血液型コンプレックス
AB型 相葉聡介編
ちょっとでも、本性を見せれば「二重人格」と言われることが、多かった。そう言えば、あいつにも最初、本性を見せたときには「……この二重人格!!」と苦し紛れに叫ばれた気がする。どう二重人格なのか分からないが、どうも俺は二面性があるらしく、数人にしか見せないこの本性を、見せたときには必ずと言っていいほど「二重人格」と言われることが多かった。
今日もまた、その言葉を聞いた。
「…………あの、二重人格!」
そんな悔しそうな部下の声が聞こえて、思わず噴出してしまう。火がついたタバコを灰皿に押し付けて、自分のデスクに戻る。自分の仕事が終わったと言っても、まだ仕事している奴が居る限り帰る事が出来ない。いちごアイスを食べたいと言った奴が居たから、早く帰ってやろうと思って手が止まった。
いつか、こんなことをしているってバレると思っていた。正直なことを言うとバレても良いとまで思っていて、これ以上、誰か引き止めるやつがいなかったら、俺はもっと酷いことをしてしまっただろう。
綺麗な顔をした、坂東が欲しくてたまらなかった。初めてアイツを見たときは、雷を打たれたような衝撃が走った。男のくせに線は細く、女よりも美しい顔立ち。煌く黒髪は歩くたびに揺れて、目が奪われる。黒曜石のような黒目は、強気でいて、芯の強さが表れていた。あの強気が屈服した瞬間を見たい。誰に対しても冷たく素っ気無い態度を取る坂東が、一人にしか見せない表情を見てみたい。異常なまでの独占欲に駆られて、坂東に無理な残業を押し付け、事務所に誰もいなくなったのを確認してから暴れまわる坂東を縛り上げて犯した。
今までタチしかしたことのなかった坂東は、誰かに命令してきたことはあったが命令をされたことはなかったようだ。俺に命令されるのが嫌だと言うから、わざと命令してやる。快感に快感を与えて、誰よりも気高いプライドを踏みにじるのが楽しくてたまらなかった。
けど、それもそろそろ潮時かもしれないと思った。坂東の幼馴染である大野にバレたのはあまり得策とは言えず、無理な残業を押し付けているのだって傍から見たらおかしいと思うだろう。ましてや、俺は製品開発部でもない、営業部の課長だ。そいつが製品開発部の奴に残業を押し付けるなんて、ありえないだろう。
風邪をひかせてしまったのは俺のせいだから、治るまでは面倒を見るが、ここで手放したほうがいいだろう。それは、俺のためでもあり、坂東のためでもあった。
「いちごアイスって言ったら、ハーゲンダッツだろ」
買ってきたアイスを見るなりに、坂東はふてぶてしくそういう。人に買ってきてもらった分際で文句を言うなと思ったが、言うのも面倒になり、「食え」とだけ言ってアイスを押し付けて椅子に座った。ネクタイに指をかけて、緩める。思った以上に早く帰れたのは、会議で製品開発部の商品が保留にされたからだ。決定されない以上売り出すことも出来ず、新商品の売り出しを担当している俺達は暇になる。
「課長さんなんだから、そこそこ良い給料貰ってんだろ」
坂東の言葉は止まらず、袋を両手で持った状態で中身を見つめている。
「……なんで、ガリガリ君なんだよ!!」
どうやら文句はそこにあったようだ。いちごアイスが食べたいと言ったから、俺はわざわざコンビにまで行ってアイスを買ってきてやったんだ。文句を言われる筋合いなど全くない。
「特に種類は指定しなかっただろ。それにガリガリ君リッチなんだから、良いじゃないか。面倒くさい」
文句をグチグチ言っている坂東だが、アイスは食べるようで袋の中から取り出そうとしている。
「文句を言うなら、食うな」
そう言って、坂東の手からアイスを取り上げると、坂東は「あっ!」と声を上げて俺を見る。封を開けて俺が食べようとすると、少しだけ寂しそうな顔をして「……それ、俺のだろ!」と怒鳴った。
「お前が文句を言うからだ。文句を言うなら、食べなくてもいい」
一口食べると、最初は甘いミルクの味がした。その中に入っているイチゴのカキ氷。文句を言うほど不味くはないので、食べ続けていると、坂東が物欲しそうな目で俺を見ている。アイスを食われて悔しいが、文句を言ったのは坂東なので言い返せないのだろう。俺の前に突っ立って、下唇をかみ締めて睨みつけていた。
「欲しいか?」
