にすら頼ってしまった自分自身だ。飲んでいる間も、ポケットに入れた携帯電話を触っていたし、頭の片隅にはずっと相葉が居た。家に来てるなら来てるで、連絡をくれればよかったものを。それでも、意地になって帰りはしなかっただろう。鎖骨を噛まれて、意識が行為に戻る。
「……ッ、つくづく、ド変態、だな……。おま、えっ……!」
「こんなところで、こんなことされながら、勃起してるお前も大概の変態だろう。あまり大声出すと、聞こえるぞ」
 そう言われてから、通路の声がやたらと聞こえてきた。土曜はゴミの日なので、ゴミだしする人が家の前を通り過ぎる。玄関越しだと聞こえる可能性だってあるため、唇を噛み締めたところで下半身を弄られた。足元からこみ上がってくる快感に、体重を支えきれなくなる。
「……、ッ、ちょ、ここ、やめ……、ろって」
 ずるずると落ちかけたところで腰を掴まれて、無理やり後ろへ向かされる。何事かと思えば、いきなりズボンとパンツを一緒に下ろされて、下半身を裸にされた。
「おいっ! 何やってんだよ!!!」
「煩い。少しは静かにしろ」
 左手で口を塞がれ、もう片方の手が臀部へと触れる。坂東の都合なお構いなしに、指が中に入ってきて掻き混ぜられる。反論する気も口論も、全てどこかへ吹っ飛んでしまった。塞がれた口から甘い声が漏れる。
「ァ……、ん、ッ……」
「酔っ払ってるせいもあって、緩いな。どこかでヤってきたんじゃないだろうな」
 喚かなくなると、相葉の手が上半身を撫でて突起を指でつまむ。潰されるのではないかと思うほど強い力でつままれているが、それすらも快感に変わり始めた。
「そ、だったら、……ん、どう、するんだよ」
 答えてからふと想像してみて、ゾッとしてしまった。勃起したペニスが少し萎えるのを感じて、笑ってしまう。
「……何笑ってるんだ」
「ん、ッ……、きょ、う、んんっ……、飲んでた、あっ……、ッ……、相手はぁ、んぁ……、ちょ、しゃべら、せろ、よっ……」
 内壁を押されて、上手く声が出ない。言葉が嬌声に変わってしまい、緩んだ口からは涎が垂れる。手の甲で拭ってから振り返ると、むすっとしたメガネが坂東を見下ろしていた。目から嫉妬が伺え、胸に広がったのは優越感だった。
「お前に喋らせたら、余計なことしか言わないだろう」
「……煽ってんだよ」
 バカにしたように笑うと、相葉の手が中から抜かれた。怒ってしまったのかと思えば、いきなり挿入されてびっくりする。尻を押された勢いで、ドアに頭をぶつけてしまう。ドン、と鈍い音が響いた。
「ッ、て、おい……、何キレてんだ、うわ、あぁっ……!」
「お前が煽るからだろう」
「ん、ちょ、あっ……、やめっ……」
 腰を掴まれて、奥まで貫かれる。嫉妬しているのは分かっていたし、わざと怒らせたのも坂東だが、こんなに怒ると思ってなかった。ある程度、自分の性格は把握していると思ったが、予想してたよりも相葉は子供だった。ここが玄関だとか、そう言うことも忘れて思考は泥のように沈んでいく。シャツ越しに背中を噛まれて、それにも感じてしまっていた。
 八つ当たりのような行為が終わり、坂東は腹に力を入れながら立ち上がった。このまま風呂場へ直行だ。ズボンを履きなおしている相葉を見つめ、目が合うと嘲笑する。
「今日飲んでた相手、大野だぜ? 何妬いちゃってんの?」
「……大野? 何で大野と」
「さぁ? 愛野とケンカしたって言ってたけど、あれはノロケだな。とりあえず、俺は風呂に入るから」
 そう言って歩き出すと、犬のように相葉がついてくる。一緒に入るつもりなのだろうか。面倒だなと思いつつ、風呂場へ向かうと風呂自動のランプがついている。中に入って確かめると、湯が張られていた。
「…………おー、遂に湯の張り方も覚えたか」
 ついこの間までは、シャワーの湯の出し方すら分かってなかった相葉にしては上出来だ。基本的に給湯器のスイッチは必要最低限切ってるので、坂東が寝てる間にシャワーを浴びて、湯が出ないと大騒ぎした。
「何も出来ないみたいな言い方をするのはやめろ」
「だって本当のことだろ。お前の部下が聞いたら、嘆くぜ?」
「お前がバラさなかったら、嘆くことも無い」