「……お前が食ったのなんか、いらない」
俺に背を向けて、坂東はぶっきら棒にそう言った。飼い主に怒られた猫がしょんぼり帰っていく姿がダブり、ちょっとだけ笑ってしまう。全部食べてやるなんて思っていないから、坂東の腕を引っ張り口の中に残っていたアイスを無理やり押し込めた。
「んぐっ……!!」
いきなり冷たいものが口に入ってきてびっくりしたのだろう。まだ熱が下がっていないせいか、体は熱く、口内も熟れたようにどろどろとしている。その中に入ったアイスはすぐに溶けて、坂東の中へと入っていく。
「もっと欲しいか?」
絡もうとする舌を拒んで尋ねると、坂東の首が縦に動く。坂東を俺の膝の上に座らせ、四分の一になったアイスを口に入れて、そのアイスを坂東の口に移す。熱があるせいか、坂東は妙に素直で俺の首に腕を回して一心不乱に俺の舌に吸い付く。もう口の中にはアイスがないと言うのに、残っている余韻までも味わうかのごとく、舌を吸っていた。
じゅるっと音を立てて、口の中に溜まった唾液を飲み込む。太ももに乗った坂東の体が、上下に動き始め、勃起したペニスが俺の太ももに当たっている。次第に息も荒くなり、首に回った手が苦しそうに俺の背中を引っかくように掴む。
「ふ、ぁあっ、んんっ……」
キスをしているだけだと言うのに、坂東はひどく感じているようだった。これは熱のせいなんだろう。後ろに倒れないよう、坂東の背中に手を回して固定し、俺の太ももに擦り付けているペニスに触れた。
「あっ……」
「人の太ももでオナニーをするな。この淫乱」
坂東は視線を下に向けて、パジャマの上から握られているペニスを見つめて、目を細めた。悔しそうに俯いて、爛れたように赤くなった唇を噛んで何も言わなくなった。
「どうしたんだ。いつものように言い返さないのか」
挑発するように言っても坂東は何も言わずに、俯いていた。いつも強気でいて、何かあるとすぐに言い返すのに、さっきの威勢のよさはどこへ消えてしまったのだろうか。俺は残っているアイスを口に入れようとして上げると、溶けかけていたのか、ぼたっと胸にアイスが落ちた。
ちょうどネクタイを緩めて、前を空けていたので、直接素肌にアイスが落ちる。冷たい物体が素肌を滑って、下へと落ちていく。服を捲り上げて、ベルト部分で止まったアイスを見つめ、俺は坂東を太ももから下ろした。
ベルトを外して、前を開けると、アイスは堰きとめていたものが無くなりまた落ちる。パンツのゴム部分で止まったのを見て、俺は棒立ちしている坂東を見た。
「舐めろ」
「……は?」
「汚れたから、舐めろ。アイスが食いたかったんだろう? ちょうど良かったじゃないか」
そう言うと坂東はしゃがんでパンツのゴムに手をかけて、半立ちのペニスを外に出した。どうしてこうも従順なのか良く分からないが、すぐに銜えた坂東はぴちゃぴちゃと音を立てて舌を使い始めた。
さすがは元タチだっただけあって、舌使いは上手かった。徐々に大きくなるペニスにも動じず、長いまつげで覆われている目を細めて、喉奥までペニスを突っ込む。
下を良く見ると、勃起していたので、足の先でそれに触れる。
「人のを舐めながら興奮してるのか」
上を向いているペニスを、下に向けるよう踏むと、坂東の動きが一瞬止まった。苦痛に眉をひそめ、苦しそうにもがきながらも、動きを再開させた。
吸い上げながら、裏筋を舌で刺激する。その動きが快感を生み、イかされそうになる。それに気づいたのか、坂東は同じ動きを繰り返してきたので、俺は頭を押さえて奥まで突っ込ませるとその中に射精した。
「ごふっ、ふ、げほっ……」
いきなりのことでびっくりした坂東は少し咽ながらも、吐き出したりなどせず、喉の奥に残った精液を飲み込む。疲れたのか、その場に座り込んで、俺を見上げた。
「……俺、一応、病人なんだけど」
「病人のくせに、盛ってきたのはどこの誰だ」
蔑むように見下すと、坂東は脱力したように笑い、「楽にしろよ」と俺に向かって言う。それがどういう意味なのか分かっているけれど、俺は「意味が分からないな」と分からないふりをして、様子を伺う。朝起きた時点で、38.5分だった奴が夜になって下がっているとは思えない。先ほどからキスをしたり、舐めさせたりしていたが、体は俺より熱かった。
「我慢できない、抱いて」