「………………前々から思ってたんだけど、お前ってさ、実家住まい? 一人暮らししてたら、こう言うこともフツーに分かるよな?」
 振り返って相葉を見ると、あからさまに目を逸らされた。
「ふふーん、図星か」
 偉そうに言って笑ってみると、真剣な目が坂東を捉える。
「結婚してる。と言ったら、どうする」
 思考がフリーズした。相葉の目は真剣そのもので、嘘を言っているようには見えない。しかし、今までの状況や行為、その他諸々を含めてその選択肢はありえないと思っていた。だって、指輪もしていないし、結婚してるなんて噂、一言も聞いたことが無い。けれど、もし、坂東が入社する前に結婚していたら、それが当たり前になって話題にも上らない。と言うことは。
「……出てけよ」
「は、お前……」
「マジで出てけって」
 どんと体を押すと、感情まで抜けていくのを感じた。怒りや悲しみ、そんなのではなく、今はただの無だ。とにかく相葉の顔を見たくなかった。
「おい、坂東」
「出てけよ! 二度と俺の前に姿現すな!」
 その後、相葉がなんと言ったのか、坂東は覚えていない。

 よくよく考えてみれば、結婚してるとか、彼女がいるだの、お互いのことは一切、話したことが無かった。生活能力が皆無なのは、てっきり実家住まいだからなのかと思っていたが、結婚してると言われたら納得してしまった。そう言えば、好きだとは言われたが、それ以上の事は言われていない。結局のところ、ただ単に性欲の捌け口をして使われてるだけだったのではないか。と思ったら、空しくなってしまった。あれから携帯の電源を入れていない。
 坂東が面倒くさがりだと知っている友人は、一週間ぐらい連絡が取れなかったところで、どうとも思わない。仕事だってちゃんと出ていれば連絡なんてないし、してくるとしたら昔の男ぐらいだ。それもこの前相談に乗って、もう二度とこう言うことはするなと念押ししたので、掛けてくることは無い。つまり、電源を入れなくても、問題なんてさっぱり無いと言う事だ。一方的に相葉を避けながら週末を迎え、定刻に帰ろうとしたところで「坂東君……」と弱々しい声が聞こえた。課長から明るくなったと評価された愛野だが、坂東に対して引っ込み思案なのはまだ変わっていない。
「……なんだよ」
 やはりこう弱々しく話しかけられるのは苦手だった。僅かに嫌そうな顔をしてしまうと、愛野の顔がびくりと引きつる。それを見るとはやり、苦手だなと坂東は思った。
「あのさ、今日、の、飲みに行かない?」
「………………は?」
「あ、嫌だったらいいんだ。ただちょっと、うん……」
 なぜか気まずそうに目を逸らされ、嫌なら誘わなければ良いのに、と坂東は思ってしまった。けれど、愛野がこう誘ってくるのだって意味があるはずだ。勇気を振り絞って誘ったのは十分に分かったので、少し笑ってから「行こうか」と答えた。おそらく、一人きりになってしまうと余計なことを考えてしまうから、苦手な愛野でも傍にいてほしかった、のかもしれない。
「……え、あ、うん!」
 愛野も返事をもらえると思ってなかったようで、表情が明るくなる。この顔を見る度、どうしてこの人はあんな適当な幼馴染と付き合ってるのか、疑問に思うのだった。もっと他に良い人がいるだろう、と。
 店に付いてから思ったことだが、愛野とこうして二人っきりで飲みに行くのは初めてだった。そもそも、坂東を飲みに誘う人は少なく、新年会、忘年会、打ち上げ等、行事でなければ会社の人間と飲むのは珍しい。時たま、相談と称して大野と飲みに行くことがあるが、あれは腐れ縁なので会社の人間とはあまり思えなかった。テーブルに着いてメニューを見つめる。
「適当に頼むぞ」
「うん。嫌いなものとか無いから、好きに頼んで」
「飲み物は?」
「あ、ビールで」
 返事を聞いた坂東は、すぐにテーブルの呼び鈴を押した。こう言う点でも、愛野と大野は正反対だ。大野は好き嫌いが多く、こう勝手に頼むと物凄く文句を言う。
「愛野さ、大野と付き合っててしんどくないの?」