なぜ、そんなことを言い出したのか、分かるようで分からなかった。こんなにも我慢弱い奴ではなかったし、むしろ、強情で中々折れないと言うのに……。
「今日はやけに素直だな」
「頭がボーっとしてんだよ」
坂東は俺の肩に頭を預けて、呟く。
「それは熱があるからじゃ……」
「良いから早く」
急かすようにそう言い、坂東は着ていたパジャマを脱いだ、すると大野が見たと言っていた手首には、一目見たら分かるぐらい縛った痕がくっきりと残っていた。キツく縛ったし、坂東も動かせないことを承知で動かしまくっていた。この傷が残ったのは俺のせいかもしれないが、坂東のせいでもある。再び上に乗ってきた坂東は、耳元で「早く」と俺を急かし、萎えたペニスを握った。
こうも積極的な男だっただろうか。常に拒んでいた奴から求められるのは奇妙で、狭い椅子の上でヤるぐらいだったらベッドに移動しようと思えば「ここでいい」と言われ、椅子に押し付けられた。
坂東は俺の手を取って、人差し指と中指を銜える。先ほど、フェラをしたように指を銜えて、唾液を付けていく。舌を押すと、坂東は苦しそうにもがいて、口を開けた。
指を抜き、椅子の上で膝立ちになった坂東のズボンを下ろし、穴に指を這わす。発熱のせいで普段より熱い体の中は熟しているようで、指に絡み付いてくる。ゆっくりと、動かすと熱を帯びた息が肩にかかった。
「んぁっ……」
わざと前立腺を外して指を動かしていると、括約筋が締まり、指を圧迫させる。熱が出ていようが具合が悪かろうが、誘ってきたのは坂東なんだから俺は容赦しない。浮いた汗が、頬を流れ、顎を伝って落ちた。
音を立てて中を動かすと、堪えきれないように声を漏らし、「おく、までっ、いれろよ!」と切羽詰った声が聞こえた。それはいつもの坂東みたいでホッとしてしまう。試すようなことをして、目の前に居る人物が可笑しくないかどうかを調べるなんて、情けないなと思った。
「自分が下がれば良いだろう」
「……くっ!」
坂東は悔しそうに俺を見ると、膝立ちから俺の上に座るように上体を下に落とした。指の付け根まで中に入り、素直に動いたので仕方なしに前立腺を刺激する。堪えていた声を出さずにはいられないようで、漏れるような声が聞こえる。
「は、ぁあ、ん、あっ……」
「今、何本入ってるか、分かってるか」
「ん、にほっ、ん……」
中が締まり坂東は俺にしがみ付いている。熟れた体内は指だけでは物足りないようで、ギュウギュウと吸い付いて、俺を誘っていた。
「二本だけじゃ物足りなさそうだな。緩々で出入りが簡単に出来るぞ」
「は、も、いれっ……、てぇっ……」
「自分でやれ」
俺に命令されるなんて死んでも嫌だと豪語していたのに、坂東は何の文句も言わず手で扱いて俺のペニスを立たせると、自分から俺を受け入れた。椅子の上でヤるのは少し面倒だから、坂東の体を持ち上げてソファーに移動する。
「動け」
いつもだったら「誰が動くか!! お前が襲ったんだから、お前が動け!!」と怒鳴るはずなのに、坂東は静かに俺の上で踊るように動き始めた。
はっはっと、犬が息をしているかのような声が、部屋に響く。十分慣らしたおかげで動きはスムーズで、坂東の体が下に降りるとグチュと音が鳴る。俺はソファーの肘置きに頭を乗せて、上に乗っている坂東を見つめていた。
「ぁっ、や、んぁっ……」
「全然気持ちよくない。お前だけ気持ちよくなって良いご身分だな。それをなんて言うか分かるか?」
坂東は動きを止めて「……は……?」と声を漏らす。強気な目も快感に潤んで弱々しく見える。熱があるせいか頬は紅潮して、俺を見て目を細めた。
「……オナニーだろ。分かってる」
「俺はお前のオナニーに付き合ってるつもりはない」
体を起き上がらせて、坂東を下にして俺は動き始める。眼鏡がずれて視界が揺らぎ、落ちそうになったところで坂東の手が俺の眼鏡を掴む。かすんだ視界で、坂東が笑った気がした。
坂東の手から眼鏡がすべり、カシャンと音を立てて、床に眼鏡が落ちる。よく凝らしてみると、レンズにヒビが入って、もう使えそうにも無い。
「人のものを壊すな」
「……手が滑った」
悪びれもない表情がかすんだ視界から見え、俺は坂東の腰を掴んでぐっと引き寄せる。眼鏡を壊されたことを怒ってるのではなく、どうしてそんなことをしたのか解せなかったからだ。奥深くまで入れると、背中を仰け反らせ、一際大きい声が上がる。
めちゃくちゃにしてやろうと思った。分からないけれど、耐え切れない焦燥感に駆られて、壊したくなった。
眼鏡と同じように。
そこまで眼鏡に対する執着があったわけじゃない。新しいのを買いに行けばいいのにぐらいにしか思わなかった。
両手首についた痕が俺の視界に入る。こんな風に、もっと色々痕を付けたくなる。これは一体、どういうことなのだろうか。
自分のことなのに、俺は何も分かっていなかった。
「…………もう、俺に関わるな」
事が終わった後、両腕で顔を隠しながら、坂東が小さい声で呟いた。
「分かった……」
本気で壊そうとする前に、この辺で手放したほうが良い。そう思っていたんだから、坂東を開放するのなんか簡単に出来た。
眼鏡が無ければ仕事も出来ない。仕方なく、午前中は休みを取って眼鏡屋に向かうとコンタクトを勧められた。目に異物を混入するなんて信じられないことだけれど、眼鏡と違って壊れることは無いですよ。と言われ、試しにコンタクトを付けてみることにした。
視力検査、眼圧検査、問診、面倒くさい手順を踏んでやっとコンタクトを装着できることになったが、どうも目に違和感を感じる。そして、いつも鼻にかかっていたものがないから、ちょっと気持ち悪い。
それでもフレームに邪魔されない世界は凄く見やすかった。午前中有給を取ったと言っても、仕事が溜まっていくのが目に見えていたので、昼前から会社に行くことにした。
カバンを置いて一息吐くと、周りがざわめいていて「あれー、相葉課長、コンタクトにしたんですかー?」と通り過ぎる人々に話しかけられた。眼鏡をかけていた奴がコンタクトにしたぐらいで大げさだ。製品開発部に視線を向けると、顔色を真っ青にした坂東が俺を睨みつけていた。
風邪が治らないことを俺のせいにされても困る。何より、昨日は坂東が誘ってきたのだから、それで怒るなんて本末転倒もはなはだしい。スーツのポケットにタバコが入っているのを確認し、喫煙室へ向かった。人の多さと煙たさに圧倒されて、逃げ出すように喫煙室を出る。こんなに人が多かっただろうか。そんなことを考えながら屋上へ向かい、タバコに火をつける。真冬で寒いせいか、屋上には誰も居なくて、冷たい風が頬を吹き付ける。苦し紛れに言った坂東の一言が、頭の中を反響させて思考を鈍らせた。
今までどおり、普通に仕事をするだけだ。別に付き合っていたわけじゃないのだから、この変な関係が終末を迎えたと思うだけなのに、縋るような、弱い表情が頭に浮かんでイライラした。坂東はそんな弱い奴じゃないのに、どうしてそんなことを考えてしまったのだろうか。
煙を吐き出して、青く澄んだ空を見上げる。白い筋状の雲が、視界を流れていく。コンタクトレンズが乾いたせいか、目に痛みが走り、涙が浮かぶ。慣れない事はするものではない。今日の帰りにでも眼鏡を買いに行こうと思って、灰皿にタバコを捨てた。
脱力感と言うか、無気力に襲われてやる気がしない。眼鏡からコンタクトに変えたぐらいで、気持ちまでも変わってしまうのかと嘲笑い、パソコンに目を向けた。
無意味に入ってくる社内メールに目を通し、返信が必要なものには返信をする。課長になってから、CCで入ってくるメールも多く、目を通すだけでも時間がかかる。怠惰的にメールを開いて、既読にしていく。内容を確認しておかないと、後でトラブルが起こったときに知らないと面倒だ。
早いうちに出世してしまっただけに、会社からの期待も大きく、全てが面倒になる。今の時代、仕事だけが取り得の人間なんて居ないだろう。けど、今の俺にあるものは、仕事だけだった。
与えられた仕事をしっかりとこなし、何も考えないようにしていた。
「……あの、課長」
右から声をかけられ、顔を上げると気まずそうにしている大野が居た。大野は先週会議にかけた新商品の製品案内を持っていて、俺に「……この件なんですけど」と製品案内を差し出す。
「これがどうかしたのか」
「会議で保留になったまんまですよね」
「……あぁ。そう言えば、そうだったな。製品開発部の押しが弱かったからな……」