 思わず直球で聞いてしまった。悪意はなかったのだが、愛野の顔がギクと強張ったのを見て、聞いてはいけなかったのだなと今更思ってしまう。いつもそうだが、思ったことをそのまま言葉にしてしまうので、後になってから後悔することが多い。
「しんどい、とは……、思わないけど」
 けど、と言うことは何かあると言うことだ。坂東は小さく笑う。
「アイツ、家事とかもできねーし、ワガママだし、俺より自己中だろ」
「え、あ……、まぁ、うん……。自己中かどうかは、うーん」
「本当のこと言っていいんだぜ」
「……えーっと、坂東君よりかは自己中じゃないと思う」
 はっきり言われて、イラつくより笑ってしまった。そこで丁度店員がやってきて、適当に注文をする。目に付いたものを頼んだだけだが、愛野はそれで良かったのだろうか。顔を上げると、愛野が困ったように笑う。居づらさは十分に伝わってくるが、なぜ飲みに誘ったのかまだ分かっていなかった。
「まぁ……、でも、なんだろ」
「はっきり言えばいいだろ? 別に本人にチクったりしねーし」
「なんて言えばいいのか分からないんだけど、大雑把、なんだよね。先週だってケンカしてたのに、飲みに行ってて朝帰りとかふつーにするし、凄く酔っ払ってるし。謝るのかと思えば、爆睡しちゃうし。無神経なんだよね」
 先週のことを話題にされて、ギクリとした。飲みに行ってた相手は、愛野の対面に居る坂東だ。そのことはさすがに空気が読めないと言われてる坂東でも、言ってはいけないと察した。
「それに、俺には多少無茶言っても大丈夫とか思われてそうだし」
 返事は、「あー」としかできなかった。両親が仲良かったことと、お互いに嫌ってはいたが一緒に居た時間も長かったせいで、坂東は大野のことについて色々と知っている。性格も知り尽くしているし、あのお気楽な能天気がどんなことを考えているかも、あらかた想像が出来る。そのせいで愛野の説明も納得できるところが多かった。分かっているような返事をしてしまったせいで、愛野の表情が少し翳る。
「……坂東君は大野のこと、知り尽くしてるよね」
「うーん、まぁ、なんだかんだ言って物心つく前から一緒にいるからなぁ……」
「それが羨ましいし、……ちょっと悔しい」
 本音を漏らした愛野を見て、坂東は少し笑ってしまった。嫉妬されてるのか、それとも理解できない部分も分かってしまうことが悔しいのか。それでも、愛野が変わったと言うのは今の一言でよく分かった。以前までなら、こんなことは絶対に口にしなかっただろう。
「まぁ、飲めよ。確かに知ってることは多いかもしれないけど、理解してやれるのはお前だけじゃねーの?」
「……そうかな」
「そんなこと、不安がるようなもんでもねーだろ」
 笑いながら言うと、愛野は少し考えてから「うん!」と明るく返事をした。それから店員がビールを運んできて、二人の前に置く。
「じゃ、かんぱい」
「おー、かんぱい」
 ジョッキをぶつけて、坂東が一口飲もうとしたところで、思わず固まる。自棄になったのか、それともすっきりしたいのか、対面に座っている愛野がビールを一気飲みしていた。
「…………ちょ、おま」
「今日はなんだか、飲みたい気分なんだ」
 飲み干したジョッキをテーブルに叩きつけ、愛野がいつもとは全然違う雰囲気で強く言う。忘年会にしても、新年会にしても、さほど飲んでいるイメージがない愛野が、酒に強いはずがない。やはり表には出さなかったが、ストレスはかなり溜まっているようだ。早速、愛野はおかわりを頼んでいた。
 普段の行動や言動を考えて、こう一対一で飲みに来た場合、喋っている割合が多いのは坂東だと思っていた。三杯目で完璧に酔っ払った愛野はひたすら喋り続け、同じ話を四回ほど続けていた。坂東はビールから焼酎へスイッチし、ずっと話を聞き続けていた。いい加減、終わってくれないだろうかと、考え始めてしまう。
「でね……、そのとき、俺は……」
「…………愛野。もう十一時だぞ。帰らなくて平気か?」
「大丈夫」
「アイツ、心配してんじゃねぇの?」
「……いいの」
 そう返事するのに、少し躊躇ったのを見ると、心配をかけてしまってる罪悪感はあるようだ。小さく笑って、携帯を取り出す。愛野は嫌がるかもしれないが、ここは大野に連れて帰ってもらうのが一番だ。