会議の様子を思い出し、大野の顔を見た。この商品に関しては大野が担当する予定だったけれど、会議に出席するはずだった坂東が倒れて会議が遅れ、家で寝かせきりと言うわけにもいかず、一緒に行った大野を置いて、元々俺は会議に出席する予定だったから、俺が全て聴くことにした。製品開発部からは愛野が出ていて、質問されていた事項ははっきり答えていたけれど、あと一押し足りないように思った。
それが原因と言えば、原因だろう。
「来週あたり、また会議にかけるだろう。そのときはお前も出ろ」
「はい、分かりました」
大野が返事をしたのを聞いて、俺は画面に目を移す。大野は多分、坂東と俺の間に何もなくなったことに、少し責任を感じているのだろう。言えば、俺が縛ったりするのをやめると思っていたみたいだが、予想に反して関わらなくなってしまったから、気まずさを感じているに違いない。
そんなこと、全く気にしなくてもいいと言うのに。間違ったことが嫌いで、正義感の強いO型なんだから、小さいことは気にせず、いつも通りにしていればいいものを。
それから週を明けて、真っ青だった坂東の顔色も週末で体調を整えたようで、いつもの白さを取り戻していた。先週保留にされた会議を、今日の10時に行うと言われ、俺と大野はすぐに会議室へと向かった。
保留にしていた案件を早く消化させたいという気持ちが強く、まずは批判的な意見から会議が始まる。追求するような質問が製品開発部に突きつけられ、少しどもりながらも愛野が答えていく。その隣で坂東は興味なさそうに前を見つめて、愛野の返答を聞いている。
ここ最近、坂東はいつも興味なさそうに外を見つめていることが多かった。お世辞にも仕事熱心とは言えず、言いたいことはズバズバ言うけれど、興味ないことは意外なほど興味を見せない。
「この商品の売りは何ですか」
しびれを切らしたように、別の課の課長が愛野に尋ねる。先ほどから、尋ねられたことしか答えない愛野にイライラを感じていたんだろう。2回目の会議と言えど、この商品で会議デビューした愛野には厳しい質問で、言葉が詰まって一番大切なところを言えなかった。
「……優れた耐久性です。製品開発部、工業製品課では、価格よりも耐久性を重視し、長年使っていただけることをモットーとしました。多少、他の製品よりも値段が高くなってしまいますけど、摩耗が少ないので交換時期が3ヶ月ほど長いです。安いものを多く発注するよりも、少し高いものを長く使っていただける方が、顧客にとっても喜ばしいことなのではないでしょうか」
中々答えない愛野に変わって、坂東がはっきりとそう言う。滑舌が良く通る声に全員が黙りこくった。高いと言うことをデメリットとしているが、それを補う耐久性を売りにして、顧客満足を得ると言うのが目的なのだろう。分かりやすい説明に、全員が納得するのに時間はかからなかった。
売りだすことが決定し、次々と人が出て行く。不機嫌さを露わにした坂東と、気まずそうな顔をした愛野、それを見る大野が部屋に残っていて、俺は他の奴らと一緒に外へ出た。1時間半ほどで終わった会議は特に内容があるものとは思えず、保留などにしなくてもこの前の会議で決定できる事項だった。タバコを吸おうと思って、ポケットから煙草を取り出し、会議室の前を通ると「何をやってたんだよ! お前は!」と怒鳴る坂東の声が聞こえた。
「んな言い方しなくても良いだろ! 愛野は会議、初めてじゃねぇか!」
愛野を庇う大野の声が聞こえて、俺は会議室のドアに凭れて、当分傍聴することにした。二人とも幼馴染と言えど、大人だからケンカすることなんて無いだろう。気の強い坂東に愛野は言い返すことは出来ないだろうし、事務所の中でも言い返せる奴は少ない。工業課の課長と、俺ぐらいだったら権限を使って坂東を黙らすことはできるが、平社員には難しい。その中でも大野は唯一と言っていいほど、坂東に突っかかることが出来る人間だ。
上が変に介入するより、両者で解決させた方が良い。
「うるせぇんだよ、お前。営業は関係ないねぇだろうが。出ていけ、今すぐ」
確かに坂東の言うことには一理あって、俺は少しだけ笑って手に持ったタバコをポケットに直す。
「言い方が一方的だろ。少しは愛野の言うことも聞いてやれ。人の話なんて一切きかねぇじゃねぇか、坂東は」
「言い訳なんざ俺は聞きたくねぇんだよ。この前、会議に出るって言った愛野は、大丈夫かって尋ねたら大丈夫だって答えたんだ。それなのに、出来てねぇってどう言うことだよ。資料の作成してりゃぁ、売りぐらいしっかり分かるだろうが。あそこをしっかり発表しねぇと、いくら製品作ったって売りに出せねぇんだよ! そんなんも分からないくせに、営業が口出しするな!! お前らは作った製品売ってるだけじゃねぇか!! 俺たちが商品作らねぇと、お前たちの仕事はねーんだよ!」
相当苛立っているようで、坂東は大声で怒鳴り散らしている。この話し合いの中心にいる愛野は何も喋らず黙っているようで、声が一切聞こえてこない。
「お前たちがいくら商品作ろうと、俺たちが居なかったら売れないだろ!! お前こそ、偉そうなこと抜かすな!! それに、お前がしてることは八つ当たりだ。愛野に八つ当たるな!!」
「自分たちが上手く行ってるからって、他人にまで干渉してくるんじゃねぇ。良い迷惑なんだよ!!」
話の方向が仕事からプライベートに流れている。お節介な大野のことだ、俺に言ったようなことを坂東にも言ったんだろう。そう思えば、最後のあの不自然な態度は納得するところがあった。最後だから、多少素直になってサービス精神を見せたってところか? 自分から関わるなと言ったくせに、人に八つ当たりするなんて、そっちのほうが良い迷惑だと思うが。
白熱する口論に耐え切れなくなり、俺はそっと会議室のドアを開けた。会議室のど真ん中で口論をしている二人は俺が入ってきたことにも気付かず、おろおろとしている愛野が入ってきた俺に気付いて声を上げようとする。
鼻に人差し指を当てて、黙るように指示をする。周りが見えていない二人は「この強引ヘタレ野郎!!」と罵ったり、「うるせぇ、自己中ワガママ野郎!!」と中身のない口論をし始めていた。やはり、幼馴染なだけあって、言いだしたら止まらないのだろう。それを止めれるほど、愛野に器量があるとは思えない。
愛野に手招きをすると、安心感からほっとした顔をして、俺に近づいてくる。
「ど、どうしましょう……。俺がはっきり言わなかったから、坂東君が怒って……」
「最初から聞いていた。こう、言って来い」
頭一個分低い愛野に屈んで耳打ちすると、愛野は目を見開いて「……え」と言って俺を見上げる。二人とも頭に血が上っている状態でまともなことを言ったって意味がない。
「ほら、言って来い」
渋っている愛野の背中を押すと、よろよろとしながら二人に近づいて行く。
「愛野と付き合えることになったのは誰のおかげだと思ってんだよ、このクソ以下」
「自分のおかげに決まってんだろ、このクズ」
「クソ以下にクズなんて言われたくねぇな」
「あぁ、んだと!?」
大野が坂東の胸倉をつかんだ時、愛野が二人のケンカを遮る様に大声で叫ぶ。
「俺のためにケンカしないで!!」
愛野がそう叫ぶと、二人の口論がピタッと止んで愛野を見つめる。俺は噴き出しそうになるのを堪えながら、静かになった二人の所へと行く。面倒事に何か首突っ込みたくないが、愛野に助言をしてしまった以上、仲裁に入らなければいけない。でないと、暴言に関しては天才的である坂東の怒りの矛先が、愛野に向かってしまうだろう。
「……は?」
「あ、愛野……!?」
「こ、今回は、ちゃんと説明できなかった俺が悪かったから……。大野は、何も言うなよ……」
弱々しい声が聞こえて、大野の顔が悲しそうに歪んだ。大野は愛野のためを思って坂東に突っかかったんだろうけど、それを愛野に否定されてショックだったんだろう。坂東は近づいてきた俺を睨みつけて「何しに来たんだよ」とふてぶてしく息を吐いた。
「ガキじゃないんだから、子供みたいな言い合いはやめろ。見っとも無い。愛野の言うことも一理あるが、愛野、大野はお前のためを思って庇ってくれたんだ。まずは、それに礼を言うべきだろう」
言っている意味を理解した愛野は、悲しげに俺を見上げ、「……はい」と小さい声で返事をした。
「大野、お前も愛野のことを庇う気持ちは分かるが、これは仕事だ。何もかも庇っていては愛野が成長しないだろう。甘やかすだけが優しさじゃない。時には厳しく叱咤することも必要だ」
大野に視線を向けると、大野は愛野と同じように小さい声で返事をして、俯いた。
「そして、坂東。少しは言い方を考えろ。言っていることが合ってたとしても、そんな言い方では伝わらないぞ。少しは口のきき方ってものを考えたらどうだ。小学生じゃないんだから」