「坂東君って、かなりきついし、見た目怖いけど……。いい人だね」
「は……? お前、かなり失礼なこと言いまくってっけど」
 ポケットから携帯を取り出したときに、電源を切っていたことを思い出す。起動させながら、こっくりを始めた愛野を見つめる。不満はかなり多いようだが、幸せそうだ。それを見ていたら、羨ましさや妬ましさよりも、空っぽな自分に嫌気が差した。それからなんだか悲しい気分になる。
 起動したと同時に、ブーンと携帯が震える。何件かメールが入ってきて、いきなり着信が入る。一瞬、相葉かと思い、眉間に皺を寄せる。表示された名前は、これからかけようと思っていた大野だった。
「もしもし?」
『あ、坂東? テメー、電源切ってんじゃねーよ! 何回かけたと思ってんだ!』
「うるせーな。俺の勝手だろ」
 電話の向こうはガヤガヤと煩かった。どうやら、大野も誰かと飲みに行ってるようだ。うとうととしている愛野を見て、にやりと笑う。
『あのさ、お前……。また課長とケンカしただろ』
「は? してねーよ。つか、アイツの名前出すなって。今は名前すら聞きたくない」
『してんじゃん。今さ、駅前の居酒屋で飲んでんだけどさ、課長すっげー酔っ払ってんだよ。だから、迎えに来い』
「ふざけんな。誰が行くか。嫁にでも迎えにこさせろ」
『……は? 何を気持ち悪いこと言っちゃってんの? 遂に自分のこと、嫁とか言い出した』
 何のことを言っているのか、坂東はさっぱり分からなかった。それは大野も同じようで、黙り込んでいると『おーい』と話しかけられる。
「アイツ、結婚してんだろ?」
『……ハァ? してねーよ。してたらさすがに別れろって言うわ!』
「は?」
『は?』
 オウムのように繰り返され、沈黙が続く。冷静に考えようと思えば思うほど、いろんな感情がごちゃ混ぜになって乱される。もしかしたら、物凄く単純に嘘を吐かれただけなのかもしれない。それを坂東に責めることはできなかった。そのまま机に突っ伏するとゴツンと大きい音が鳴る。
「え、あ、坂東君らいじょーぶ!?」
『え、愛野の声!? 何で愛野いるの!?』
 両耳から煩い声が聞こえてくる。するとなんだか笑いが込み上がってきて、一人で大爆笑してしまう。
「オメーこそ、早く迎えに来ないと俺が食っちゃうぞ。駅地下の居酒屋だから、五分で来れるな」
『……は、な、なな、なにいって』
「愛野ってじっくり見ると可愛いよなぁ」
 プチンと通話を切って、煩くなりそうだったので電源も切ってしまう。酔っ払って会話の内容すら分かってないのか、愛野は立ち上がった坂東をきょとんとした顔で見つめていた。
「迎えが来るから、待ってろよ」
「うー、うん?」
「思ってることはちゃんと伝えないと……、な」
 財布から札を抜き出し、テーブルの上に置く。今頃きっと、大野は相葉を放ってこっちに来ているはずだ。対峙すると面倒なことになるので、さっさと退散しようと歩き出したらスーツの裾を掴まれる。
「坂東君、どこ行くの?」
「……トイレ」
 思わず、嘘を吐いてしまった。愛野は分かったと返事をすると、手をパッと離してしまう。そろそろ店を出なければ、本当に大野とバッティングしてしまいそうだ。そうなれば面倒なことになるのは分かっていたので、そそくさと店を出た。金額はかなり多めに置いていったので、問題はないだろう。外へ出ると、冷たい風が頬を撫でる。
 言いたいことは沢山あったのに、今は言葉が出てこなかった。
 駅前の居酒屋へ向かうと、カウンター席で突っ伏している男が居た。その隣には誰もおらず、大野は愛野のところへ向かったようだった。隣に座り、坂東は対面にいる店員に焼酎のロックを注文する。声を聞いたのか、相葉が体を起こす。
「…………………………何でこんなところにいるんだ」
「居ちゃ悪いかよ」
 大野が使っていたと思われる食器は一まとめにして、焼酎を受け取った。皿にはいくつかつまみが残っていて、手で掴める冷めたポテトを口の中に入れる。やたらと塩の味だけが強く、美味いとは言えなかった。相葉を一人残して出て行った大野は、金も何も置いていってない。さすがだ、と思って笑いが零れる。