最後はため息交じりに言うと、坂東は俺を睨みつけて「うるっせぇな」と唸るような声で言う。コイツだけは反論してくるだろうなと思っていたから、言い返してくることぐらい見込んでいた。
「営業の課長には関係ない話だ。出て行けよ」
「じゃぁ、このことを工業課の課長に報告しておく。それで満足なんだな。内々で解決した方が、互いのためだと思っていたが、お前がそう言う態度を取るなら俺は容赦しない。俺はもちろん、他の課であるお前を庇ったりなんかしないし、問題になったとしても自分の部下である大野を庇う。そうすれば、自然とどうなるか、バカなお前でも分かるだろ」
威圧的に言うと、坂東は眉間に皺を寄せて、俺から目を逸らし「……んだよ」と呟いた。こんなことが大ごとにしたってなんのメリットにもならないが、反抗的な態度ばかり取るなら俺のほうが権力があるんだ。大ごとにすることだって出来る。
「全部、俺が悪者かよ……!」
相変わらず目を逸らしたまま、坂東は下を見つめながら言う。
「何、子供みたいなことを……」
「もういい。……疲れた」
坂東は顔を横に向けて、俺の隣を通り過ぎようとした。
「待て」
腕を掴んで引き止めると、坂東は顔を前に向けたまま「離せよ!」と怒鳴り、掴んでいる俺の手を振り払った。逃げるように会議室から出て行き、バタバタバタと走る音が木霊していた。
「…………何なんだ、アイツは」
坂東が出て行った先を見つめ、呆れたように呟くと、後ろから「……あの」と愛野の声が聞こえた。
「どうしたんだ」
振り向いて愛野を見ると、愛野は胸の前で指をモジモジとさせて、俺とは目を合わさず小さい声で話し始めた。
「……多分、坂東君……。相葉課長が庇ってくれると思ってたんじゃないんでしょうか」
「……は?」
どう見ても坂東が悪いこの状態で、何で俺が坂東を庇わなきゃいけないんだろうか。つい怪訝な声を出してしまうと、愛野は顔を上げて俺を見る。
「さっきからずっと大野君に責められてて、ちょっと辛かったんだと思います。坂東君って気が強いですけど、それって自分の弱さを隠してるような気がして……。これは俺の憶測なんで分からないですけど、相葉課長に言われてる時、坂東君、すごく悲しそうな目をしていたんです」
良く考えると、俺が坂東に言っているとき、坂東の顔をしっかり見ていなかった気がする。この前のこともあり、仕事中は割り切らないといけないと思って気にしないことにしていたが、本人を目の前にすると気にせずにはいられず、しっかり目を見てやることが出来なかった。
「ほんと、多分ですけど……。坂東君、相葉課長が来た時、助けてくれると思ったんじゃないでしょうか。でも、それとは裏腹に、責められたから……。そんでもって、大野の味方するって言ったから、一人っきりになったと勘違いしてるはずです。坂東君って天の邪鬼だから、素直に自分の気持ち言えないだろうし、素気なくしたり、冷たいこと言ったりしちゃうと思うんですよ。……それを分かってあげてください。坂東君がウソ吐くとき、絶対に目を合わさない」
最初は自信なさげに話していた愛野が、最後は強く俺に向かって言った。これがA型の気の強さか……。
ウソを吐いているときは、目を合わさない。その言葉に思い当たる節がいっぱいあって、俺は頭の中で坂東の行動を思い出した。さっきだって全然目を合わさなかったし、関わるなと言ったときだって、目を腕で隠していた。眼鏡を壊された時は、視界がかすんでいてどこを見ていたか分からなかったが、目が合っていなかったように思う。その辺からウソを吐き始めたとするなら、アイツの行動には色々納得させられるところがあり、こんなに不機嫌なのは俺との関係が無くなったからかと、自惚れた感情が込み上がってきた。
「俺……、坂東に、その気がないなら、やめろって言ったんです……。さすがに、どんなに嫌いでも幼馴染が傷つけられてるの見てらんなくて。反論するかなって思ったら、アイツ、分かっただけ答えて……」
気まずそうな大野の声が聞こえて、俺は大野に視線を向けた。愛野と同じように、指をぐりぐり弄りながら喋る大野は、俺に黙っていられなかったようだ。俺に言ったように、坂東にも言ったのか……。
「アイツがイヤだって言えば、課長やめてくれるかなーって思って。……でも、まさか別れるとは思ってなくて」
「は?」
別れると言う言葉に違和感を感じ、俺は首を傾げた。
「え、あ、別れたんじゃないんですか? 俺、次の日、坂東にどうしたか尋ねたら「もう関わらないって決めた」って言われたから、てっきり別れたのかと……」
坂東が言ったことは間違いないし、関わらないって決めたことも確かだ。それなのにどうして別れるって言葉が出てくるんだと思い、ちょっとだけ考える。
「……あぁ、元々、俺と坂東は付き合っていたわけじゃない。俺が勝手にやってただけだ」
「は!?」
「無理やり残業押し付けて、残ったところを襲いかかってただけだ。これで意味が分かったか?」
セックスをしていれば付き合っているとでも勘違いしていたんだろう。事実を教えると、大野は「うっそおおお!!」と大声で叫び、マジで!? と一人喚き散らしていた。考え方が若いなとバカにして、俺は大野に背を向けた。
「……ど、どこ行くんですか」
「はっきりさせてくる」
「……え」
坂東がどこに居るかは大体予想が付いている。子供じゃないんだから外に出て行ったりはしていないだろうし、この会社の中で誰も来ないところと言えば、一つしかない。
俺は大野に振り向き、眼鏡のブリッジを上げてから、もう一度「はっきりさせてくると言ったんだ」とだけ言い、会議室を出た。
エレベーターで最上階まで上がり、それから階段でまた上に登る。押し開きのドアを開けると、一気に風が吹きこんできて、髪の毛が顔にかかった。指で前髪を掻きわけ、柵に凭れているスーツ姿の男を発見して、ちょっとだけ安心した。
その男の横を白い煙が棚引き、俺は目を見張った。
「……タバコなんて吸っていたのか」
話しかけると、動きが止まって、ゆっくりと振り向く。
「禁煙してたんだよ。この前まで。どっかの誰かのせいで、復活しちまった」
親指と人差し指でタバコを掴み、不機嫌そうに坂東はそう言った。その隣に並び、ポケットの中からタバコを取り出して、坂東が銜えたタバコから火を奪う。
ジッと、火の付く音がして、坂東から少し離れる。
「全く、子供みたいな部下を持つと、疲れる。疲れるはこっちのセリフだ」
煙を吐き出しながら愚痴ると、坂東は眉間に皺を寄せて俺を見つめた。俺は前に広がる風景を見つめ、坂東には目を向けなかった。
「子供みたいな部下に突っかかられて、暴言を吐いて去っていくヤツも非常に疲れる。5歳違うだけで、こんなに変わるものなのかとエレベーターに乗りながら考えさせられた。俺が25の時は、もうちょっと落ち着いていたぞ」
「……うっせーなぁ」
坂東を見ると、坂東は唇を尖らせて、タバコを吸っていた。子供みたいな拗ねかたに、笑いが込み上がってくる。
「けど、俺は、そんな落ち着きが無くて、人に暴言ばっかり吐いて、他人のことを全く気にしない天の邪鬼なそいつに夢中のようだ」
「……は?」
唖然として、目を見開いている坂東を見て、俺は鼻で笑う。
「もう関わらないって言われてから気付いた。俺は、お前のことが好きだ」
目を見て、しっかりと言うと、坂東は唇をわなわなと震えさせて、タバコを床に落とした。風に煽られて、タバコがころころと床を転がっていく。
「ポイ捨てするな。ここは俺だけの喫煙場所だぞ。吸ってるのがバレて、ここが禁煙になったらどうするんだ」
「……知ってたよ」
坂東は柵に頭を乗せて、俺から目を逸らした。その肩がプルプルと震えていて、泣いているのか笑っているのか分からない。俺はタバコを銜えて、大きく息を吸った。
「知られていたとは意外だったな」
「……うっせぇ……」
煙を吐きだして、上を向かない坂東の頭を掴んで無理やり前を向かせる。
真っ赤な顔をして今にも泣き出しそうな坂東の顔に、プッと噴き出す。
「なんつー顔をしているんだ」
「……お前が俺のことを好きだなんて、前から知ってた」
「そうか。俺より前に知ってるなんて、お前はエスパーか?」
「お前のことなら、何でも分かるんだよ。………………バーカ」
最後まで暴言を吐き続ける坂東の唇を塞ぐと、俺とは違うタバコの香りがした。
……血液型の話じゃねー……orz
血液型コンプレックスはこれで終わりです。
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