「今日はお前の奢りな」
「よく考えたら、こうやって飲むのも初めてだな」
 酔っ払っている割に、返答はまともだった。
 知ろうとも思わなかったし、知らないことが当たり前で、好物とか、嫌いなものとか、趣味だとか、休日の過ごし方とか、知らないでいいと無意識に思っていた。もちろん、それで関係が成り立っていたのだから、何も疑いはしなかったし、勝手に思い込んでいるところもあった。
「意外と、おっさんなんだな」
 焼酎のロックを飲み始めた坂東を見て、相葉が小さく笑う。その表情の変化も本当に些細で、きっと坂東でなければ気づかなかった笑いだ。基本的に無表情で眼鏡の奥にある双眸は冷たくも見える。けれど、部下には優しいところもあり、仕事は出来る人間だ。知っていることと言えば、それぐらい。
「お前、それ、何杯目?」
「三杯目だ。あまり酒は強くない」
 ぶは、と噴出してしまった。てっきり酒は強いと思っていたし、半分しか残ってないビールを見ると相当弱く見える。けれど、仕事で飲むことはあるだろう。普段はどうしているのか気になり、坂東はコップの中身を飲み干してから相葉を見る。
「仕事はどうしてんだよ」
「あぁ、まぁ、飲んでるふりだな」
「へー、意外。なんか強そうな顔、してんのにな」
「よく言われる」
 そう言うと、コップに残ったビールをちびちびと飲み始めた。そんな酒に弱い奴が、どうして大野と一緒に飲んでるのか、よく分からない。
「……よく考えたら、俺らって知らないことばっかりだな」
「あぁ、そうだな。正直言って、大野が羨ましかった」
「は? 何で」
 似たようなことを愛野に言われたな、と坂東は思う。ついつい視線を向けてしまうと、相葉は自嘲したように笑って、ジョッキに視線を落としていた。
「お前のことを何でも知ってるからな」
「あー……」
 でも、それを言い出したらキリがないのは分かっていると、相葉は先ほどより小さい言葉でそう言う。それが妙に悲しげだったのと、言わせてしまった罪悪感に駆られ、表情は複雑になる。胸に広がる苦味と、痛々しいほどの沈黙で苦しかった。
「つーかさ、何で嘘吐いたんだよ」
「お前が嘘ばっかり吐くから、仕返ししただけだ。まさか、本気で信じられるとは思ってなかった」
「だって俺、お前のこと疑ってねーもん」
 じっくり考えれば嘘だと言うのは分かっていたのかもしれない。それでも、相葉の言葉を全部信じてしまっていたから、嘘だと思えなかった。
「いちいち疑ってたら、めんどくせーだろ。嫌いなんだよ、そう言うの」
 言っていて恥ずかしくなり、横目で相葉を見る。相葉はジョッキに視線を落としたまま、固まっていた。口早になってしまうのは、羞恥心を隠すためだ。
「お前さ、昔に俺と大野のことガキっぽいとか言ってたけど、オメーも十分にガキっぽいじゃねーか。ちょっと飲み行ったぐらいで妬いたりしやがって」
 また横目で隣を見る。相変わらず、相葉は微動だにしない。
「俺のこと、信じてねーのかっつの。ムカつくな」
 言ってるとだんだん空しくなってきて、対面にいる店員に焼酎ロックを注文する。ほろ酔いのはずなのに、思考は冷静で、いっそのこと酔っ払ってしまいたかった。
「まぁ、信じてはいないな」
「……は?」
 咄嗟に横を見ると、相葉は坂東の目をジッと見つめていた。真剣な眼差しに、固まってしまう。
「お前みたいな奴が、俺のところにずっといるとは思えない。相手なんか、より取り見取りだろう」
「……………………は?」
「顔だけに関しては、お前は完璧すぎる」
「だけってどうなん」
「だから、いつも不安なんだ。仕方ないだろう」
 その一言で済まされるのは、どこか不平等な気もしたけれど気持ちは十分に分かった。きっと、一生理解できないに決まっている。コップに入った焼酎を一気飲みし、大きく息を吐く。
「会計頼むぞ、課長さん」
「……お前が俺のことを信じてたのは意外だったな」
 ポツリと放たれた素朴な疑問。
「だって、お前、嘘はつかねーじゃん」
 答えは簡単だった。

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